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第五話「婚約破棄の真相、そして計画の一部だった?」

 婚約破棄という言葉には、どうしても“捨てられた側”の影が付きまとう。


 だが、それが真実であるとは限らない。


 王宮の奥、宰相も入れぬ小部屋の書斎にて――

 アレクシス・ルヴァン・フレイアスは、ただ一人、静かにペンを走らせていた。


 書かれているのは“公務日誌”。

 だが、行の隙間には時折、“彼女”に関する小さな記述が混ざっている。


『視察先にて、クラリス嬢と遭遇。偶然か否かは問わない。表情が明るかった。よし。』


『再び邂逅。花言葉の話。あれほど流暢に花言葉を語る令嬢は、他にいないだろう。』


『……次こそは、こちらから。』


 最後の一文には、うっすらとインクのにじみがある。

 逡巡した証拠だ。


 カイルが扉をノックする音も、今は遠い。


 アレクシスの脳裏には、あの日の情景が蘇っていた。




 一か月前——


 エヴァンス家の没落が王家に伝わった、その翌日のこと。


「クラリス嬢の件ですが――」


 侍従が言いかけた瞬間、アレクシスは手を挙げて制した。


「必要ない。すでに知っている」


 重ねて告げられたのは、彼女の父親が投資で失敗したこと、伯爵家としての資産が傾いたこと、領地がすでに王都に返還されたこと。


 つまり、彼女は“王家にとっての価値”を失ったということだ。


 周囲の助言は一様に「婚約の見直し」だった。

 兄王太子も言った。


「情は捨てろ、アレクシス。国のためだ」


 アレクシスは、すぐには何も返さなかった。


 ただ――夜、誰もいない廊下で、クラリスからもらった小さな栞を取り出し、指先でなぞった。


(……君が“私”を選んでくれたように。今度は、私が君を“選ばせる”)


 だから、彼は“婚約破棄”という選択をした。


 形式的には「一方的に破棄」したように見せかけて――

 実際は、王家の庇護という枷からクラリスを“解放”したのだ。


 彼女が自分の足で、どこへでも歩いて行けるように。

 自らの意志で、自らの未来を選べるように。


 そしてもし、再びその先に“自分”を選んでくれるのなら。

 それこそが――


「……真の答えになる」


「殿下、そろそろ次の会議に……」


 カイルの声に、アレクシスはふと現実に戻る。


「……ああ、すまない。すぐ行く」


 席を立ちかけて、足を止める。


「カイル……彼女は、“気づいて”いるだろうか」


 その問いは曖昧で、答えようのないものだった。

 だが忠臣は、一瞬の迷いもなく口を開いた。


「おそらく、いずれ。クラリス様は、聡い方です。……ただ、“想い”というやつは、時に理性よりも盲目ですから」


「……ふ。まさに今の私がそうだな」


 アレクシスは微笑みながら、扉の向こうへ歩み出た。



 ***



 一方、クラリスは王都の街中にいた。


 “偶然を装った遭遇”が失敗続きであったことから、今回は方向を変え、“過去の記録”を洗い直すという作戦に出ていた。


「リサ、図書室の調査記録は?」


「はい! 王宮南図書塔で、殿下が婚約破棄を申し出た当日の書簡記録が見つかりました。……これです!」


 差し出された写しには、たしかに彼の筆跡があった。


『エヴァンス家の令嬢クラリスとの婚約破棄を希望する。これは王家の意志ではなく、あくまで私個人の願いである。』


『ただし、令嬢の名誉と自由が損なわれることのないよう、王家としての支援は継続してほしい。』


 ――そこに、クラリスは愕然とした。


(……名誉と自由。わたくしの……?)


 彼は、ただ切り捨てたわけではなかった。

 自分の名誉を守るために、あえて“悪役”になっていたのだ。


 王子としてではなく、“一人の男”として。


 ふいに胸が熱くなる。


「リサ……わたくし、殿下のこと、何も見えていませんでしたわ」


「いえ、違います……! 気づいたなら、それで十分です!」


 クラリスはぎゅっと手を握りしめ、心に問いかける。


(もう、迷ってはいけない。わたくしは、選ぶ)


(この手で、もう一度――この人を)


 その夜。


 王宮の礼拝堂裏。

 昼の陽気とは一転、夜風はやや冷たい。


 だが、そこに佇むアレクシスの瞳は、春のように柔らかい。


 そして――彼のもとへ、また“偶然”の名を借りた少女が現れる。


「……殿下。少し、よろしいでしょうか」


「もちろん」


 静かに並ぶ二人。


 今日は、どちらも口ごもらなかった。


「私、ようやくわかりました。“婚約破棄”の本当の意味を」


「……ああ」


「ならば、今度はわたくしが選びます。……アレクシス殿下、いえ、“あなた”を、もう一度」


 小さな声だったが、はっきりと届く言葉だった。


 そしてアレクシスは、そっとポケットから、あの一輪の花を取り出す。


 白く、小さな、でも真っ直ぐな野の花。


 その花を、彼女の髪にそっと飾りながら、言葉を重ねた。


「君が選んでくれたのなら。……今度こそ、君を手放さない」


 二人の手が重なったその瞬間、王宮のどこかで応援団ふたりが感極まってハンカチを濡らしていたことは、また別の話である。


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