おにぎり屋ふくふく|シャケは半分こ
その日、ふくふくには、いつもより香ばしい匂いが広がっていました。
焼いたシャケの、ほぐれるような香り。
「今日はシャケいっぱいだねぇ」
ふくさんが、ほかほかのおにぎりを並べていきます。
シャケ。 タラコ。 ツナ。 かつお。 梅。
湯気が、ふわり。
その瞬間。
クロの耳が、ぴくりと動きました。
長いしっぽも、ゆらり。
「見てる見てる!」
トラが、けらけら笑います。
「クロ、絶対シャケ食べたいんだ!」
まぐろも、楽しそうに目を細めました。
「今日は隠してないねぇ」
ミケは、やれやれという顔。
「ほんと分かりやすいわね」
シロだけは、静かに微笑んでいます。
クロは、そんな声なんて聞こえていないみたいに、じっとシャケを見つめていました。
ふくさんが、くすっと笑います。
「あとでねぇ」
「にゃ」
返事みたいに、クロが鳴きました。
そのときでした。
店の外から、小さな声。
――みぃ。
クロの耳が、もう一度ぴくりと動きます。
――みぃ……。
弱くて、頼りない声。
トラが、窓の方を見ました。
「なんか聞こえた!」
外を見ると、店の前の隅っこに、小さな子猫が座っていました。
まだずいぶん小さい。
毛並みは少し汚れていて、不安そうに体を丸めています。
「ありゃまぁ」
ふくさんが、そっと外へ出ました。
子猫は、びくっと体を震わせます。
クロも、静かに近づきました。
でも、すぐそばまでは行きません。
少し離れた場所で、じっと見ています。
子猫のお腹が、くぅ……と鳴りました。
トラが、小さく声を漏らします。
「お腹すいてるんだ」
まぐろも、しっぽを下げました。
「いっぱい我慢してたのかな」
クロは、子猫から目を離しません。
それから、ふいに振り返ります。
視線の先。
シャケおにぎり。
ミケが、目をぱちぱちさせました。
「……え?」
クロは、シャケおにぎりの前まで歩いていきます。
ふくさんは、何も言いません。
ただ、静かに見守っていました。
クロは、おにぎりをくわえます。
トラが、ぱっと顔を明るくしました。
「やっぱり食べるんだ!」
でも――
クロは、おにぎりをくわえたまま外へ向かいました。
子猫の近くまで行くと、その場に、ぽすんと置きます。
でも、すぐには離れません。
シャケの匂い。
クロは、少しだけ迷うみたいに、おにぎりを見つめました。
それから――
ぱくり。
「やっぱり食べた!」
トラが声を上げます。
まぐろが、くすっと笑いました。
「クロだもんねぇ」
クロは、満足そうにひとくち食べると、残ったおにぎりを子猫の前へ押します。
「……にゃ」
やわらかな声。
“食べていいよ”――そんなふうに聞こえました。
子猫は、おそるおそる近づきます。
くんくん。
それから。
ぱくり。
夢中で食べはじめました。
トラが、目をまんまるにします。
「クロ、半分こしたの!?」
まぐろも、びっくり。
「めずらしい……!」
ミケは、ふっと笑いました。
「ほんと、不器用なんだから」
シロは、やさしく目を細めます。
「優しいのよ」
クロは、知らないふりみたいに顔をそらしていました。
でも、しっぽだけが少しだけ得意そうに揺れています。
子猫は、最後のひとくちまで食べると、小さく鳴きました。
「……みぃ」
クロは、その声を聞いて、ゆっくり目を細めます。
それから。
「にゃ」
今度は、少しだけやさしい声でした。
夕方の風が、ふわりと通り抜けます。
ふくさんは、そんなクロを見ながら笑いました。
「おやおや」
「クロも、お兄ちゃんになったのかもしれないねぇ」
クロは、少しだけ照れたみたいに、ぷいっとそっぽを向きます。
でも――
そのしっぽは、ずっと嬉しそうに揺れていました。




