第33話 少し広い席
席は少し広くなっただけ。けれどアプリコットの香りに、オリバーの胸はざわめく――
二年生になったけど、特に変わったことはない。
席が少し隣に移動しただけだ。
昨日の市場の賑やかさや、母さんに抱きしめられた温もりを、胸の片隅で思い出す。
ちょっとだけ、心がふわっと軽くなる。
窓際の席、隣はレオ。そして今日も寝ている。
向こう側には――少し空間が空いている。
エリオットはいない。
春から来なくなった。家の都合らしい。詳しいことは、大人同士で話すらしい。
あいつはよく「暑い」「寒い」と言っていた。
本当に嫌だったのは、別のことだったのかもしれない。
日差しは柔らかくて眠くなる気持ちもわかる。でも、瞬発力ではレオに負けるから、学習くらいは頑張らないと。
ノア先生が歴史の授業で、この国の成り立ちについて話す。
村から出たこともほとんどない。徒歩や馬で移動するだけで、北の山脈の先に何があるかなんて関係ない。国境があるんだって。
…そうなんだあ。
「ここ、テストに出ますよ」
急に言われ、寝ていたレオは跳ね起きた。
「な、何?地震?」
椅子の音が教室に響く。
⸻
女神様の日、オリバーは父さん、母さん、ジャックと一緒に市場へ出かけた。
母さんがどうしても買いたいものがあると言う。
半日かけて歩くと、村とは違う賑やかさ。バザールのように店が軒を連ね、声が飛び交う。
「いらっしゃーい、安いよー!」
「おや、可愛い子だね、こんなのどうだい?」
母さんは中古服を手に取り、店の人に尋ねる。
「これはどこのもの?」
「北のバッシャからだよ。安くしとくよ」
ジャックは朝から何も食べていなかったので、アプリコットの山に目を奪われる。
「父さん、あれ、美味しそう」
「よし、買ってやるか」
母さんは来年用のオリバーの冬服も準備してくれる。
手袋も靴も一揃い。
「いつも手伝ってくれてるのは知ってる。助かってるの」
オリバーは母さんの胸に抱かれる。
体がふわっと軽くなる――息が詰まるほどの無重力感。
無条件の温もり。見守られている安心。
ジャック「僕も!抱っこして!」
父さん「俺も入れてくれよ!」
みんなで団子のようになってしまう。
「重いって!うわ、アプリコットの汁垂らしたのは誰?」
「父さんも気をつけて、その手ベタベタしてるよ」
「うふふふ」ジャックがオリバーを押しながら笑う。
街の人たちも振り返るくらい大騒ぎだけど、なんだか温かい。
こういう小さな幸せが、昨日の冒険や信頼とつながって積み重なっていくんだな、とオリバーは思った。
⸻
次の日。
レオの向こう側をちらりと見ながら、オリバーは昼食のアプリコットをかじる。
「あの子、あんなふうに抱きしめられたこと、あったのかな…?」
心の中でぽつり。あったらいいなあ、と思う。
アプリコットの甘酸っぱい香りが鼻をくすぐる。
柔らかな風が、今日も心地よく吹き抜けた。




