表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/148

2 処刑台の目覚め

10話目くらいまでは1日3回の投稿予定です

本日1回目の投稿です

 ――意識が、浮かび上がる。

 ど果てのない闇の底から、意識が引き上げられていくようだった。遠くで、ざわつくような声が聞こえた。男の叫び、女の悲鳴、ざわざわという騒めき。


 それらが遠くから耳に届くたびに、ノイズのように頭の中を掻き乱してくる。


「……っ、あ……」


 喉が焼けるように痛む。乾いていて、ひとつ息を吐くだけで肺に針を刺されたような感覚が走る。

 自分がどこにいるのかも分からない。だが、肌に触れる空気は冷たく、かすかに石の匂いと血の臭いが混じっていた。


 まぶたが、ゆっくりと持ち上がる。

 眩しい光に目を細めながら、歪む視界に焦点を合わせようと目を凝らす。


 ぼやけた視野の中に、無数の人影が揺れていた。

 周囲には大勢の人。その顔には、歓喜と興奮、あるいは恐怖が浮かんでいた。


「……何だ、この……」


 体を動かそうとするが、関節が鈍く、指先すら満足に動かせない。

 身体が重い。

 まるで、借り物の体に閉じ込められたかのような異様さだった。」


 ようやく焦点が合いはじめ、少しずつ周囲が見えてくる。

 自分が横たわっているのは、木製の台。壇上、そこは明らかに何かの式典、あるいは儀式に使われる場であり、四方から視線を集める構造になっていた。


「処刑台……?」

 

 ゼギスは、かすれた声で呟いた。

 高台の正面には玉座。

 そこに鎮座する男の姿が目に入った。


 金と紅の織り交ぜられた王衣、背筋を伸ばし静かに佇むその人物には、威光と冷酷が同居していた。

 目元に宿るのは、民を見る王の視線ではない。

 『敵』を見下ろす者の目だった。


「……人間族の王、か」


 目を少し横に向けると、王の傍らには一人の騎士が控えていた。

 身に纏うは青銀の重装鎧。大剣を背に隙のない立ち居振る舞い。軍の長か、それに近い地位の男だろう。

 目線は鋭く、こちらを一瞬も逸らさず見据えている。そのまなざしには、任務以上の警戒と敵意が宿っていた。


 さらに周囲には、白装束の法衣を纏った一団と神官のような者たち。

 まるで、宗教儀式でも始まるかのような荘厳さが、そこにはあった。


(……いや、違う。これは――処刑の儀式だ)


 人々の視線はすべて、自分に向いている。

 呆然とした目、恐れを孕んだ目、あるいは怒りに満ちた目。

 しかし最も多いのは、処刑を楽しむような、歪んだ好奇心に満ちた瞳。


 観衆は数百は下らない。

 これだけの人数が『処刑』の瞬間を見届けるために集まっていたのだ。


「ふざけた見世物を……」


 ゼギスは低く呟く。

 そして、ふと気づいた。

 自分の身体に――異常がある。


 腕は細く、筋肉の感覚が乏しい。体格も以前より明らかに小柄で、力が入らない。重心の位置が異なり、微かに動く際の感覚も違う。


 ――この体は、自分のものではない。


 胸に手を当てる。心臓は、確かに動いている。

だが、これは『元の体』ではない。肌の色も違えば、骨格も違う。

 この体は――人間族のものだ。


 周囲で騒ぐ人間族たちの声に「ゼギス」というものが混ざっている。


「ゼギス……俺の名だ」


 馴染みがある名前。かつて、そう名乗っていた。

 魔王ゼギス=ノクターリス。かつて魔人族の頂点に立ち、そして討たれた者。


(だが俺は、死んだはずだ)


 あの時、確かに……勇者の剣が、心臓を貫いた。

 すべてが終わり、意識が消えた。


「……なぜ俺はここに……?」


 そこで、騎士の怒声が処刑台に響いた。


「……動いたぞッ!」


 その瞬間、観衆がざわついた。目の色が一気に変わる。期待、恐怖、混乱、そして……絶叫。


「なっ……今、死んだはずじゃ……!」

「バケモノだ!  魔獣だ、そうに違いない!」

「殺せ!  殺しきれていないぞ!」


 歓声が悲鳴に変わった。

 兵士たちが一斉に武器を構え、処刑台の周囲が騒然とし始める。

 神官らしき者たちも詠唱を始める。

 空気が刺すように緊迫し、まるでこの場すべてが『処理のための儀式』へと移行するかのようだった。


(……死を逃れた『死者』は、処刑をやり直す。それがこの国のやり方か)


 ゼギスは立ち上がる。

 足はおぼつかないが、背筋だけは真っ直ぐに伸ばす。逃げ道を、探さねばならない。


 生き延びる道を探さねば。

 再び殺されるわけにはいかない。


「――さて、騒がしくなってきたな」


 小さく呟き、彼は視線を処刑台の外に向けた。 

 騎士たちが殺到する前にこの場を抜け出す。

 そう判断した瞬間、ゼギスは走り出した。

 ふらつく足取りでも、今はただ、生きるために。


 動け。

 逃げろ。


 思考より先に、身体が動いた。

 ふらつく足を無理やり地に着け、ゼギスは処刑台の端に向かって突き進む。

 背後では、騎士たちが叫びながら剣を抜き、観衆が恐慌状態に陥っていた。


「止まれ! 動くな!」

「奴は死んだはずだ!」

「聖なる炎で焼いたはずだ、なぜ……?」


 その声が、広場中に波紋のように拡がる。

 誰かが悲鳴を上げた。それを皮切りに、ある者は逃げ出し、ある者は腰を抜かした。


 民の足がもつれ、叫びが混じる混沌とした光景。

 その中心に立つゼギスの姿は、まさしく『死者が蘇った』という恐怖の象徴だった。


(混乱している……今なら抜けられる)


 崩れかけの体を無理やり動かし、ゼギスは処刑台の縁から飛び降りた。

 着地の衝撃で足首が悲鳴を上げる。

 かつてのような柔軟性も力強さもない身体――だが、今は気にしている余裕はなかった。


「貴様、止まれッ!」


 騎士たちが迫ってくる。

 だが彼らもまた、観衆に押し寄せられて動きが鈍っていた。

 ゼギスは地を蹴り、瓦礫の陰、壁のくぼみ、人の流れを縫うように走り抜ける。

 重い衣服が足に絡み、視界はまだ完全には戻っていない。

 それでも、動かねば死が追いついてくる。


 ――そのときだった。


「っ……あぶないッ!」


 目の端に、危機の気配が走った。


 上空から、崩れかけの足場の柱が音を立てて落下しようとしていた。

 誰かが逃げ出す際に引き倒したのだろう。大人の腕ほどもある太い木柱が、ゆっくりと、だが確実に落ちていく。


 その落下先に、ひとりの少女がいた。

 まだ幼く、五、六歳といったところだ。

 恐怖に足がすくんだのか、悲鳴も上げず、ただ柱を見上げて立ち尽くしている。


(間に合うか――)


 ゼギスの思考は、一瞬だけ止まりかけた。

 助ける価値があるか?

 今は自分の身が先ではないか?

 そんな計算が、脳裏を過ぎったのはほんの一瞬。


「どけえッ!!」


 足に全力を込め、彼は地を蹴った。

 まるで魔王だった頃のように、咄嗟の判断と瞬発力で少女に飛びかかる。


 肩で彼女の身体を弾くように押し飛ばす。

 その瞬間、背後で木柱が轟音を立てて地面に激突した。


 土埃が舞い、破片が飛び散る。

 倒れ込んだゼギスの背中を、木のささくれがかすめていく。

 焼けるような痛みが走るも、それ以上に胸に残ったのは――安堵だった。


「生きてるか……?」


 押し倒された少女は、泥だらけになりながらこちらを見上げていた。

 瞳が震えている。


「女の子を襲ってるぞ!」

「人質にする気だ!」


 ゼギスは無言で立ち上がる。

 血に濡れた手を見て、ふっと息を吐いた。


「……愚かな選択だったな」


 誰に言うでもなく呟いたその声には、かすかな皮肉と、どこかに温かみがあった。

 そして――その隙は長く続かなかった。


「そこだ! 逃がすな!」

「包囲を広げろ、あの男を確保しろ!」


 兵たちの声が再び近づく。

 混乱していた広場が、少しずつ秩序を取り戻し始めていた。


(……急がねば)


 ゼギスはもう一度、少女の無事を確認すると、何も言わずに踵を返して走り出した。

 少女が小さく「ありがとう」と呟いたのを背に受けながら――


 背後から音が近づく。

 騎士の靴音、金属のぶつかる音、地を蹴る音。

 ゼギスはそれらをすべて振り切るように、身を翻し、通路の影に滑り込む。


「こっちに入ったぞ! 包囲しろ!」


 怒号が後ろから聞こえたが、視線をそらせばすぐに見失うような路地を縫い、ゼギスは走り続けた。

 壁の陰や建物の隙間を利用し、わずかな隠れ場所を探して。

次回投稿は7/19正午の予定です

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ