第六話「暴走クラリス、貴族たちを論破する」
婚約破棄から一か月と少し。
王都では、ある“再燃した噂”が貴族たちの間でささやかれていた。
「第二王子殿下が、平民落ちの元令嬢と、再び縁を結ぶらしい」
「あのエヴァンスの娘が……? 冗談でしょう」
「何か裏があるに違いないわ。王子を言葉巧みに――」
醜い嫉妬、計算高い推察、名誉の傷と“身分”に対する執着。
それらすべてが、王宮晩餐会という舞台の上に、まるで毒のように漂っていた。
晩餐会の会場は、王宮最大のホール「クリスタリアの間」。
白金と瑠璃のシャンデリアが頭上に輝き、集まるのは王国の政財界を代表する貴族たち。
その中央。
クラリス・エヴァンスは、群衆の視線を一身に集めながら、堂々と歩を進めていた。
纏っているのは、深紅のドレス。
落ちぶれた令嬢が着るには不相応なはず――だが、彼女にはそれが当然に見えるだけの“風格”があった。
侍女リサは会場隅で拳を握りながら呟いた。
「……完全に、戦う覚悟の顔ですわ……!」
カイルが頷き返す。
「さて、どちらが先に殿下を“自慢の旦那様ですの”と言うか、見ものですな」
案の定、会場には“噛みつきたがり”の貴族令嬢が群れていた。
「まあまあ、クラリス様。今日はまた豪華な装いで。平民にはお高いでしょうに?」
嘲るような声が、周囲から漏れる。
「ええ。おかげさまで、身一つでも“嫁ぎ先”の一つや二つ、引き寄せられるようになりまして」
「まあ!」
「もっとも、“殿下ご自身が”引き寄せられたのでしたら、わたくしの努力など些細なことですわ」
言葉が、まるで剣だ。
言外に、「彼が私を選んだのよ」と言ってのけた。
「で、ですが! クラリス様はすでに爵位を失われ、身分としては――」
「“身分”という言葉が、そんなにも貴女方の武器ですの?」
クラリスはふわりと笑う。その笑みは決して侮辱ではなく、静かに相手の“矛盾”をえぐる。
「でしたら、その身分に頼らず、殿下の心を得た者がいるという事実は、貴女方にとって脅威ではなくて?」
「……っ!」
「私は、“貴族だから”殿下に選ばれたのではありません。“クラリス・エヴァンス”だから、ですわ」
言葉に嘘はなかった。
彼女の誇りは、過去の伯爵家にではなく、自らの選択と生き方にあった。
ざわめきが広がる。
その場にいた貴族たちの何人かが、静かに息を呑み、舌を巻いた。
(……やるわね、クラリス)
会場の奥からアレクシスがその様子を見守っていた。
彼女の姿は、あの頃の令嬢ではなかった。
“王子の花嫁候補”ではなく、“王子に選ばれた女性”として――
そして宴も終盤。
クラリスが席を外したタイミングで、ある侯爵婦人がアレクシスの元へ歩み寄った。
「殿下……あの令嬢、本気でお選びになったのですか?」
「本気でなければ、彼女を“自由に”する理由はないでしょう」
「ですが、あの方は……貴族としての後ろ盾も、財力も……」
「それが必要ですか?」
「……?」
アレクシスは、ゆっくりと立ち上がった。
「この国の未来を支える者にとって、必要なのは、勇気と信念と、他人に惑わされぬ眼差しです。そして、彼女はそれを持っている」
きっぱりとした声。誰にも揺るがせない意志がそこにあった。
「……王子ではなく、一人の男として。私は、彼女を誇りに思う」
会場の片隅。
リサとカイルは、またもハンカチを濡らしていた。
「おふたりとも……まぶしすぎますわ……!」
「このままでは、次は“逆披露宴開催作戦”を立案せねばなりませんな……!」
深夜。
王宮の庭園で、クラリスとアレクシスが二人きりで向き合っていた。
「……怒っていないか?」
「え?」
「今日、あの場で“自慢の婚約者です”って宣言しようと思ったのに、君の方が遥かに堂々としていて、機会を逃した」
ふっとクラリスが笑う。
「まあ、それは次の“偶然”のときにどうぞ」
「では、君のほうから言ってくれても構わない」
「……あら、殿下ったら。女に言わせようなんて、ずいぶん図々しいことを」
冗談混じりのやりとり。
だけどその言葉の下に、確かな未来が息づいていた。
夜の風が、優しく二人の肩を撫でる。
その静けさの中で、次なる舞台の幕が上がろうとしていた。