Gの苦悩
私は今、越えられぬ壁と対峙している。
足掻いてもどうすることもできない、文字通り月とすっぽんのような差が、私の眼前に立ちはだかっているのだ。
しかし、今一度考えてみよう。
私が何をした?
ただ他の生物と同じように生まれ、成長し、交尾をし、子をつくり、余生に入ったところである。
これから長くもないだろうが、それでも平穏に暮らしたいと思っていたのである。
暗闇の中にいた私が光を受けたのは、その時である。
目の前にあった影が取り除かれ、とてつもなく強い光と、新たな影が私の目に映った。
私を見るなりそれは倒れこみ、「お母さんお母さん」とよく分からない言葉で何か叫ぶのである。
その音に、聞き覚えのあった私は、脳裏によぎる幼い頃の記憶を手元に手繰り寄せた。
そう。それは、人間と呼ばれる生き物だった。
私たちも含まれている食物連鎖の三角形の頂点に君臨し続ける、忌まわしき一族。私たちの一族を嫌い、一掃しようとする者までいる、危険な一族である。
姿を見ること無く散った母も、人間に殺されたのだと父は言った。
そして、こうも言っていた。
「あいつらに会ったときは、何も考えずに逃げろ」
叶わぬ敵に戦いを挑んでも無駄だ、と、そういうことだった。
今一度問おう。
私たちが何をした?
遠き昔から変わらぬ暮らしを続けていた私たちの領域に、勝手に踏み入ってきたのは彼らの方だ。なのに彼らは我が物顔で私たちの住みかを奪っていった。
挙げ句の果てには餌で釣って動けなくし、そのまま殺すという残忍なことまでする。
私たちは生きているだけなのだ。昔と変わらず、暮らしているだけなのだ。
なのに何だ人間は。食いもしない、家畜に餌として与えるわけでもない。私たちをただ駆逐しようとその技術を向上させていくのみ。
そこに何の利がある。いや、利があるとしても、こんなことが許されようか。
人間は、つまりはアブラムシを食らうテントウムシを阻むアリだと言うのか。
ならば、私も抵抗をさせてもらおう。越えられぬ壁だとしても、迂回できない訳ではないのだ。
考えを巡らせているうちに、相手の援軍が来たらしい。履き物の一つを手に構え、こちらににじり寄る影があった。
人間のなかで一二を争う狂暴種『オカン』というものか。伝説として伝え聞いていた通り、茂った森のような頭をしている。
私と『オカン』の間に、静かな風が流れた。
勝負は一瞬。気を緩めた方が負ける。
研ぎ澄まされた空間を先に切り裂いたのは、『オカン』だった。
上段に構えていた履き物を、遠心力を存分に利用して降り下ろす。
なるほど中々の速さだ。
しかし、遅い!
バチコンッ!!
「あんた、そっちいったよ!」
また訳の分からない言葉が響いた。どうやら倒れているこの人間に言っているらしい。
いくら強くても、無力に倒れるこの人間の攻撃なら、容易く避けられよう。
そう考え、上方へと飛び上がった私は。
その驕りを、一生後悔することとなる。
ブシューーー!
この人間は手になにかを持っていた。そこから勢いよく飛沫が放たれる。最初はなにかと思いながらもそのまま向かっていった。
一滴、この羽に受けたとき、全身に痺れるような痛みが走った。
「ぎゃーーー!」
あわや人間の足に落ちるかというところで、この人間は私を避けた。
固い地面に、体が叩きつけられる。
「きゃーーー!」
人間は、なおも容赦なく私に飛沫を浴びせかけた。
うっ。もう、意識が遠退いていく......。
妻よ。
我が子達よ。
健やかなれ......。
......。