止め矢なき追跡
JR上野駅の近く、首都高一号線と浅草通りが交差するあたりに上野警察署はある。
隣は台東区役所。
俺はその役所に用事があるサラリーマンを装って、区役所に入り、渡り廊下から上野署を何度か監視していた。
黒澤に手を汚させてまで得た情報、金子を追跡するためだ。
本来なら、人相着衣や交友関係等を探るべき場面だが、魔法使からもたらされた情報でほぼ事足りる。
彼奴の銀行の金の流れまで、俺には筒抜けだった。
監視対象は上野警察署地域安全課巡査部長金子修二。年齢四十二歳。
高校卒業から警察学校を経て警視庁に奉職。二十七歳の時、本所警察署勤務の際、質屋の娘と見合い結婚。盗品が持ち込まれる事が多いことから、古い質屋は警察と縁が深い。
今は、キャッシングやらネットオークションに押されて質屋は激減しているらしいが。
不祥事などの問題は無し。
狛江市に家を建て、その住宅ローンはあるが、他に大きな借金は無し。大金を不自然に動かした形跡も無し。
ギャンブルもやらず、女遊びもしない。酒は付き合う程度。
まぁ、真面目を絵にかいたような警察官だった。
出世コースに乗っているとは言えないが、勤務査定もいい。
平均的なノンキャリといったところか。
ただし、昨年末、九歳になる長男が血液の病気を発症。
骨髄とか血を造る細胞などを移植しないといけないそうだ。その前段階の寛解に至る治療がその子の体質もあって保険適用外の治療で、かなりの高額治療になるらしい。
これを機に、定期貯金を解約している。
ローンを抱える身では、それだけで支えきれるわけもなく、そこを衝かれて「悪い警官」の窓口にされた……と、俺は踏んでいる。
俺を「野良犬」呼ばわりしてぶちのめしてくれた男とは、体格が違う。
金子は小太りで、俺をノックアウトして金を上野署に運んだ野郎は細身だった。
彼奴の先に、少なくとも一人は一味がいる。その『筋』を辿った先に、如月が狙う敵がいるはず。
上野警察署と浅草通りを挟んだ斜め向かいに、財閥系資本のホテルがあり、俺はそこを借りていた。
じっくり腰を据えて、金子を尾行する。その人となりを観察する。
魔法使も、多分、監視カメラをハッキングしつつ金子を追っているだろう。
彼女はおそらく如月に雇われている。『互助会』の金庫番は魔法使だという噂があった。
如月がどうやってあの行動が読めない面倒な女をコントロールしているのか、全く理解できないが、こうした人心掌握術に関しては、俺はあの下駄みたいな顔の男に遠く及ばない。
監視して尾行するのは、俺の本能みたいなものだ。
解散した『特捜部』の誰より、俺はそれが上手かった。
コツはある。
相手の思考に入り込むことだ。相手のデータを集め、行動パターンを予測する。
突拍子が無いと思われる行動でも、しでかすヤツにはそいつなりの理屈があるものだ。
例え、それが狂ったものでも。
俺はそれをなぞる。魔法使は、俺のこの儀式を『同調』と呼んでいた。
特殊な素質とか、超自然な能力ではない。
他人よりちょっとだけ、自己暗示をかけやすいのと、表情の裏を読むのが上手いだけだ。
俺が信頼する人物の一人である松戸も、同じような才能がある。
観察して分かったのは、金子はかなり几帳面だということ。
曜日によって決まったネクタイを締め、昼食は決まったメニューを決まったローテンションで注文する。
リズムが崩れるのは、息子が入院している病院の帰り道。
調布の安い居酒屋で酒を飲んだり、多摩川の土手で長時間夕日を眺めて座っていたりする。
暗い気持ちを家に持ち込まないため、切り替える時間が必要なのだろう。
眠れないのか、彼の書斎の明かりが消えない事も多い。
疲れた体を引きずるようにして、金子は小田急線に乗る。通勤ラッシュを避けるため、始発に近い時間に家を出るのが彼の行動パターンだ。
新宿で中央線に、秋葉原で山手線に乗り換え、上野駅から上野警察署へ。
俺は、そこでホテルに戻り、数時間仮眠をとる。
金子はその間、勤務しているはずなので、かなり体はキツイだろう。
見かねたか、上司には心配されているらしい。休暇をとるよう勧められているという。
子供の事もあり、かなりダメージはあるようだが、金子が落ち着かなくなったのは、魔法使が入手した人事考査の秘密データから推測すると、裕子が死んだあたりから。
罪悪感だろうか? 金子は末端構成員なので、細かい経緯は知らされていないのだろうが、不審死の噂は耳に入っているはず。そして、不自然な打ち切りも。
昼、俺は起き、スマホのバッテリー残量をチェックして、上野署の入り口を台東区役所の中から監視する。
決まった時間に金子が出てきて、上野駅に近い定食屋に向かう。
だが今日は、顔を伏せたまま、逆方向に歩いている。
歩調が速い。俯いた姿勢。これが示すのは『疾しい気持ち』の現れ。
通常を観察していたので、違和感か察知出来、異常事態なのだと判る。
俺は、区役所を出て、金子を尾行する。
何か事態が動く時は、独特の緊張感が背中を走る。久しぶりに俺はそれを感じていた。
稲荷町方面に、細い道をくねくねと曲がる。この周辺は何度も歩き回って、地形は頭の中に叩き込んである。だから、見失うことはなかった。
それに、金子の尾行を振り切るテクニックは上手いとは言えない。
曲がるたびに、左右に金子は目線を送っているが、それは不安の現れ。
習慣みたいなもの。そのくせ、視覚情報を脳がちゃんと処理していない。
何度か、俺を見ているはずなのに、俺が尾行者であると気付かないのが証拠だ。
寺と小学校に挟まれた公園に、金子は入っていった。
砂場とブランコに幼児の姿。
ベンチには三人の若い母親が、乳母車を手元に談笑していた。
母親たちから離れた片隅に、一人の男の姿があった。
くたびれたダークスーツ。だらしなく緩めたネクタイ。『園内禁煙』の看板の下で、斜めにタバコを咥えて紫煙を燻らせている。手には缶コーヒー。中身は既に飲み干しているのか、灰皿代わりにそこに灰をポンポンと落としこんでいる。
やさぐれた雰囲気だが、こいつは間違いなく警察官だ。体つきは、おれをぶちのめしてくれた野郎と似ている。
魔法使から渡されたスマホで、この男を最大望遠で撮る。上手い具合に、ほぼ正面からの顔が撮れたと思う。
足早に金子が男に近づく。
横顔しか見えなかったが、金子は嫌悪の表情を隠していない。
男はそれを見ても薄笑いを浮かべただけ。
身振りを交え、金子が何かを男に抗議している様子だった。
「うるせぇな」
という態度で、耳の穴などをほじっていた男が、缶にタバコを放り込み、立ち上がる。
入れ替わりに、金子がストンと地面に座った。
俺が監視している角度からは見えなかったが、男が立ち上がるついでに、金子の出っ張った腹に拳を叩き込んだのだ。
格闘家じみた動きに覚えがある。
間違いない、金を回収しに来て、俺を「野良犬」呼ばわりしたのは、多分コイツだ。
金子を張り続ければ、必ず次の糸につながる確信があった。
今度は、それを手繰る。
抵抗する手段を持たない女を一人殺しておいて、なかった事にしやがった奴らに代償を払わせてやる。
怒りがふつふつと涌く。
警察官だった時に、胸に抱いていた怒りとは全く異質で、もっと黒くドロドロした怒りだった。
それは『死人』として世界を漂う羽目になった事への怒りなのか、俺でも気が付かない抱え込んだ闇なのか、それは分からない。
確かなのは、この追跡行の果てに猟犬の歓びは無く、敵を仕留める『止め矢』すらないということだ。
罠にかけ、追い詰めた敵を前にして、俺はどんな選択をするのだろう。
いくら考えても、何も思い浮かばなかった。
男は、何か金子に捨て台詞をして、茶封筒を地面に投げ、公園から去った。
金子は、茶封筒を拾ってポケットに押し込み、ヨロヨロと上野警察署に戻ってゆく。
地面には、男が残した灰皿代わりにしていた缶コーヒーだけが残っていた。
俺は、二人が去ったのを確認して公園に入った。
ポケットからジップロックを出して、医療用の薄いゴム手袋をした手で缶を拾い上げ、袋に収める。
公園の若い母親たちは、おしゃべりに夢中で、ここで俺を含め三人の男が奇妙な行動をしたことに気が付かない。
日本は安全で平和だ。
その治安は、大多数の『良い警官』たちによって保たれている。
だが、必ず例外はあるものだ。
俺は穢れた荒野をトボトボと歩いている元・猟犬なのかも知れない。
『止め矢』もないのに。
よしよしと頭を撫でてくれる猟師もいないのに。




