愛することは信じること
雑談とは罪の無いものだそうだ。
では、嘘も罪がないか。嘘はふつう、罪とされている。だとすると、雑談に嘘や脚色はつきものだから、雑談は罪ではないだろうか。
オフィスで岸崎は、椅子にもたれかかって視線を泳がせていた。手はマウスに置いたまま、動きが止まっている。
何か思いつきそうでいて、でも考えがまとまらなかった。頭の中にもやもやした霧があふれていて、その向こうに何かすばらしい物がある気がするのだけど、それがはっきりとは見えてない。そんな感じがまた来ていた。
目はモニターに向かっているけれど、焦点が合ってない。
どれくらい時間が過ぎたろう。
思考の迷路をさまよううち、霧はだんだんと薄れてきて、その向こうにあったものの形や色が見えてきた。
そうだ、これだ。なんでいままで気がつかなかったんだろう、すごく効率のいい方法があったじゃないか。つまり・・・・・
その瞬間、上司の怒鳴り声がひびいた。
「岸崎! 何をボーッとしてる!!」
もう少しで完全に見えたはずのそれは、一瞬で四散してしまった。
「会社はお前に給料払ってるんだぞ! 時間内はちゃんと働け! ボーッとするのは家に帰ってからにしろ!」
反論したい・・・と思う。けれど、無駄だ。上司は、正しいことを追求したいんじゃない。自分の意見を押し付けたいだけ。だから反論しても無意味なんだ。
すんません。
あきらめたようにひとこと言って、ため息をつくと、岸崎はモニターに視線を戻す。
とにかく、さっきのアイディアは諦めきれない。この仕事を効率よく進める革新的なアイディアが何か浮かびかけてたはずなんだ。無神経な怒鳴り声で失われてしまったそれがあまりに勿体無く、岸崎は頭に手を置くと、それが何だったのか、必死に思い出そうとした。
ふたたび怒鳴り声が響く。
「岸崎! 休憩時間じゃないぞ、手を動かせ!」
・・・・・すんません。
はっきり言って、すごい不服だ。けれど、自分が考えてたことにどれだけ意味かあったのかを説明しても上司の反感を買うわけで、いいことは何も無い。この不愉快なオフィスがいっそう不愉快になるだけなんだ。
とりあえず、手を動かし始める。とはいっても意味のあることをしてるのではなく、デタラメに画面をクリックしてるのみ。当然、思考は浅くなるし、仕事も進まない。これでも上司の怒鳴り声はとりあえず来なくなるから、そうするしかない。
この職場に入ったばかりのころには、会社の役に立つ人材としてがんばろうなどと考えていた。それが今ではもうどうでもよくなってしまった。がんばればがんばるほど、自分が苦しくなるだけということがわかってきたから。
この会社の社是は「可能性への挑戦」だそうだ。壁に「やる前に『できません』と言うべからず」と、毛筆で書かれて貼りつけてある。
いつも、まず不可能と思われる納期で仕事が課される。「できません」と言っても「業務命令だ!」と返され、担当者には発言権が無い。物理的に可能かどうかを判断する知識がない人が注文を取ってくるのだからどうしょうもない。
はじめ担当者たちは、とにかく顧客に迷惑だけはかけたくないという気持ちで、必死に仕事を仕上げようとする。会社に泊まりこみなんて当たり前で、気がついたら20時間ぐらい、飯も食ってなければ休憩もとってなかったなんてこともよくある。
とうとう夜が明けてしまい、朝10時が過ぎるころには気力体力の限界を感じる。慣れてないやつはここで「仮眠してきます」と言って、またも上司の雷に遣られる。
曰く「人間は昼間働くものだ! こんな朝早くから眠る奴があるか! 少しは真面目に仕事しろ!」
上司は、夕方6時には上がってしまい、朝は10時ごろに出社する。当然、夜は自分の家で寝ている。どうやら、夜中モニターと格闘している人間がどれだけ疲労するか、考えられないと思われる。
こんな苦労をして、ギリギリで納期に間に合わせると、「何が『できません』だ、ほら、やればできるじゃないか。」ということで、次はもっとキツい納期の仕事を安請け合いされてこられてしまう。
したがって現場では誰もが最後には、自分の身を守るためにわざと納期を遅らせるしかないという結論にたっする。そうやって、できなかった仕事の責任を追求されて、ひとり、またひとりと辞めていく。2年もった奴は、夜には家に帰れるような仕事を担当してる連中だけだ。
岸崎も、今、納期を遅らせる作業に没頭している。モニターを見つめながらキーボードをたたいているが、これはBBSのレスポンスを書きこんでるだけだ。別に急ぎの用事でもなんでもない、ブライベートかつくだらない内容の雑談で、仕事とはまったく関係ない。しかし、頭脳の創造性を最高に働かせて顔が脱力してるときと違い、笑顔でキーボードを叩いてると調子よく仕事に取り組んでるように見えるらしく、上司の文句が飛んでこない。
岸崎がBBSに書きこみしてるうちに、またひとつアイディアが浮かんできた。
そうだ、あそこに改良を加えれば、例の問題が解決できるかもしれない!
急いで未完成のレスポンスをテキストファイルに保存してしまうと、アイディアエディタをスタートさせて、その概要を形にすることにした。
いきなり、電話が鳴った。
無視!
岸崎は迷わずその選択肢を選んだ。今、無形のものが形になろうとしている。さっきのアイディアは完全に忘れ去られてしまったが、幸運にもすぐ、べつの有意義な発想が浮かんだんだ。これまで忘れるわけにはいかない。電話で面倒な受け答えなんかしたら、二度とこのアイディアは浮かばなくなるだろう。
エディタが立ち上がり、キーボードの文字を打とうとした瞬間・・・・・
湯呑みが飛んできて、派手な音を立て、頭の横の壁にぶち当たった。
驚いて顔を上げると、湯呑みを投げた上司が電話に出たところだった。顔は青筋を立てていたが、声は愛想よく話している
「あーっ、どうも。いつもお世話になっています。・・・ええ、求人広告を、いつものようにお願いします。最近の若い連中は根性なくて、すぐ辞めちゃうんですよ。まったく、納期にも間に合わせられないような連中ばかりで、人材難です。・・・・・」
納期に間に合わせられないんじゃない。間に合わせたらヤバくなるから間に合わせないだけなんだ。
そう言いそうになるが、喉で飲み込む。
すでに、今の湯飲みのショックで、さっき浮かんでいたアイディアが何だったかわからなくなっていた。このままでは、作業の効率化につづき、問題の早期解決のチャンスも永遠に失われる。
ため息をついてモニターをにらみつける。
思い出すんだ、なんとしても。
思考は必死に脳の中を駆け巡る。が、脳の中に集中しすぎて、顔の筋肉が脱力していく・・・
「岸崎!!」
上司の怒鳴り声で思考が中断した。
「何度言ったらわかるんだ! 電話が鳴ったらなにをやってても出ろ! 会社員の基本だぞ、馬鹿者! いちいち俺の手を煩わすんじゃない! ボーッとばかりしてやがって!」
どうせあんた宛の電話だったんだから、俺が出たって中継するだけ効率が悪いだろうが。
そんな文句も飲み込んで、すんません、とだけ言う。
「すんませんすんませんて、お前は口だけなんだ! 本当に反省してんのか、まったく!」
反省なんかしてるわけねーだろ、という言葉も飲み込む。
「ろくに仕事もできない給料泥棒のくせして、このやくたたずが!」
岸崎はへらへら愛想笑いしながら謝り続ける。
他の会社ならとっくに辞めてるところだが、いつも世話になってる叔父に紹介された仕事で、その面子を考えれば耐える以外にどうしょうもない。胃はきりきり痛むが、もっと陰険な方法でストレスを解消するしかない。
岸崎は、ダウンロードエンジンを走らせ、無料エロ動画サイトの検索を始めた。
HDDへダウンロードされたエロ画像は、LANで自分のノーパソに移動させて持ち帰る。混んでるときなど結構時間がかかるが、勤務時間を多少は有意義に浪費する方法のひとつだ。
とにかく、モニターに向かって何かをしていれば、考え事してるよりは怒鳴られないですむんだから。
やがて、日が暮れてきた。
「岸崎、休憩とってこい。」
上司が急に言った。
はい?
「休憩も仕事のうちだ。リフレッシュしてから続きをやれ。」
もしも本当に仕事が調子よく進んでたら、これこそ余計なお世話である。中断した思考を元の流れに戻すには、また労力と時間がかかるのだ。切りのよいとこで自主的に休憩を取るならともかく、クリエイティブな職種にお仕着せの休憩時間では、得るものより失うものが多い。
しかし、今やってることと言えば、しょせんはエロ画像のダウンロードと暇そうな知人とのチャット。いつ中断しても惜しいものじゃない。
わかりました。
と答えると、チャットルームに挨拶の言葉を入力して退室し、ダウンロードも中断させ、ファイルは暗号化する。
「何やってるんだ、早く休憩に行けと言ってるだろ!」
は、はい。終了処理したらすぐ行きますから。
真面目に仕事してれば、休憩はすぐ取れる。長時間コンピュータに任せっぱなしになる作業をするときに休憩を取ればいいわけで、何も難しいことはない。
逆に忙しいときは、作業しながらでもメシは食えるのである。
けれど、そうすると部下の休憩や食事を不規則に見ることになる上司から、「こいつら、いつ見ても休んでばかりいやがる!」「いつも食ってばかりいやがる!」という言葉が頻繁に飛び出すようになる。仕事してる姿は印象に残りにくいが、休んだり食ったりしてる姿は着実に記憶されるらしい。
だからコンピュータに任せっぱなしでそれが終わるまで何もできないときは、上司にわからないように遊んでるしかない。機械に他のことを同時にやらせることで、多少パフォーマンスが落ちて能率が悪くなるが、このさいやむを得ない。
BBSめぐりもその一つだ。BBSの常連さんは俺のことをヒッキー(引きこもり)だと思ってるかもしれないな・・・書き込みの時間が昼間になったり夜になったりするから。
そんなことを考えながら、終了処理を終えて、オフィスを出た。
この会社には「休憩室」がある。が、そこは換気が悪く、タバコの煙が常にもうもうと立ち込めていて、嫌煙者である岸崎には、休憩どころかかえってストレスが溜まる場所だ。ところが、そういう理由で休憩室を使わず、廊下や階段で休憩する者が目立っていたことから、「みっともない」という理由で「休憩は休憩室で行うべし」という規則ができてしまった。
休憩室よりはまだトイレの方がいい・・・・・換気もちゃんとしてるしな。
そう判断して、岸崎はトイレに入る。
ズボンは脱がず、扉も開いたまま、蓋も開けないでトイレに腰掛けた。
とたんに睡魔が襲ってくるが、ここで眠ると、ちょっとやそっとでは起きられなくなり、2時間くらいはあっという間に過ぎてしまう。
トイレに腰掛けて缶コーヒーを呑みながら必死に睡眠欲の葛藤と戦う、精神力勝負の「休憩」となった。
そこへ扉が開いて、顔見知りの同僚が入ってきた。
「よう岸崎。休憩か。」
ああ。休憩室には行きたくないもんでね。
「同感だ。あんなとこで休んでたら肺癌になっちまうもんな。」
眠るとやばいから、少し雑談につきあってくれないか?
「いいよ。俺も休憩だ。どっこいせ。」
同僚は隣のトイレに入り、やはり蓋の上に座り込んだ。ガサガサ音を立てているが、どうやらコンビニ弁当を食べ始めたらしい。
こんな場所でも、湯呑みまでヤニ臭い休憩室よりはマシに感じる。トイレでの食事にほとんど抵抗がなくなってしまったのは、岸崎たちだけではないはずだ。
「そういえば岸崎って、インターネットに繋ぎ始めたの、失恋がきっかけだったんだってな?」
いやちがう。それ以前からアクセスはしてたよ。個人サイトを作ったのが、彼女と別れた後だったんだ。
「よくそんなもの作る時間あったな。」
あるだろ。この会社にいれば。
「あ、そういやそうだな。俺もそうだ。もうすぐ会社のパソコンで、毛利が天下統一するよ。4日かかったけど。」
…新作かい? お前も好きだねエ。
「ところで岸崎のサイトって、なんか怖い実話を小説にアレンジしていろいろ載せてるんだよな。」
まあ大半は聞き書きだけど。あんまり宣伝するなよ。
「わかってるって。でもたまに俺も事情を知ってる話が出てきて、けっこう笑ってるんだぜえ。自虐的な笑いだけど。」
あんなの読んでくれる奴って本当にいたんだ、そりゃありがとう。でも、あそこには載せられない実話とか、結構あるんだよ。
「へえ・・・たとえばどんな?」
見合いの話とか。
「見合い??? お前の?」
ああ。母親の知り合いのエライさんの退院祝いの食事に招待されて。なんでも、俺の考えてる企画に興味持ってるんじゃないかっていうから、喜び勇んで行ってみたら、それは大嘘で、見合いだったんだ。
「その話なら小説にしてたじゃん。騙されたとわかった女の子が泣き出しちゃって、男のほうが慰めて。そのまま恋愛の予感を残して終って。あれはあれで、綺麗な物語だったと思うけど・・・」
あれはあくまで創作。現実はそんな甘いもんじゃない。だいいち、相手の女に彼氏がいたんだ。しかも、ぜんぜん問題もなく上手くいってるっていう。
「あちゃあ・・・じゃ、お前が『問題』の素か。それから修羅場かい?」
そんな修羅場は嫌だよ。よく知りもしない女を奪ってまでどこぞの男の幸せを壊したくないし。だから、そのあとはずっと無視してた。
だいぶ経ってから、親に強制されて断りの返事をしたけど、なんで騙されて連れてこられただけの俺が、「責任持って返事しろ」なんて言われなきゃいけないんだって、すげえムカついたもんだ。
「でも勿体無かったんじゃないか?」
俺は企画の話だとばかり思ってたから、仲人とは知らずにエライさんに必死に企画の売り込みばかりしてて、向かいの席に居た女性のことなんかろくに見てなかった。顔も名前も憶えてなかったよ。
その人のお父さんが銀座に本社があるなんとかって会社の社長さんで、その部下の有能な人材がその人の彼氏だという話しか記憶にない。そっちは企画に関係がある話だと思ったからね。
「企画の方はどうなった?」
見合いの断りをしてから、それはそれとして企画のことで近々お訪ねしたいって言ったら、「来なくていい」って断られた。
「・・・なるほどな。最初から企画に興味なんかはなかったわけだ。でも、結婚のチャンスの方はもったいねー。」
ばーか、こんな仕事しててうかつに結婚なんしてみろ。一緒にいる時間もほとんど無いんだぞ。給料だけ持ってかれて、どんどん、他の男に貢いでくれっていってるようなもんだ。
「まあ、それはそうかもしれないれけど。でもさあ、結婚もいいものだぞ」
そういや、お前は結婚してたんだっけ。
「うん。まあ、俺の場合は、信用できる彼女が見つかってラッキーだったしな。あんまり家に帰れないけど、ちゃんとひとりで留守番してくれてるよ。」
そうか、それはよかったね。
俺は、よっぼど信用できる相手か、でなきゃ逆に最初っから嘘つき当然・裏切り上等って諦めがつくような相手でもないかぎり、結婚なんかしたくない・・・
「でも、ネットナンパとかそうとうやったんだろ?。」
いっときね。別れた彼女のこととか忘れられるって、ひとに言われたから。
「で、何人やったの?」
けっきょく、ほとんどやってないよ。どっちかっつーと、男性不信の女たちに振りまわされて女性不信度が上がっただけだ。
それよりもなによりも、なんつーか、普通にお友達してるほうが楽しく感じてさ。
中には、当然俺がカラダ目当てで来てると思ったんだろ、もったいぶりながら「やらせてあげてもいいわ」みたいなこと言ってきた人もいた。けど、断った。
「げえ、勿体無え。・・・あ、もしかしてブスだったの?」
いや、なかなかの美人だったんだけど。あのタイミングだとお互いに蔑みながら性欲処理することになりそうで。せっかく人間として好意持った相手にそんなの嫌だったし。第一、その人にも彼氏がいたんだ。
「関係ねえじゃん。やっちゃったって、黙ってればわかんないよ。」
まあそうだろうけどね。でも自分がやられたくないことは人にもやりたくない・・・
「そういうこと言ってると、人生の敗者になるぞ。」
どっちにしても、愛情が感じられないのは嫌なんだからしょうがないよ・・・愛情があっても、あとで壊れりゃむなしいくらいなんだし。
「英語でメイクラブって言うんだぞ。愛イコールそれでいいんじゃないの? もうすこし大人になれよ。」
・・・昔さ、尊敬する人の書で、達筆で『愛』って書かれてたのをコピーして、部屋に貼ってたんだ。そしたら、遊びに来た知人がそれを見るなりいきなり『やーらしー、すけべー』とか大声で言ってニタニタ笑って・・・あれは慈愛とか人類愛とかの意味だったんだけど、誤解したんだな。
なんだかんだいってみんな、愛は地球を救うとか言っいながら、勘違いして下ネタに走るんだ・・・昔観た『壮大なSFアニメ』とかもたいていそうだった。コドモ作って終りってパターンが多くて。
「んなこと言ったって、それが人間の欲望だから・・・それに、エッチなしでナンパしたってしょうがないだろ。」
楽しいことは楽しいよ。そんな展開にならず、普通に友達づきあいができたときも。
「友達づきあいなんてわざわざネットナンパしてやるほどのことでもないじゃないか・・・」
それがけっこう難しいんだ。かえって、一発やるより友達関係を維持する方が難しいかもしれないぞ。
たとえば、恋愛や性行為抜きがいいっていう感じの女性がいてね。いい感じの人だったから、僕もしばらく、下心持たないようにして友達づきあいしてたんだ。
で、あるとき、別の女に逆ナンされて、その女が行きたがってた場所が件の友達女性の住んでる地方でね。思い切って案内を頼んでみた。
「両手に花、ってわけか?」
からかうなよ。気分のいい友達として案内を頼んだけなんだ。
でもその結果、逆ナンの女はしばらくして、「彼氏ができました、あなたみたいな人とは違って信用できる人です。迷惑だからもう電話もメールもしないでください。BBSで見かけても話しかけないで。あなたのハンドルを見るだけで腹が立ちます。」なんて言って来て、そのまま絶交。
一方で、友達だと思ってた女性のほうは次の日から電話もメールも無視されて音信不通になった。
「え・・・でも、急な入院か何かで連絡できないとか、死んだなんてことは?」
俺もそう思って心配してたんだけど、一年近くして、いっぺんだけ向こうから電話があったんでね・・・ディスククラッシュしたとか言って。それまで、なんとなく返事しなかっただけらしい。
「それ以降は? 連絡復活したんじゃないの?」
こっちから何度かメールや電話したけれど、一度も通じないよ。返事もない。
「その人にも、彼氏でもできたのかもしれないな、ははは・・・。(乾いた笑い)」
俺もそう思うことにして、連絡を避けることにした。向こうに下心があったんなら騙されてオモチャにされてたたわけだし、もしも本当に友達と思ってくれてたなら彼氏から余計な疑いをもたれるようなことしたくないもんね。
「そうそう、男って、疑いだすときりがないからなあ。女は信じてやらなきゃだめだよ。」
でも、こんなことがあったら信じられる?
たとえば、たまたま見ることになったエッチ映像の断片が、つきあってる自分の彼女にそっくりだった。顔も似てれば、体形もしぐさも似てる。声があきらかに違ってたけど、声くらいはいくらでもアフレコできるし。
で、彼女が突然に髪型を思い切り変えた時期と、その映像が出たと思われる時期がだいたい重なった。お前ならどうする?
「それは・・・遊び相手なら見なかったことにするし、本命の相手ならいちおう彼女に尋ねてみるかなあ・・・」
尋ねても当然否定されるわな。バージンだと主張してたし。それで、機会をみて、お尻のほくろの位置が同じかどうか確かめてみようと思ったんだ。
「どうだった?」
彼女から言い出した初めての旅行で、外国にホテルも予約して、いよいよ確かめてからプロポーズという直前に、急に別の彼氏ができたとかで別れられたわけ。もちろん彼女が予約の責任とってくれるわきゃないから、キャンセル料数万円を俺が払わされておしまい。婚約もまだだったから慰謝料も取れない。無意味に貯金が減っただけ。
「じゃ、確認もできず?」
でも疑問だけは残ってね。とりあえずそのAV女優について調べられるだけ調べとこうと思って。彼女とは名前も年齢も違ったけれど、AV女優のデータなんて本気にしてもしょうがないし。とりあえず件のAVだけは通販で手に入れようとした。
「手に入らなかったのか?」
メーカーからのメールでは、企画変更で発売中止になったそうで。代わりに出た他のビデオを買えと言われた。AV女優なら誰でもいいわけじゃないんで、買わなかったけど。
画像の提供元にも何度か問い合わせたけど、要領を得られない。で、あちこち探し回って、その名前の女優が出てるほかのAVを2本、苦労の末に見つけ出して買った。
「どうだった? やっぱり本人?」
いや、完全に別人だった。断片映像とは顔も違えば胸の形も違うし、声の質も違ってた。どうやら、同じ名前ってだけで別人だ。
「じゃあ手がかり無し、かあ。」
まあ、もうどうでもいい謎ではあるけどな。ほかにもいろいろ嘘ついてたんだろうと思えば、彼女のことは諦めもつくし。
でも、あのAV、本人でも別人でもどっちでもいいから、画像だけでもなんとか手に入らないかなあ・・・現実は現実としても、夢の続きが見れるなら、ちょっとだけでも見てみたい。
「それでお前、怪しげなビデオや画像を集めはじめたのか・・・まあ気持ちはわからないでもないけど、砂漠で針を探すような話じゃないか。」
最初は件の映像や画像を捜してただけなんだけどね。そのうち集めること自体が面白くなっちゃった。大部分はくだらんものだけど、たまにセンスのいい作品が見つかると嬉しくて。いつのまにか、アイドルとかAV女優の名前にくわしくなっちまったなあ・・・。
「目的がすり替わっちゃったわけか。で、いままでどのくらい集めたんだ?」
うーん・・・ざっと、ビデオ140本に画像15GBくらいかな。
「それはすごい量だな・・・でもそういうもの集めてると嫌われるぞ、男にも女にも。」
実物に女に手を出してるわけじゃない。ナンパした相手を片っ端からやって自慢してる男と比べりゃあ誰にも迷惑かけてないし、罪はないと思うよ。
「いや、そういう問題じゃなくて・・・生殖につながらない不毛な行為はだな・・・」
避妊して一発きめるのだって、生殖につながらない不毛な行為だろ。
「いやとにかくだな、そういうのは感覚的に嫌がられるってこと。」
そりゃそうだろ。こんなとこで見つけられちゃったら女の方も男を騙しきれないから。
「いや、そうじゃなくって・・・信用という問題は、だなあ・・・つまり、愛するというのは信じることっていうし・・・画像からは愛情なんかないだろ。」
画像にも意義はあるぞ。
たとえば、最近、知人が結婚したとき、相手がどこかで見たような人だなあと思ったんだ。気になったけど、他人の奥さんのこと気にしててもしょうがないからしばらく忘れてた。ところがな、ダウンロードしたエロ画像を整理しててみつけたんだわ。あきらかにラブホの一室で写されたデジカメの素人ハメ撮り写真。ディルドーやら電動コケシやらさんざん使った上、顔に口に後ろにと、複数の男に出されまくり。
こんな画像の中に、たまに有名タレントのそっくり画像なんて出てくるよな。でも今回のは顔をぼかしてたけど、十中八九、同一人物だと思う。
「その女には知られざる過去があったわけか。」
いや、最近の日付の写真もあってさ。明らかに結婚して以降の。
「・・・・・・はぁー。なんてこった。旦那はそのこと知ってんのか?」
隠されてるんじゃないかな、まだラブラブだし。その男はどちらかというと純な奴で、遊びで浮気されてるなんて知ったら彼女を愛することはできない性格だから。
「そうかぁ、かわいそうに、そんな女を信じて幸せ気分でいやがるんだな。」
そうなんだ。でも少なくとも、自分はこんな目に遭いたくないな。
このこと、はっきり教えたりしないほうがいいよねえ? 本人が信じてる幸せを壊さないために。
「そんなウソで幸せ気分な奴に比べると、俺は本当に幸せだぜ。信じられる彼女と結婚できたから。」
そうか。彼女はお前に嘘ついたり隠し事したりはしない?
「絶対にしない! 本人がそう言ってる。間違いないよ。」
ふーん・・・彼女の言うこと、信じてるんだ?
「当然さ! 愛することは信じることだ。俺の前に1人だけ男としたって言ってたけど、そんなの過去の話、過去の話・・・。今は俺ひとりのものさ!」
本当に愛してるなら、とり返しのつかないことはことは無理してでも許さないといけなもんねえ。
だけど、『愛』ってホント便利な言葉だよね。程度問題も比べようの無い問題も全部、イエスかノーかの二者一拓にすり替えることができちゃうんだ。
「そんなひねくれたこと言ってないで、お前も早く新しい彼女作れよ。そうしたら考えが変わるって。だから画像集めなんかやめて、早く彼女作って結婚しろよ。俺みたいに世界がバラ色に見えるぞー!!」
そうかそうか・・・愛することは信じること・・・か、本当に幸せなやつだよな、お前。
・・・さて、そろそろ戻るよ。どうせ真面目に仕事やる気なんかないけど、映像のダウンロードだけは終わらせときたいから。
じゃ、かわいい奥さんによろしく。
岸崎は同僚に気がつかれないようにため息を吐くと、コーヒーの空缶を流しの下のクズ箱に放り込んだ。
<終>