外務大臣と特別安全対策委員長
200X年 10月14日 土曜日
日本時間午後7時10分
「とんでもないことが起きたな」
首相官邸に向かう車中で、安塚内閣外務大臣・瀬戸川恒雄は重い口調でそう言った。
瀬戸川のもとに「新潟市内にミサイル着弾」との報告が上がったのはつい20分ほど前のことだ。
ちょうど瀬戸川が海外に留学している娘と久しぶりに電話で連絡を取っている時だった。
「ホントに、面倒なタイミングで打ってくれたわ…」
報告があった時は頭が混乱して言葉もろくに話せ無かったが、今は随分落ち着いている。
そして非常事態とは言え、久しぶりの娘との楽しい会話を妨害されたのは実に悔しかったし恨めしいことだった。
(ホントに恨むよ、イル・クムファ…余計なことしてくれて)
今回の事件が北東共和国によるものだったかはまだ明らかでなかったが、瀬戸川は北東共和国の最高指導者であるイル・クムファに恨み言をたれた。
実際、ミサイルを撃ち込んでくる連中などあの国以外には考えれなかった。
人民労働党による一党独裁、先軍政治、軍備拡張、軍国主義…
北東共和国についていい噂を聞いたことなど一度もない。
そういうおかしな国だったのだ。
今回のような事件がいつか起こると喧伝している人間はいくらかはいたが、平和ボケの世間は本気にしなかった。そしてそれは瀬戸川はじめ、内閣の面々も同じだ。
あの国はそんなことをやってもおかしくないと分かっていながら、どこかでそんな事実から目を背けて「そこまで馬鹿じゃないだろう」と自分達に都合のいい希望的観測をもっていた。
認識が甘かった。自分達は馬鹿な事をしていたのだ。
ただ、事前に正しい認識を持っていたら今回の事件は防げたというものではないのだ、ということが唯一瀬戸川の慰めになっていた。
「瀬戸川先生、着きました。官邸ですよ」
「ん?ああ、ご苦労さん」
瀬戸川はドアを開けて車から降り、官邸の門をくぐった。
するとそこにはすでに官邸にいた官房官や関係省庁の官僚でごった返していた。
その光景を見ると、やはり大事件が起こったんだなという実感が沸く。
「瀬戸川さん!」
立ち尽くしていた瀬戸川に声が掛けられる。
声がした方向を振り返ると、そこには一人のスーツ姿の女性がいた。
「今さっき着いたところですか?」
女性の名は飯井畑遥
安塚内閣の看板娘にして少子化対策大臣、そして特別安全対策委員会委員長である。
特別安全対策委員会は今期より飯井畑の提案で設置された新たな組織だ。
その存在理由は対テロ戦予防対策や国内の大規模犯罪組織取締り、関係省庁の連携強化のための橋渡し的役割だ。
委員は警察庁、防衛庁、海上保安庁などの官僚と複数の国会議員から構成され、かなり大きな権限を有しており非常時の際には各関係省庁に通達と命令をだすことができる。
飯井畑はそこの最高意思決定権限者なのだ。
年齢は45歳だが外見は30歳前後に見えるほどの美人で、国民からの人気も高い。
しかし、みんなその外見から誤解しやすいが飯井畑は仲間内から「アマゾネス」と揶揄されるほどのタカ派、悪く言えば過激派である。
今回の事件でもっとも早く行動を起こしたのも彼女だ。すでに彼女の命令により別室では特別安全対策委員会の緊急集会が行われていた。
「大変なことになりましたね。まったくイル・クムファは余計なことをしてくれたものです」
「ああ、まったくの同感だ」
瀬戸川と飯井畑は政治家として親しい間柄だ。飯井畑は瀬戸川の派閥に属しているし、瀬戸川は選挙のときに飯井畑に応援演説をしてもらっている。
年は離れているが、腹を割って話せる仲だ。
「で、緊急閣議を開くんだろ?他の連中はどうした。もうきてるのか?」
「みんなもう閣議室にいますよ。総理とも連絡が取れてます。あとは瀬戸川さんだけ」
「ビリッケツかい…まぁいいわ、急ぎますか」
「ええ」
飯井畑もうなづいて、二人はせわしく動き回る官僚たちを尻目に官邸の閣議室へ急いだ。