勇者を召喚
この世にあるのは、我々の世界だけではないらしい。
神の世界、とか死後の世界、という意味ではなくて、我々と同じように、生きて、生活している他の人々が、『どこか』の『別の世界』にいるらしい。
それを裏付けるような器物の存在がある。『漂着物』と呼ばれるそれらは、この世界には存在しない(と思われる)素材でできていたり、この世界にはない(と思われる)風景や文字らしきものが描かれたりしているのだ。
また、『迷い人』の伝承もある。どこからともなく現れる、見慣れない服装をし、こちらの言語を解さない人。……達。
彼等が神や精霊の類ではないことは、食事や睡眠を普通に要求すること、個人差はあるようだが怪我や病気をすること、などの他に、彼等が水際だった容姿をしていないことからもわかる。
ただ、彼等はしばしば、その地域にあまり見られない特徴を持って現れる。体格であったり、髪や肌や目の色であったり。
顕著なのは、知識、あるいは技術だ。
もっとも、彼等のすべてが『すぐに』役立つ技術や知識を具えているとは限らない。
そこで、必要な技術や知識を持った『迷い人』を招く研究が為された。
数多の失敗と小さな成功を繰り返し、一応これならば目的に適うかもしれない人物が呼べるであろう、という方法が考案された。
目的に適う『かもしれない』人物が呼べる『であろう』、と成功したか否かがいささか……かなり曖昧なのは、無生物であれば有効な『目的に適う』という条件付けが、生物だとかなり曖昧になってしまうからだ。
魔導師が慎重に陣を描き終える。
『小動物を呼び寄せる陣』は、先代が早いうちに作り上げていた。ただ、それは『呼び寄せるだけ』であって、『目的に適う』の部分を満たすために、彼はその生涯のほとんどを費やした。人にとって不都合な性質を取り除くために陣に書き加えられた部分は膨大で、そのために召喚陣を描く場所は屋内に収まりきらなくなった。
「……始めます」
召喚陣の点検を終えた魔導師が、静かな声で術の開始を宣言する。
彼の目の前にある召喚陣は、先代が残した『最終形』よりだいぶ小さい。
だが、それで十分人が喚べるのだ。
彼は先代魔導師の召喚陣を見て、知性があり、馴致可能な生き物であれば、いくつかの条件は省けるのではないかと考え、実行した。その目論見は当たり、件の動物は今、貴族たちのペットとして持て囃されている。その点は彼の功績と言っていいだろう。
杖を伝い、彼の手から召喚陣に魔力が流し込まれる。
魔力の充填が終わると、召喚陣が淡く光る。
光は次第に強くなり、やがて正視できないほどの光が召喚陣の内側を満たす。
魔導師の低くつぶやく声が止まり、同時に光も消える。
召喚陣の中には、困惑顔をした青年が一人立っていた。
「ようこそいらっしゃいました、勇者様」
魔導師が声を掛けると、青年が眉間に皺を寄せる。どうやら魔導師の言葉が耳慣れないものであることに気付いたらしい。
前のアレよりは頭が良さそうだ。
魔導師は満足げにうなずき、さらに言葉を続ける。
「――をご存知でしょうか?」
青年の反応は素早かった。
魔導師が言い終えるより前に耳を塞ぎ『聞こえないよ』と言わんばかりにワーワーわめき始めた。
「ご存知なのですね?」
塞いだ耳に強制的に割り込む魔導師の声に、青年は頑なに首を振る。
「し、知らない。知らないっ!」
「そのように過剰に反応するのは、『知っている』と言っているのも同然なのですが」
魔導師の、窘める響きを持たせた言葉に、青年が動きを止める。
「い、嫌だ。俺はもう、あいつには関わりたくないんだ!」
そう言って、青年が再び激しく頭を振る。
……往生際が悪い。
魔導師は止めの言葉を投下した。
「アレを何とかできるのは、世界中であなただけなのです。勇者様」
前の召喚で喚んでしまった、アレ。
やりたい放題で周囲に災厄を撒き散らす、アレ。
さらに、以前の召喚に失敗してやってきてしまった『魔物』を従え、自ら『魔王』と名乗る、アレ。
アレを倒すなり、封じるなり、言いくるめるなりして対処のできる存在を。
そういう条件を記した陣に呼ばれてやってきた青年。
「嫌だ! あいつがいなくなって、もう金輪際、あいつの尻拭いなんかしなくていいって、どんだけ安堵したことか……っ!」
「どうやら、成功のようですね。……アレをどうにかできた暁には、あなたのお望みのものを、……できる範囲で、ですが、褒美としてお渡しすると約束しましょう」
魔導師がとりあえず飴を差し出してみる。
だが青年は受け取りを拒否した。
魔導師の説得は、中天にあった太陽が地平にかかるまで続き、根負けした形でやっと青年が折れた。
青年が魔王討伐の旅に出たのは、それから半年ほどたってからのことであった。
しょう‐かん【召喚】
裁判所が被告人・証人などに対し、公判期日その他一定の日時に裁判所または指定された場所に出頭を命ずること