100話「襲撃4」
カルバニア王国王都カルバン某所。
薄暗い密室で数人が密談していた。
「セイダールがやられただと! それはまことか!?」
身なりがよくでっぷりと肥えた中年の貴族が怒声をはなった。
雇い主のわめき声がやむのを待ってから、ジャックは耳を塞いでいた手を離した。
「確かです。監視が言うにはクロスボウでやられたと。一撃だったそうで」
「バカな! セイダールに弓矢は効かぬはずだ!」
「妖術でも使ったんでしょう。なにしろ相手は魔女ですから」
雇い主はわなわなと全身を震わせる。
また癇癪を起こしそうだな、とジャックはうんざりしながら耳を塞ぐ準備をした。
金払いはいいが、気が小さくていちいちわめくのがこの中年貴族の欠点だ。
予想に反して、雇い主は何度か深呼吸をすると、落ち着きを取り戻した。
「ふんっ。だがセイダールは我が手駒の中でも最弱。まだ慌てる時間ではないわ」
「いえ、セイダールは正道派剣術の達人なんで、上から数えたほうが早いです。つかほぼトップです」
「そ、そうなのか?」
「間合いに入ってくる飛び道具を全部斬っちまうやつですよ? そんなやつ王国広しといえど何人もいませんぜ」
慌てたほうがいい、とジャックは心の中で付け足した。
監視の報告では、セイダールは返り討ちにされたあと、捕まらないように舌を噛み切ったという。
まったく、愚行にもほどがある。
ジャックには共感できないが、見上げた忠誠心の持ち主であることだけは認める。
だが、敵は治癒術によって高潔な自害をも阻止した。
結果、セイダールは駆けつけた守備兵に捕まった。
今頃は牢獄で尋問されているだろう。
セイダールは素性のあやしい流れ者などではなく、身元のはっきりした男。
忠誠に篤いやつが裏切るとは思えないが、頭が悪いからいずれ口を割ってしまうかもしれない。
だから、慌てたほうがいい。
そういう時間だ。
「して、セイダールは死んだのか?」
「生きてます。牢から出してやるなら早く手配したほうがいいですぜ」
「そうするとしよう。ええい、いっそ死んでおれば手間がかからんのに。セイダールの能無しめ!」
この酷薄なデブのどこに忠誠心を刺激されたのだろうか?
騎士というやつはまったく理解できない人種だ。
「魔女は? 魔女はその後どうなったのだ?」
「レーヌ川に飛びこんで行方知れずです」
「キーズ、貴様も能無しか? 早く探し出して始末せぬか!」
一瞬、ジャックは、キーズとは誰のことかと怪訝に思い、すぐに自分の偽名の1つだと思いだした。
偽名が多すぎるのも考えものだ。
「能無しなりに力を尽くしてますよ。いま追手に探させてます」
「貴様は行かんのか!?」
「勘弁してくださいよ旦那。あっし荒事のほうはからっきしで」
冗談じゃない。
氷剣のエリン、そして、黒の魔女。
この界隈で2人の名を知らないやつはモグリ、それこそ能無しだろう。
エリンの剣技はナサニエルやレベッカ並みの水準との話だし、触れただけで相手を凍結させる恐るべき氷剣を使う。
実際に今夜2人の手下を瞬く間に凍らせたのを監視が目撃している。
手下には氷属性の耐性防具を装備させていたにも関わらず、である。
魔女にいたっては、デタラメとしか思えない逸話が多数存在する。
いわく。
あやしげな妖術使いで、ミルトンを妖術で牛耳ったとか。
恐ろしい策謀の達人で、アミリアヌスを謀殺したとか。
討伐大会と称して集めた冒険者たちを洗脳して今にも王都を攻め滅ぼそうとしているとか。
ほとんどは子どもの噂レベルのデタラメだ。
しかし、噂にも事実は混じっている。
あの『剣聖』フェリシア・フェリシティアを圧倒した、という事実が。
実在すら疑われていたおとぎ話の中の存在を倒したなどという話を、これまでジャックは信じていなかった。
だが。
監視の報告はその噂があながちデタラメではなかったことを裏付けている。
セイダールは、飛来物なら、たとえ魔術によって生み出されたものでもすべて斬って落とす。
飛び道具に対して無敵を誇る達人。
そのセイダールをたった1本の矢で倒してしまった。
しかも殺さずに生け捕ったのだから、実力差は明らかだ。
それだけじゃない。
セイダールの自害を失敗に追いこんでもいる。
並みの術師であれば、舌の治癒が間に合わずにセイダールは窒息死していただろう。
欠損した身体部位を再生、しかも高速で再生させるのはかなり高位の治癒術師しかできない所業。
それこそ大神官クラスの実力がなければ。
つまり、魔女は当たらないはずの矢を当てる妖術と、大神官クラスの治癒術をやすやすと操ってみせたのだ。
まさに黒の魔女の異名にふさわしいバケモノぶりだ。
「ふん。コソコソ裏で嗅ぎまわるだけが能か。ネズミめ」
中年貴族が吐き捨てるように言った。
ジャックはおどけたように手を上げて、その卑しめる評価を受け入れた。
ネズミは天変地異にも生き残る狡猾さを持っている。
むしろ光栄な評価だとすらジャックは思った。
「なにか手はあるのだろうな?」
「ええ。『蛇』を使います」
「なにっ、もう蛇を!? 暗鬼衆はいざというときの切り札ではないのか?」
「そのカードを切らざるを得ないんですよ、やつらには」
「蛇を使うのか……うーむ暗鬼衆を使えばどうなるものか……」
中年貴族が渋る理由は、ジャックにも理解できる。
暗鬼衆、とくに蛇を使ったことが貴族のお仲間に知れれば、中年貴族自身の評判が確実に下がるからだ。
蛇は異常者だ。
西国から流れてきた、暗殺を生業とする輩である。
人前にほとんど姿を現さず、誰とも関わらない。
ジャックですら会ったのは1度きり、それもすれ違う程度のものだ。
そのため、業界では「砂漠の蛮族出身」とか、酷いのになると「人食い人種である」とか、ろくな噂がない。
しかし、実際にはホビットだ。
この大陸では小人族はもう珍しくなったが、ぱっと見には他のホビット族と同じだ。
小さく、温厚そうで、愛嬌を振りまく人好きのする容姿をしている。
だが、蛇は生来の暗殺者で、その性質は残虐、そしてどこまでも卑劣だ。
闇討ちや罠を得意とし、猛毒、麻痺毒、混乱毒、睡眠薬など、ありとあらゆる状態異常を使う。
身体の自由を奪われた哀れな被害者は、男であれば切り刻まれ、女なら犯されながら切り刻まれる。
ジャックだって、蛇にはできれば近寄りたくない。
蛇を使うことは多大なリスクを伴うのだが、この相手には仕方がないと思える。
蛇が用いる多彩な状態異常に抗しえる人間など、この世にはいないのだから。
「しかし、蛇に探せるのか?」
「手下には念のため匂い粉をつけさせてます。川に入って多少は落ちたでしょうですが、蛇の嗅覚なら問題ないでしょう」
「やむを得んな。許可する。だが、必ず魔女どもを仕留めろ!」
ジャックは貴族風のお辞儀を大げさに披露してみせた。
心の中では、新たな犠牲者への同情を感じながら……。