第16話 動いてしまう人間
残暑はまだ居座っていた。
石畳は熱を持ち、空気は重い。
校庭での風の実習のことを、オリバーはぼんやりと思い出していた。
――今に、集中する。
足の裏の感覚。
呼吸。
自分は、今、ここにいる。
そんなことを考えながら、家路を歩いていた、そのとき。
「うわっ――!」
短い悲鳴。
視線の先で、小さな子どもが石段を踏み外した。
転がる。
嫌な音。
体が、先に動いていた。
考えるより前に、駆け出していた。
「どいて!」
子どものそばに膝をつく。
顔は蒼白。
涙がにじむ。
「どこが痛い?」
足を押さえている。
触れる前に観察する。
変形は?
出血は?
意識ははっきりしている。
「足……いたい……」
ゆっくり触診。
疼痛部位の確認。
異常な可動。
指は動くか。しびれはないか。
――骨折の可能性。
深く息を吸う。
落ち着け。
今。
自分は何をする?
近くにあった木片を拾う。
服の裾を裂く。
添え木をあて、固定。
三角巾代わりに布を結ぶ。
「動かないで。これで少し楽になる」
子どもは小さくうなずいた。
ふう、と息が漏れる。
レントゲンもない。
確定もできない。
それでも。
固定は悪くない。
指の動きもある。
応急としては、まずまずだ。
その評価は、冷静にできる。
できた、という感覚。
その瞬間、気づいた。
……みんな、こちらを見ている。
ざわり、と胸が縮む。
――しまった。
やりすぎた。
つい。
良かれと思って、体が動いた。
今までも、あった。
視線が集まる。
期待と、好奇と、違和感。
そして――
評価は、されなかった。
少しずつ、距離ができる。
つらくなる。
普通は。
普通は、教会に連れて行く。
金を払って、治してもらう。
自分のやり方は、この世界でも異質か。
立ち上がる。
「……あとは、大人を呼んで」
それだけ言って、人混みから離れようとした。
「オリバー」
振り向くと、レオがいた。
「さっきの、何だよ」
「応急処置」
「オウキュウショチ?」
首をかしげる。
「ふーん。すごいな。でもさ」
レオは、まっすぐ言った。
「すごいのは、それを知ってることじゃない」
「すごい速さで、それをやったってことだよ」
胸が、わずかに詰まる。
「俺、見てたんだ。あの子が落ちるとこ。やべって思って」
「あ」
「そしたら、お前、もう駆け寄ってた。迷いなかった」
……考える前に、動いていた。
咄嗟だった。
「でも、すぐ教会って手もあった。余計なこと、したかも」
声が少し低くなる。
レオは、即座に首を振った。
「いや。しちゃったんだろ」
それだけで、十分だと言うみたいに。
「なあ。何で沈んでるのか知らないけどさ。あれは良かったことだ」
「何もしないで教会行ったら、金貨一枚は取られるぞ」
少し笑う。
「少なくとも、俺がケガしたら、教会の前にオリバー呼ぶからな」
「頼むぞ。もう頼んだからな」
それは――
ずっと一緒にいる、という意味じゃないか。
動いていい、と。
そう言ってくれた。
……ああ。
自分は、ああいう時に動く人間でいい。
違っていても。
やり方が少し変でも。
助けたいと思ったなら、動いていい。
それだけなのに。
視界が、少し滲んだ。
残暑の風が、頬をなでる。
今。
自分は、ここに立っている。
選んで、立っている。
――逃げたくはない。




