後編
私たちは箱馬車に乗せられ、王都の外へと出ていく。
箱馬車には、私たち以外にも不安と期待を瞳に浮かべた子供達がいた。
まだ奴隷商のことを普通の優しい商人と勘違いしているのだろう。
王都の外に出たあたりで、箱馬車の中に甘い香りが充満した。
眠り薬だな。
ニコラスと目配せしあい、眠ったふりをする。
ここはまだ王都に程近い。ここで事を起こすのは得策ではなかった。
眠ったふりをしている間に、手枷、足枷が嵌められる。
意外なことに、隷属の首輪はなかった。
あれは値段が高いから、子供だったら調教して洗脳した方が安上がりか。
しばらく馬車で王都を離れるまで待っている間、徐々に子供達が目覚めてくる。
そうなったらもう、阿鼻叫喚。
混乱した子供達が騒ぐが、助けてくれる人なんているわけもない。このまま隣国まで街道を抜けて、売り飛ばされるのがオチだろう。
まあ、そうはならないんだけどね。
子供達を殴りつけて大人しくさせようとしている奴隷商人の側頭部を、踵で蹴り抜く。
手枷と足枷? ああ、関節を外してもう取っちゃった。そのぐらい出来なきゃ暗部から逃げるなんて到底無理よ。
御者台では同じく拘束を外したニコラスが御者の男を昏倒させている。そのまま手綱を奪い取り、街道を駆けていく。
ひとまずこのまま国を出るのは決定事項だった。
「な、な、なんなんだよ! お前ら!」
あっという間に奴隷商人を制圧した私たちに、子供達が怯えた目を向けてくる。
「別に。こいつらは奴隷商人だから倒したってだけ。あんた達全員孤児?」
もし拉致されて連れてこられた子供がいたら面倒だ。親が国に届出などをするかもしれない。
「俺は、孤児だけど……」
僕も、私も、と声が上がる。少なくとも親族に探されそうな子供はいないようだった。
さてこの子供達をどうするか。ひとまず手枷足枷を外しながら思案する。
適当な孤児院に放り込んでもいいけれど、そこで足がつくのは困るな。
私たちはこのまま帝国の関所を避けて山道から帝国領に入り、人手の足りない開拓地に入り込み、そこで奉公先を見つける予定だった。
前回の生で隣国の開拓地の事情も把握している。この時代であれば得体の知れない孤児でも喉から手が出るほど欲しいはず。特に開拓地の鉱山は、狭い坑道で働けるのは華奢な男か子供と相場が決まっていた。
私たちなら危険な鉱山でも死にはしない。
子供達の存在は厄介だ。
敵ならば今でも容赦なく屠ることができる。奴隷商人はこのまま山に埋める予定だった。
だけれど、特に恨みもない子供を殺すのは、洗脳の解けた今となっては躊躇われる行動だった。
「ニコラス、どうする」
ひとまずニコラスの意見を聞く。
「この時代であれば辺境に廃絶した教会があるはずだ。そこに潜り込んでしまおう」
隣国で潜入工作をする際の根城にしていた廃教会か。
確かにあそこなら、新たに慈善家が孤児院を立てたとでも嘯けば疑われることはあるまい。
確かあの建物は権利を持っていた司祭が死んで宙に浮いているはず。適当に証書は偽造すればいいか。
院長は奴隷の女でも買って来て据えてやればいい。なに、ただの木偶人形でも果たせる役割だ。
金なら奴隷商人の懐にたんまりと残っていた。
こいつも闇魔法で洗脳すれば生かしたまま使えるか?
いや、足がつくのはまずいな。やっぱり殺そう。
私たちはある程度街道を行ったところで、山道に逸れた。そこで馬車は乗り捨てて燃やしてしまう。馬はもったいないけど殺して食べた。子供が裸馬に乗って行っても悪目立ちするだけだ。
それに食糧も不足している。私とニコラス以外に、奴隷として買われた子供達が3人いた。
奴隷商人と御者は山奥の方に引きずっていって埋めた。
本当は海にでも放り投げる方がバレにくくていいのだけれど。土に埋めると死体は腐るのが遅くなる。
せめて個人を識別できないように顔の皮を剥いでから埋めることにした。
木の根が邪魔をして深い穴は掘れない。魔法で無理に掘れば土砂崩れの契機となる危険があった。これでは魔物が掘り返して喰うかも知れないが、それはそれで証拠隠滅になっていい。
「ひいいぃ」
間近で見ていた子供達が恐怖のあまりか粗相をした。
別に見せたくて見せているわけではないんだけど、私たちのことを知られている相手を野放しにするわけにはいかない。
「恐るな。恐れは体を鈍らせる。お前のように守る大人のいない子供がそれでは、一瞬で喰いものにされるぞ」
剥いだ顔の皮を適当に小さくちぎって放り捨てた。
「ここからは徒歩での山越えとなる。途中で死んだら放り捨てていく。倒れても捨てていく。死にたくなかったら死ぬ気でついてこい」
それから私たちは黙々と道なき道を歩いた。
夜間の警備は私とニコラスで代わる代わるやった。途中、一番年長の少年——カルロというらしい——が強くなりたいというので、稽古をつけてやった。
他の子供達、エミリーとジョセフも同様に言ってきたので、稽古をつける。
彼らは私たちと違って魔術の素養はない。だが、戦力になるならそれはそれに越したことはない。
山の中で修行しながら進んでいるうちに、彼らも小さな猪ぐらいなら素手で屠れるようになってきた。
山を越えたら隣国の街についた。
この国では奴隷は合法だ。院長に据える奴隷の女を用立てるため、奴隷屋に立ち寄ることにした。
カルロ達はニコラスに任せ、闇魔法で大人の女の姿に変装した。
長くは持たないため、移動の歩法で印象に残らない程度に急ぎつつ、奴隷屋に入る。
「いらっしゃい、どんなのをご用命だね」
「性奴隷はいらっしゃるかしら。主がご所望でね」
目が死んでいて無気力な女がいい。余計なことはせず、ただ木偶人形として院長の座に座る女。
……ちょうどいいのが居た。
虚な目をしているが、理性までは失っていない。言えば返事もするし、指示通りに動ける。
「これを下さるかしら」
「これでよろしいので? もう少し生きがいいのもいますが」
「顔立ちが主人の好みだと思うの、これで」
そう言って購入する。思ったより安上がりで済んだ。比較的若く顔立ちも悪くないがが、完全に目が死んでいるから割引価格なんだろう。
「ついてこい」
奴隷の女を引き連れ、裏路地に入っていく。
「無事に買えたみたいだね」
裏路地の奥で待っていたニコラスが気絶した男を縛り上げながらそういった。
……チンピラに絡まれたか。
「カルロの対人戦にちょうど良かったよ。人間相手は初戦だから少しまだ課題はあったけれど」
「俺だってもうそれなりに戦える」
とはいえまだ生け捕りだ。殺しを経験したわけじゃない。
いや、わざわざ殺しを経験させる必要はないのか。ここは暗部ではないし、私たちは暗部の教官ではないのだから。
気絶した男を適当に放って、私たちは街の外壁に開いた小さな穴から街を出る。
女が華奢で良かった。大人は通れるか否かギリギリのところだったから。
女はなにを指示しても黙って従った。まあちょうどいい。
私たちはまたひたすら山道を歩いて、辺境の街を目指した。
途中途中、宿場町や山麓の農村などに立ち寄って衣類や塩などを手に入れた。
成人した女がいると親子のふりができてちょうどいい。
しかし、最初に女に母親のふりをしろと言った時は泣き崩れて困った。
以前の主人に子を取り上げられて殺されたのだという。それで無気力になったため飽きられて売られたのだとか。そりゃあ性奴隷が孕めば面倒がられて子など殺されるだろう。
とはいえ、どんな事情があれど使えるものは使わせてもらう。仕方なく女には歳の離れた姉を演じさせた。
そうして私たちは辺境の街までたどり着いた。半年ほどかかったが、その間に私たちの体も成長し、街に紛れやすくなったのでちょうどいい。
廃教会は狙った通り、適度に廃れた形で打ち捨てられていた。所有者の司祭はもう死んでいる。親類縁者もいないはずだ。あとは適当な羊皮紙でも買って偽造書類を作っておけばいいだろう。
「親切な慈善活動家の方が新しく孤児院を作ってくださることになったのです。よろしくお願いしますね」
それなりに見目の麗しい女が、教え込んだセリフを街の顔役に言って挨拶する。
女はやけに張り切っていた。行軍の過程でエミリーやジョセフが懐いていたが、それからというもの、女の目は息を吹き返していた。
街の顔役がガタガタ抜かすようなら弱みを握って脅すつもりだったが、女の熱意もあってか、そのような仕事はしなくて済んだ。
「ナターシャ、ようやく落ち着いたね」
「ああ、ニコラス。お前が以前の記憶を取り戻してくれて助かった」
「うん、全て覚えているよ。僕はずっとこうやって君と暮らしてみたかったんだ」
私たちは穏やかに暮らした。穏やかすぎて、勘が鈍るのが不安になるほどの期間を。
そうして私たちは成長し、カルロやエミリー、ジョセフも孤児院を巣立って行った。
カルロが商売に成功して、なぜか孤児院に寄付をし続けたため、その廃教会の孤児院は私たちが成人した後も自動的に続くことになった。
私たちは前回の生で死んだ年齢を大きく越えて共に暮らしていた。聖女が教会の名声を上げ、王国が帝国に併呑された後も、やたら穏やかに人生は続いていった。
そうして年老いた最期の時。
——悪魔が現れた。
「ごめんね、ナターシャ。僕は君と普通の人生が送りたかった。だからあの時、君が聖女の光に飲み込まれた時、人生をやり直したいって、死後の魂と引き換えに悪魔と取引したんだ」
もう君とは一緒にいられないよ。そう寂しそうにニコラスは呟いた。白髪の増えた髪がその瞳に影を落としている。
「なら、私も悪魔と契約しよう。悪魔よ、私とニコラスが永遠に共に在れるようにしろ」
『よかろう。お前達の魂は永遠に共にある。俺の腹の中でな』
そう言って悪魔は嗤った。
私もまた、満足げに微笑んだのだった。