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7 シエラの咎

本日3回目の投稿です

ようやくヒロイン登場です

でも主人公との絡みはもう少し先になります


※シエラ視点

 診療所の白壁には、光を模した紋章が刻まれていた。神聖教会直属の施設。その中庭に面した治療室で、シエラは淡く光る魔導書クラリス・コードを手にしていた。


「深呼吸……っと、よし」


 袖をまくる。透き通るような肌に、薄金色の光が宿る。彼女の掌には治癒魔法陣が浮かび、魔力に呼応して脈打つように光を放つ。

 対象の患部に手をかざせば、熱も痛みもゆるやかに和らいでいく。

 本来ならば、それは詠唱によって発動されるものだった。だが彼女は、詠唱せずに治癒魔法を発動させ、ただ静かに魔力を流していた。


「次の片の準備をお願いします。あまり重い症状は……」


 小声で受付に声をかけかけた、そのとき。

 診療所の扉が、音を立てて開かれた。冬の風が吹き込み、埃っぽい空気が室内に流れ込む。


「た、助けてくださいっ……!」


 駆け込んできたのは、ボロ布をまとった若い獣人族の母子だった。幼い少年の右腕からは鮮血が滴り落ちている。


「こ、この子が、壁の崩れたとこでっ、瓦礫に、腕を挟まれて!」


 そう泣きながら叫んだ。肩で息をし、目は恐怖に見開かれていた。診療所の職員たちはその姿を見るなり、露骨に顔をしかめた。


「よそに行ってくれ。ここは教会の施設だ。民間の施療院なら――」

「でも……血が止まらないんです、このままじゃ――!」


 少年は唇を噛み、呻き声を上げながら母にしがみついていた。傷は深く、骨の一部まで見えていた。止血すらままならない状況だ。

 誰もが躊躇う中、シエラだけが、一歩前に出た。


「……ベッドに寝かせてください。そっとお願いします」

「え、でも、あなたは――」

「私が治療をします」


 そう言いながら、シエラは膝をついて少年の傍らに身を寄せた。すぐに治癒魔法を展開する。


「……痛いのは、すぐに治るから。じっとしててね」


 子どもは怯えながらも、こくんと小さく頷いた。

 光が彼女の手から流れ出す。深く刻まれた傷に、淡い光が染み込み、肉と血管が結び直されていく。小さな身体が震え、やがて苦痛の呻きが止んだ。

 沈黙が訪れる。


「……すごい、傷が……」


 母親が呆然と呟いた。血の気が引いていた顔に、かすかな安堵が浮かぶ。職員たちは物陰でひそひそとざわめき始める。


「聖女候補が、あんな卑しいものに……」

「まずいんじゃないか? あれ、確か聖典の……異種族非対応規定に……」


 シエラは、それを聞いていた。だが動じなかった。目の前の命が救われたという事実だけを、ただ見つめていた。


(困っている人を助けなくて、何が聖女候補……?)


 形ばかりの祈り、権威だけの称号。そんなものに意味があると、どうして言えるだろう。

 教会の求める聖女と、彼女が目指すものは、違うのかもしれない。


「終わりましたよ。あとは安静にして。無理はさせないであげて」


 少年に優しく微笑むと、彼は小さな声で「ありがとう」と呟いた。

 その瞬間だった。


「おい、見たぞ! あの娘が異端に手を貸した! 獣人族を――あの汚らわしい異種族を治療していたんだ!」


 周囲の空気が凍りつく。男の声は通行人の耳にも届き、騒がしくなった通りには、いつの間にか人だかりができていた。


「神聖なる治癒を、奴ら獣風情のために使うなんて正気の沙汰じゃない! 信仰を穢す裏切りだろう!」


 男の叫びに呼応するように、数名の信徒が駆け寄り、口々に非難の声を上げ始める。誰一人、獣人族の親子に目を向ける者はいない。いや、あったとしても、それは侮蔑の視線だけだった。


「す、すみません……っ、本当に……わたしたちが、悪かったんです……!」


 獣人の母親は顔を伏せ、泣きながら頭を下げ続ける。震える肩を抱きしめるように、子供もまた必死に謝罪の言葉を繰り返していた。

 ――謝る必要なんて、どこにもないのに。


 シエラはその姿を、拳を握りしめて見つめていた。だが声をかけるより早く、鉄靴の音が響いた。


「シエラ様」


 無機質な声が、背後から届く。振り向けば、そこには全身を白銀の甲冑で固めた騎士たち――光ノ騎士団の姿があった。五名。いずれも神聖教会直属の処理部隊であり、『粛正』を任とする者たち。全員が兜を着用し、その表情をうかがうことはできなかった。


 隊長格と思しき青年騎士が感情を感じさせずに言葉を続ける。


「神聖教会は、貴女に事情聴取の必要があると判断しました。至急、聖塔ソフィエルへ同行を願います」


 彼らの手には拘束具はなかった。だがそれは、不要という判断のもとだ。それは、抵抗の余地すらないという意味だった。


「お、お待ちください、彼女は、何も……!」


 獣人の母親が震える声で叫ぶ。その目には、恐怖と困惑、そして自責の色が滲んでいた。だが、その声は騎士たちの耳には届かない。


「私は大丈夫です。これ以上は傷つけられるかもしれません。早く帰ってください」


 シエラがそう告げると、獣人族の母子は一気に青ざめ、黙り込むしかなかった。少年がシエラを見上げる。何か言おうとしたその唇が、恐怖に震え、声にならなかった。


(私が、あなたたちを守れないせいで……)


 胸が、締めつけられる。

 シエラは歩み寄り、少年の頭をそっと撫でた。


「……泣かないでね。あなたの傷は、もう癒えたから」


 少年が小さく頷く。涙に濡れた瞳に、忘れない光を残すように?

 光ノ騎士団が剣を抜く前に、母親はシエラに頭を下げ、診療所を出ていった。


「さあ、行きましょう」


 自ら騎士団の前に歩み出たシエラは、凛とした声で告げた。聖女候補としての威厳ではなく、一人の人間として、選び取った決断だった。

 騎士たちはそれを見て頷き、静かに進み出す。


 診療所の前に残された者たちは、誰一人として彼女を止めることはなかった。信徒たちは満足げにうなずき、職員たちは視線を逸らし、獣人族の母子だけが遠くから祈るように彼女の背を見つめていた。


(これが、正義の名を掲げた場所の姿なのですね……)


 白光に照らされた聖塔ソフィエルが、遠くに見えていた。その純白の塔は、今や彼女にとって、ただの裁きの場にすぎなかった。

シエラパート、しばらく続きます

次回投稿は本日午後9時の予定です

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