第七話「最後の告白未遂。そしてプロポーズの返しは――」
――何度未遂を繰り返せば、想いは伝わるのか。
それはもはや、誰にもわからない。
王宮の夕景が、茜に染まり始めたころ。
クラリス・エヴァンスはまたしても「告白」の準備を整えていた。
「これが、ほんとうの……最後の作戦ですわ」
窓辺に腰掛け、そう呟くその横顔には、もはや緊張も焦りもない。
あるのはただ、静かな決意と――少しの照れ。
「“殿下を婿にもらう”なんて言ってましたけれど……結局のところ、わたくしはただ、あの人にもう一度、ちゃんと想いを伝えたいだけだったんですのね」
リサは、何も言わずにそっと彼女の背を撫でた。
「ならきっと、今回はちゃんと届きますわ。おふたりとも、ようやくここまで来られたんですから」
「ええ。次に未遂だったら、もう本気で逃げますわ」
軽口を交えながらも、クラリスの足取りは真っ直ぐだった。
向かう先は、王宮の離れ――誰にも邪魔されない、小さな音楽室。
一方その頃。
同じように意を決した男がいた。
アレクシス・ルヴァン・フレイアス殿下は、真新しい上着の襟を整えながら、控え室の鏡を睨んでいた。
「……今日は、先に言う」
決意は揺るぎない。
いつも“同時”だった。毎回、言葉が被った。間が悪かった。タイミングが逃げた。
だが今日は――“先に言う”。
「カイル」
「はい、殿下」
「クラリスに会う前に、確認だ。花は?」
「こちらに。例の野の花、今朝摘みたてを……」
「よし」
殿下はそれを受け取り、胸に小さく挿した。
白い小花。“想いを隠す勇気”。
それを今度こそ“想いを明かす花”に変える時が来たのだ。
音楽室。
厚いカーテンが差し込む光をやわらかく受け止め、部屋全体が琥珀色に染まっていた。
クラリスは、鍵盤の蓋を開け、何気なく指を置く。
かつて学んだ曲の一節をぽつぽつと弾きながら、扉が開くのを待っていた。
そして、静かにノック音。
「……クラリス。入っても?」
「どうぞ、殿下」
扉が開かれる。
そこに立つ彼は、いつもより少しだけ緊張した面持ちで、それでも――優しく微笑んでいた。
「音楽の時間に、招かれるとは思っていなかったな」
「ふふ。王子を婿に迎えるには、多少の“おもてなし”も必要ですから」
「……そのつもりで来たのか?」
「さあ、どうでしょう」
交わす言葉は軽やかだ。だが、心の奥では互いに覚悟を決めている。
クラリスは立ち上がり、殿下の前へと進む。
「殿下。今日こそ、お話がありますの」
「奇遇だ。私も、君に伝えたいことがある」
また、被る。
……ふたりの間に、沈黙が走った。
「……」
「……」
「……先にどうぞ」
「すまない。今日は私が先に言わせてもらう」
その言葉の響きが、空気を変えた。
クラリスが小さく頷くと、アレクシスは一歩前へ進んだ。
「私は……ずっと、君が“私を選んでくれる日”を待っていた」
「……!」
「婚約を破棄したのは、王子としての務めでも、政略でもない。“君を縛りたくなかったから”だ」
淡く、けれどまっすぐな声。
「そして――もし君がもう一度、“私”を見てくれるなら。私は喜んで、君の婿になろう」
「……っ」
胸がいっぱいになる音が、はっきりと聞こえた気がした。
クラリスはゆっくりと目を閉じ、静かに笑った。
「……それは困りましたわね」
「え?」
「だって、それは――わたくしが伝えようとしていたセリフ、ですもの」
ふたりは、同時に吹き出した。
どちらが先でも、どちらが主でも構わない。
心は、とうに通じ合っていたのだから。
夜。
王宮の中庭にて、リサとカイルが祝杯を挙げていた。
「ついに……ついに……!」
「長かったですねぇ……未遂地獄……!」
「これで晴れて、“逆プロポーズ完遂”ですわ!」
「いえ。もはや“同時プロポーズ成功”といったところですな」
杯を打ち合わせ、ふたりはほろりと涙を流す。
そしてその後日。
王都全体を包み込むような、前代未聞の結婚報告が発表された。
『アレクシス殿下、元令嬢クラリス・エヴァンス嬢と婚約再締結。かつ“婿入り”形式での結婚を希望』
『令嬢の逆プロポーズ、成功!』
笑いと祝福と、少しばかりのざわめきに包まれて――
“恋の未遂劇”は、ついに幕を下ろした。