第二話「婿取り作戦・第一弾!――でも会話が噛み合わない」
作戦開始から二日後。
クラリスは、自室の全身鏡の前で難しい顔をしていた。
青銀色のドレスに身を包み、巻き上げた髪には月光石の簪。
仕立て直した平民用のワンピースは、貴族社会で「庶民的」とされるラインを計算してデザインされている。
無駄に華美にならず、でも王子の視線を惹く程度の美しさは維持――
その全てが「計算尽く」だ。
「……ふふ。完璧ですわ」
鏡に映った自分に満足げな笑みを向け、クラリスはくるりと回る。
侍女リサは、その姿に感動すら覚えていた。
「すごいですわ令嬢様……じゃなかった、今は“元”令嬢ですけれど……! それでも貴族令嬢にしか見えませんっ!」
「よし、では作戦を開始するわ。ターゲットは“王宮庭園”。殿下は朝の視察の後、必ずあの場所で小休憩をとる。そこを狙うのよ」
「はいっ、“偶然の遭遇”ですねっ!」
「ええ。“自然に、軽やかに、でも印象に残るように”。基本よ」
リサが真剣にメモを取っている。もうすっかり“逆プロポーズ応援団”である。
***
そして、王宮庭園。
アレクシス殿下は、いつもの石造りの長椅子に腰掛け、紅茶を楽しんでいた。
春の風はやわらかく、花々は咲き誇り、空は穏やかだった。
そんな中、軽やかな足音と共に、彼女は現れた。
「……あら、これは奇遇ですわね。殿下」
クラリス・エヴァンス。
かつての婚約者。今はただの“元貴族の平民”。
そのはずなのに、その姿にはまったく“落ちぶれた”印象はない。
「クラリス。これはまた、見事な偶然だな」
アレクシスの声は柔らかく、どこか楽しげだった。
だがクラリスは、その笑みの裏を探るような鋭い視線を向ける。
(落ち着きすぎてる……これ、本当に婚約破棄した側の反応?)
「……いえ、偶然ではありませんわ。お話ししたくて、参りました」
「ほう」
アレクシスは紅茶のカップを傾け、優雅に彼女を見上げた。
クラリスは、やや緊張気味に距離を詰める。
「殿下。私は、先日の件について……決して恨んではおりません。むしろ感謝しておりますの。おかげで、私は自分の人生を再び選ぶ自由を得ました」
「……それは良かった。君の笑顔が見られて、私も嬉しい」
(あれ? もっと“気まずさ”とか、“戸惑い”とかあると思ったのに……)
「それで、実はお願いがありまして」
「お願い?」
殿下は微笑を浮かべたまま、頷く。
「はい。あの……その……」
(落ち着いて、クラリス。ここが“第一波”。このセリフさえ言えれば……!)
「私を、お嫁に――」
その瞬間。
「殿下ー! お薬のお時間です!」
「……っっ」
医師団の一人が、走って庭園に現れた。
クラリスの言葉は、まさに語尾の“に”あたりで寸断された。
アレクシスはふと顔を逸らし、医師に軽く手を上げて応じる。
「わかった。今行く」
……去っていくその後ろ姿を見送りながら、クラリスは肩を落とした。
「……未遂、ですわ」
「れ、令嬢様ァァァ! 惜しかったですぅぅぅ!」
物陰に隠れていたリサが涙目で走り寄ってくる。
何やってるのこの侍女、とクラリスが突っ込む暇もなく、次の作戦会議が即座に始まる。
***
一方。
アレクシスは屋敷の裏手、廊下の陰でふっと息を吐いた。
「……あれは、まさか“プロポーズ”しかけられたのか?」
「……ように見えましたね、殿下」
カイルがいつの間にか背後に立っていた。
「まさかクラリス嬢が、あのタイミングで……」
「いや、まったく……可愛い人だな、本当に」
口元には、ほんの少し、噛み殺すような笑み。
「さて、次はどんな手で来るのか……楽しみだな」
***
その夜、クラリスの作戦帳には、新たな文字が記されていた。
【失敗】プロポーズ未遂(薬時間乱入)
→次回案:「偶然の手紙」「馬車の同乗」「礼拝堂での再会」
「次こそ、絶対に仕留めますわよ。殿下……覚悟なさい」
クラリスの目が、勝負師のように鋭く光った。