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7話「ブラック修行」


 弟子入りから3日。


 鍛冶見習いの朝は水汲みからはじまる。

 朝、というか、仕事にとりかかるのは夜明け前だ。


 川の水場から桶に水を汲み、それを鍛冶場まで運び水槽に貯める。


 水場は鍛冶場から近いけど、階段を上り下りすることになる。

 鍛冶場では大量の水を消費するから、何往復もするとかなりの重労働だ。



 水汲みが一段落したら、つぎは工房の掃除。


 ギルドマスターの工房なだけあって、ワグネリア工房は街一番の大工房らしく、めちゃくちゃ広い。


 わたしが配属された第2鍛冶場だけでも学校の体育館くらいのスペースがあるし、工房全体の敷地は小さめの学校くらいの広さがある。


 広すぎだろ……と初めて見たときに思ったけど、働き始めてみると、ちょっと納得した。


 ワグネリアほどの大物の工房ともなると、実際に学校でもあるのだ。

 大勢の弟子が働きながら技術を学び、その多くは敷地内の寮に住みこんでここで生活する。



 驚いたことに工房の各施設は伝声管でつながれていた。


 伝声管というのは、一言でいうと金属性の糸電話。

 内線電話みたいに使えるので、敷地が広くてもスムーズに連絡を取り合うことができる。


 魔術かなにかで技術を水増ししているのかもしれないけど、こんな技術力があるなら水道くらい作ってくれよ、と愚痴を言いたくなる。



 掃除が終っても休む暇はない。


 こんどは石炭運びが待っている。

 これがまた重労働だ。


 鍛冶炉は燃料の石炭がなければ動かないので、神(職人)たちが御光臨されるまえに石炭を運び入れておく必要がある。


 日が昇るとともに職人たちが出勤してきて、炉に火がはいり、本格的に工房の仕事がはじまる。

 すると、あっという間に大量の水と石炭が消費される。


 それを補充するのはとうぜん下っ端、つまり末弟のわたしだ。



 水運び、石炭運び、そして掃除。


 朝から夕方までほとんどこれだけしかやってない。

 2日目の朝は全身が筋肉痛でバキバキになってしまい、ベッドから体を起こすのも一苦労だった。


 もちろん、技術なんてまったく学んでない。

 なにしろ炉に近寄らせてもらえないのだ。


 あ、もう1つ大切な仕事を忘れちゃいけない。



 怒鳴られることと殴られることだ。



 用があれば怒鳴られるし、用がなくても怒鳴られる。

 仕事をサボっていれば怒鳴られるし、がんばっていても怒鳴られる。

 ……どうしろってんですかね。



「おいケラァ!!!」



 コーマックの野太い怒号がビリビリと響いた。


 ケラ、とはわたしの愛称である。

 あんまりかわいくはないかな。


 なんでも「虫ケラ」の略らしいから。



「ンでこんなとこに金テコが転がってンだ! 炉で焼きいれちまうぞてめェ!!」



 さっきあんたが放り投げたからっしょ、なんてことは言わない。

 初日になんの気なしに口答えをして殴られたからだ。


 頭頂部をコツン、とかじゃない。

 顔面ゴッ!! てやつ。

 本気の殴打である。


 コーマックは人間の中年男性で、この第2鍛冶場で飛び交う怒号と暴力の9割を担当している。

 驚くことに、わたしはコーマックを知っていた。


 そう。

 ギルドへ行くときに道を教えてくれた一見親切っぽい鍛冶師のおっさんだ。


 外面だけはやたらといいサイコなやつってのはいるけど、ここまであからさまに豹変するのは珍しいんじゃないだろうか。


 かわいがってやる、とか言ってたけど、こういうことだったのね。

 ふふ、相撲の世界みたいで笑える。


 いや笑えねーよ。



 このクソ野郎はなにか気に食わないことがあるといちいち手を止めて怒鳴るし、とくに理由もなく殴る蹴るの暴行をしてくる。


 昨日なんか昼食に支給されたパンを地面に放り投げて渡しやがった。

 食べたけど。


 ふーふーして食べたけど。

 じゃないと体がもたない。


 そりゃ、ぺーぺーのわたしが、ギルドマスターのワグネリア親方じきじきにご指導していただけるとは思っていなかった。


 それは想定済み。

 多少の重労働も、どやされることも想定済み。


 けど、ボコボコに殴られるのはさすがに想定外だ。



 毎日宿に帰るたびに生傷が増えていくわたしを見て、ウサギが引いてた。



「に、人間の鍛冶修行とはたいへんなものなのじゃな……」



 ちがうって。

 こんなん修行じゃないし、ブラック職場とすら言えないって。


 だって、シンプルに暴力事件……。



 それでも、わたしはバイオレンスコーマックに怯えて技術習得を怠っていたわけではない。


 ちゃんと暇な時間を見つけてはハンマーの素振りをしていた。

 ハンマー捌きは鍛冶師の基本だからね。


 そのおかげで、だいぶフルスイングが上達してきた。

 たぶん、やつの後頭部をヤルときにはいい感じの打撃を見舞える気がする。


 もうガツーンとね、延髄のあたりを直撃するイメージはできてる。

 へへへ……。



 そんなミスターパワハラ野郎なコーマックは、信じられないことにワグネリア親方の一番弟子なのだ。


 この業界で一番弟子といえば「弟子入りが早い」という意味ではなく、「もっとも優れた弟子」という意味らしい。


 アンビリーバボー。


 すでにひとり立ちして自分の工房を持っているのに、なんの用があるのか、毎日現れてはパワハラの嵐を吹かせる。


 すくなくとも後進の指導のためではないね。


 とくにわたしは目の敵にされた。


 女だからなのか、それとも弟子入りするには年齢がいきすぎているからなのか、単に生理的に気に食わないのか、理由はよくわからない。


 というか、パワハラの理由なんてどうでもいい。

 たとえ危篤のおっかさんのためにやっているんだとしても、情状酌量の理由にはならねえ。



「おいケラァ!!! 炭運んどけつったるるぉうが!!!」


「……でもさっき、ここに運べって」


「ケラがちょまえに口きいてんじゃねェ!!!!」



 殴られた。


 歯が折れた。


 限界。

 や、さすがに、限界です。


 炭運べって?


 いいだろう、運んでやろうじゃないか。

 どの炭をどこへ運べ、とは言わなかったな。


 わたしは炉に歩み寄る。


 炉のなかで煌々と赤熱している石炭を1欠片、火バサミでつまみ上げた。


 それから、こちらに背を向けて怒鳴り散らかしているコーマックに近づき、服の後ろ襟をつまんで引っ張った。



「ホットな炭、お待ちどうさまでーす」



 そのまま、火バサミに入れていた力を緩めた。

 アツアツの石炭が落ちていく。


 ジューッとね。



「……ッ!?」



 コーマックは一瞬びくっと反射したあと、急にバタバタし始めた。



「ぬわーーーーーーーーーん!!!! とって! とって! はやくとってッ!」



 極上のサウンドと炭火焼肉の香しい匂いが室内に満ちていく。


 うーん。

 今日はいい仕事をしたなぁ!




―――




 というわけで、脱走した。


 3日間のつらく苦しい修行のおかげで、いろんなことを学んだ気がする。

 とくに、徒弟制の修行はわたしにとって意味がない、って。


 だいたい、偉そうに一番弟子ヅラしてるクソ野郎にしたって『一般修復』しかできないザコだ。


 あんなザコ職人、『鍛冶の神』スキル持ちのわたしがへりくだって教えを乞うような相手じゃない。


 心残りがあるとすれば、ワグネリア親方の予言通り3日で逃げだしたことだが、やってしまったことはもうしょうがない。


 わたしはなにも無計画に脱走したわけじゃない。

 ちゃんと計算はある。


 まず、たった3日とはいえ、いちおうギルドに登録して弟子入りもした。

 きちんとした手順を踏んだのだから、これで「わたしはギルド員である!」と正当性を主張することができるはず。


 コーマックは、手もよく出たけど、よくしゃべるヤツだった。


 だーれも聞いてないのに、やれ「どこそこの旦那にごひいきにされてる」だの、「一流冒険者パーティーのメンテを任されてる」だの、自慢話のオンパレード。


 ほんとうによくしゃべりやがった。

 口を縫い合わせるために裁縫の練習をしようかと思ったくらいだ。


 耳が腐り落ちてしまうかと思ったけど、おかげで有益なことも聞けた。



 ミルトン鍛冶ギルドは、ギルドに所属してない鍛冶師が街で商売することを「闇営業」として禁じているけれど、べつに罰則はないらしい。


 兄弟子たちにそれとなく聞いてみたところ、法に照らしても法的拘束力はないらしい。



「おいウサギ! 罰則がないなら、わたしはなんのために殴られてたんだよッ!」


「ご、ごめんなのじゃ……そこまでは知らなかったのじゃ……殴らないでほしいのじゃ……」



 怯えてぶるぶる震える小動物。


 ハッと気づくと、わたしは拳を握りしめていた。

 いかん、パワハラの連鎖が始まってる!


 罰則がないなら、闇営業扱いされることを気にする必要はない。


 終了!

 職場体験終了!



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