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死人探偵  作者: 鷹樹烏介
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悪い警官

 勘違いしている奴がいるが『自白剤』は、なんでも秘密をペラペラしゃべり出す魔法の薬ではない。

 拷問の効果を薬品に代行させるだけだ。

 俺はまっとうな警官だったので『拷問』などやったことはない。だが、知識としては知っている。

 殴ったり指を切り落としたりして苦痛を与えるのは、精神的に追い詰めて正常な判断力を失わせるため。

 狭い取調室に何時間も押し込め、ただ睨みつけるだけという方法で自白を引き出す奴もいたが、これも一種の拷問。気が弱い奴は、それだけで精神の均衡を失う。

 そうして、正常な判断力を失わせたうえで、同じ質問を何度も繰り返し、矛盾点を排除して確度の高い情報を掬い上げるのが『拷問』である。

 結果、人格は破壊され、深い傷が精神に残り、PTSDなどの後遺症を残す。世界的に『拷問』が人道に照らし禁止されているのは、このためだ。

 ただし、この古矢田ふるやたのような、殴り殴られる事に慣れ、どっぷりと世界の裏側に浸かった者は精神的に追い詰めることは難しい。

 死の恐怖をチラつかせるのが最も有効なのだが、いざとなったら死ねばいいと思っている古矢田みたいな悪党には通用しない。

 だから、それを薬品に代行させようと黒澤は考えたのだ。


 ぐったりとなった頃を見計らって、黒澤が古矢田の頭に被せた布袋を取る。

 びっしりと脂汗を浮かべた、無精髭面が現れた。

 潰れた鼻、カリフラワーの様に肉が擦れて再生した耳、目の上に古い切り傷、ボクシングのグローブが擦過すると、刃物で切られた様にバックリと裂けることがある。その名残だろう。

 目は虚ろで、口の端から、血混じりの涎がつつっと流れていた。

 鼻血は凝固してちょび髭のようになっていて、左目は腫れて塞がっている。

 右の頬には大きな拳大の痣が出来ている。

 これらは、黒澤によってもたらされたモノだろう。

「サボテン液は効いたみたいだな」

 そう言って、革手袋をはめた手で、黒澤が古矢田の顔面を殴る。

 殴られた古矢田は小さく呻いて、左右に首を振っただけ。


「おまえのパンチなんか、効いちゃいない」


 ……という、ボクサー特有の仕草。習慣の様に染みついているのだろう。

「古矢田、せっかく刑務所べっそうにぶち込まれないまま逃げ切ったのに、なんでこっちに戻ってきたんだよ。馬鹿だな」

 うつらうつらしそうになる古矢田の髪を掴んで、上向かせながら黒澤が言う。

 古矢田の口角が上がり、頬が不随意筋肉収縮の動きでピクついた。笑ったのかも知れない。

「顔は覚えがねぇが、声に聞き覚えがあるぜ、誰だっけな」

 無言で、また黒澤が古矢田を殴る。

 パタタ……と、鼻血が古矢田の伊達な花柄のシャツに散った。

 さすが古矢田は泣き声すら上げず、哀願もしない。熱い湯に浸かる時の様な呻きを上げただけだ。

「それはそうと、この『薬』気に入ったぜ。あとで、薬品目と入手先を教えてくれ」

 今度は黒澤が鼻で笑う番だった。

「いや、お前は『苦しんで死ぬ』か『楽に死ぬ』かの二者択一だよ。明日なんざ、来やしねぇ」

 そう言いながら、黒澤が殴る。何度も、何度も……

 苦痛から逃れようと、古矢田の脳内では麻薬物質が分泌されているはず。

 それは、サボテンから抽出された麻薬とブレンドされて、確実に古矢田を毀しているはずだった。

 酸鼻を極める光景だが、意外な事に俺は何とも思わなかった。

 常識として、黒澤を止めるべきだったのだろうが、俺には淡々と『拷問』の手順を踏む黒澤の方が気になっていた。


 古矢田は泥酔したような様子になっていた。

 両目は腫れあがり、前歯も何本か折れている。

 血が詰まって鼻での呼吸が苦しいのか、日向の犬の様に舌を出してはぁはぁと荒呼吸していて、血混じりの痰唾が伊達な花柄のワイシャツを汚し続けている。

 上野署の誰かまでは、分かった。

 その先の口が堅い。

 黒澤もぶっ続けで『拷問』を続けており、全身汗まみれだった。

「上野署の誰だ」

 髪を掴んで上向かせる。

 そのまま、左右に張り手をかました。

 痛みを与える打撃ではない。眠らせないための殴打だ。

「いわねぇよ、いったらころされちまう」

 呂律の回らない声で古矢田が言う。

「お前は間もなく死ぬ。それは、確定事項だ。どうせ義理立てする程の相手じゃねぇだろうが。このままだと、辛いだけだぞ。言えば、楽に死なせてやるよ」

 面倒くさくなったのか、それもそうかと思ったのか、古矢田がげっげと笑う。

「生活安全課の金子」

 それだけ言って、またげっげと蛙じみた声で笑う。

 俺は、魔法使ウィザードから渡されたスマホを操作して彼女へのホットラインにつないだ。

「上野署の生活安全課に金子って野郎はいるかい?」

 いきなりそう告げる。

 返事はなし。ただし、カチャカチャとキーボードをたたく音は聞こえていた。

「いるよ。銀行口座に目立った動きはなし……と、ちょっと待って、子供に大きな手術を受けさせてる。でも銀行口座は動かず。不自然ね」

 そうか、やっと敵の背中が見えてきたか。

「ありがとう」

 お礼を言う。こういうところをキチンとしないと、魔法使がへそを曲げる時がある。

「クロちゃん、どうだった?」

 声を潜めて言う。

「心配だ」

「やっぱりね。クロちゃん可哀想なの」

 だから、それの理由はなんだ?

 ブツリとまた一方的に通話が切られる。

 受ける無礼には敏感なくせして、与える無礼には鈍感な女だ。

 ほんとうに面倒くさい。

「ウラ取ったぜ」

 俺が黒澤に報告する。

「そうか」

 黒澤はそれだけ言って、小型拳銃を古矢田の頭に押し付ける。

 そして無表情のまま、あっさりと引き金を引いた。

 パンパンという小型拳銃の音が二回。軍隊式のダブルタップ。その小型拳銃は昔、SPや皇宮警察が使っていたワルサーPPKらしい。

 32ACP弾が、硝煙を曳いて地面に落ち、チチン……と、小さな金属音を響かせる。

 略取誘拐、銃の不法所持、監禁、暴行、違法薬物の所持、そして殺人だ。

 それを見て何とも思わない俺も大概だが、これらを平気でこなす黒澤はおかしい。

「後始末はしておく。もう行けよ」

 硝煙漂うワルサーPPKを見ながら、黒澤がつぶやくように言った。

「おまえ、大丈夫か?」

 俺の問いに振り返った黒澤の目は、なんだか濡れている様に見えた。

「大丈夫だ、問題ない」

「いや、後始末のことじゃない。おまえが大丈夫かと聞いたんだ」

 黒澤が肩をすくめた。

 顔は無表情に戻っている。

「俺のチームが、ほぼ全滅しちまったからな。新しい面子をそろえろと、桃山にせっつかれているんだよ。なぁ、俺と組まないか?」

「桃山? あんな奴と組んでるのか? 公安上がりのうそつき野郎だぞ」

 県警、府警、道警など地域警察の中で唯一、東京都警とも言うべき警視庁には『公安部』が設置されている。首都の治安を守る警察ということもあり、また各国の領事館が集中し、監視対象の政治団体が多く存在することから、特例で設置されたのだ。

 桃山は、その公安部の外事第二課というアジア方面のテロ組織を監視する部署出身で、第一係員。

 本来、第一係は外事第二課の課内庶務を担当する部署だが、桃山は内部監査を行うのを専らとしていたらしい。

 秘密主義の公安自体が警察組織内では嫌われ者だが、桃山はその公安部員からも嫌われる存在。

 ただし、優秀だったらしい。行動監視の技術が高く、相手の心理を読むのも上手い。

 射撃や逮捕術などの術科は抜群、加えてなんとか流とかの古流武術の達人でもあると言う噂。

「桃山がどういう奴か知っている。だから、俺も信用なんざしてねぇよ。信用できる相棒が欲しいんだ。俺と組んでくれ」

 くわしい事情はわからない。

 だが、黒澤が深く傷ついているのは、分かった。

 古矢田をあっさり殺した。拷問も平気だった。この、どこか陽気だった戦士みたいな男は、『死人』になって以来毀れ続けている。

「如月とも桃山とも距離を置いて、暖かい南の島にでも行け、黒澤」

「あいつらは、俺が欲しい情報を持っているんだ。離れられん。止められん。俺の目標と、奴らの思惑が合致しているしな」

 黒澤の肩に手を乗せる。

魔法使ウィザードも心配しているぞ。一旦、仕事から離れろ。いいな?」

 ついと、黒澤が目を逸らす。

「無理だ。できねぇよ」

 肩をゆすって、俺の手を振りほどく。

 そして俺に背を向けた。

「もう行け。また手が入用なら連絡しろ」


 電車に揺られ、川崎から離れる。

 凄惨な現場を見たが、そうしても古矢田に同情心は湧かなかった。

 黒澤を毀れていると評したが、俺もまた壊れているのかも知れない。

 如月は、情報を餌に黒澤を操っている。黒澤はそれを承知で『互助会』の傭兵まがいのことをしている。

 行き場の無い怒りに胸が焼けた。どうも『互助会』は気に入らない。

 だが、まずは上野署の金子だ。

 黒澤に手を汚させてまで得た情報。

 自分の手を汚さず、黒澤を利用しているという点においては、俺も『互助会』も変わらないことに気が付いて、反吐が出そうになった。

 俺は友情を盾に、『互助会』は情報を餌に。

 今俺に必要なのは、「自分にとって正しい事を執行している」という確信。

 裕子が死んだ。誰かに殺されたのだ。彼女は殺されたにもかかわらず、その存在すら無かったことにされている。生まれ故郷に帰ろうとしていた。新しい人生を模索しようとしていた。

 俺が見捨てたら、彼女が生きてきたという証さえ、砂に描かれた絵の様に消えちまう。

 まるで俺の様に。『死人』にされた俺の様に。

 車窓に景色が流れる。

 ああ、首筋に死神の吐息を感じた。


 ―― まだ、死なない。約束がある限り、俺は消えない


 そうか、エイブ老人が俺に仕事を頼むのは、俺をこの世につなぎとめるためか。

 今は、哀れな女のため、俺の命を使おう。

 俺は悪い警官になってしまった。

 だが『悪』でないと『悪』には対抗できない。黒澤もそうして『悪』に染まった。

 最後に『正義』が勝つなんて、コミックスの中の世界だけだ。

 


 

 

 

 

 

 

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