第三話「告白のタイミングが悪すぎる件について」
恋とは、機がすべて――などと、どこかの恋愛指南書に書かれていた気がする。
クラリス・エヴァンスは今、その「機」というものがいかに儚く、容赦なく、そして腹立たしいかを痛感していた。
「……っ、く……はあ……これは……運命の悪意……っ!」
春風が吹き抜ける馬車の中。
彼女は座席の背に額を押しつけて呻いていた。白く整えられたカーテンが揺れ、外の景色が陽光にきらめいているというのに、当の本人は頭を抱えている。
隣に座るリサは、沈痛な面持ちでため息をついた。
「……未遂、ですわね」
「未遂どころか……未発進ですわよ……」
それは数十分前のことだった。
午前の公務の後、アレクシス殿下が王都南部の視察へ向かうという情報を得たクラリスは、従者カイルに取り入り、まんまと同じ馬車に相乗りすることに成功した。
(よし。今回は、絶対に成功させる)
馬車の中で二人きり。ほかに気を散らすものはない。
こんなに絶好の告白タイミング、今後そうそう得られるものではない。
クラリスは胸に手を当て、深呼吸を繰り返した。
(落ち着いて。優雅に、そして真っ直ぐに伝えれば――)
馬車は小道に差しかかり、ゆるやかにカーブを曲がっていく。
「殿下、あの……私、お伝えしたいことが――」
その瞬間、轍が石を踏み外した。
ゴッ。
「きゃっ……!?」
車体が大きく傾き、クラリスの身体は横に投げ出された。
「――っ!」
彼女の肩を支えたのは、すぐ隣にいたアレクシス殿下だった。
両腕でしっかりと彼女を抱きとめたその姿は、まるで絵画の一幕のように美しい。
……が、クラリスの脳内はそれどころではなかった。
(ち、近っ!?)
頬が触れるほどの距離。眼前にある睫毛の長さが、数を数えられるほどはっきりと見える。
「……だ、大丈夫か?」
「っ……あ、えぇ、その……!」
(いやちがっ、今はそういう意味のドキドキじゃなくて……!)
何も言えぬまま馬車は元に戻り、殿下もそっとクラリスの肩を離した。
そしてそのまま、到着した。
――結果:告白失敗。
「……殿下の胸元の刺繍、……あんなに綺麗に見えるものだとは知りませんでしたわ」
「もう告白でも何でもありません、それ」
リサがしみじみと呟いた。
「もうこうなったら、場所を変えましょう。落ち着いた場所で、誰にも邪魔されず、雰囲気が良くて、かつクラリス様が緊張しないような場所で……」
「礼拝堂」
「えっ」
「王宮礼拝堂なら、午後は人が少ない。殿下も日課で祈りを捧げている。雰囲気も静かで、妨害もない」
「それって……完璧なタイミングじゃありませんか!」
「ええ……三度目の正直、というやつですわ」
クラリスの瞳に、再び炎が宿る。
「次こそ――決めてみせますわ!」
***
そして数日後、午後の王宮礼拝堂。
人の気配はほとんどなく、厚い扉を抜けると、石造りの空間には静謐な空気が漂っていた。
陽光は高窓から斜めに差し込み、金と白の装飾が鈍く輝いている。
クラリスは深く息を吸い、祭壇の前に座る王子に歩み寄った。
彼の後ろ姿は静かで、荘厳で、美しかった。
(今度こそ。ここなら……)
彼女は一歩一歩、慎重に距離を詰めていく。やがて殿下が彼女の気配に気づき、ゆっくりと振り向いた。
「クラリス。君も祈りに?」
「いえ、今日は……別の用事で参りましたの」
まっすぐに彼を見つめる。
言葉が喉元まで来ている。
あとは、声に出すだけ。
(殿下。私はあなたが――)
「――ではここで、天の恵みと赦しを説きましょう。第一章、神の慈愛について」
「…………」
神官の声が、どこからともなく響いた。
どこから湧いたのか知らないが、隅にいた老神父が、自らの説教タイムを始めていた。
クラリスの口元がぴくりと震える。
その後、殿下は律儀に全部聞いて帰っていった。
――結果:三度目の未遂。
その夜、クラリスの部屋。
「この国……“愛の告白”に対する妨害が多すぎませんこと……!?」
「もう誰かが邪魔してるとしか思えませんわ……!」
二人で頭を抱えてうずくまる。
だが次の瞬間、クラリスは再び立ち上がった。
「けれど……私は諦めません。この程度でくじけるほど、甘くはありませんのよ。次は――」
「――“庭園の花嫁大作戦”、ですわね!!」
「……そのネーミング、なんとかならないのかしら」
少女たちの挑戦は、まだまだ続く。
そして王宮の片隅で、アレクシス殿下は、次なる“偶然”を密かに心待ちにしていた。