探し人は何処に
一日の授業が全て終わり、時は放課後。クラスメートは皆部活や補習に精を出しており、教室には春と鏡以外誰もいない。二人は部活の活動日が同じなため帰りは自然と一緒になる。しかし今日は違う。例の教育実習生の元に向かうのだ。
「シュン、早くしろよー」
「今行くから」
鞄を片手に教室入り口のドアから呼ぶ声に返しつつ、スケッチブックと鉛筆を持つ。部活がない時下校時刻まで学校に残って絵を描くことが春の習慣になっている。鏡はそんな春に毎回付いてきて二人で話しながら時間を潰すのだ。
「あいつ、どこにいるのかな」
「実習生だから研修室じゃない?数学の」
窓から入る西陽に照らされた廊下を歩く。放課後だというのに人気がなくやけに静かでそこだけ別空間のようだった。
「研修室って中央棟だよな」
「そう。四階だよ」
二人が通っている鷗林学園高校は名門として有名な私立の共学校で、卒業生の多くが国公立大学や専門学校へ進学する、進路の選択肢が幅広いことで知られている。そのため、多くの授業が選択制となっており、他校にはないような珍しい授業も多数ある。だからこそ春は国立大学の美術部を目指しているし、鏡は器用な性格を活かして雑誌の編集者になるため社会情勢や国際政治を中心に学んでいる。
当然、優秀な人材を数多く社会に送り出すこの学園は国から多額の支援金が出されるため、施設もかなり立派な造りになっている。一人に家具付きの部屋と学年別の大浴場、豪華料理を堪能できる食堂付きの学生寮に、千五百人を収容できる講堂や温水プール、校舎は普通教室のある教室棟、会議室や職員室のある中央棟、十万冊の蔵書数を誇る図書館が入る特別棟、エアコン完備のアリーナ三つを有する体育館棟に分かれている。他にもレクリエーションルームや、芸能人を目指す者達のためのスタジオやジムまである。正直ただの高校生のためにここまでするかと言うような豪華さだ。そして二人が目指している各教科の研修室は中央棟の四階に集められている。
「研修室だからあの人しかいないはずだよな」
そう言いながら鏡は[数学科]というプレートの付いたドアを開ける。
「すいません。来島先生いますか?」
大声で鏡が呼ぶが、部屋の中は静まり返ったままだ。
「おかしいな。ここじゃないならどこにいるんだ?」
首を傾げる幼馴染みに声をかける。
「もう今日はいいじゃん。これからしばらくはあの人の授業受けるんだし、他に機会はあるよ。それより早く描きたいんだけど」
目的の人物がいないことを確認した春はドアに背を向けて歩き出す。さっきから早く絵を描きたくて堪らなかったのだ。ここに来る途中、窓越しに見えた中庭の素晴らしさ。あの美しさを残せないなんて美術部の名が廃る。
「おい待てよ。どこ行くんだ」
「中庭」
鏡の問いかけに即答すると春は待ちきれず走り出す。またか、と溜め息をついて残された鏡は去った男を追いかけた。
春にはある側面がある。自分が素晴らしいと思ったものをすぐ絵に描いて残そうとするのだ。その時はクールから百八十度逆転して物凄くハイテンションになる。普段の彼しか知らない人が見たら「二重人格なのか」と疑うほどの変わりようだ。しかも本人がそのことを自覚していないので余計にタチが悪い。
昔からのこれを鏡は「画家モード」と認識し、諦めて見守ることにしている。というか、今まで自分以外の前でこれが出なかったことが既に奇跡だ。
いつもは春に「馬鹿」だの「うるさい」だのと言われているが、この時ばかりは自分の方がまともであると心の底から断言できる。
鏡が中庭に着いた時、春は既に画家モード。どうやら夏の自然に夕日が降り注ぐという構図に春の芸術家魂が反応したらしい。確かに中庭では噴水や彫刻を四季折々の花が飾っている綺麗な場所ではあるのだが。
ふと中庭の奥にある庭園の方に目をやると当初の目的であった人物が立っていることに気付く。春に来島がいることを伝えようとして、ハッと思い留まる。春は絵を描く邪魔をされることを嫌う。特に今のような画家モードの時の彼の集中に水を差せば何をされるか分かったものではない。そう考えた鏡は春が絵を描き終わるまで来島を観察することにした。