予想外
神殿の地下広間。特別な儀式にのみ使われるその場所は奇妙な空気に支配されていた。
「殿下…」
「くどい!」
神官長の呼びかけに王子は鋭い声を発した。
「ここまできてまだ説得しようとは」
喉の奥で嗤った魔術師は王子に向き直ると恭しく頭を下げると、芝居かかった仕草で呪文の詠唱を始めた。
まるで歌の様な呪文が場を支配し始めると床に描かれていた複雑な魔法陣が光を放ち始める。期待に瞳を輝かせる王子に神官長は眉間に深い皺を刻む。そんな二人の様子に魔術師は心の奥底でほくそ笑む。
長い長い呪文の詠唱を終え、魔術師が手にした杖で魔法陣を突くと閃光が迸った。
「…これは何だ?」
光が収まり、視力を取り戻した王子は魔法陣の中央に現れたモノを見て低い声を発した。
「こ、これは……」
先程まで自身の成功を疑いもせず、傲慢とも不遜とも取れる態度でいた魔術師はガタガタと全身を震わせている。
「黒髪の少女……の人形ですな」
見たままの事実を述べた神官長は更に淡々と告げた。
「では殿下、婚儀のお支度を」
「貴様っ!この俺に人形と結婚しろと言うのかっ‼︎」
「召喚後、すぐに婚儀を行うと仰ったのは殿下ではありませんか」
物事に絶対はない。それなのに魔術師の根拠のない自信たっぷりの甘言に乗り、我儘を押し通したのは王子自身。
我儘のツケはきっちり払って頂きますぞ
「さぁ殿下、お支度を」
「神官長っ!」
「両陛下もお待ちです」
「………っ‼︎」
王子は怒りに全身を震わせている。そしてその怒りは魔術師へと向けられた。
「ひっ……!」
殺気のこもった王子の視線に魔術師は短い悲鳴をあげる。
「お前が余計な事を言うから…」
「で、殿下こそ反対なさらなかったではありませんか!」
「俺の所為だと言うのかっ!?」
お互いに擦りつけあいを始めた二人に神官長はどっちもどっちだと言いたい。周囲の言葉に耳を貸さなかったのは二人なのだ。
王子は幼い頃から堪え性がなく癇癪持ちの為に、魔術師は才能に溺れ周囲を見下す傲岸不遜な態度の為に評判が悪く評価も低い。つまり人徳が全くない似た者同士の二人。
そんな二人に振り回されながらも諦めず説得を試み、ずっと、ず〜〜っとストレスに晒され続けた神官長はここにきてブチ切れた。
「いい加減になさい!二人共自業自得です‼︎」
「!」
「!」
常にない神官長の一喝に罵りあっていた二人がぴたりと固まる。神官長は笑顔で告げた。笑顔なのに限度なく溢れ出す怒気に漸く自分達が非常に不味い事をしでかしたのだと自覚し始める。
「殿下、お支度を」
先程までとは別人のように王子はこくこくと首を縦に振った。
「魔術師殿は魔術師長殿に報告を」
魔術師も別人のようにこくこくと首を縦に振る。
にこりと笑みを深めた神官長に二人の背筋をぞくりとしたモノが駆け抜ける。
「で、ではまた後で…」
なけなしのプライドを総動員して辞去の言葉を告げ踵を返した王子を神官長が引き止めた。
「殿下」
「な、何だ?」
「花嫁をお忘れです」
神官長の視線の先にはすっかり忘れさられていた人形。
「そ、そ、そうだったな」
顔面を引き攣らせながら人形を抱えた王子は走るのと変わらない速さでこの場を辞した。魔術師はとっくに姿を消している。
「…くだらぬ事ばかりしでかしおって」
呟きと共に神官長が腕を一振りすると床に描かれていた魔法陣が跡形もなく消滅する。
ヒューレー国神官長グレリアム・ザーゲ。魔導師の才能に恵まれながら神官職に就いた予想外な人。