第11話「決戦は月の下で」
玲花が目覚めてから数日後の夜。
月が雲に隠れ、後宮が深い闇に包まれた、まさに暗殺にうってつけの夜だった。
玲花の部屋には彼女一人がいるように見せかけられている。だが、天井裏や床下、隣室には高順が率いる精鋭の兵たちが息を殺して潜んでいた。そして、瑛心自身もまた隣の私室で、神経を研ぎ澄ませながらその時を待っていた。
(……来る)
肌を刺すような殺気。瑛心は、そっと剣の柄に手をかけた。
玲花は、寝台の上で静かに座り目を閉じていた。恐怖がないと言えば嘘になる。けれど、それ以上に愛する人のために戦えるという高揚感が彼女の心を支えていた。隣の部屋には彼がいる。そう思うだけで、力が湧いてくるようだった。
その時、かすかな衣擦れの音と共に、黒い影が音もなく部屋に侵入した。覆面を被った、見るからに手練れの暗殺者だ。手にした短剣が、月明かりを反射して鈍く光る。
暗殺者は、寝台にいる玲花の姿を認めると、躊躇なくその距離を詰めた。狙いは、眠っている(ように見える)玲花の喉元。
刃が、振り下ろされる――その瞬間。
「そこまでだ!」
瑛心の鋭い声が響き渡ると同時に、部屋の扉が勢いよく開け放たれた。隠れていた兵たちも一斉になだれ込み、暗殺者を取り囲む。
「なっ……!?」
罠だと気づいた暗殺者は舌打ちをすると、即座に玲花を人質に取ろうと動いた。だが、それよりも早く、閃光のような速さで飛び込んできた瑛心の剣が、暗殺者の短剣を弾き飛ばしていた。
キン、と甲高い金属音が響く。
武器を失った暗殺者は体術で応戦しようとするが、高順をはじめとする兵たちにすぐさま取り押さえられた。
「見事な腕だ。皇太后は、良い駒を持っている」
瑛心は、剣の切っ先を暗殺者の喉元に突きつけ、冷ややかに言った。
暗殺者が捕らえられたのを見届け、瑛心はすぐに玲花の元へ駆け寄る。
「無事か、玲花!」
「はい、陛下。お見事でした」
玲花は、安堵の笑みを浮かべた。
その時、廊下の向こうからわざとらしい、甲高い声が聞こえてきた。
「まあ、夜分に何事ですの?」
現れたのは、侍女たちをぞろぞろと引き連れた皇太后だった。彼女は、捕らえられた暗殺者を見ると大げさに目を見開いてみせた。
「あら、まあ!曲者ですの?危ないところでしたわね、陛下。そして……玲花さん、あなたも」
あくまで、自分は何も知らないという白々しい態度。
だが、瑛心はもうその芝居に付き合うつもりはなかった。
「皇太后。茶番は終わりだ」
「……何をおっしゃっているのか、分かりませんわ」
「こいつがお前の手の者であることは分かっている。先帝陛下を暗殺し、俺の命を狙い、そして玲花を毒殺しようとした、全ての黒幕は、お前だな」
瑛心の言葉に、周囲の兵たちが息をのむ。皇太后は、扇子で口元を隠しくすくすと笑った。
「証拠でも、おありなのですか?陛下ともあろう方が、憶測で国母である私を罪人扱いするなど、あってはならないことですわ」
「証拠なら、ある」
瑛心は、高順に目配せをした。高順は、捕らえられた暗殺者の懐から一つの物を取り出して高く掲げた。
それは、翡翠で作られた鳳凰の尾の飾りだった。
「……っ!」
それを見た瞬間、皇太后の顔からついに笑みが消えた。
「それは……先帝陛下を暗殺した犯人が身に着けていた物だ。そして、お前の一族に伝わる紋様でもある。違うか?」
「そ、それは……この男が、私から盗んだものかもしれませぬ!」
なおも、しらを切ろうとする皇太后。だが、瑛心はさらに畳み掛けた。
「では、これはどうだ?」
瑛心が合図すると、隣の部屋から一人の役人が震えながら姿を現した。彼は、皇太后の一族の財産を管理する文官だった。
「申し上げます!張一族は、数年にわたり不正に蓄財を行い、軍の一部を密かに買収しておりました!これは、その証拠の帳簿にございます!」
役人が差し出した帳簿に、皇太后は完全に色を失った。
「お、お前……!裏切ったな!」
「もはや、これまでです、皇太后様……」
次々と突きつけられる揺るぎない証拠。観念したのか、皇太后は突然、狂ったように笑い出した。
「あははは!そうよ!全て、わたくしがやったことですわ!」
その顔には、もはや慈母の仮面はない。権力に固執する、醜い夜叉の顔があった。
「先帝も、そしてあなたも、邪魔だったのよ!この国は、わたくしのものになるはずだった!あんな出自の分からぬ小娘一人に、全てを狂わされて……!」
憎悪に満ちた目で、皇太后は玲花を睨みつける。
「お前さえいなければ……!」
逆上した皇太后は隠し持っていた短剣を抜き、玲花に襲いかかった。
「危ない!」
瑛心が玲花をかばう。だが、それよりも早く一筋の影が二人の間に割って入った。高順だ。
彼は、自らの腕を盾にして皇太后の刃を受け止めた。
「ぐっ……!」
「高順!」
兵たちが、すぐさま皇太后を取り押さえる。
「……もはや、申し開きはできまい」
瑛心は、憎しみを込めて元凶の女を睨みつけた。
「張皇太后、及びその一族を、国家反逆罪で捕らえる!一人残らず、牢へ叩き込め!」
皇帝の厳かな宣言が、静かな夜に響き渡った。
それは、長年にわたる悪夢と因縁に終止符が打たれた瞬間だった。
全てが終わり、瑛心は深く息をついた。そして、ずっと自分の隣で震えながらも気丈に立っていた愛しい少女の手を、強く、強く握りしめた。
長い、戦いが終わったのだ。




