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11インチのルームシェア  作者: 春雨
2/2

1日目

この先本編からは、三人称視点の一人称語り文になります。よくわかりませんね。私もよくわかっていません。



 手ブレ写真のまま固まっていた画面が、動き出す。視界の半分以上を覆っていた腕が離れて、下の方に見えていたつむじも離れる。よかった禿げてない

 ほんの少し上の方に仕掛ければ、一アングルで全部が見渡せてしまうのがワンルームの利点である。だからと言ってワンルームでよかったなんて思わないけれど。やっぱり一部屋くらいは欲しいものである。映っているのは狭い部屋と短い廊下と、申し訳程度の玄関口。


「ただーいま、と」


 それから、ぼてぼてとだらしなく歩く私。私は白いビニール袋を冷蔵庫に突っ込む。今食べているもの。コンビニスイーツは少し高いぶんハズレがなくていい。

 そして玄関先には、うずくまる人影。


 んっんーー?


「はーあ自宅に監視カメラ仕掛ける日がくるとはねぇ。現代社会は怖い怖い」


 私はのんきに伸びをして、ちゃんと手を洗っている。偉いけど、そうじゃない。


「老けた現代っ子だな」


 誰だ今馬鹿にした奴は。ああそうじゃない。本当は分かっているのだ。それはきっと玄関先の御仁。うずくまっていた影は、すっと立ち上がったように見えてすぐ、霧散するように消えてしまった。…若い、男の声を耳に残して。

 これはあまりに、なんというか、露骨すぎるのではないだろうか。今まで写真にも写らないこっくりさんにも付き合ってくれない、を貫いていたくせに、動画の中では我が物顔で存在しているなんて反則だ。独り言に返事を返していたなんて反則だ。お陰で怖がる暇も無く見てしまってはいるけれど。それはそれで、どうなのだろうか。


 ふと思い立って玄関口を見に行けば、脱ぎ散らかしたはずの靴はきちんとそろって並んでいた。


 なるほど。



***



「うわレポート明日か」


 その時間もかけず手を洗い終えた私は、部屋の真ん中で手帳を開いて呻き始めた。頼むからその女子力のない座り方はやめてほしい。年頃の女子は一人になると化ける、なんていい例だろうか。傍から見ると辛いものがある。

 姿勢を正すこともなくパソコンを立ち上げた私は、ぽちぽちとのろまにレポートを書き始めた。資料を何も開かないのはさすがである。どちらかと言えば悪い意味で。

 時折首を回しながら、私は途切れることもなくキーを叩いていく。


「んー…ん、めんどい。なんでそんな難しく考えるかな、これだから哲学は私聞く専なんだよね」


 ――本日二つ目の収穫は、私の独り言がうるさいことだろうか。自重するべきか否か。複数人で泊まりの旅行に行く時やなんかは気をつけておくべきだろう。

 けれどまあ今回ばかりはそんなことも行っていられない。


「単純思考でない先人にとっては、哲学は考える学問なのだろう」


 どうして、返事が返ってきているのか。

 どこから声がしているのか。

 あぐらをかいてキーを叩いている私の回りには、それどころか部屋のどこを見ても、声を上げるべき人なんか見当たらない。一人しかいない場所から二人分の声が聞こえているのは、少し、ぞっとする。


 それから、ほんの少し。やっぱり馬鹿にされたような気もして複雑である。

 私は相変わらず何も感じていないように、のろのろとレポートを書いているけれど。


「―――よっし終わり。なんか食べよ」


 そうして、何の滞りも無く作業を終えてしまった。ごろんと床で伸びをしてから、私はずるずると台所、というよりは調理台、へと向かって行く。

 声は、聞こえない。露骨すぎるこの部屋のいわく(・・・)は、鳴りを潜めたのかもしれない。


「何にしよ、トマト缶買ってあったよね。…うむ」

「煮込むなら魚介が合うんだがなぁ」


 否、潜めてなんかいない。


 ホールトマトの缶詰を持ち上げた私は、どこからともなく聞こえる声には全く気づいていない。こんなにはっきり音が入っているのに。さっきから、音声だけならば私が冷たい人のようにも思える。キャッチボールが成り立っていない。成り立ったら成り立ったで困るだろうか。

 相手が見えないままその声を聞くというのも不思議なものであるけれど、なぜだか、怖いとは思えなかった。

 それよりも、つい数時間前に現れた人影はなんだったのだろう、と思う。まさか別人、なんて事になっては手に負えない。彼、と便宜上呼ぶが、彼は靴をそろえてくれた時から一度も現れていない。視覚担当と聴覚担当がいるとでも言うのだろうか。


 そうこうしている間に私は鍋から離れ、再び冷蔵庫を漁り始める。サラダを作ろうとしている。言われてみれば野菜ばかりな気がしなくもない。

 …明日は、魚でも焼こうか。幸いなことに焼き網くらいならあるのである。


 ふと、気づくと。

 冷蔵庫からレタスを引っ張り出しにかかる私のその向こう側で、火にかけられた鍋の蓋が、ガタガタと揺れているのが見えた。あの様子では音だってしているだろうに、どうして気づかないのか。離れた場所からでも、鍋底からはみ出す炎が見えている。


 火事にならなかったのは、運がよかったのだろう。中のスープだって焦げ付いたりはしていなかった。

 これだから一人暮らしは、時々怖い。気が緩んだ隙にどんな失敗をしているのか、自分一人では大抵気づけないのだから。この録画は、本来の意味以外でも役立っているかもしれない。


 ああ、けれど。

 私はもう一つ、すっかり失念していたのだ。

 失敗や不手際に気づかない理由は、何も一人暮らしだからというだけではないと。


 膝立ちのまま今度は食器棚に向かった私の、ほんの数十センチ横。

 気づけば、まるで調理台に立つように、人影が浮かび上がっていた。


 うわあ。


 数時間前にはうずくまった背中を見せただけの人影が、今は背筋を伸ばして佇む姿を、横顔を見せている。いつ現れたのか、どこから来たのか全く分からない。まるでずっとそこにいたかのように、何の違和感もなくその場に存在していた。

 彼、は当然のように手を伸ばして、調理台のつまみをひねる。すっと炎が小さくなり、その上で煮立っていた鍋がおとなしくなった。

 すぐ隣でレタスを千切る私は、何も、気づいていない。

 こんなに近くで、こんなにはっきりと存在しているのに。何より、間違いなく物理的に存在しているのに。靴を揃えたりガスコンロの火を弱めたり。普通に手で。


 ――まだ若い、男。


 距離があるから分かりづらくはあるけれど、恐らく私と同じくらいか、少し上か。はっきりと姿を見てしまえば、色んなことがすとんと胸に落ちてくる気分だった。ここに住み始めてから私の、もしかしたらそれ以前の住人にも、こうして世話を焼いているのは彼だったのだろう。聞こえていた声も、きっと別人などではない。

 こうして見てもやはり、怖い、という思いはあまり感じられなかった。それはまず私の感覚どうこうではなく、彼の行動内容に起因するのではないのだろうか。世話焼きというのは、反発こそされるかもしれないが、恐れられる対象にはなり得ないのだ。


 また難儀な、と思ううちに、彼はすっと消えていった。まるで始めからいなかったとでも言うように。

 私は私で、のんきにサラダを準備し終えてトーストを焼き始める。どうして気づかなかったのだろう。ガスコンロの火を止めて、スープをよそって。がちゃがちゃとテーブルに移動すると、パチンと手を合わせた。


「いただきます、」

「次からは自分で火加減くらい見てくれ」


 また、発する人のいない声。私は何にも気づかない。こうして聞いてみれば、自分が諭されているだけあって妙な申し訳なさがある。その場で私が聞いていたら、まあ素直に返事を返すことくらいはできたのではないか。


 薄々気づいてはいたけれど、この辺りで既に、彼に何か対策を立てるなんて発想は微塵も無くなっていた。

 むしろ、顔くらい拝ませてくれという当初の目標は問題なく達成されてしまったくらいだ。


「ごちそうさま」


 大分と手抜きな食事を終えた私は、もう一度手を合わせる。こういうことは同世代の中ではきちんとしている方だろうし、食事中にテレビが点いていることもほとんど無い。割と、真面目ないい奴ではないか。

 自分で思うより真面目らしいことが発見された後、私は重ねた食器を流しに置いてそのままに、今度はタンスへと向かった。先にお風呂に入ってしまおう、ということ。部屋着とバスタオルを引っ張り出すと、ゆるゆると伸びをしながら風呂場の扉の向こうへと消えて行った。伸びすぎではないか。


 しばらくの、無人の時間。万に一つも彼、が姿を現さないかとも思ったけれど、どうやら期待は裏切られたらしい。

 この場合はどちらの方が安心だろうか。なんとなく、彼はそんなことはしないような気はするけれど。風呂場の方にいる、となれば今度から盛り塩やなんかを用意することも考えておく。私がいない部屋で好き勝手に動いていたとあらば、その時はこちらの部屋に盛り塩である。

 調理台に立つ幽霊に、果たして塩は効くのだろうか。


 うっすらと聞こえていた水音が、途切れて。ごそごそと微かな音のあと、髪を濡らした私が風呂場から出て来る。抱えたカゴから洗濯物の袖がはみ出していた。濡れた状態で伸びた布は元に戻らない。今度からもう少し気を遣おう。


「あー、牛乳牛乳」


 ぺったぺったと冷蔵庫へ向かった私は、ガラスコップから牛乳をあおる。銭湯の親父顔負けの勢いは、何というかあまり人に見られたくは無い。その後漏れた声も然り、である。


「年頃の娘が」


 されど非情にも、聞いている者がいるのである。姿は見えなくとも、声は私に届いていなくとも。早くも聞き馴れてきてしまった、呆れるようなトーン。私は何度彼に馬鹿にされただろう。腹が立つので是非家賃を払っていただきたい。


 聞こえない暴言など、気にするはずも無く。のんきにもアイスを取り出した私は、チューブ型のそれをくわえたまま、食器を洗い始める。一人分しかない食器はすぐに水切りカゴに移動された。我ながら仕事が早い。続けて洗濯物を干しにかかるあたりにも、勤勉さが伺える。


 待て。


 私は、せっせと洗濯物を干している。天井に張ったナイロンロープ。白い針金ハンガー。

 今更、とは思う。焼け石に水、後の祭り、そんなことは分かっている。けれど、放置しておけるほどの精神力も持ち合わせていない。

 下着くらい、回収したって罰は当たらないだろう。

 今も、画面にしか現れないオカンは呆れた声を上げているのだろうか。できれば、見なかったことにしていただきたいものである。


 数時間後には回収されるなど考えないまま、私は洗濯物を干し終えていた。ここまでくれば、一日はほとんどおしまい。だらりと欠伸をした私が、もう何度目か分からない伸びをしてベッドに倒れ込む。

 すぐに、飛び起きる。

 忘れていたのは内緒である。もう一度ぺったぺったと冷蔵庫に向かって、冷えた缶とケーキを取り出して。


 画面一杯に白い手が映ったところで、おしまい。



***



 私は、今日の収穫をこれからどうするべきなのだろう。一方的ながら会話らしきものができている以上、このまま無視してお世話になるのも忍びない。やっぱり怖い、なんて感情は最後まで覚えなかったけれど。むしろ色々聞いてみたいことが出てきているくらいで。何たって意志の疎通ができるのだ。


 ひとまず、今日のところは寝てしまおう。あと4時間もすれば朝が来る。

 そもそも今日が休みだったから試せた手段でもある。次からはどうしようか。夢のお告げでもあればいいのに。


 今度こそベッドに倒れ込んで布団をかぶって、見えない同居人におやすみなさいを放り投げた。



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