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悪夢に苦しむ皇帝の寝間着を繕ったら、夢の中へ!?特別な侍女になった私の秘密の恋  作者: 久遠翠


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第1話「針子と皇帝の、悪夢の邂逅」

登場人物紹介


李玲花リ・リンファ

後宮の尚服局しょうふくきょくで働く下級のお針子。控えめで心優しい少女。自分が縫った布を身に着けた人の夢の中に入れるという特殊な力を持つ。その力により、皇帝・瑛心の運命に深く関わっていくことになる。


龍瑛心リュウ・エイシン

紫龍帝国の若き皇帝。眉目秀麗、文武両道だが、過去のトラウマにより心を閉ざし、冷徹な仮面を被っている。毎夜見る悪夢に苦しんでいたが、夢の中に現れた玲花の存在が、彼の唯一の救いとなる。


張皇太后チョウ・こうたいごう

瑛心の義母にあたる皇太后。表向きは慈愛に満ちた国母だが、裏では権力を掌握しようと画策する野心家。瑛心と玲花の接近を警戒し、二人を引き裂こうと様々な策を巡らせる。


高順コウ・ジュン

瑛心に幼い頃から仕える忠実な側近で、武官。口数は少ないが、主君のためなら命も惜しまない。玲花の存在に最初は懐疑的だったが、彼女が瑛心にもたらす変化を目の当たりにし、次第に認めていく。

 紫龍帝国の後宮は、花の園だ。

 色とりどりの絹を纏った妃たちが蝶のように舞い、蜜のように甘い言葉で皇帝の寵愛を競い合う。そんなきらびやかな世界の片隅に、尚服局しょうふくきょくはあった。妃や女官たちの衣装を仕立て、繕う場所。私、李玲花の職場であり、世界の全てだ。


 私の仕事は針と糸で布を紡ぐこと。そして私には、誰にも言えない秘密がある。

 私が心を込めて縫った衣を身に着けた人の夢に、眠ると入り込めてしまうのだ。

 といっても大した力ではない。夢の中で何かできるわけでもなく、ただぼんやりと他人の夢を覗き見るだけ。同僚の少女が見る故郷の夢、厳しい先輩女官が見る恋しい人の夢。それはほんのり温かくて、私の殺風景な毎日にささやかな彩りをくれる、小さな秘密だった。


 その日までは。


「玲花!急ぎの仕事よ!これを今夜までに」


 尚服局の長である女官長が、私の前に一枚の衣を広げた。息を呑むほど美しい、月光を溶かし込んだかのような乳白色の絹の寝間着。最高級の生地に、金の糸で繊細な龍の刺繍が施されている。


「こ、これは……まさか」


「そうよ。天子様がお召しになる御寝着おんしんぎよ。袖口がほんの少しほつれてしまったの。他の者には任せられないわ。あなたの腕は確かだから」


 天子様――この国の頂点に立つ、若き皇帝・龍瑛心リュウ・エイシン陛下。

 噂に聞く彼は、氷のように冷たく美しい方だという。先帝であった父君を目の前で暗殺された過去を持ち、そのトラウマから心を閉ざし誰も寄せ付けない。そして、夜ごと悪夢にうなされているともいう。


(私が、皇帝陛下の……?)


 心臓が早鐘を打ち、指先が冷たくなる。こんな高貴なものに触れることすら恐れ多い。けれど、断ることなどできるはずもなかった。

 私は震える手で針を取り、恐る恐る袖口のほつれに糸を通した。一針、また一針。陛下の安らかな眠りを祈りながら、全神経を集中させて丁寧に縫い上げていく。かすかに香る白檀の香りが、持ち主の高貴さを物語っていた。


 その夜。

 いつものように自室の固い寝台に潜り込み、私は疲労困憊で目を閉じた。すぐに意識が遠のいていく。


(ああ、今日はどんな夢を見るんだろう……)


 いつもなら、ふわりと温かい誰かの夢に漂うはずだった。なのに。


 気づくと、私は燃え盛る炎の中にいた。


「……え?」


 熱風が肌を舐め、パチパチと柱がはぜる音が耳をつんざく。鼻を突くのは煙と、そして生々しい血の匂い。周りでは黒い影たちが鈍い金属音を響かせながら斬り結んでいる。悲鳴と怒号が渦巻き、まるで地獄のようだった。


(痛い、苦しい、怖い……!)


 これは夢だ。分かっているのに、恐怖は本物だった。他人の夢のはずなのに、今まで感じたことのないほど鮮明で、五感を直接揺さぶってくる。

 あまりの恐怖に身をすくませていると、視界の隅に小さな影が見えた。

 炎に照らされた回廊の柱の陰で、小さな男の子が膝を抱えて震えている。まだ十歳にも満たないだろうか。豪華な衣服は煤で汚れ、整った顔は恐怖と絶望に歪んでいた。


(あの子は……)


 そして、彼は見てしまった。広間の中心で、煌びやかな衣装を血に染めて倒れる男性の姿を。その胸には、一本の凶刃が深々と突き立っていた。


「ちち……うえ……」


 幼い少年のかすれた声が、私の胸を抉る。

 ああ、そうか。この少年こそが若き日の皇帝陛下。そしてここは、彼が悪夢として見続けている、先帝陛下暗殺の現場なのだ。

 悪夢はさらに彼を苛む。血に濡れた刃を持つ覆面の男たちが、ゆっくりと少年ににじり寄ってくる。彼はもう声も出せず、ただ大きく見開いた瞳から涙をこぼすだけだった。


「やめて……!」


 気づけば、私は叫んでいた。

 夢の中では干渉できないはずなのに。この悪夢の強烈な絶望が、私の力の壁を突き破ったのかもしれない。

 私は震える足で少年に駆け寄り、その小さな体をかばうように彼の前に立ちはだかった。覆面の男たちは私が見えていないかのように、ただ皇帝陛下だけを睨みつけている。


「もう、この方を苦しめないで!」


 それでも、悪夢は止まらない。

 どうすれば。どうすれば、この人を救える?

 涙を流し続ける幼い皇帝陛下の、氷のように冷たくなった手を、私は無我夢中で握りしめた。


「大丈夫です。大丈夫……私が、ここにいますから」


 声が震える。けれど、できるだけ優しく、温かく。

 祈るような気持ちで、彼の手に自分の体温を注ぎ込む。すると、不思議なことが起こった。

 ごうごうと燃え盛っていた炎の勢いが、ほんの少しだけ弱まった。耳元で響いていた剣戟の音が少しだけ遠のいた。覆面の男たちの輪郭が、わずかに揺らいだ気がした。

 悪夢は消えない。けれど、ほんの少しだけ、ほんの少しだけ和らいだのだ。

 私はただ、ひたすらに彼の手を握りしめ続けた。夜が明けるまで、この恐ろしい夢の中で孤独に震える彼の唯一の味方でいようと、心に誓いながら。

 やがて東の空が白み始め、私の意識が現実へと引き戻されていく。薄れゆく視界の中で、幼い皇帝の瞳がわずかに驚きを映し、私を見つめたような気がした。

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