勇者の消閑
「暇だ……」
勇者は、突然ぽっかり空いた時間に戸惑っていた。
「……推理する材料も無いのに考えていてもしょうがない。……素振りでもしようか」
本当は、空いた時間には図書室に籠って読書三昧と行きたいところだったのだが、お約束というか、聞くのも喋るのも不自由のないこちらの言葉だが、文字は読めないのだった。とりあえずの文字の読み方は教わったのだが、素直に読み解けるのは固有名詞だけ。文法が今一つ理解しきれてないうえ、話し言葉と書き言葉には若干の違いがある、ということで、手習いの書を読み通すのがやっとなのだ。
勇者をこの世界に呼び出した魔導師が言うには、文字の習得にあまり時間をかけないのには理由があるらしい。
この大陸には、おもな言語が五つ、文字だけでも三つあり、地域によっては、その『主な言語』さえ用いられていないところもあるのだとか。ましてや、ほかの大陸にでも行こうものなら。
会話には不自由しないのだから、文字の習得にあまり時間をかけても、大したメリットはないでしょう。
というのがその理由だそうだ。
魔導師の言い分を鵜呑みにするわけではないが、手習いの時間を取ってもらえない現状はしかたがない。さしあたり、地図とか案内看板が読めるようになっただけでも良しとしよう。
そうなると残るは自主トレか城下に下りて散策でもするか、だが。
現状では、魔法の自主トレは難しい。
魔法の練習には、魔法防御結界が必要なのだが、予め防御結界が施してある施設は、勇者は使用禁止になっている。どうも結界と勇者との相性が悪いらしく、結界内に入っただけで、結界が壊れてしまうのだ。
ゆえに。勇者が魔法の練習をするときには、誰かが傍についていて、結界を張らなければならないのだ。
今城にいる魔導師で防御結界が張れるのは三人ほど。だが、日中彼等はなんらかの任務に就いており、勇者の暇つぶしに付き合わせるわけにはいかない。
城下に行くのも同じ様な理由でうまくない。
黒髪黒目の人間は、この地に少ないのだ。だから勇者が待ちに下りるととても目立つ。何より『魔王』も黒髪黒目だから余計に注目されるのだ。
となると、あとは鍛錬くらいしかすることがないのだが。
ところで。
『勇者用の装備』として渡された武器防具は結構重い。
どちらかというとインドア派で手よりも口の方がよく回る勇者は、学校の体育でちょっと剣道をかじったくらいなので、本身の刀剣は危なくて振り回せない。
なので勇者は、寝る時と沐浴の時以外つねに剣を身につけ、暇があると(鞘ごとの)素振りに励んでいる。剣技や体技の練習には、それ用の練習場があるが、素振りなら剣を振り回せる広さがあればどこでもできるのだ。
継続は力なりとかで、最近ようやく剣を横に薙ぐことができるようになった。教科書よりも重いものを持ったことがない、インドア派の勇者としては、かなりの快挙だ。
……まあ、その幾分かは、召喚の時に得られた恩恵とやらのおかげもあろうが。
「……でも、あんまり練習すると、出発が早まる可能性があるな」
勇者としては、なるべく魔王と対峙する時期は遅らせたい、と思っている。
いや、いっそ魔物退治だけで済めばそれに越したことはない、とさえ思う。
「こうしてる間にも、魔王城についての情報は集まってきてるんだろうな……」
『魔王』と自称しているヤツはどこぞの廃城に住み着いて、そこを『魔王城』と呼び、さらにそこに到る道にテンコ盛りのトラップを仕掛けているらしい。トラップに殺傷能力はないものの、ひっかかるともれなくどこかに転移させられる、という、人の心を折る仕様だ。
しかも『魔王城』の所在地は不定期に変わるのだという。
――あいかわらず傍迷惑なヤツ。
勇者は『魔王城』について聞いた時、心の裡で密かにそうつぶやいた。
この場合の『傍』には、勇者も含まれている。
しょう‐かん【消閑】
ひまをつぶすこと。