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CODEシリーズ

月夜見の館~人形達の誘い~ 後編

作者: ひすいゆめ

前編の解明と新たな話への導入になっています。

この話は今までに未公開している話ですので、レアだと思います。

                    新たなる犠牲

 「小説だと姿を消した奴に犯人がいるってこともあるよな」

 龍久は皮肉を込めて創生に向かって言った。隠し通路はすぐに終わり少し大きな空間に出た。ちょうど渡り廊下の辺りだろうか。

 「案外、私達の知らない新たな人間が犯人かもしれないな」

 「おいおい、先生ご自身の推測を覆す言葉じゃないか」

 創生は龍久を一瞥して何も言わずに目の前の光景を見ていた。小さな空間にはテーブル、4脚の椅子、そして壁に張り付く棚の列が所狭しと詰め込まれていた。ただ、気持ちが悪いのはその上、棚の中と人形で埋め尽されているのだ。

 カビと人形の独特の匂いが妙に鼻に付く。翔は後ろに隠れる勇兎を無視してその光景を恨めしそうに睨んだ。彼は何かを知っているのだろうか。アラン・スチュワートの絵画にも妙な反応を見せていたのだ。

 突然、龍久は右手にある大きな棚に目を付けた。思い切り力を込めて壁の奥に押し込んで、横にスライドさせた。その裏には隠し階段が現れる。

 翔は突然手で3人を制して先に階段を下り始めた。龍久と創生は顔を見合わせて早足の翔を追う。何か彼が恐ろしいヴィジョンを見たことが分かった勇兎は恐る恐るそれに続いた。階段は1階と思われるレベルで終わり屋敷裏の倉庫に出た。渡り廊下の裏側に作られた空間である。

 中は大きな箱が積まれ無造作に保管してあった。家具やアンティークの小物、普段は使わない道具が外からの入り口辺りの棚に置かれている。創生は鼻を摘み表情を歪める。

 「何の匂いだ?」

 龍久は何も言わず先頭の箱を跨ぎ避けながら奥に向かう翔を眺めた。やっと奥の壁まで辿り着くとそこは高く積まれた箱に囲まれた空間が広がっていた。そして、その中央には1人の女性が倒れていた。そう、この屋敷に来たときから行方不明だった瑞穂の変わり果てた姿である。翔は屈んでそれを探りながら話を始める。

 「前頭部に鈍器による外傷がある」

 視線を落すと足元にどす黒い血の海が広がっていた。龍久は現場の写真を盗ると彼女の周辺を調べ始めた。

 「おそらく辺りに散っている花瓶が原因だろうね」

 創生は目の前の光景を信じられないように見下ろして呟くと、龍久は首を傾げているのに気付いた。

 「腕に外傷がない。誰かに襲われたのなら頭部を庇おうと腕を出すだろう。縛られていてもロープ等の鬱血の痕があるはず。犯人が意表をついて庇う暇がなかったとしたらどうか。それは考えられない。第一、ここに1人で来るということが考えられないからな」

 すると、遅れて来た勇兎が目の前の光景に息を飲んだ。翔は回りの箱をよじ登り上を見て言う。

 「箱の上の花瓶が落ちた、ということでもなさそうだ。その痕跡はない」

 勇兎は遺体を前に冷静にドラマの探偵を気取る3人のことが信じられなかった。なおも3人の探偵の捜査が続く。翔は遺体の側に屈んで顔を床に近付けて指をなぞっていた。

 「芦原さんは誰かにこんな所に呼び出されていてものこのこやって来ることはないよ。そういうタイプの人じゃないし」

 「それに、物を仕舞う時はこんな山積みの箱の上に花瓶を置く訳ないだろう。推理ドラマじゃないんだから」

 龍久はそう言って立ち上がると振り返って言った。

 「現場確保だ。もうすぐ警察も来るだろうし。1度レストランに戻ろう」

 結局、彼女の死を告げる為に1度全員の元に戻る事になった。


 レストランに戻った創生の口から語られた事実は全員を驚愕させるのに充分な効果を発揮した。特に同じサークルのメンバーは泣き出す者もいた。謎の青年は真っ青になり唇を小刻みに震えさせた。孝一は絶望に伏せたように固まってしまった。龍久と創生は全員の前で探偵のように推測をしていた。現場の状況が様子がおかしかったこと。事故、他殺が考えにくいことを。

 騒然とした中で龍久は何か摘んでいるものを全員の視線に見せた。それは薬の空のケースであった。

 「これはトレドミンのケースだ。抗鬱剤の1種で新薬だよ。性質的な症状にも有効だけど効果はそれほど強いものじゃないんだ。15mg2錠じゃあ、大したことはない。それはルジオミールで眠気の出るもの。トレドミンよりはましかな。その白いものはワイパックス。舐めて服用するタイプの錠剤で即効性がある抗不安剤だ。発作的な精神的不安定状態に有効だけど多種な副作用の可能性もある」

 「すると、彼女は鬱病だったということ?事故でも他殺でもないとしたら、その事実から自殺と考えられる。だから、人目のないあそこで…」

 創生がそう言うと砕牙が呟いた。

 「意外だな、あいつがそうだったとは。衝動的だったんだろうな」

 次の瞬間、孝一が目に力を込めてすくっと立ち上がった。その鬱血するくらい握られた拳は震えている。 そして、涙を込めた瞳を龍久に向けて話し始めた。

 「それらの薬は大したことのないものです。確かに鬱病な症状はあるけど、あまり酷いものではないし、彼女は心がオーバーヒートしている状態で精神的にエネルギーがないために死ぬ心の力さえなくて自分の世界に閉じ篭ることで心を護ってきたんだから。もし、今死ねるのならとっくに昔に死んでいたし、死にたいくても死ねないから今まで生きて来たんだ。苦しんで来たんだ」

 孝一の言葉は重く心の奥に響くものがあった。創生は優しい表情で話し掛ける。

 「よく、彼女のことを理解しているんだね。君達はお互いの状況の同一性から互いに支え合っていたんだね」

 その暖かいが鋭く抉るような言葉に何かを耐えるように孝一は頷いた。そして、前に歩み寄ると龍久の手の中より1つの薬の空のケースを摘み上げて、説明口調で孝一は低く聞き取れない声で話し出す。

 「これはドグマチールのケースです。前まで処方されていたんですよ。まぁ、これは抗鬱剤というよりは胃潰瘍の薬のようなもので眠気も起こらない。そして、効果も極僅かですし。だから、トレドミンやルジオミールに変えてもらったんです。徐々に薬を強くしていったんです」

 「どっからそんな知識を仕入れるんだよ」

 砕牙がそう言うと創生はきつい口調で小さな声で言った。

 「言ったろう。彼は彼女と互いに支え合っていたと。同じ境遇だったんだ」

 孝一は言葉を吐き尽すと自分の先ほどいた席に戻ると顔を伏せて沈黙を続けた。それを見届けてから翔が後方の席から独り言のように口を開いた。

 「自殺の線は消えたな」

 まるで、真実を知っているような言い方である。龍久は心に引っ掛かっていたことを口に出した。

 「気になったことがあるんだけど、創生は気付いたか?花瓶の欠片がやけに多かったのを」

 「え、そうだったか?」

 「少なくても1つじゃないって。でも、頭には1ヶ所だけしか打撲の痕はなかった」

 「簡単だろう。犯人は複数の花瓶を用意していた。しかし、1回目は外れて床に落ちて割れた。で、2つ目で撲殺されたんだろう」

 「でも、床に花瓶が落ちたのなら傷が出来ているはず。しかし、あのフローリングには傷がなかったぜ」

 すると、後方の翔が再び足を組みながら声を出した。

 「床にはケーニッヒの痕があった。補修剤のことだ。フローリングに付いた傷はその傷の回りを削りケーニッヒを溶かして埋めて着色して木目を再現することで補修するんだ」

創生は首を傾げた。

 「何故、花瓶の痕を補修する必要があるんだ?」

 すると、今まで黙っていた耕平が自分の発言するタイミングをやっと掴んで口を開いた。

 「自殺に見せかける為ですね。だから、花瓶も同じ種のものを用意して失敗して、床に落ちても彼女の頭部で割ったものと1つの花瓶の欠片に思わせることにしたんです」

 言葉を出しにくそうだった浩次はぼそっと呟いた。

「しかし、そうすると葵のことが心配だな」

沈黙の空間が辺りに満ちた。


 「何か疲れちゃった」

 どのくらいの時間が経っただろうか。昼食を済ませて1ヶ所にじっとしていたので唯華はそうぼやいた。

 「そうだな。みんなで1ヶ所にじっとしていても疲れるだけだし。精神的にもまいってしまう。こうしないか?3人以上で個室で休みませんか?」

 創生がそう提案すると、龍久も微笑んで頷いた。

 「賛成。俺も何か疲れたしなぁ。ベッドで横になりたいよ」

 「3人以上でいれば大丈夫だろうし。部屋も隠し通路がないのを確かめて鍵を絞めれば大丈夫だろう」

 「椅子にずっと座ってたから腰痛いよ」

 勇兎もそう言って立ち上がると腰を叩いて伸びをした。

 全員は1度解散して各自の部屋で休むことになった。

 

 瑞穂の死にかなりのショックを受けた孝一は落ち込んでいた。部屋に戻ってもずっと沈黙を保っていたが、心の中を呟き始めた。

「僕も生きていてはいけないのかもしれない。依存しているものがなくなってしまったんだ。もう、僕には何もなくなってしまった」

ベッドに座り窓に向かって俯いている孝一に向かって勇兎は心配そうに話掛けた。

 「生きていればその内いいことあるって」

 勇兎はそう言うと孝一は悲哀を込めて俯いた。翔は勇兎の肩に手をやり、首を横に振りながら重い口を開いた。

 「そう言う台詞は慰めにもならないぞ。鬱的な人間は普通に暮らす日常、生きているだけでも辛苦極まりなく、希望もない彼らにとっては何の意味もない言葉なんだ。日常が苦しいのに先にあるとも限らない、こういう人間にはなおさら訪れにくい『そのうちにいいこと』なんて期待できるほど余裕はないんだ。一刻も早く楽になりたいんだ…。彼らは優しさや同情を求めているのではなく、共感、理解してくれる本当の意味での『味方』が必要としているんだ。まぁ、いかに言おうともお前ら、『心の闇』を持っていない人間にこっち側の人間のことはけして分からないがな」

 そして、翔は視線の定まらない瞳を空に向ける。

 「そして、心弱いものは何かに依存する。心の支えとなるものを求め、人はそれが必要だからだ。しかし、それを失うことは心の究極の不安定を意味する。人は誰でも依存の対象を持っている。それは宗教だったり、人だったり、物、趣味、様々にな。思い当たらなくても、意識下で自分の中の何かに依存しているはず。人は少なからず自分をよく見よう、自分に利益をもたらそう、自分をいい状況に置き見返りを期待し、不利益から逃れ、避けようとする」


 心のオーバーワークは慣れていたが、孝一は追い詰められた状況の中で他人に気を使う余裕もなく自分に精一杯になり少し大きな声を放った。

 「普通の奴が手を出したら駄目なんだよ。同じ心の闇を持ってないと。…普通の人は僕達の側の気持ちが分からない。だから、間違った接し方でますます弱い者を追い詰めてしまう。助けたいって気持ちを持ったところでそれが通じなきゃ、それが正確に作用しなきゃ駄目なんだ」

 孝一は腕を擦りながら布団の中に潜り込む。その腕を見て隣りの翔は溜息をつく。彼の左手の甲と手首に赤い痣が見て取れた。

 自傷行為。それは攻撃性が内側に向かったもの。攻撃性が外に向かうものと実質的には変わらない。精神が不安定になり、発作的な衝動が起こった時に心の混乱のエネルギーが爆発して攻撃に転じる。心を護る時に責任を外に持つか内に持つかで攻撃性がどちらかで決まる。内なら自傷行為、自殺。外なら暴力的、攻撃的、破壊的な行動を起す。自意識が効かず狂気に近いものが本人を襲う。

 一番廊下側のベッドに寝そべっていたあの青年が重い口を開いた。

 「僕の名前は…石神誠」

 彼はそう言って再び黙り込んでしまった。彼には一体どんな秘密が隠されているのあろうか。翔は訝しげに彼を一瞥した。

 孝一は絶望の中で呟いた。

 「僕が悪いのかもしれない」

 元々、心に闇を持つ者は誰しも罪悪感を抱くものだ。依存症になったら、その依存に対し、さらに罪悪感を深める。または、罪悪感が弱い心を更に弱くしてしまうのだ。彼は今全てにおいて、どんな小さな事象でも罪悪感を感じてしまうようになっていた。

 「でも、誰でも奇跡を起せるんだよ。その力を誰でも持っているんだ」

勇兎はそう言って孝一を一生懸命励まそうとした。翔はもう放っておき、石神と名乗った青年に言葉を掛けた。

 「さぁ、話してもらおうか」

 彼は身を震われてすくっと立ち上がった。

 「案内しますよ。地獄への道へ。もし、君達に少しでも悪魔に立ち向かう力があるのなら」

 翔は彼の言う言葉の意味を読み取ることが出来た。しかも、それが隠喩ではないことも…。

 彼の後を追って部屋を出る。翔は彼が一連の犯人でないことは充分過ぎるほど感覚的に感じ取っていた。 細く薄暗い廊下は左手の窓の列からの陽の光だけが彼らの行く先を照らしていた。

 エントランスにはホテルマン、ウェーター、コックが3人1組で行動していた。そんな彼らは翔を見つけると声を掛けた。

 「共用トイレの個室がずっと鍵が締まったままなんです。おそらく昨日、否もっと前からかもしれません」

 翔は表情を変化させ、階段の下のレストランの向かい、左手のトイレに入った。そして、奥の個室に思い切り足蹴りをした。鍵は壊れ扉が勢いよく開いた。すると、中には1人の男性の姿があった。腹部にはナイフを突き立てて…。セーターにはどす黒い液体が広がり固まっていた。

 「彼は君島様です」

 背後にいた老人がそう囁いた。翔は振り返りこう言った。

 「悪いが、龍久さんを呼んで後の処置をお願いしてくれ」

 続いて目の前の状況に表情1つ変えない青年に視線を向けた。

 「さぁ、地獄への入り口へ導いてくれ」

 彼は無表情のまま静かに頷いてトイレを後にして1階の廊下を西に向かっていった。


 勇兎は翔が開かずの間のドアを念入りに調査しているのを遠目で眺めながら大きな欠伸をした。木の板が打ち付けられていて調査しても成果が見られるようには見えなかったからだ。彼は謎の少女が消えたあの部屋に何かあると察していたのだ。あの少女も気になるところである。

 「ケートの娘、北条恭子の子供かもしれないね」

 勇兎らしからぬ鋭い意見に翔は振り向いて目を見開いた。彼はその意図を悟って不服そうに頬を膨らませてドアを足下蹴りした。すると、ドアは簡単に開いてしまった。

 「どうしてだぁ?」

 「結界が壊されたんだ。強い意志は念を産み時に目に見える影響を与える。人は少しでも思うだけで何かに影響を与える。人のことを思えばその人に何かしらの影響をな。だから、人が周りにいる時、人を思うだけでもその行動に責任を持たなくてはな」

 「何の話?」

 「ああ、つまり、強い意志も見えない力を放つこともあるが稀で恨み等の負の感情も含まれてしまう。コントロールが効かなく悪い影響も与えてしまう。その点、無の意識、無欲の力は純粋な大きな力を与えられる。その場合、意志を捨てなくてはいけないので、その力のコントロールが困難なのだ」

 勇兎は不機嫌そうな顔でいつも訳の分からぬ話を論じる翔に困っていた。

 「…で、今のが僕が使ったその無の力?」

 「さぁな」

 翔はドアを調べる。×の字に打ち付けてあった板には精巧な切れ目があった。ドアを開けるとそこは納戸のような場所であり、本や荷物の詰まった棚がずらっと並んでいる。カビ臭い古い香りが妙に鼻についた。

 しばらく、その棚を眺めながら歩いてくると、ある棚と棚の間の細いスペースの奥にアンティークの椅子が不自然に置いてあった。

 「高いところの為の台にしていたんだろう」

 確かに翔の言う通りかもしれないが、この部屋の西の端に脚立が備えてあるし、気持ちの悪い雰囲気を漂わせている。

 「呪いの椅子じゃないかな?」

 勇兎がそう言って怖がっているが、翔は溜息をついて歩いていき椅子の背凭れを触って見せた。冷たい感じはしなかった。

 「ここにあの子が消えたんだよね。隠し通路がどこかにあるはずだね」

 「ああ」

 翔は見回してさっと視線を1点に向けた。

 「…誰かいる」

 そう呟き部屋の隅に行き手で壁に張り付いている本棚を押してみた。すると、1つの本棚が奥に凹み、スライドさせることができた。

 「何か、ありがちな仕掛けだね」

 奥に足を踏み入れると長い廊下が続いた。しばらく歩いていくと廊下がつい当たってしまった。手で壁を探っていると、勇兎は少し手前の横の壁に寄り掛かり、そのまま後ろに壁ごと下がって倒れた。

 「そこが隠しドアか。少しは考えて作られているな。建築基準法違反にも程がある。…まぁ、当時は今ほど厳しくなかったし、もしくは法律が成立する前の建築かもしれないしな」

 奥の部屋は入り口からの光のみで仄かに視界を保っていた。そこには今まで誰かがいたであろう痕跡が残されていた。何もない殺風景な部屋にはテーブルと4脚の椅子が置いてあり、その1脚が少し移動されていた。椅子の上には温もりが若干残っている。

 「やはり、さっきの気配は気の所為じゃなかったな」

 「でも、ここで誰が何をしていたんだろう?」

 「おそらく、この屋敷を探っている者がここまで隠し通路を探し当てて、ここで次の入り口を考えていたんじゃないか?」

 「どうしてかな?宝物があるの?」

 「この仕掛けの多さやおそらくヨーロッパの古い屋敷の移築されたものと思われるところから、かつてこの屋敷に何か隠されていたときの名残りのトラップだろう」

 「そして、ヨーロッパの屋敷の情報を知った何人かがそれを探る為に姿を消して行動をしているの?」

 「かもな」

 部屋の中で微妙に冷たい風を感じた。勇兎は振り向き西の壁に顔を近付けた。そこには壁クロスの隙間が見られた。全体的に白亜の空間である。彼の背後に翔が寄ってきてクロスの僅かな隙間を広げようとした。 すると、壁が大きく2つに分かれた。この場所が1階の渡り廊下で西の屋敷に続くものだとしたら、西の壁に隠しドアがあるということは当然と言えば当然である。

 西の屋敷――あの人形の屋敷だが――の廊下に出た。そこで、女性の悲鳴が遠くで響いた。彼らは駆け出して人形だらけのエントランスまで来ると声の発声場所を探そうと神経を集中させた。その時、東の屋敷と同じように――2つの屋敷はシンメトリーなので――階段下の掛け時計から8つの鐘がなり響いた。

 その時、翔は一瞬真剣な表情に変わり階段の上に視線を上げた。

 「上だ」

 階段を上り始める。こちらの踊り場の壁には66体の数種類のマリオネットが不気味に掛かっていた。最後まで上がり切ると左右を見渡した。そして、東の1番手前の部屋のドアが開きっ放しになっているのを気付いた。

 そこに飛び込むと息を飲んで2人は立ち尽したそこには安楽椅子に揺られる女性の姿が見えた。

 「あのう…」

 勇兎が何かを話し掛けようとしたが、強張った表情の翔は無言のまま手で制して翔は椅子を回転させた。 そのとたん翔は目を見開き立ち止まり勇兎は驚嘆の声と共に尻餅を付いた。女性の服を着たミイラが首を項垂れて揺れていた。開きっ放しの窓から風が吹き込んでカーテンを靡かせていた。

 「誰?」

 「ケート・スチュワートだ」

 そう、彼女は大分前にすでに亡くなっていたのだ。道理でこの屋敷に篭っている訳である。死因は何だろうか、従業員、娘の恭子は知っているのだろうか。

 そして、視線を横にずらすと女性が倒れて血を流していた。

 「おそらく、さっきまであの隠し通路にいた人だ」

 勇兎はすっかり怯えきっていつもの笑顔を忘れて廊下に座り込んでしまった。軽く遺体とその周囲を確認すると、翔は部屋を後にした。

 「何故、彼女はあの部屋に入ったんだ。どうやって誘き寄せたんだ…」

 落ち着きを取り戻した勇兎は翔に向かって囁くように言葉を絞り出した。

 「僕達みたいにドアの開いていたからじゃない?」

 「彼女があの部屋に入ってから俺達がここに来るまでそんなに時間は経ってないはずだ。俺のような感覚がなければいきなりここに出てから2階に上がるとは考えにくい」

 すると、翔は目頭を押さえて立ち止まった。勇兎は心配そうに彼の顔を覗き込む。

 「どうしたの?」

 「もう1辺みんなを集めろ」

 ただ彼はそれだけを言って再び足を進めた。ミイラの部屋は封印し密かにこの後誰かが出入りしたか分かるようにテーピングを3箇所分からないように仕掛けたし、現場の状況も翔の脳裏に刻み込まれていた。彼らは隠し通路から絵画の館に向かった。



                  明かされる記憶

 孝一は夕食が部屋に運ばれていきたのを見てお腹を押さえて拒否した。お腹が空いているのに胃や腸が拒んでいるといった形である。すると、自らを石神誠と名乗った青年は孝一に視線を投げた。

 「食べないのか?」

 「食欲がないんです…」

 「まぁ、無理しなくてもいいが薬の為に少しは胃に入れた方がいい」

 青年は食事を始めると、孝一も隣りのソファに座りパンをシチューに浸けて2つを小さく口に含みながら 時間を掛けて平らげた。それを見て青年は密かに微笑んだ。この屋敷には何かしらの心の闇を抱いている人が集まっているのだ。重い過去を背負った者達が運命に溺れながら集っている。それを乗り越えた者は本当の人間としての強さを得られる。それが困難を極めることである。孝一は今その一番の壁にぶち当たったのだ。これを乗り越えられれば彼は人として大きな心の強さを手に入れて、同時に心の闇を持つ者の中に多く見られる本当の優しさも持ち合わせ素晴らしい存在となり得る。彼はそんな孝一が壁を1歩1歩上っていく様が羨ましく、そして微笑ましく見えた。彼ら心の闇を持つ者は同じ者にしか本当の意味で味方に、仲間に救い互いに支え合える、理解し合える存在なのだ。

 同情、それ以外の感情で心の闇のない者を頼ったところで、印象をよくする為に闇を隠し、又は打ち明けて相手にある種の違和感を与えつつ接し、彼らとの間に必ず歪みは生まれる。闇のない者には理解できず何をしても分かり合えない。心の闇は経験者にしか分からず感覚のギャップに苛まれることになるのだ。それを分かっていても心の闇のない者に依存する者は絶えず悩み、辛苦を重ねていく。その点、青年は孝一のよき味方、依存すべき存在になり得る者だった。

 食後に自分のカバンを探り薬を取り出して飲んでいると、彼は孝一に声を掛けた。

 「それって、トレドミンだろう?」

 「はい、そうですけど…」

 「それはかなり弱い効力のものだ。主治医にSSRI系の薬をくれと言った方がいい」

 孝一は不思議そうに頷いた。すると、突然ドアが開き真奈美が顔を出した。

 「あっれぇ?翡翠君達、いないんだぁ」

 そう言うと異色の2人に観察するように視線を向けて言った。

 「女の子が唯ちゃんだけじゃない。2人じゃ不安だからって言おうとしたんだけどなぁ」

 そう言い残して出て行った。2人は溜息を落して顔を見合わせて表情を綻ばせた。

 「()の(・)()っていう歳でもないのになぁ」

 と同時に壁の仕掛け時計が8時を示して人形を踊らせていた。

 孝一はふと、テレビの方に視線を向けた。ビデオデッキにはカセットが入ったままである。

 「何故、ビデオデッキがあるんだろう?」

 独り言を呟いて電源に指を伸ばした。

 「昔、ここは個人の屋敷だった。だから、個人の部屋だった名残りでビデオデッキが残っている。元々、ヨーロッパのとある屋敷を移築したもので1回解体してここで組み立て直したんだ。からくりが所々なるのもその為だ。この屋敷の秘密は誰も知らないし、だからからくりを残したままホテルとして開業されたんだ。北条恭子、このホテルの現オーナーだけど、彼女は小さい頃からホテルを遊び場にしていたので、母親さえ知らぬからくりを数多く見つけていたんだろう。今も大きな多くの仕掛けがこの屋敷には残されている」

 「何故、それを?」

 「この屋敷についてある人に聞いたんだ。そして、ある奴を探しに…」

 その時、戦慄が2人の体を駆け抜けた。偶然、孝一が指でビデオデッキの電源ボタンを押してしまったのだ。画面から言い表せぬ何かが写し出される…。


 龍久と創生はトイレの遺体を写真で現場を確保してエントランスの見知らぬ男性の遺体の隣りに寝かせた。ビニールシートが並ぶのを見て創生は話し出した。2人の会話は互いの情報交換となっていく。

 それは事件の話から新宿の都市伝説、あの親子についての話になっていた。その娘、楓の話になる。彼女が障害者も健常者も同じ感覚だったことについて話の矛先が向いた。

 「障害者も欠点と一般的に思われているものが多い人も関係ない。人と違うところは個性なんだ。手助けの気持ちは大きな荷物を持っている人や妊婦さんが困っているところを見た時に抱く感情、行動と一緒でいるべきなんだよ。助けの行動、接し方、思考、感覚に同情や哀れみ等は必要でないし持つべきではない」

創生はそう言って龍久に熱く語り続ける。

 「そうでなくとも、普通困っている人がいれば助けたくなるし、勇気があれば助けるだろう。誉められたり感謝されることは慣れてないから嫌いなんだけど」

 「へぇ、でも人助けだって今のご時世見られないし、僅かな人しか行動を起さないし」

 龍久がそう言うと創生が反抗する。

 「そうでもないさ。困っている人を見たら助けたいという感情が自然に涌いてくる。極普通のことだろう」

 「同情?共感?優越感?所詮その人のことを自分以上に本当に思わないと一緒だ。それができるのは心の闇を持ち、他尊自卑、自己否定、献身的、自己犠牲…。自虐的な感情を持ち、心の傷を持った者が抱く本当の優しさ、けして見返りを求めない確固たる気持ちのある奴だけだ」

 短い時間、威圧さえ感じる、お前らに何が分かる、といった感情を浮かべた龍久はすぐに表情を和らげる。そして、いつもの無気力さを漂わせた。創生は息を飲んで、意を決して言葉を吐いた。

 「自分の感情なんてどうでもいい。現に本当の自分の感情なんて分からないし。それより、自分が誰かを助ける、その人の本当の為になることをしようと思うこと、実際に行うこと、結果、その人物がプラスになること。それが重要なんだ」

 「偽善じゃないのか?」

 「偽善でも本当の心でもいい。誰かを助けられる、ただそれだけで。こっちがどうでもいいんだ。ああ、みんなが幸せになれる方法があえばいいのに」

 創生は遠い目をして、少し躊躇してから口を開いた。

 「その中で、最も崇高なのが誰かの為に、できるだけ多く人を助ける為に死ぬこと。最終的に望むことだ。でも、私にはできない。どんなに夢の中では可能であっても」

 すると、龍久は視線を創生に向ける。表情は緩んでいるが黒目には真剣な色が窺えた。

 「人間はけして天使に離れないぜ」

 「それでも、不可能と分かっていても向かうしかないし、足を止める気もない」

 「生き難い世の中だよなぁ」

 しみじみと龍久は呟いた。

 「でも、お前はそういう不器用な生き方しかできないからなぁ。でも、その道の先には孤独しか待っていないぞ」

 「私は独りでも歩いて行ける。孤独はかつてより抱いているものだからな」

 「しかし、孤独は慣れないものだぜ。あまり、無理するな」

 龍久はさぞ多くのことを悟っているのだろう。まるで、何もかも知っているかのように創生を翻弄していく。創生はうむと唸って呟いた。

 「人はどこから来てどこへ向かうのだろうか」

 「それはけして答えは出ないさ」

 龍久はすぐににっと笑う。

 「でも、お前らしいよな。人助け。現に沢山行っているし。痴呆のばあさんが道を尋ねて歩いてたら、自分も初めての場所にも関わらず人に道を聞いて、たまたま聞いた店にばあさんの老人ホームの休暇中の職員がいてそこから抜け出して来たことを聞き、お礼を言われながらばあさんを連れていってもらったりしたし。電車で席を譲ることもしばしばで、譲るのが厭で席に付かないこともあるしな」

 「普通だろう」

 「でも、あれは危ないぜ。大学ん時に打ち上げで来た店の駐車場にいた青年が車が動かなくて困っているのを見て助けようとしたな。まず、バッテリーが切れたって思って俺達のいるところに来てコードを持ってないか訊きにきたな」

 「そうそう、でも、誰も持っていなくて座敷からカウンターのところまできて店の人達に訊いてやっと店長が持っていて借りられたんだ」

 「でも、そいつが自分でコードのことを訊いて借りろよな。お前って本当にお人よしだよな」

 「でも、コードの使い方が分からなくてまた店に戻ったんだ」

 「わぁ、格好悪い」

 「でも、店の客や店員達がみんなで教えてくれて激励してくれたのには驚いた。まだまだ捨てたもんじゃないなって」

 「何言っているんだか。でも、結局バッテリーつないでも動かなくて、バッテリーそのものが壊れていてどうしようもなかったんだろう?」

 「で、ジャフ呼ぼうか訊いたんだけど、何故か拒否して友達が近くに住んでいるからって送ってくれって」

 「それで、本当に送って行くかな。危ない奴だったら襲われてたぜ」

 「でも、人1人助かったんだからいいんじゃない?」

 「さぁな」

 「でも、心外なのは、座敷に戻ってからみんなに事情を訊かれて説明したら、みんな口々に危ないとか、俺だったら断るとか、女の子だったら考えるとか言われて唖然としたよ」

 「結構、それが一般的かもな」

 「寂しい世の中だよ。心を忘れた人が溢れ出している」

 「流石、小説家の先生らしいお言葉」

 「そんなんじゃないさ。でも、普通に素直に感じたことを言っているだけなのに、小説家らしい感受性ある言葉って言われた事がある。まぁ、いいや」

 2人は廊下の東側を見る。やけに静かだった。全員寝ているのだろうか?と、龍久は首を傾げた。夕食が運ばれて間もないはずである。その時、西の奥の部屋から翔と勇兎がやって来た。

 「よう」

 2人を見て気軽に手を振った。

 「翔、そっちはどうだった?」

 彼はケートのミイラ、この屋敷のからくりの秘密の推測、謎の女性の死を話した。すると、創生は手を打って言った。

 「それはもう1人の行方不明の宿泊者だ。樫崎舞子だな」

 すると、龍久は首を傾げてぶつぶつ呟き始めた。

 「樫崎、かしざき、かし…、あ!」

 全てが繋がったようだ。翔はすでにピンと来ているようだ。創生も手を打って2人を見比べる。勇兎だけは訳が分からずきょろきょろとしている。

 すると、翔は屈んでビニールシートを外し、2人の遺体を確認して、自分の記憶と思考と照らし合わせる。そして、2人に視線を向けて全てを悟ったように頷いた。

 「すると、行方不明の2人は何故…?」

 創生がそう言うと翔は顔色を変えて何かを察知して駆け出した。3人も後を追う。彼らは孝一達のいる部屋に飛び込んだ。そこには気絶した2人と点けっ放しのテレビが目に入った。

 「遅かったか」

 「翔、何なんだ?」

 彼はビデオを取り出そうとしたが、龍久はそれを止めた。

 「止めておけ。こいつらの二の舞になる」

 「じゃあ、どうしてカセットをそのままにしておいた?」

 龍久の視線に翔は悔しそうに俯いた。龍久は悪戯っ子のようににっと笑った。

 「小説や映画じゃあるまいし、呪いのビデオ、なんてことはないだろう」

 そして、巻戻しボタンを押した。そこで翔は真顔で龍久の腕を掴んだ。

 「じゃあ、話してくれ。これが一体何なのか」

 翔は2人を介抱する勇兎に視線を放って一言囁いた。

 「それはおそらく悪魔の掲示だ」

 そして、目が覚めた2人が落ち付くまでソファに居座った。


 全員が再びレストランに集まったメンバーを見回して様子のおかしい人物を探したが見つけることができなかった。否、この状態で平常な人間が珍しいのだ。

 「あれ、真奈美の姿は?」

 龍久がきょろきょろしてそう言うと、孝一がおどおどしながら中と半端に手を上げた。

 「さっき、翡翠さん達を探しに顔を見せたけど、それから見てないなぁ」

 すると、青年もそれに合わせて声を出した。

 「確か、その後すぐに時計が8時の鐘を鳴らせていました」

 「8時と言えば、僕達があのミイラの部屋にいた頃だね」

 勇兎のその声は翔の耳には届かないかのように、彼は何かを考えていた。そして、創生の方を見た。彼は何かに感付いていたように俯き、すぐに青年の方に視線を向けた。

 「君、そろそろ囚われた時の話しをしてもいいんじゃないかな」

 すると、龍久は笑顔を戻して青年に言葉を投げた。

 「石神誠君、否、君は節草凛君だね。おそらく、誠の振りをすれば、犯人は自分を狙ってくる。それが逆に復讐、そして、誠の行方、秘密が分かると思ってここに来た、かな」

 彼は無言で口をぽかんとして立ち尽くした。そして、彼はゆっくり話を始めた。

 「北条恭子という人が1度先輩にある本を送りました。『SOUL BREAKER』という古い英語の本で、それが先輩が謎の女性に河に落され生死さえ分からぬ状態になってから次に僕のところに送られてきたのです」

 あの冷静沈着な翔がその言葉に多少なりとも動揺を見せたのには、勇兎はかなり意外に感じられた。

 「何が目的だか…」

 「全ては1つの事件に集約されます。その解説に前に役者を揃える必要があります。さぁ、凛君。君が囚われていた部屋へ行きましょう」

 彼らは互いに全員を見張る形でレストランに残った。古びた掛け時計は午後10時を示していたが、土砂崩れの復旧も警察も来ることも知らせさえもなかった。

 翔、勇兎、龍久、創生は凛の案内で人形の館に向かった。勿論、秘密の通路は通らずに外を通って玄関から入った。創生は頭の中で整理を始めた。

 今、生きている可能性があり彼らの前にいないのは、『三好葵』、『今井修平』、『月代連牙』、『北条恭子』、『工藤魁』、『木崎定紀』。彼らは無事なのだろうか。

とにかく、凛に賭けるしかなかった。彼は2階に向かいながら言った。

 「逃げるチャンスは1度だけだった。食事がおそらく定期的に運ばれてきたんだけど、その際に1度縛られて部屋のチェック、清掃があったんです。――そこはトイレ付きの1つの暗い部屋で縛られてはいなかったんだけど――その縛られる瞬間、思い切り体当たりをして力の限り走って逃げたんです。奴は顔を帽子、マスク、サングラスで隠して素性が分からないようにしていました」

 「何故、人によって殺したり捕らえたりするのだろう?」

 創生の疑問に龍久は簡単に答えた。

 「ターゲット以外、殺す気はないんだろう」

 「じゃあ、捕らえた人間はずっと面倒を見るつもりだった?」

 「さぁな。正常な精神じゃないかもしれないだろう」

 すると、彼らは2階の廊下の最西の部屋の前に辿り付いた。

 「ここ?」

 勇兎が質問するが、誰一人声を出す者はいなかった。ゆっくりノブを回すとそこは子供部屋のようであった。おもちゃが蒼い絨毯に広がり、学生机、二段ベッド、参考書などの並ぶ本棚が配置されている。頭上には星空のクロスが見下ろし今でも子供が使用している感じを受けた。

 「ここはあの子の部屋?」

 またしても勇兎の質問は空に消えた。

 部屋を見回して記憶を遡る凛は本棚に近付いた。以前は夢中で逃げたので記憶が曖昧なのだろう。本棚を例によってスライドさせると大きな扉が顔を出した。それを通り暗い通路を通っていくと階段が現れ1階に辿り着いた。そして突き当たりに覗き窓のあるドアが行く手を阻んだ。鍵が掛かっていたが、翔が足蹴りを何回かしてドアを蹴破った。その先には窓、ドアの1つもない部屋があった。龍久が上着からペンライトを取り出し照らすと、そこは何かの儀式の用意がされていた。キャンドル。六芒星、奇妙な文字などの模様。人形が所々に散っている。西の方にトイレの部屋があった。目が徐々に慣れてきたら、微かに石積みの壁に隙間があり光が漏れて視界を辛うじて保っていた。

 翔は慣れた目に飛び込んできたのは床に設置された蓋である。蓋は意外に重たかった。やっと開けると臭い匂いが鼻に付き流石の翔も顔を背けた。

 龍久のペンライトは地下室に照らされる。梯子を下りた龍久、翔、創生は正方形の部屋を見回す。中央部には男性の遺体がある。創生は鼻を摘み恐る恐る近付き吐き気を堪えて2人に振り返り頷いた。そして、上に指差し早く出ようと目配せをした。

 「やはり、木崎定紀だった」

 創生がそう呟いた。

 儀式の間に戻り蓋を閉めるとトイレのドアが開いた。全員体を強張らせて身構えた。姿を現したのは何と葵であった。彼女は犯人が戻ってきたのかと思ったらしく怯えながらドアから顔を出し、すぐに翔と龍久を避けて勇兎に抱き付いて泣いた。

 子供部屋に戻った全員は葵の話を聞くことにした。彼女はしばらくして落ち付いてから話を始めた。

 「ここに着いてすぐにあの中庭を見つけて見ていたんだけど、天使の像を触ってたら池の中から隠しドアが出てきちゃったの。で、しばらく見ていたんだけど後ろから人が来て気付いたらここにいたの」

 「クロロフォルムだな。すると、犯人は秘密の通路の入り口を見つけたから彼女を捕らえたんだ」

 龍久がそう言って葵を眺めた。

 残りの姿の消した者達を探す為に、葵の見付けた中庭に向かった。


 中庭の池に立つ像のところに1人の男性が立っていた。遠目で見ていると、彼は隠し通路の入り口を出現させた。そこに龍久と創生は駆け出してその男性に声を掛けた。

 「おい、修平だろう」

 そう、彼は行方不明の宿泊客の1人、今井修平であった。彼は軽く手を上げてすぐに人差し指を口に当てた。

 「お前、何やっているんだ?」

 「おう、この屋敷の調査だ。依頼内容は仕事柄言えないけどな」

 「守秘義務?探偵だったのか」

 龍久と修平が久々の話をしている間、創生は翔と勇兎を呼んで先を進んだ。

 冷たい通路を通り1つの大きな空間に出た。そこには女性、フランス人形を抱えた少女がまるで彼らが来るのを待っていたかのように並んで立っていた。その笑みは不気味で正常な精神状態かどうか疑わしかった。

 「貴女が北条恭子さんですね」

 彼女はゆっくりと頷いた。

 「私の友人の月代君と工藤君はどこですか?」

 すると、彼女は南の方角に指を指した。娘と恭子は依然無表情である。

 「僕達がどうして来たか分かっていますね」

 勇兎が震える声でそう言うと再び彼女はゆっくり頷く。修平と龍久も下りてきて神秘的な親子を眺めた。龍久にはあの都市伝説の死んだ親子と重なって見えたのは何故だろうか。

 「じゃあ、来てもらおうか」

 龍久が似合わない真顔で低くそう言った。


複数の探偵達

 レストランに連牙・魁、そして死亡した者達以外の全員が集められている。創生、龍久、修平、翔、凛は情報交換をして事件の全貌を脳裏に巡らせた。そして、全員に事件の状況を語った。その後、龍久は皆の前に出て厳かにわざと咳払いをして語り出した。

 「まず、この一連の事件はある人の復讐心から始まったものなんだ」

 当然、騒然となったところで今度は創生が声を発した。

 「それに気付いたのは被害者にある共通点があったからです」

 すると、耕平が後ろから言葉を放った。

 「被害者の住んでいた地域が近い場所というのは失踪事件のニュースで見ました」

 創生は勿論という風に頷き話を続けた。

 「それだけではなくもっと決定的なものです。被害者の歳を想い浮かべて下さい」

 すると、浩次が手をぽんと打った。

 「瑞穂以外は同じ世代か」

 「そう」

 龍久がそこで割って入る。

 「この一連の人間で知人が多いのが分かるでしょ。ここで失踪した連牙は翔と俺と創生と知り合い。修平も知り合い。翔と真奈美も高校の同級生。新宿で失踪した定紀も高校の同級生の石島を追い掛けて失踪した」

 龍久は慌てて説明を補う。

 「定紀が後方の北条恭子さんの父親の最後に住んでいたビルで『石島』と叫びながら男性を追って失踪したのを目撃されている」

 次に修平が話を始める。

 「俺はここで色々調べてみた。そこで分かったことが多々ある。この事件の話の前にはっきりさせておこう。犯人には協力者がいる。まずは連牙のことから考えて、北条恭子とその娘、そしてじいさんだ。定紀を誘き寄せた石島陣もだな」

 「ちなみに石島とはエントランスでビニールシートをかぶっている奴だ」

 隣りに座っている龍久が気のない声を出した。

 「で、犯人をはっきりさせる前に順番で話をしよう」

 龍久が立ち上がり修平から話を受け継いだ。

 「まず、木崎定紀だけど、高校の時に親友だった石島が誘き出し都市伝説を利用して、あそこで死に幽霊となって出ると言われる親子に扮した北条親子が脅かして拉致をしたのだろう。あいつは人一倍臆病だったからなぁ」

 「ちょっと待って」

 真奈美が手を上げて話を制する。

 「その時は石島君の協力があったとして、他の人はどう説明するの?月代君は曲がりなりにも柔道の上段者で警戒さえしていたのよ。いくら石島君とそのおじいさんと北条親子が手を下したとしても、彼をそう短時間に拉致はできないでしょ。さっきの話だと井波君がエントランスに様子を窺いにいって戻って来るまでの間って言うじゃない」

 「まぁ、待って」

 創生が真奈美を椅子に座らせた。

 「次に魁は何かをネタにここに誘き寄せられてしまった。この仕業は石島君だけでも充分でしょう。そして、石神誠君はおそらく凛君の話から北条恭子さんの仕業だろう。ただ、凛君を本を送ってここに誘き寄せて捕らえた意図と芦原さんの殺害の意図は不明です。三好さんは中庭の秘密の入り口を偶然見つけてしまったことが理由で全てが終わるまで閉じ込めておくつもりだったのでしょう」

 「そして、人形を使い、ここに伝わるかつてここに訪れて消えた白装束の女性の霊の噂を利用して勇兎達と創生、龍久を誘き寄せて用済みの彼をエントランスで殺した」

 翔がやっと話始めたのだ。全員外の暗闇の為、鏡と化した窓辺にいる彼に視線を集める。

 「レインコートを着ていたので倒れていた石島は服を濡らしてなかったんだ。それを犯人は自分の血か指紋、とにかく自分の証拠を隠す為に脱がして持ち去ったんだ」

 「でも、ビデオで俺達を誘き寄せた訳は?1回目の時にどうして襲わなかった?」

 真中付近に陣取る砕牙が怒鳴るように問い掛けた。翔は睨むように目を細めて砕牙を見据えた。

 「勿論、最初はターゲットではなかった。しかし、ここに来て初めてお前らの中にターゲットがいることに気付いた。しかし、準備をしていなかった犯人はまたお前らをここに誘き寄せることにしたんだ」

 すると、今度はスナックを頬張っていた浩次が手を上げてのっそり立ち上がった。

「しかし、あんなビデオに気付き難い人形を窓の外にぶら下げるような方法を取ったことが気に掛かる。例え運良く誰かが人形を見つけてももう1度ここに訪れようとするとは限らないだろう」

 「人形を見つけた勇ちゃんとここにもう1度来ようって言い出した私が犯人の一味じゃなかったとしてね」

 寝ているように黙って聞いていた葵が物憂いを見せてそう零した。

 「それは犯人に理由のない確信があったんじゃないか。見えない物に対する自信。何か特殊な力でな」

 まるで、翔のヴィジョンの力を知っているかのように今まで沈黙を保っていた京介が鋭い眼光で彼に視線を突き刺した。

 「不思議な力なんてものが本当にあるのならな。とにかく、勘なのか思考が足りないのか分からないが、そういう方法を取った。次に俺をここに誘き寄せた。おそらく俺も創生も龍久もターゲットなんだろう。ただ、創生も龍久も失踪者を探してたまたまここに来た。そこがどうも納得いかないが」

 翔の疑問に創生は答える。

 「全くの偶然じゃないかもしれない。連牙の失踪を知れば私がここに探りに来ることは容易に予想はつく。あとは何かしらの方法で私の動向を探りこちらの方面に向かうことがあれば前もって用意していたシナリオに従うだけでいい」

 次に龍久も答える。

 「俺が連牙に失踪者を探して欲しいと依頼されたことを知ればここに最終的に辿り着くことは想像つくだろう。そして、俺の動向を窺っていればいい。方法は分からないがな」

 少し考えて翔はそのターゲット達を監視する方法を脳裏に浮かべて難しい顔をして俯いた。

 「ところで、2人以外同年代なのは?」

 耕平の質問に創生は静かに言った。

 「結論から言いましょう。私達は高校の同級生です。それに気付かなかったのは、私達の中で面影を見極められなかったことと親しくなかったこともあり名前を忘れていたことが原因しています」

 そう、凛、瑞穂以外は高校時代の同級生なのだ。だから、被害者は同年代であり、被害のあった地域が狭かったのだ。

 「そして、そこから犯人像が自然に浮かんで来ました。そう、高校の同級生でクラスメートに恨みを持つ人物。それは以前虐めに遭っていた前岡(さきおか)映子(えいこ)です」

 「じゃあ、その人が偽名で姿を変えてこの中に?」

 勇兎の言葉に創生は静かに首を横に振った。

 「彼女は卒業を前に自殺したんです」

 沈黙が辺りを覆い尽くした。すると、翔は立ち上がって全員を見回した。

 「連牙と創生はスキーに出掛けた。そして、近道をしてここに辿り着いた。企画したのは連牙だよな」

 翔の質問に創生は頷く。

 「連牙の家の郵便請けに広告が入っていたんだ。その近道の話は連牙がどうして知ったかは分からないけど」

 「すると、ここに誘導された可能性があるという訳だ。そして、人形に驚く。しかし、白装束の人形で止めるはずが通り過ぎた。でも、偶然にもガス欠になった。そんなところだな。で、翔の場合は?」

 龍久が話に入ってくると翔は邪魔のように表情を歪めた。すると、真奈美が代わってその質問に答えた。

 「勇兎君に誘われたのよ。そして、私は偶然再会した翡翠君に失踪した私の姉の行方を頼んで、丁度姉が『月夜見の館』に行くと言って消えたこともあって私もついていくことにしたの」

 「葛さんのお姉さんは私達より年上で同級生という訳じゃないはず。でも、葛さんを誘き寄せる為かもしれないし」

 独り言をぶつぶつ言って創生は座り込んでしまった。翔は前の方に歩いて来てぎっとある人物を睨んだ。

 「そして、北条恭子を始めとしてこの屋敷の人物達の力を借りて犯罪を重ねた犯人はこの中にいる」

 「わぁ、本物の探偵みたい。よくある場面だよね」

 勇兎が翔の名場面をぶち壊してそれが場を少し和ませた。

 「その前に…」

 決定的のシーンを修平が制した。

 「樫崎、君島を殺した真相。君島はエントランスのトイレの個室で殺害されていた。これは翔や龍久が来る前から来ていた俺が屋敷中探って見付けらなかったことから、その前にすでに何かしらの方法で誘き出したか拉致をしてきたかしてここで殺害したんだろう。だが、どうしてあのトイレに死体を残したのか。鍵を外から掛ける方法は色々あるが」

 「きっと、自殺に見せかけたかったんだろう。でも、彼の部屋では発見が遅れてしまう。ターゲットが沢山集まった時に死体が発見されて畏怖の念を抱かせる意図があったんだろう」

 龍久の言葉は推測ばかりで実証は何1つない。否、今まで語った探偵を演じた者達全員そうである。しかし、筋は通っているようであるが。

 「で、樫崎はあるものを探っていた。彼女を誘き出す為にヨーロッパから移築された際に隠されていた宝も同時に持って来たという情報を使ったんだ。これは彼女の荷物の中の資料から分かったんだ」

 「勝手に彼女の部屋に忍び込んだの?最低」

 真奈美の言葉を無視して修平は話を続ける。

 「で、人形の館への秘密の通路を探り当てて向こうに行った時にミイラを発見して殺された。何故、あの部屋にすぐに飛び込んだのかは謎だけどな」

そして、一息ついて修平は老人に向かって言った。

「この辺の地元の者は手前の道の先にある国道を矢継街道というんだ。国道何号とか何とか線とか言わないんだ。あんた、地元の者じゃないだろう」

「やはり、あの時盗み聞きをしていた者がいましたか。貴方とは思いもよりませんでしたが」

彼は搾り出すように声を出した。

「そうです。私はケート様に長いことお遣いしております。そして、ここにお移りになる時に一緒に訪れたのです。他の従業員とは違いケート様や恭子お嬢様にこの上ない忠誠心がございます」

「それで恭子に協力したのか。石島はターゲットだったが利用したに過ぎないということか」

深く考えながら龍久は呟く。

「で、犯人は誰なんだよ?」

苛立ちながら貧乏揺すりをしていた砕牙がそう叫んだ。すでに深夜と言ってもいい時間である。砕牙じゃなくても精神的に疲れ果てているのだ。翔は再びある人物に視線を突き刺し指を差した。


 部屋の最後方の離れたところで明日馬は無気力の愛香を安心させようと勤めていた。しかし、彼女には無駄であった。

 「大丈夫?私がついているからさぁ」

 「それは僕の台詞だって。本当に愛って図太い神経してるよなぁ」

 それを聞いた愛香は目を細めて軽く睨んだ。

 「私はこれでもナイーブなの」

 前で探偵気取りの龍久達が事件について話をしている間、2人は聞く耳を持たずに会話を続けていた。

 「でもさぁ、こんだけ人が集まってれば平気でしょ」

 「それに、探偵がこんなにいればね。事件も解明したみたいだし」

 「私達は狙われる理由ないし。でも、早く解決してほしいよねぇ。テレビとかもそうだけどね」

 「そうはいかないだろう。それにテレビドラマじゃなくて現実のことなんだし。…それに」

 そう言い掛けて明日馬は黙ってしまった。隣りの愛香は彼の顔を覗き込んだ。

 「それに、何?」

 「この事件には人知を超えた何かが原因しているから。愛は母親から何か聞いてないか?」

 「うん、別に。それって私達の親達が知り合った時の話」

 「まぁ、聞いていないのならいいんだけどな」

 彼は父親から過去の話を聞いていた。かつて、弱い人の心を惑わす人形があったという話だ。それは願いを叶えてくれるものであったが、願いが叶うとその人に死が訪れるという呪われた人形であった。結局、彼の父親と愛香の母親の手によってその人形達は葬られたらしいが。

 しかし、その話はあまりにも現実離れした話な為に明日馬は冗談だと思っていた。誰だってそう思うだろう。でも、今回の事件には何か目に見えぬ力が関与しているように思われる。それに隣りには人形のやたら多い屋敷があるのだから。心の弱い人間が集まっているのだから。

 「でも、これで全てが終わるからいいんじゃない?あーあ。オフは今日までなんだけどなぁ」

 すっかり考え込んでしまった明日馬に愛香は気分を変えようと話の矛先を仕事に向けた。

 「明日は何の仕事?」

 「うん、雑誌の取材に打ち合わせ。で、ジャケット撮影」

 「明日の仕事はキャンセルだな」

 2人は顔を合わせて溜息をついて前方の翔に視線を向けた。今まさに犯人の名前を披露されようとしている。



                 火炎の前で

 全員は翔の指差したその先に注目した。そこには真奈美が驚愕の表情で固まっていた。

 「なん、何で私なの?」

 「俺をここに誘き出す方法がお前自身の手でいない姉の捜索依頼だったからだ」

 真奈美が立ち上がり翔の三白眼の鋭い瞳を睨み付けた。

 「お前の姉が前岡映子だからだ」

 すると、創生がすぐに翔に言葉を放つ。

 「そんなはずないじゃないか。前岡さんも彼女も私達と同級生なんだ」

 「姉妹イコール同学年じゃない、か。でも、例外があるだろう」

 冷静に冷めた瞳で龍久がそう言うと創生ははっと息を飲んだ。

 「双子…」

 「そう、一卵性であれば顔はそっくりですぐに分かるが、2卵生の双子は似ていないこともある。少し考えてば分かるだろう」

 「そうか。すると、苗字が違うのは両親の離婚か養子が理由?」

 すると、彼女は翔に向かって歩いていき怒鳴った。 

 「私が前岡さんと姉妹という証拠は?」

 「それは俺から話そう」

 じっとやり取りを見物していた修平が立ち上がった。

 「じつは翔はここに来る前から、そう、始めから勘付いていたんだ。もともと感覚の鋭い奴だからな。で、高校時代にそのことを俺はひょんとしたことから聞いていた。勿論、口数が少なく親しい者もほとんどいない、そして、人のプライベートな話を口外することもない。そんな翔は前岡が死んだ時に何故かその真相を探っていてそれを偶然俺が気付いた。そして、その時翔はお前の周囲も調べていたんだ。それが気になって俺自身も前岡についても葛についても調べた。そこでお前達のことも勿論、虐めのことも分かった」

 「おい、修。そこまでにしろよ」

 龍久がそう言って苛立ちの中、歯を噛み締める真奈美の前まで来て言った。

 「どうして、今になって復讐を?しかも、ターゲットは検討違いの同級生ばかり。彼ら、否、俺達は彼女が死ぬまで『いじめ』の事実さえ知らなかったというのに」

 真奈美は今まで見せたことのない鋭利な眼光を光らせた。そして、翔に再び食って掛かった。

 「私が犯人という理由は?証拠は?」

 翔は未だ黙ってしまう。それを見て彼女は鼻で笑った。

 「…ヴィジョンが見えたのね。でも、それじゃ証拠にならない」

 「証拠ならちゃんとある」

 彼は真奈美のポケットの中に無理に手を差し込んだ。そして、あるものが出て来た。偶然、彼女のポケットに入った、瑞穂の殺害に使われた壷の欠片である。そして、それを真奈美の目の前にかざす。

 「これの説明も必要か?」

 彼女は悔しそうに項垂れた。

 「そうね、どんなに完全な犯罪も極僅かに、偶然も手伝って何かが残るもの。ヴィジョンで殺害現場を見られるなら、その証拠もすぐに分かるわね」

 「お前も知っての通り、ヴィジョンは自由に見られない。これはもう1つの俺の力だ。誰かが言った『理由のない確信』って奴かな」

 翔の瞳から逃げるように真奈美は全ての力を失った。

 それを見定めた修平は先程龍久がした質問も繰り返した。彼女の言葉は力無く始まった。

 「姉の手帳に書いてあったのよ。その手帳が今になって物置の奥から出て来たの」

 「どうして、手帳に俺達の名前が並んでいたんだ?」

 真奈美も首を横に振って俯いているばかりである。

 「それは…」

 何故か翔がその理由を知り語り始めた。

 「最後に自分の虐めを知らない連中にSOSを示したかったんだよ。知ってる連中は助けてもくれなく見ているだけだったから。その最後の声にならない言葉、想いを綴ったが結局誰にも伝えることなく精神力が力尽きてしまったんだ」

 「それを恨んでいた人物と勘違いした訳か」

 修平の残酷な言葉に真奈美は罪悪感と絶望に沈み椅子に座り込んで目を見開いたまま動かなくなってしまった。

 「いつ、私が怪しいと想ったの?」

 声にならない声で彼女は翔に聞いた。

 「最初からだ」

 彼は悲哀の瞳を彼女に向けた。

 「俺に好意的な、情を注ぐような人間なんているはずがないからな」

 その答えに全員は沈黙するしかなかった。頭では分かっていても心の奥では誰一人信用できないのだ。全員が彼にとって『敵』でしかないのだ。己自身でさえも…。

 「で、瑞穂ちゃんと凛君を狙った訳は?」

 少しだけ元気を取り戻した葵がそう真奈美に尋ねる。すると、彼女は力無く鼻で笑った。

 「凛君は私の仕業じゃないわ。恭子に訊いて。瑞穂ちゃんはね。かつて、私が所属している地域サークルにいたの。でね、もう何年前かなぁ。私と当時付き合っていた彼氏と一緒にそのサークルの親睦会で海水浴にいったの。その時にあの忌まわしい事件が起こったの。…彼氏が交通事故に遭ってしまったの。道で遊んでた子供をかばってね。あの人のそんな優しい、真面目で正義感の強い所が好きだったの。…それが仇になったなんて皮肉な話ね」

 「矛盾はいつでも付き纏うものだ」

 意味ありげに翔はそう話を割って入る。

 「かもね。で、病院に運ばれてサークルの人達と手術室の前で心配していた時のこと。看護婦さんが出てきて彼の血液が足りないって言って私達の中に同じ血液型がないか訊いて回ったの。彼は非常に珍しい血液型で病院にもストックがなくてね。たまたま瑞穂ちゃんが彼と同じ血液だって知っていたけど、彼女は血液を分けてくれなかったの。…結局、彼は2度と目を開けることも私に触れてくれることもなかった」

 瑞穂の行動も当然のことなのだ。人に鬱であることを知られるくらいなら、例え真奈美に恨まれようと怒鳴られようと沈黙を保とうと思ったのだ。それに真奈美の精神の安定の為にも、誰かが恨まれ役になる必要もあったのだ。

 「それが原因か」

 修平の憤怒に満ちた瞳に彼女は刹那硬直した。

 「それって動機にならない?彼氏が、一番大事なものが奪われたのよ」

 「彼女は血液をあげなかったんじゃない。分けられなかったんだ。知らないのか?抗鬱剤を服用している 人間は献血できないんだ。血液に薬剤の成分が混じってしまうからな」

 そして、椅子に座り残酷な眼差しを真奈美に向ける。

 「それに、厳しい、酷い言い方をすれば、血液をその時分けることは義務ではなく好意だ。好意を無理強いするのは愚かで図々しく間違ったことだ。勿論、人道的にその時、可能なら血液を分けることが『普通』ではあるけどな。でも、どうであれ、彼女が抗鬱剤を服用していなくとも怒りの矛先を向けるべきじゃないはずだ。彼を轢いた運転手に向けられても良さそうだろう。こういう哀しみ、心の痛みがある時は誰かを恨みたくなるのは当然だから。哀しみ、怒りのエネルギーが出口を探して爆発しそうなんだから。心の平安の為、防衛作用の為にな。あの時、子供がいなければ、車が来なければ。なんて言ってもしょうがないか」

真奈美は崩れるように椅子に座り込んだ。

 「私って、皆勘違いで多くの人を不幸にしてしまったのね」

 次にポケットの中に手を差し入れて龍久は後方に歩いていき恭子の前に止まった。その瞳には無気力なものが感じられる。

 「まず、凛を狙った理由は?送った本のことも気になるし」

 潰れたバリトンの声に彼女は静かに話し始めた。

 「あれはこの屋敷に白い服を着た女性が置いていかれたものです。その中は残念ながら中世のイギリスの文章なので読めませんでしたが。母は読破していました。そして、その次の日から向こうの屋敷に篭ってしまい人形を大量に作り始めたのです」

 彼女はすでに眠ってしまった娘を撫でながら穏かな心地よい声を奏で続ける。

 「その本を送ったのはここに彼を招く為です。たまたまあの本を使ったんです。母をおかしくした、私達すべてをおかしくしたあの本ならなくなってもいいかなって想ったんでしょうね。自分でもあまりよく分からないんです」

 「で、彼を捕えた目的は?」

 「それは、あの人の最後の言葉、約束だったからです」

 「石神誠は生きていたのか」

 凛の話を聞いていた龍久は驚嘆の声を上げた。 

 「あの後、屋敷に訪れたんです。そして、彼が言いました。凛さんをここに連れて来てくれと。何故かは分かりません。何かこの屋敷を調べてあることが分かったと言っていました」

 「それは『危機』だ。そして、それをそいつが回避できると想ったんだよ」

翔の言葉は多くの謎を含んでいる。それほど、彼はすでにこの屋敷の秘密を知っているのだということが勇兎にも察することができた。

 「その『危機』っていうのは?」

 修平の質問を無視して翔は恭子に視線を投げる。彼女は無感情にただ、地面を眺めていた。

 「全ては終わる」

 それだけ言うと翔は椅子に腰を掛けた。話が1段落したところで龍久は残る疑問を尋ねた。

 「どうして、恭子ちゃんはそこまでして真奈美っちの手助けをしたんだい?」 

 彼女は娘を撫でながら全員を見回した。全ての視線を集めていることを確認して口を開いた。

 「彼女は私の唯一の友達だから」


 突然、翔が凄まじい早さで立ち上がり前方の方に駆けていった。ドアを開けると炎が目の前に広がっていた。

 「何故…?」

 修平は全員を窓から中庭に誘導を始める。

 「ここの全てを滅する為に」

 炎を前にして翔のその呟きは勇兎に疑問を多く残した。中庭に出ると駐車場に集まった。そこで、創生が全員がいるか確認して葵がいないことに気付いた。

 「葵がいねぇ」

 砕牙の言葉が発する前にすでに孝一が駆け出していた。その目には魂の力が最大限に満ちて輝いていた。 翔もそれにいち早く反応して後を追う。彼が追っていくのを見て勇兎は何故か彼が全てを助けてくれることを確信できて安心することが出来た。

 屋敷の中ではすでに全ての場所に火の手が回っていた。翔は咽る孝一を抱えると窓から外に放り出して、自分は屋敷の中で葵の姿を探した。大きな梁が崩れ落ちてきたが、それを難なく避けてある壁の崩れた部屋に転がり込んだ。そこには未だ見つけていなかった秘密の通路の入り口である。どこに通じているのか、どういう通路なのか分からなかったが避難路として覚えておくことにした。

 エントランスの中央に戻ると、翔は目を静かに瞑って精神を集中させた。ぴんと来て東の廊下の方にある種の感覚を視覚的に感じることが出来た。女性陣の部屋だった客室に自分の荷物を抱えたまま倒れている葵の姿があった。

 「そこまでして自分の財産が惜しいか。こんなことに命を賭ける価値があるのか」

 冷たい、軽蔑に似た瞳で彼女を見下した。


 葵を抱えた翔が孝一とともに炎の屋敷から姿を表わしたところでパトカーや救急車がこの屋敷に辿り着いた。道路が開通したのだ。彼らが現れたのが人形の館の玄関戸からだったので全員唖然としていたことを勇兎は網膜に焼きついている。

 全てが終わったのだ。これで神隠しは起こらないだろう。しかし、勇兎にはすっきりしないことがあまりにも多過ぎた。

 ―――小さな謎が多く残されたのだ。そして、それは大きなある事実へと集約される。



                  後味の悪いエピローグ

 光の風が吹き抜けていく。砂混じりつむじ風はさっと木々の中に消えていった。駐車場を見渡せる場所で翔と勇兎は頭ほどの石に腰を下ろして目の前の瓦礫を呆然と見つめている。

 勇兎は不意に翔の顔を覗き込み真奈美に言った翔の台詞を考えた。

 「あの時、言ったことだけどは本心なの?」

 「俺に好意を持つ奴なんて存在しないさ」

 「あの喫茶店で言っていた両親からも愛情を感じたことのない人も存在するって、自分のことだったんだね。でも、それは想い込みだよ」

 「確かにその通りだ。俺は家族と言われる者達に嫌悪さえ感じる。心の奥が拒否している。同じ空間にいるだけでPTSDを発症する」

 「PT…?」

 「POSTTRAUMATIC STRESS DISORDERS。心的外傷後ストレス障害。まぁ、俺の場合、外傷ではなく精神的苦痛だがな。尤もその場合もPTSDという言葉を使うがな。それより、俺に情を持つ者なんてけして存在しない」

 「そんなことない。絶対いるって。僕は翔君のいいところ沢山知ってるから」

 「みんな同じことを言う。根拠なんて少しも存在しないのに。俺も感じたことがある。どんな反吐が出る程嫌な人間にもいいところを垣間見ることができる。だが、俺は例外じゃないか。いいところなんてない」

 そして、空を見て大きく灰の混じる空気を肺に送り込んで続けた。

 「例え、いいところあるとしてもどうでもいいし関係ない」

 「一生独身でいるの?」

 「一生って大袈裟な」

 「え?」

 「そんなに長く生きるつもりはないさ」

 「そんな寂しいことを言わないでよ」

 勇兎は大きな瞳を更に大きくして翔の横顔を見た。そこに孝一が近付いてきて翔の横に無言のまま座る。 勇兎と翔は彼に目をやった。珍しく、翔は自分から孝一に話し掛けた。

 「お前はあの炎の中に躊躇いもせずに飛び込んだ。…始めから死ぬ気だったな」

 「どっちみち30以上生きるつもりはないさ」

 すると、彼は置き上げながら鋭い視線を放った。

 「お前は死ななくてはいけない」

 その言葉に勇兎も言葉を放った孝一でさえも意外に思い翔に瞳を見開いた。

 「だが、今ではいけない。今はその時期じゃない」

 孝一は嘲笑して鋭い視線を放った。

 「これでも長過ぎる猶予だよ。早く楽になりたいのにあえて30という時間を自分に与えたんだ。その間に世界が変わらなければタイムリミット。ゲームオーバーだよ」

 「その長い期間に誰もが言う『いいこと』が来なければ…か」

 翔の呟きは誰の耳にも届くことはなかった。すると、修平、龍久、創生が次々にやってきて翔の前に並んだ。しばらく、警察の事情聴取の時のことをネタに雑談を繰り広げて龍久は惚けた目を翔に向けた。

 「結局、月夜見の館の語源はなんだったんだ?」

 翔が知っているという自信があったのだろう、龍久は質問を彼にぶつけたのだと勇兎は思った。翔は少しの間、目を閉じて息を潜めたがやがて一言囁いた。

 「月夜見の語源は月読み、つまり月を読むということだ」

 「そうか…、月の動きを観察して何かが分かる屋敷、だな」

 創生がそう呟くと修平は瓦礫のところまで歩いていき、空を眺めた。一面に星屑が散っていて心が吸い寄せられ狂わしそうになる。その中に月が妖しく見下ろしている。

 「で、どうやって読むんだ?何も分からないぞ」

 呆れた創生と龍久は駆け寄って肩をぽんと叩く。

 「もう少し、お利口になれば探偵として売れるようになるさ」

 「放っておけ。龍久だって売れてないだろう。フリーのルポライターとはな」

 「2人黙ってくれ。今、何か分かり掛けているんだ」

 創生は額に指をやり深く思案に暮れる。

 「お前、小さい頃のことを覚えているか?そうだ、ずっと、小さい頃だ。3歳、2,1歳。断片的なら0歳の頃もだ」

 龍久の質問に創生は首を傾げた。

 「そんなの、覚えている訳ないだろう。いるかよ?そんな奴」

 修平の声に龍久はちっちっと舌を鳴らして人差し指を揺らした。

 「それがいるんだなぁ、ここに」

 親指で自分の胸を差す龍久を2人は疑いの目で蔑んだ。

 「本当だって。で、俺が2歳の時、星空が鮮やかに見渡せるロッジに親父と行ったことがあってな。父親は来るまでの国道でオービスに引っ掛かって落ち込んでさっさと寝ちまってな」

 彼の目は郷愁の一色に染まっている。その瞳には星屑の輝きが神々しく映っている。

 「で、星空に大きな月が浮いてたんだ。切った爪のような三日月でな。その月がロッジの前の石碑の真上にきた時にその延長線上の地面に丁度井戸があったんだ」

 「それは井戸の位置が意図的に作られたと?」

 「流石、作家先生。おっしゃる通り、その石碑にはこう刻まれていた。確か、端午の節句、牛の刻に月が水を示せん、とか言ったっけかな。俺達が来てた時もゴールデンウィーク、5月5日だったんだ」

 「つまり、ここにも月の位置から何かの位置を示していたという訳か」

 修平はそう言って瓦礫を見回しお手上げの顔をした。

 「目標物どころか何もかも崩れ落ちているぞ」

 「そうでもないさ」

 龍久は後ろを振り返り翔を見た。またもや彼の不思議な力を知っているかのような仕草だ。龍久もまた勘が鋭い方であった。勘と運だけでうまく何事も切り抜けてきた人物なのだ。

 翔は仕方ないといった様子で重い腰を上げて瓦礫に近付いた。そして、G-ショックを覗きながら3分沈黙を続ける。その後、ある場所に立ち、月と以前あった何かの延長線を視線で辿った。丁度、人形の館の中庭の一番奥の大天使ミカエルの像の掲げた剣の切っ先と月の延長であった。

 大きな樹木の根元に屈んだ翔は近くの石で地面を掘り始めた。ケート・スチュワートは一体ここに移り住んだ時に何を隠したのだろうか。

 やがて、1mほどの深さの所で石は何かに当たった。土の中から出て来たのは何と一抱えほどの木製の箱であった。それを取り出して地上に置くと厳かに蓋を開けた。中には奇妙な石が入っていた。

 「何だ?これ」

 その石の細長い板には文字が刻印されている。

 「メビウス…?コード?」

 良く読めないが龍久にはそれがかなり古い英文である。

 「メビウスの輪のことか?」

 修平がそう言うと龍久が首を傾げた。

 「19世紀のドイツの数学者メビウスが発見した図形で、メビウスの帯とも言う。また、それを立体化させたのがクラインの壷で、壷の表面を伝っていると内側に行ってしまうものもある。これはフラスコの首が丸い胴に刺さったような立体で図案化されている」

 創生はそう事務的に説明をした。

 翔が目を輝かせたのを勇兎は見逃さなかった。

 そうして、この事件は一先ず幕を下ろした。

 夕焼けを眺めながら創生は事件を嘆いて呟いた。


 「(とき)の翼を抱きつつ (いばら)の風に合い向かう 長く短き徒道(あだみち)が 月夜の虹に朧なる 静寂満ちた空間に 氷の水に石沈む 汚れの布はぬくめども あえてガラスを求めゆく」

 しかし、この事件はもっと大きな危機の口火、歪んだトリガーでしかなかったことをこの時誰も知るよしもなかった。



                      伝説へのプレリュード

 「結局、分からないことが山積みなんだが、お前は知っているんだろう?答えてもらおう」

 翔が良く行く喫茶店に久しぶりに彼に会いにきた修平は顔を合わせるや否やそう食って掛かった。彼は一切動じることなく視線を遠くに定めることなく保っている。

 「大男、頭にはバンダナを巻いている。サングラスを絶えず掛けていて彼には一切の感情を手にしてはいない。生ける屍と言える」

 「何の話だ?」

 修平は苛立ちを見せて翔の向かいで足を組んだ。

 「ヴィジョンで見た。そいつはあの事件に関与している。…で、質問の答えだが」

 翔はきっと彼の目を睨み付けるように見た。

 「まず、勇兎達の見た、ビデオデッキに入ったビデオ。あれは『奴ら』の力を込めて作られた物。おそらく、白装束の女性の人形が映っている。そして、忌わしき『夢の力』で目の前の、ビデオを見ている者に心に過度の畏怖を抱かせる魔法を掛けるのだろう」

 「訳が分からない」

 「黙って聞け。次の謎。女性だけで大の大人、連牙に至ってはあの腕で囚われた。精神的にもけして弱くないはずだ。つまり、彼らは『奴ら』の能力を施行したんだ。精神に大きな恐怖を抱かせてダウンさせたはずだ」

 「『奴ら』ってどの連中だ?従業員達か?力って何だ?」

 しかし、翔は彼の問い掛けに何一つ答えずに話を続ける。

 「次。石神誠を襲って橋から突き落した女性。人間の動きではなかった。それも『夢の力』を使ったからだ。これで謎は全てだな」

 「いいや。何一つ解明できていない」

 「石神が凛に託した大儀か?彼は橋から落ちてから生還して独自であの屋敷のことを探し当てた。あの人間離れした動きで気付いたんだろう、『夢の力』だと。そう、彼もアラン・スチュワートの子孫だったんだ。着々と集まりつつある、彼らの一族の。そして、あの屋敷に辿り着き忌わしき『奴ら』の復活を知る。自分ではどうしようもないと分かると凛に全てを託した。『奴ら』の弱点の火で『奴ら』の殲滅をな」

 「あの火事は凛の仕業か?」

 「否、彼にその暇はなかったし、誠のメッセージも気付かなかった。その意図さえなかったんだ。あれは別の者、『奴ら』に対抗する者の仕業だ。連牙と逃げたもう1人の行方不明者、魁だろう」

 「魁が?」

 「つまり、彼はさっき話したバンダナ男の仲間で『奴ら』を倒す為にここに来たんだ。誘き寄せられた振りをしてな」

 「さっぱり分からん」

 そして、翔は鋭い三白眼を向ける。

 「お前に覚悟はあるか?」

 修平はぽかんと口を開けて畏怖に近い感覚を味わっていた。

 「これを知ったらお前は呑気な運命が終わる。それでも、知りたいか?」

 彼は疑いの眼差しを翔に向けるがすぐに不敵な笑みで深く頷いた。

 「おうよ。任せろ」

 重い溜息を落して翔は視線を定めずに言葉を続ける。

 「彼らは、あの事件を経験した者は空間に気持ち悪さ、違和感、畏怖を感じたはずだ。あれは『夢の力』のせいだ。『夢の力』は人の精神に多大な影響を与える。…最初から話そう。かつて、イギリスに歴史から葬られた宮廷人形師と呼ばれる者がいた。彼の名はアラン・スチュワート。そう、月夜見の館の主、ケート・スチュワートの先祖だ。あの屋敷にも彼の絵画が飾られていたはずだ。彼は自分の作り出す人形に異常な執着を見せて、ある時、人形に魂を入れようと黒魔術の研究を始めた。そして、完成させた。ソウルブレーカーと呼ばれる悪魔の魂を召喚する禍禍しい術だ。2種類のそれはそれぞれ悪魔の魔術書、天使の魔術書として書物を書き記して残し、本家の子孫に伝えられた」

 「その天使と悪魔の違いは?」

 「魂を召喚する際にある工程を抜くことで不完全な魂を人形に入れることができるのだ。それは不完全な魂の為に、全ての人間を殲滅するという目的、本能が鈍り、邪悪な心を持つ人間を殲滅する目的を持っている。なにより、情や豊かな感情を有し優しさ、正義感などといったものまで手にしたんだ」

 「それが天使、か」

 「まぁ、どちらにしても存在しているだけで周りの人間に不幸を導き、例えどんなに可哀想な人を助けようと力を駆使してもけして人を幸せにすることはできない。不幸のみを導く、存在すべきでない、許されざる存在なんだ」

 「その悪魔が使う不思議な力が『夢の力』か」

 「そうだ。人の精神を操り、影響を与えることができる。そして、空気中に波動を放つこともできる。もう1つあると思うが」

 「もう1つ?」

 「あいつらは火を放ったり物を変形させたり宙に浮いたりもできる。何より、関節のない、筋肉、表情のない人形の体を自由に動かせるのだから」

 「お前は何故それを知っている?」

 「やつらと戦い続けているからだ。そして、これからもな」

 「人形は火事で焼けただろう」

 「いいや、まだだ。あの事件はこれから起こる大きな危機の一欠片に過ぎない。魔術書は2冊しか存在していなく、それが燃やされたはずだが、白装束の女性がケート・スチュワートに手渡している。凛が持っていたが、もうあの火事で焼けているがな」

 「ないはずの本が存在していたのか」

 「つまり、複製がまだある可能性があるんだ」

 喫茶店に緊張感が満たされる。修平は聞いてはいけないことを聞いたかのように後味の悪い気分になった。危険地帯に足を踏み入れてしまったのだ。

 「後はお前次第だ」

 そう言い残して翔は去っていった。信じられない事実を知らされた修平はその畏怖の余韻でしばらく動く気力を失っていた。


 月夜見の館の跡に1人の女性が立っていた。色白の肌に栗色の髪をなびかせている。肌寒さで頬を赤らめている彼女は大きくクリッとした瞳を瓦礫に落していた。

 「おい、柏崎」

 その後ろから脱出した魁が現れた。彼女は振り向き無理に笑顔を作った。そう、彼女は柏崎愛夢なのだ。

 「月代さんは?」

 「家に送った。それより『雪』は本当にここにあるの?」

 「ああ。『葵』の生まれ変わりはここにあるはず。一番危険なことだ」

 「でも、もう燃えちゃったわよ。見て、この炭と灰の山」

 「いいや、まだある。忘れてしまったのか?『あいつら』のせいで仲間と別れなくてはいけなくなったこと。自分の全ての人間関係を断たなければならなかったことを」

 彼女は愛らしい表情を伏せて溜息をついた。魁は彼女の香水の香りに顔を背けて瓦礫の中に足を踏み入れた。

 かつて、大きな力を持っていた天使の人形『葵』。彼女は悪魔の魂の召喚、浄化の力を持っていた。その危険な力が彼らには脅威であった。諸刃の剣の封印を目的に彼らはここに来たのだった。

 結局、何も見つからず後ろ髪を引かれる思いで2人は瓦礫の山を後にした。

 「きっと、『雪』の人形は燃えてしまったのよ」

 「だといいんだが」

 煙草を咥えながらハンドルを握る魁の横顔は不安の色が浮かんでいた。助手席の愛夢は今はどうすることもできなかった。

 彼らはソウルブレーカーの存在を知ってから周囲の人間関係を全て断ち周りに危険を及ばないようにして悪魔のことを探り殲滅を目的に行動をしていたのだ。しばらくして彼女を近くの駅に下ろすと魁は石神誠のアパートに向かった。

気になることがあったのだ。スチュワート家の子孫と関係があった彼はソウルブレーカーの殲滅を凛に託したらしい。結局、真奈美の意志により殺害されたのだが、彼は何を知り何を思っていたのだろうか。

 アパートは千葉県の市川にあった。意外に新しい所で設備もしっかりしていた。玄関のドアを握った魁は鍵の掛かっていることが分かり途方に暮れた。恋人がいたのならその人が合い鍵を持っているかもしれない。彼の交友関係を調べようとそこを立ち去ろうとしたが、ふと、郵便受けが目に入りそれを覗いて見た。そこには請求書とともに1通の封筒が入っていた。

 それは探偵社からのものであった。しかも、『香住探偵社』、新宿にあるあの都市伝説のあった探偵社である。偶然だろうか。それにしても、何を探偵に依頼したのだろうか。クライアントの守秘義務を持つ探偵に訊いても埒が開かないと思った魁は、封を切って中の手紙を開いた。そこには意外な事実が記述されていた。

 ―――貴方のご親戚を探したところ、つい最近まで1人だけ静岡県に暮していました。北条(ほうじょう)清人(きよと)さん、貴方の伯父です。彼は今年の2月に心筋梗塞の為にお亡くなりになりました。小さい頃に亡くなられたご両親と遊んだり話をしてくれたご親戚は新宿のとあるビルで自殺をされていました。

 …彼は天涯孤独なのだ。その親戚とは北条光ノ介だろう。すると、香住探偵も自分のオフィスのあったビルで自殺したとは言いにくいだろう。それにしても北条家、北条恭子と血が繋がっていたとは、誠も恭子もしらなかっただろう。

 魁は車に戻ると頭の中を整理した。誠は小さい頃に北条光ノ介のところに両親と遊びに行き、スチュワート家の人形の話を聞いていたのだろう。誠の周辺を探ったところでスチュワート本家のこと、悪魔の人間のことは分からないだろう。溜息をついて魁は自宅に久々に戻ろうと車を走らせることにした。


 孝一のことが気になった翔は彼のサークルの部室に来ていた。中には勇兎と孝一がテレビゲームをしている。そこに無言で極自然に入り長椅子に腰を掛けた。精神が極端に弱い者はあの悪魔達に狙われやすい。しかも、あの『彼ら』の関わった事件に関係してしまったのだ。再び、彼らが現れたら…。

 ゲームの鮮やかな音楽の中で勇兎が孝一に語っていた何かに翔は聞き耳を立てた。

 「皆には見えない翼があるんだ。それを持っていると前に進めるんだよ。ただ、その翼に気付かない人が多いんだ。本当は皆前に進めるのに…」

 孝一は無言のままだ。なおを話は続く。

 「このまま止まっていて不安に戸惑っていても、希望を失い躓いたままでもしょうがないじゃないよ。現状の苦しい状況に変わりなく続くんだから。だったら、何かをしてもがこうよ」

目を細めている孝一は一体何を考えているのか、勇兎には悟ることはできなかった。

 「勇気なんかいらない。とにかく外の世界に飛び込むんだ。どんな不安でもどんな状況でもそこに立ってしまえば何とかなってしまうものだよ。ただ、後押ししてくれるものがないだけだ。僕が連れていってあげるよ。前の自分の外の世界へ」

 すると、翔が割って入った。

 「簡単にそんなこと言うなって。心の闇を持つ者を助けることは限り無く困難なんだから」

 そして、横目で勇兎をじろっと見る。

 「その臭い台詞、恥かしくないか?」

 「いいの」

 勇兎は膨れて翔から顔を反らした。

 「でも、片桐君は人当たりがいいし、好印象を周りに与えるじゃない。優しいし、いい人なんだから自信持たなきゃ」

 すると、孝一は悲哀の篭った言葉を放った。

 「お世辞はそのくらいでいいよ、恥かしいし。いい人、じゃなくて人がいいだけさ。その印象は見返りのいらない、他尊自卑な人間なら誰でも悪い気はしないだろう。不思議でほんわか、暖かく心地のいい雰囲気って言われるのはそれが原因さ。滅多にいないからね、そんな奴」

 翔はそれを聞いて睨むように孝一を見たが、彼はそれに気付くことはなかった。そのまま立ち上がり部室を出た。彼なら大丈夫、そう感じたからだ。彼は彼なりに強いものを持っている。それだけでも『彼ら』の付け入る隙はないだろう。

 大学の建物を出て駅に向かってポケットに手を差し込んでとぼとぼと歩いていると、彼の前に魁が姿を現せた。翔は擦れ違い様に質問を呟いた。

 「CODEとは何だ?お前達はあいつらの何を知っている?」

 魁は足を止めて振り返って言った。

 「もう、関わるな。お前の能力も限界がある。これから始まる大いなる戦いには手足が出せない」

 「質問に答えろ」

 翔も足を止めて振り返り鋭利な視線を刺した。魁は鼻で笑い視線を落して足で小石を蹴った。

 「俺達が必ず殲滅する。約束をするから大船に乗った気でいろ」

 「泥船の間違いだろう」

 「へぇ、お前も冗談を言うんだ。…お前は奴ら、『夢の力』の本当の意味を知らない」

 そして、天を仰ぎ大きく肺に汚れた空気を吸い込んだ。

 「よし、いいだろう。教えてやる。ここまで首を突っ込んだんだもんな。今更引っ込みも付かないか」

 翔はこれから聞いてはいけないことを聞くかのように身を強張らせた。

 「まず、CODEの秘密を知る為には己の概念の飛躍的な拡大が必要だ。人は高次元のことを考える時は絶えず矛盾を受け入れて飲み込んでいくことが必要だ。だから、いい面、納得できる面だけじゃなく、自分の信じる道も疑い否定できて、気に入らない、駄目な面も理解して受け入れることだ。そう、矛盾だ。次元の高いことを低いところで見ようとしているんだ。矛盾があって当然。都合良く非を見ずに納得できることだけを無理に駆使して矛盾をなくすことは、結局なにも分かっていなく、理解していなく信じてもいないのだ。

 それでは始めに頭の体操をしよう。自分の持っている概念、思考、思想を否定してみよう。あるものを知る為にはそれに相反したものを肯定受け入れてみることが必要。そして、自分の持っているものを否定する。そしたら、その相反する双方を知ることができ、本当の意味で自分の持っているものを理解できる。そして、それができた時、自分の持っていない、自分の世界にないものを垣間見れるはず。そこからCODEの理解をする序章が始まる」

 そう、CODEとは未知の高次元の概念の要素なのだ。翔は口を開く。

 「言いたいことは分かる。俺もそう思う。ある種の宗教を信じる時にはその歴史、成り立ち、概念、知識、そのあらゆるものを身に付け、なおかつ他の全ての要素を吸収してそれでも信じることができれば、本当にその宗教を信じる、信教できると思っている」

 結局、CODEの話は延々と続いていった。彼らの『大いなる戦い』は今、始まろうとしていた。


                  TO BE CONTINUED




前編の解明、その次の話へのプロローグになっています。

後の話を読んでいる方はああ、過去にこういうことがあるのか、ということです。この館が、この土地が今後何度も出てくる重要な地になります。

北条家とスチュワート家の繋がりも今後、キーワードになっていきます。

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