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悪夢に苦しむ皇帝の寝間着を繕ったら、夢の中へ!?特別な侍女になった私の秘密の恋  作者: 久遠翠


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第7話「仕組まれた罠と、守るべき光」

「俺の女だ」という皇帝の言葉は、瞬く間に後宮を駆け巡った。

 それは玲花を皇帝の唯一の寵姫として公に認める宣言に他ならなかった。あからさまな嫌がらせは鳴りを潜めたが、代わりに水面下ではより粘着質で陰湿な嫉妬の渦が巻いていた。玲花は、日に日に強くなる息苦しさを感じていた。


(私は、陛下のお荷物になっているだけじゃないだろうか……)


 彼女の存在が、皇帝と他の妃たちとの間に決定的な亀裂を生んでしまった。政略結婚で嫁いできた妃も多い。彼女たちの背後には有力な貴族がいる。玲花一人のために国の政が乱れることだけは避けなければならない。

 そんな玲花の憂いをよそに、瑛心はこれまで以上に彼女を大切にした。昼間は政務の合間に彼女を気遣い、夜は夢の中で悪夢の残滓を共に払い、穏やかな時間を過ごす。

 夢の中の逢瀬は、二人にとって唯一安らげる時間だった。そこでは身分も立場も関係ない。瑛心は玲花の前でだけ、父を失った悲しみや皇帝としての重圧を素直に吐露することができた。玲花もまた、彼の孤独に寄り添い、その傷ついた心を優しく包み込んだ。

 二人の絆は日ごとに深く、そして確かなものになっていった。瑛心にとって玲花はもはや悪夢を癒すための道具ではない。失っていた人間らしい感情を思い出させてくれる、かけがえのない光そのものだった。

 しかし、光が強まれば影もまた濃くなる。


 ***


 二人の接近を、最も苦々しく思っている人物がいた。皇太后、張氏ちょうしである。先帝の側室から皇太后にまで上り詰めた彼女は、自分の息子ではない瑛心が皇帝になったことを快く思っていなかった。瑛心を意のままに操る傀儡かいらいとし、後宮、ひいては国全体を裏から支配することを目論んでいたのだ。

 だが、あの出自不明の針子が現れてから瑛心は変わった。氷のように冷徹で操りやすかったはずの皇帝が、人間らしい感情を取り戻し、自分の意志で動き始めた。これは皇太后の計画にとって由々しき事態だった。


「……あの娘、邪魔ね」


 豪華な宮の一室で、皇太后は毒々しい色の口紅が塗られた唇を歪めた。


「ええ。陛下は、あんな下賎の者にうつつを抜かして……。我々が用意した妃には目もくれません」


 側に控える、皇太后の腹心である重臣が同調する。


「陛下が目覚めてしまっては厄介よ。あの娘には、そろそろ消えてもらわないと」


 冷酷な瞳が、暗い光をたたえる。こうして、玲花を排除するための巧妙で悪質な罠が仕掛けられることになった。


 ***


 数日後、後宮で盛大な宴が催されることになった。

 表向きは豊作を祝うための宴だが、実際には各有力貴族が自分の娘である妃を皇帝にアピールするための場でもあった。玲花は瑛心付きの侍女として、その宴の準備を手伝っていた。

 その日、玲花は皇太后の侍女に呼び出された。


「皇太后様が、お前に宴で使う銀の杯を清めるよう、仰せつかっております。こちらへ」


 言われるがままについていくと、そこは食器などを管理する部屋だった。侍女は、棚から取り出した一つの豪奢な銀杯を玲花に手渡した。


「これは、宴で陛下がお使いになるものです。決して、粗相のないように」


 念を押され、玲花は緊張しながらも柔らかい布で杯を丁寧に磨き始めた。陛下が口をつけるものだ。心を込めて、綺麗にしなくては。

 その様子を、侍女が物陰から満足げに眺めていることにも気づかずに。

 そして、宴の夜がやってきた。

 きらびやかな広間に、美しい衣装を纏った妃や貴族たちが集う。玲花は、玉座に座る瑛心の後ろに緊張した面持ちで控えていた。

 やがて、宴もたけなわになった頃、皇太后がおもむろに立ち上がった。


「皆のもの、静粛に。今宵は、陛下のために特別な酒を用意いたしました」


 皇太后の合図で、侍女が盆に乗せた酒瓶と杯を運んでくる。その杯こそ、玲花が昼間、丹念に磨いた銀の杯だった。

 侍女が、杯に透き通った酒を注ぎ、瑛心へと差し出す。

 瑛心は、特に疑う様子もなくその杯を受け取ろうとした。

 その、瞬間だった。


「お待ちください、陛下!」


 叫んだのは、玲花だった。

 彼女の脳裏に、昼間の光景がフラッシュバックしていた。あの時、杯を磨いていると、ふと指先に微かな違和感を感じたのだ。杯の内側に、何か粉末のようなものがごく微量、付着していたような……。その時は気のせいかと思った。だが今、皇太后の不自然な笑みを見て、全てが繋がった。

 あれは、毒だ。


「何事だ、玲花」


 瑛心のいぶかしむ声。皇太后の顔が、わずかに引きつった。


「その杯を、お使いになってはなりません!どうか、信じてください!」


 玲花の必死の訴えに、場が騒然となる。


「何を馬鹿なことを言っているのです!この娘は、宴の席で陛下を侮辱する気か!」


 皇太后の侍女が、玲花を厳しく咎める。


「いいえ、違います!この杯には、毒が……!」


「黙りなさい!」


 皇太后が鋭く言い放つ。


「証拠もなく、そのような戯言を。陛下、この者は気でも狂ったのでしょう。さ、どうぞ、この酒を」


 皇太后は、自ら瑛心に杯を差し出した。

 瑛心は、玲花と皇太后の顔を交互に見つめ、その表情は読めない。

 絶体絶命。このままでは、陛下が毒を飲んでしまう。

 玲花は、覚悟を決めた。

 彼女は瑛心の手から杯をひったくると、中の酒を一気に自分の喉へと流し込んだ。


「……っ!」


 ごくり、と液体が喉を通る。その直後、胸のあたりを焼けるような激痛が襲った。


「ぐ……ぁ……っ!」


 視界がぐにゃりと歪み、立っていられなくなる。玲花は、その場に崩れ落ちた。口の端から、赤い血が一筋流れ落ちる。


「玲花っ!」


 瑛心の絶叫が、広間に響き渡った。彼は玉座から転がるように駆け下り、苦しむ玲花の体を抱きしめる。


「馬鹿者!なぜ、お前が飲んだ!」


「……へいか……ごぶじで……よかっ……た……」


 薄れゆく意識の中、玲花は安堵の笑みを浮かべた。愛しい人の、焦燥に満ちた顔を見つめながら。

 この人を守れたのなら、自分の命など惜しくはない。

 玲花の瞼が、ゆっくりと閉じられていった。

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