第46話 湖のほとりで
オリバーの父は仕事を抜け出してこっそりその様子を見に行く。
二年生になったオリバーのボート大会だ。
幼馴染のライトとの再会や、子供たちの真剣な姿が、昔の自分たちと重なっていく――。
――オリバー父、ボート大会見に行く――
オリバーが、今日はボート大会だと言っていた。
午前開始らしい。
仕事をなか抜けして、こっそり見に行くことにした。
妻にバレると、また怒られる。
愛すべき妻だが、怒ると怖い。
特に最近は仕事が立て込んでいて、少しイラついている。
去年は本当に忙しくて見に行けなかった。
だから今年は見たい。
息子の授業を見るのは、これが初めてだ。
成長が気になるのは、当然だよな。
小走りで湖に着く。
俺が子供の頃と、ほとんど変わらない風景だ。
もちろん、いるメンバーはほとんど分からない。
先生だって入れ替わっている。
知っている顔なんて、ないと思っていた。
「あれ?」
水際で競技を見ている男がいた。
あいつ。
見覚えがある。
まさか。
「ライトか?」
――思わぬ顔――
声をかけると、そいつは振り返って目を大きくした。
昔と同じ顔だ。
いや、さすがに歳は取っているが。
「おう。レフト!」
ライトの子供の名前は、レオだったか。
俺とライトは幼馴染だ。
仲が良すぎて、右と左――
つまりライトとレフトで呼び合うようになった。
大人になってもそのままだ。
だから本当の名前は、俺も、きっとあいつも忘れている。
「入学式以来だな。元気だったか!」
「息子のボートを見に来たんだ」
「俺もだ」
ライトが湖を指さす。
「あ、始まる。
……え? お前んとことチーム組んでるのか」
――昔話――
「俺たちの大会も、散々だったな」
ライトが言った。
本当に散々な学生時代だった。
ふざけてばかりで、いっぱい失敗して、よく怒られた。
それでもあの頃の俺たちは、本気で思っていた。
いつか村を出て、冒険者になるんだと。
「覚えてるぜ。お前、五年のとき、風魔法が相手チームに当たらなくてさ」
「うるさいなあ」
ライトの顔が赤くなる。
「いつもと違って、なんだ?って思ったらさ。向こうの女の子が可愛くて」
「もう、過ぎた話だろ」
「いいじゃねえか。今は愛しき妻だろ」
ニヤニヤしながら、からかう。
楽しい時間だ。
――オリバー達のボート――
いつの間にか、オリバーたちのボートは猛ダッシュで先頭に出ていた。
だが、案の定、上級生らしいボートから風攻撃を受ける。
「あーあー。定石だな」
「そこだ! レオ! いけ!」
二回ほど、強くボートが揺れる。
そこまでは普通だ。
ボートは、ひっくり返った。
終わる。
――そう思って見ていた。
「ん?」
目を細める。
いや、そんなはずはない。
風魔法で船が浮くなんて聞いたことがない。
見間違いかと思った。
でも、どこか、確かにボートの下の水が渦巻くような気配が見えた――。
遠くてはっきり見えない。
自分の目が捉えたものも不確かだ。
理屈で考えれば、ありえないはずだ。
でも、それ以上に――怪我がなければ、それでいい。
――父になっていた――
船は転覆した。
「やっぱりな。まあ、二年生の割には頑張った方だろ」
息子の様子も見られた。
さて、仕事に戻るか。
そう思って踵を返しかけたとき、ライトがまだ湖を見ていた。
「俺んちの子さ。毎日、夜に風魔法の練習してたんだ」
「レオの姉が見つけてさ。俺も確認した。毎日だぜ」
ライトは少し笑う。
「今は湖に落ちて笑ってるけど……
本当は、すごく悔しいんだろうな」
いつになく沈んだ声だった。
「えらい弱気だな」
――昔の言葉――
「悔しいだろうよ」
俺は言った。
「俺はお前に返すべきものを持ってる。
昔、お前に言われた言葉だ」
一呼吸おく。
「『悔しいから、次につながるんだ』。だろ?」
「お前に、何度も言われたんだ」
ライトは一瞬びっくりした顔をした。
そして、くしゃっと笑った。
「なんだよ。覚えてるのか」
「当たり前だろ」
俺は、それで何度も救われたとは言わなかった。
代わりに、肩を力強く叩いた。
――俺たち親バカ――
二人でしばらく湖を見ていた。
子供たちが笑っている。
俺たちも、あの頃、笑っていた。
「あいつらも、あの頃の俺たちみたいだな」
ライトが眩しそうに言う。
「あいつらも、俺たちみたいになるのかな?」
「バカだな。何言ってるんだ」
俺は笑った。
「オリバーは俺の子だ。
俺よりすごくなるぜ」
「お前もバカだ。とんだ親バカだ」
「ほんとだ。昔からバカだからな」
二人で大笑いした。
「やべ。急がないと。仕事途中だった!
じゃあな。奥さんによろしく!」
「おう。俺もだ。またな」
互いに手を上げて、それぞれの仕事へ戻る。
俺たちも父親だな、と思う。
知らないうちに育っていく子供が心配で、こうしてこっそり見に来てしまうなんて。
「さ。早く戻らないと。本当にばれて怒られるぞ」
自分に喝を入れて、走り出した。
妻にはその後バレていなかった。
コッソリ行けたことに胸を撫で下ろした。
まだ日差しは夏。
風は秋の気配こそないが、空は高い。
赤トンボが舞い、雲は羊雲になっていた。




