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死人探偵  作者: 鷹樹烏介
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猟犬は高鼻を使う

 地下道で俺を助けたホームレスの男『教授』は、俺の申し出を受けた。

 新しい身分証は魔法使ウィザードに作成を頼むとして、住居やさは俺の本来の居住地でありアパートを一時的に提供することにした。

 俺は、棺桶の様な巣穴の様な貸倉庫で寝起きしているが、墨田区の馬鹿みたいに高い塔の近所に住所があるのだ。『互助会』が用意した伊藤という身分の人物がそこに住んでいるという設定だ。

 自分の住居が『互助会』に掌握されているのが嫌で、俺は、貸倉庫を真の本拠地にしている。

「ここで、身なりを整えろ。箪笥にある服は自由にしていい。気に入らなければ買え。新しい身分証が届いたら、自分で住処を探せ。保証人は俺がなってやるから、連絡よこせ。これが、携帯電話だ。そして、これが鍵」

 倉庫にストックしてある、使い捨てのプリペイド携帯と、俺が住んでいるという設定のアパートの鍵を渡す。住所はメモを渡した。

「なんで私を助ける? 何の得もないだろう」

「お前はあの場所を抜け出そうとしてただろ? それにお前は頭もいい、機転も利く。助けようとして出来なかった奴と似ているんだよ。その罪滅ぼしさ」

 猜疑の眼で『教授』が俺を睨み

「感謝なんかしないぜ」

 と、吐き捨てた。

「感謝は強要するものじゃなく、湧き上がるもの……らしいぜ。だから気にしなくていい」

 如月の訓話めいたセリフを無意識になぞっていた。

 くそ、俺も彼奴に影響を受けているんじゃあるまいな?


 妙に気になっていた男を助けた。

 借りを作るのは、ガキの頃から嫌いだった。だから、助けた。

 我ながら本当に面倒くさい性格だが、直らない。

 スマホが鳴った。

 俺と同じく『死人』にされた黒澤からの通信だ。この男は今『互助会』の傭兵をしている。

「俺だ。終わった。来れるか?」

 裏の世界に復帰した古矢田というボクサー崩れの男を尋問するため、黒澤には捕獲を依頼した。

 古矢田はスレッ枯らしだ。用心深く、裏の事情にも通じ、事務所兼自分の店は要塞化されている。

 それを、たった一日でカタをつけたというのか?

 古矢田という男は、ボクサーの八百長事件に連座し、その世界からドロップアウトしてから、ヤクザの用心棒を経てフリーランスの暴力代行業者『荒事師あらごとし』をやっていた危険な男だ。

 年齢的に現役を引退したのだが、かつての同業者のために、裏の人材斡旋業者『口入屋くちいれや』を始めたらしい。

 コイツが斡旋した『荒事師』の今井に俺は半殺しにされた。

 先日、今井にはきっちりとツケを払ってもらったが、更にその先にある古矢田が今井を紹介した人物を俺は知りたい。

 そこに裕子を殺し、俺を野良犬呼ばわりした奴らが居る。

 古矢田は足掛りだ。


 俺は黒澤に指定された、川崎市の海岸線にある倉庫街に向かった。

 この一角に黒澤の組織が借り上げている貸倉庫があるらしい。

 駅前はかなりきれいに整備された町だが、海岸に向かって郊外に出ると、昔ながらの工場地帯という雰囲気になる。

 かつては港湾労働者や不法滞在外国人が左翼を気取ってだいぶ暴れたらしいが、今はごく普通の海岸の工場街だ。

 コンテナ船も着岸するので倉庫も並んでいて、大きなコンテナが山積されていている間に、バラック風の建物が見えた。これらが倉庫だろう。

 風の中に潮の香りがする。

 トラックがひっきりなしにコンテナを積んで、歩行者である俺のすぐ脇を駆け抜けて行った。

 荒っぽい連中だが、彼らが日本の動脈である。

 引っ掛けられて、ボロ屑にように跳ね飛ばされないようせいぜい注意しながら、指定された倉庫を目指す。

 趣味の悪い空色のペンキで塗られたバラックが、俺の目的地らしい。

 普通のバラックに見えるが、多分違う。

 監視カメラがある。目立つところに二つ。巧妙に隠されたのか二つ。

 黒澤は『互助会』の傭兵にされた。

 警察官の私的な共済機構という表向きの顔の裏に、暴力には暴力をもって報いるという面が隠れている。

 そのために、黒澤の様な忠実な番犬が必要なのだ。

 俺も誘われたが、断った。

 殺されるところを『互助会』に助けられたのは事実だが、飼い犬になるのは俺の誇りが許さなかったのだ。

 決められた手順で、潮風に痛んだ錆が浮いたドアをノックする。

 微かなビープ音がして、ロックが外れる音がする。

「来たか。入ってくれ。鍵は解除した」

 壁面に設置されている小型のスピーカーから黒澤の声。

 俺は錆と塩でザラついたドアノブを捻って薄暗い倉庫の中に入っていった。


 スチールの棚が並んだガランとした空間が、その内部だった。

 柱はむき出しの鉄骨で、梁もレールの様な鉄骨。

 床は緑色のゴムを貼りつけたコンクリートっぽい感触。かつてはフォークリフトが走り回っていたのだろう。黒いタイヤ跡が残っている。

 天井は五メートルくらいか。幅十メートル程、奥行きは二十五メートル程度。

 その中央にポツンと椅子が置いてあり、そこに頭から布袋を被せられた大柄な男が縛り付けられていた。

 こいつが古矢田だろう。

 その脇に立っているのが、久しぶりに見る黒澤だ。

「よお」

「おう」

 言葉少なに挨拶を交わす。

 俺の声の発生源を探して、布袋が被さったままの古矢田の首が斜めに傾いだ。

 彼奴は試合時に左耳の鼓膜を痛め、殆ど聞こえないらしい。だから右耳を音源に向ける癖があった。

 古矢田は泣いたり喚いたり命乞いなどしない。

 そんなことしても無駄だと分かっているのだ。

 どうやってこの男を拉致したのか分からないが、黒澤がプロだということを古矢田は理解しているだろう。だから今は、体力を温存しじっとチャンスを待っているはず。

「こういう輩は、殴っても無駄だ」

 そう言って、黒澤が思いっきり古矢田をぶん殴る。

 鼻血でも出たか、布袋がじわじわと血で濡れた。だが、古矢田は呻き声一つ上げない。

 この時、俺が一番驚いていたのは、黒澤の変わり様だった。

 アメコミから抜け出たかのような、タフでどこか陽気な好漢がこの男だったはず。

 まず、眼が違う。

 昏い炎が揺らめいているようで、見ていて胸が苦しくなる。

 まるで古代の戦士像のような肉体は相変わらずだが、まるで頬が削げたかのように表情がやつれているにも気になった。


 ―― クロちゃん、可哀想なの


 魔法使の言葉が蘇る。

 何か、大きな傷を負うような事柄あった……そして、コイツはそれが癒えていない。癒し方も分からない。

 そんな感じがする。


「おまえ……」


 名前は呼ばない。古矢田のヒントになるから。


「大丈夫だよ。まったく問題ない」


 黒澤が笑って、デッキブラシを逆立てた様な強い髪をバリバリと搔く。

 ちっとも大丈夫には見えないぜ。


「そんな事より、この馬鹿だ。コイツのような『殴り屋』は殴られ慣れていて、暴力を振るっても心が折れない。今、ここで死んでも別にかまわんと思っているから、脅しも利かない。めんどくせぇ野郎だよ」


 そう言って、黒澤がもう一発布袋の上から古矢田を殴った。

 こうした相手を嬲るやり方も、黒澤らしくない。


「そこでだ、こいつを使う」


 黒澤が見せたのはアンプル瓶。

 何か薬品が入っているアレだ。


「まさか、それってメスカ……」

「そうだよ、いわゆる『自白剤』さ。手っ取り早く、こいつを使おう。時間がもったいない」


 黒澤が見せたのは、メスカリンという薬品だ。

 メキシコのサボテンの一種から抽出される麻薬物質で、ネイティブの宗教儀式に使われていたもの。

 現在は化学的に合成が可能な幻覚剤だ。

 こんなもの所持しているだけで『麻薬及び向精神薬取締法』違反に抵触する。

 真面目な警察官だった黒澤は、あっさりと境界を踏み越える犯罪者になってしまっていた。


「おいおいおい……そんなお行儀良い奴じゃなかっただろうが。コイツラは、平気で境界を超える。だから、こういった連中と戦うには、こっちも境界を踏み越えないといけないんだ」


 俺の渋面を読んだか、黒澤が文句を言う。

 まだ俺は警官の尻尾がついたままのようだ。


 

 

 

 

 

注)「高鼻」とは、猟犬が獲物の臭跡を追跡する際、鼻を高く上げて空気中の匂いを嗅ぐことです。

  地面に鼻をつけて、臭跡を辿るのは「地鼻」といいます。

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