第9話「魂の呼び声、悪夢の奥底へ」
瑛心の願いが届いたのか、あるいは二人の魂の絆が奇跡を起こしたのか。
その夜、昏睡状態にあるはずの玲花の意識は、再びあの悪夢の世界へと誘われた。
しかし、いつもと様子が違う。炎も、剣戟の音も、悲鳴も聞こえない。ただ静かで冷たい闇が広がっているだけ。まるで悪夢の主が、その悪夢を見ることさえ拒絶しているかのように。
(陛下……?どこにいるのですか……?)
玲花が暗闇の中で呼びかけると、少し離れた場所で何かがぼんやりと光った。近づいてみると、それは幼い頃の瑛心の姿だった。彼は膝を抱えてうずくまり、ただ虚空を見つめている。
「陛下……」
玲花が声をかけると、彼はゆっくりと顔を上げた。その瞳には光がなかった。深い絶望と悲しみに満ち、まるで感情というものが抜け落ちてしまった人形のようだ。
「……君か。なぜ、ここにいる。もう、来るなと言ったはずだ」
「いいえ、来ました。あなたが、呼んだから」
「呼んでなどいない」
「いいえ。あなたの魂が、私を呼んでいました」
玲花は、彼の隣にそっと座り込んだ。彼を苦しめているのは、もうあの日の記憶だけではない。自分を助けるために玲花が毒を飲んだこと、その事実が新たな悪夢となって彼を苛んでいるのだ。
「あなたのせいではありません。私が、自分で決めたことです」
「だが、お前が傷ついたのは事実だ。俺が、お前を……」
「陛下」
玲花は彼の言葉を遮るように、その冷たい手を両手で包み込んだ。
「後悔している暇はありません。戦わなければ。全てを終わらせるために」
その強い瞳に、瑛心の虚ろな眼差しがわずかに揺れた。
「……戦う?どうやって。俺は、何もできなかった」
「いいえ、できます。あなたの記憶の中に、きっと犯人に繋がる手がかりが眠っているはずです。私に、もう一度あの日の光景を見せてください。あなたが見落とした何かを、私が必ず見つけ出します」
玲花の真剣な眼差しに、瑛心はしばらく黙っていた。やがて、彼は小さく頷いた。
「……分かった。だが、危険だ。悪夢の奥底は、俺自身でさえ完全に制御できるわけではない」
「覚悟の上です」
玲花が迷いなく答えると、瑛心は覚悟を決めたようにすっと立ち上がった。彼が手を挙げると周囲の闇が揺らぎ、まるで時間が逆再生されるかのように、あの日の燃え盛る宮殿が再び姿を現した。
ごう、と熱風が吹き荒れる。
「行くぞ」
瑛心は、玲花の手を強く握った。現実の彼は意識がないはずなのに、夢の中の彼は確かに玲花を守ろうとしていた。二人は手を繋いだまま、地獄のような記憶の中へと足を踏み入れた。
刺客たちがなだれ込み、父である皇帝が胸を貫かれる。あの日の光景が、スローモーションのように再生されていく。
「よく見ておけ、玲花。何か些細なことでもいい。気づいたことがあれば、すぐに言うんだ」
「はい……!」
玲花は目を皿のようにして、刺客たちの一挙手一投足を見つめた。彼らは皆、黒い覆面で顔を隠している。体格や剣筋から個人を特定するのは不可能に近い。
(何か……何か、あるはず……)
焦りが募る。このままでは、また何も見つけられずに終わってしまう。
その時、父帝に最期の一撃を加えた中心的な役割の刺客が、倒れた皇帝の亡骸を見下ろした。その男の腰元で何かがきらりと光ったのを、玲花は見逃さなかった。
「……あれ!」
玲花が指さした先には、刺客が腰に下げた小さな飾りがあった。翡翠で作られた、鳳凰の尾を模した根付のような装飾品だ。炎の光を反射して、不気味な輝きを放っている。
「鳳凰の尾……?」
瑛心が眉をひそめる。鳳凰は、皇族の中でも特に皇后や皇太后など高貴な女性を象徴する瑞鳥だ。
「あの紋様……どこかで……」
瑛心が記憶を探ろうとした、その時だった。
悪夢が二人の侵入に気づいたかのように、その様相を変え始めた。刺客たちが、一斉にこちらを向いたのだ。その覆面の下の目が、赤く爛々と輝いている。
「まずい……!」
悪夢が、自分たちを敵と認識した。刺客たちが、人間とは思えない素早い動きで二人に向かって殺到してくる。
「玲花、俺の後ろへ!」
瑛心は玲花をかばい、立ち向かおうとする。だが、ここは彼のトラウマが生み出した世界。彼の力は悪夢そのものによって封じられてしまう。体が思うように動かない。
刃が、すぐそこまで迫る。
もうだめだ、と思った瞬間。
玲花は、強く念じた。
(守りたい!この人を、今度こそ私が!)
その純粋な願いが、力になった。玲花の体から柔らかな光が溢れ出す。光は二人を包み込む温かい繭となり、刺客たちの凶刃をことごとく弾き返した。
「こ、これは……」
瑛心は、目の前の光景に息をのんだ。玲花の力が、悪夢の法則を書き換えている。
「……思い出しました」
光の中で、玲花が静かにつぶやいた。
「あの鳳凰の飾り……宴の夜、皇太后様が身に着けていらっしゃった髪飾りの紋様と、同じです」
「……!」
瑛心の脳裏に、記憶が蘇る。そうだ、確かにあの女は同じ意匠の装飾品を好んで身に着けていた。あれは、彼女の一族に伝わる特別な紋様。
全てのピースが、繋がった。
父を殺し、自分を傀儡にしようとした黒幕。それは、やはり――
「皇太后……!」
瑛心の口から、怒りに満ちた声が漏れた。
その瞬間、悪夢の世界がガラガラと音を立てて崩壊を始めた。真実にたどり着いたことで、トラウマの呪いが解け始めたのだ。
崩れゆく瓦礫の中、瑛心は玲花を強く抱きしめた。
「ありがとう、玲花。お前のおかげだ」
「陛下……」
「もう、大丈夫だ。必ず、現実の世界へ帰してやる」
柔らかな光に包まれながら、二人の意識はゆっくりと現実世界へと浮上していく。
長い夜が、明けようとしていた。




