庭のテラスで微笑む夫、可愛い子供。覚えがないんですけれども。ミレーユが幸せを掴むまで
ミレーユは、花が沢山咲く庭のテラスで微笑む男を唖然として見つめた。
「ミレーユ。お茶にしないか?」
金の髪の小さな女の子が走り寄って来て、ミレーユにしがみつく。
「おかあさまっ。ケーキ食べたい。」
何故?何で彼がこんな所に、おかあさまって、私、お母様じゃないわ。
この子は誰?
ミレーユの目の前にいる男性。
そう、彼はリュード王国のカリア王女の婚約者だったリレイド・ホースティン公爵令息である。
キラキラ光る金の髪に青い瞳、整った顔の公爵令息はミレーユの憧れだった。
ミレーユ・ハレリス伯爵令嬢。それがミレーユの身分である。
だから、とてもじゃないが、話しかける事も交流を持った事もない相手だった。
王立学園で婚約者がいてもモテる彼を遠くから他の女性達と共に眺めているだけの存在。
それがミレーユだった。
それなのに、リレイドが見覚えのない女の子と共に自分を呼んでいる。
恐る恐る聞いてみた。
「リレイド様。ここはどこ?この子は誰?」
リレイドは近寄って来て、ミレーユの顔を覗き込んだ。
「ああ、やはりまだ記憶が混乱しているんだね。高熱を出したから後遺症が出るってお医者様が言っていた。」
女の子が泣き出す。
「おかあさまは私の事を覚えていないの…」
慌ててミレーユは女の子の顔を覗き込んで、
「貴方のお名前は?」
「レイラよ。」
まだ小さい5歳位の女の子。ミレーユは女の子の髪を優しく撫でて、
「私はあなたのお母様だというの?」
「おかあさまぁ。」
レイラは抱き着いて来た。
リレイドはミレーユに向かって、優しい口調で、
「ああ、ミレーユ。ゆっくりと静養して私と娘の事を思い出して欲しい。」
「解りましたわ。」
頭が痛い…
この屋敷はホースティン公爵家の領地にある屋敷のようだった。
公爵夫妻は王都にいるらしく、この屋敷にはリレイドと娘のレイラ、そして妻のミレーユ。
そして使用人達が住んでいるとの事。
ミレーユは解らない事だらけだった。
最後の記憶はいつ?
私は何か大事な事を忘れているような気がするわ。
何だろう?何を忘れているの?
食後にソファに座っていると、レイラが走って来て、
「おかあさま、絵本を読んで欲しいの。」
「解ったわ。」
レイラに絵本を読んであげる。
この子が私の娘だというの?
金の髪がキラキラしたとても可愛らしいレイラ。
それに比べてミレーユは茶の髪の冴えない容貌の女性である。
頭がぼんやりして何も思い出せない。
でも、憧れだったリレイドが近づいて来て、
「具合が悪いようだったらいつでも言うんだよ。君は病みあがりなのだから。いいね?」
「有難うございます。」
心臓がドキドキする。
メイド長セリーにいまがいつなのか確認してみたら、
リュード歴156年5月でございます。
と言われた。
え?どういう事?私が王立学園へ通っていたのが、156年3月まで。3月で卒業したわよね。
ああ、思い出して来たわ。
卒業式でリレイド様は幸せそうにカリア王女様と結婚を宣言していたはず…
それが何故?私がリレイド様の妻で5歳の子がいるの?
リレイドが髪にチュッとキスを落としてきた。
「愛しいミレーユ。君の身体が良くなったら、私は夫婦生活を再開させたい。いつ頃がいいかな…」
「ええっ??夫婦生活?リレイド様と?」
憧れのリレイド様と夫婦生活?
リレイドはにこやかに笑って、
「当然だろう?君は私と夫婦なのだから。」
「こ、心の準備がっ。」
「可愛い事を言うね。愛しのミレーユ。」
後ろからぎゅっと抱き締められる。
ああ…もう、心臓が跳ね上がりそう。
ミレーユはリレイドの夜の誘いに、近いうちにお願いしますと、小さく呟くのであった。
公爵家での生活はとても快適で、リレイドに愛されて、自分の娘だというレイラもとても可愛く、使用人達もいい人達で、ミレーユは幸せを満喫していた。
でも…何故だろう。大事な事を忘れているような気がする。
メイド長であるセリーもとてもいい人で、ミレーユの世話をしながら、ある日、こっそりと忠告してくれた。
「何か思い出しても、決して口にしてはいけません。それが奥様の為になります。」
「え?それはどういう事?」
「忠告致しました。わたくしは奥様がとても好きです。良い方で。このまま、ずっと公爵家で何事もなかったかのようにお過ごしなさいませ。いいですね?」
何を思い出してはいけないの?
私は何に巻き込まれていたというの?
怖かった。思い出したら全てが終わりそうで…
リレイドはとても優しく愛を囁いてくれる。
「ミレーユ。今日も綺麗だよ。ほら。街に出たから花を買って来たんだ。」
綺麗な赤い薔薇の花束をプレゼントしてくれた。
「有難うございます。リレイド様。ああ、私もたまには街へ出たいわ。」
「それは駄目だ。」
キッパリと断られてしまう。
「君は病みあがりなのだから、まだ街へ出るには早い。出かけると疲れるだろう?」
もしかして、私は監禁されている?
一生、自由も無くこの屋敷に監禁されているって事?
娘のレイラがニコニコして、
「ここの生活も悪くないわ。おかあさま。大人しくしていれば、美味しい物も食べられるし。贅沢出来るのよ。」
「レイラ?貴方、私の子じゃないわね?」
二人きりの時にレイラに聞いてみた。
「おかあさまの子よ。酷いっ。おかあさまはレイラを愛していないのね。」
レイラが泣きだした。
「そんな事はないわ。レイラの事、愛しているから。」
ぎゅっとレイラを抱き締める。
レイラは耳元で囁いた。
「ずっとおかあさまで居てね。何を思い出してもおかあさまで居てね。お願いよ。」
「レイラ。貴方、何を知っているの?」
レイラは答えなかった。
ただ、怖くなった。
自分は何か非常にまずい事に巻き込まれている。
怖い…ただ怖くて…
とある日、こっそりと屋敷を抜け出した。
そう、公爵家に食料を運んでくる馬車の荷台にこっそりと乗り込んで逃げ出したのだ。
ただ、このままこの公爵家にいるのが怖くなった。
荷台の荷物の中に潜り込みながら、一生懸命思い出そうとした。
最後の記憶を…
― リレイド様。落とし物ですよ。―
階段の方へ歩いて行くリレイド様。あれは卒業パーティが終わった後だわ。
他の令嬢達とリレイド様に祝いを言おうと後をついて行った。
呼び止めて祝いを言った後。私だけリレイド様がハンカチを落とされたのに気が付いて後を追ったのだわ。
あの暗い、学園の廊下…リレイド様が外階段から外へ出ようとしているのが見えた。
慌てて後を追いかける。リレイド様、落とし物ですよと声をかけようとしたのよ。
外階段の踊り場へ出て、階段を降りて行くリレイド様に声をかけようとしたら、背に衝撃を感じたんだったわ…
そう、階段をっ…
私。殺されかけたんだ。
誰に?リレイド様じゃない。後ろから私を押したのは…
ゾっとした。
多分、カリア王女だろう。
勘違いされた?たかがハンカチを拾っただけで?
王女様の殺人未遂がばれない為に、私は監禁されている?
それじゃ…逃げた私の行く末は?
街へ出た馬車の荷台から降りれば、騎士団の兵が待ち構えていて。
「ミレーユ様。騎士団へご同行願いましょう。」
「私が何を?」
ミレーユは騎士達に騎士団へ連れて行かれた。
騎士団事務所で待っていたのはリレイドだった。
「思い出してしまったんだね。ミレーユ。」
「リレイド様。私は何もっ。」
「思い出したから私から逃げたのだろう?」
「違いますっ。」
「カリア王女様の為に、愛してもいない君と結婚をした。偽の娘を雇って情が芽生えるように細工もした。全て無駄だった訳だ。私は君を消さなければならない。カリア王女様の為にね。」
「いやぁーーーーー。」
ミレーユの口に布が押し当てられる。
ミレーユの気は遠くなった。
ガラガラガラ、馬車の音がする。
ハっと目が覚めたら、声が聞えた。
「目が覚めたんだ。おかあさまっ。」
「レイラっ。ここはどこ?私は殺されかけたのよ。今度はリレイド様にっ。」
目の前にはメイド長セリーが座っていて。
「リレイド様とてお辛い立場なのです。王家には逆らえない。ミレーユ様を始末すると言ったカリア王女様を人殺しはよくないと宥めて、貴方を預かったのはリレイド様。貴方の事を一生監視しているからと…王家を説得し結婚なさって…まぁ子供まで用意はやりすぎだと注意したんですがね。」
レイラは膨れて、
「でも、リレイド様はいい人だよ。親がいない私に夢を見させてくれたんだもん。私。おかあさまが欲しかったの。おとうさまも。とても幸せだったわ。」
ミレーユは聞いてみる。
「また、私はリレイド様に助けられたのね。これからどこへ行くのかしら。」
セリーが窓を開けて、
「隣国へ。隣国には公爵家の親戚がおりますから。そこへしばらく身を寄せろと指示が、リレイド様から来ております。もし、それが嫌でしたら。」
お金の入った袋を渡された。
ずっしりと重い。
「それで自由にどこへでも生きろと。リレイド様がおっしゃっていました。」
ミレーユは決意した。
「リレイド様にこれ以上、ご迷惑はかけられないわ。貴方達にも。有難う。お金は貰っておきます。私。頑張って生きてみるわ。」
国境で馬車から降ろして貰う。
ミレーユは一人で歩き出した。
セリーが馬車の中から降りて来て、
「私の兄が店をやっております。洋服屋です。どうしても行くところがないようだったらそこを頼りなさい。」
手紙と住所が書いた紙を渡された。本当にセリーは優しい。
ぎゅっと抱き締めて、
「セリー有難う。」
レイラが馬車から降りて来て、
「おかあさま。私も一緒に行くっ。邪魔にならないから。」
「でも、レイラ。苦労するわよ。」
「おかあさまと離れたくないっ。苦労してもいいから。」
レイラを連れて行くことにした。
ちょっとの間だけ娘だったレイラ。それでも離れたくない。
セリーの兄の洋服屋を訪れて、手紙を見せれば店で雇ってくれるとの事。
他の女性の従業員もいて、ミレーユはそこで働く事にした。
最初は戸惑いもあった接客の仕事。店長や同僚の従業員達に親切に教えて貰い、やりがいをミレーユなりに感じた。
やっと仕事にも慣れて来て、3か月程過ぎた頃、店に一人の客が訪れて来た。
「久しぶりだな。ミレーユ。」
「リレイド様。」
「店が終わったら話があるんだ。」
店が終わって、二人で高級料理店に入り、話をした。
リレイドは店の一室を借り切ってくれたので、二人きりで話が出来る。
空が暗くなっていく。
窓の外にはキラキラと街の灯りが煌めいて。
出てくる料理はコースで、どれも一級品ばかりだった。
リレイドは料理をミレーユに勧めた。
「お腹がすいただろう。食べるがいい。」
「有難うございます。」
リレイド様はどういう用事で来たのだろう。
リレイドは食事をしながら、ミレーユに話しかける。
「今の生活はどうだ?」
「とてもやりがいがありますわ。レイラも傍にいますし、私、寂しくなんてありません。」
「そうか…カリア王女が失脚した。王家の金を使い込んだ罪により、塔へ入れられた。君が王国へ戻って来てももう君を害する人はいない。改めてどうか、私の妻になって欲しい。そもそも、まだ君との離縁は成立していない。」
「カリア王女様が失脚したのね…」
自分はどうしたい?
今、リレイドが目の前にいる。
この手を離したら後悔しない?
心の中に問いかけた。
セリーの兄の店で働いている時も、お金を送ってくれたリレイド。
時々、手紙も添えてあって、ミレーユの事を気遣ってくれていた。
ミレーユも礼の手紙を書いたのだ。
今、この手を離したら、二度と手を握る事は出来ないだろう。
でも…
「私はこの国で生きると決めました。もう、死んだ女なのです。」
「君は私がした監禁を、強引に妻にした事を許してはいないんだな。」
「ごめんなさい。」
涙がこぼれる。
リレイドは決意したように、
「何度でも君が首を縦に振るまで、会いに来よう。私がした事を許して貰うまで何度も。
私は君の事を愛している。最初はカリア王女の為に君を妻にしたけれども、君がいた日々がなんと温かった事か。又、会いに来る。こうして時々食事をしよう。今度はレイラも一緒にね。」
「リレイド様。」
嬉しかった。リレイドの気持ちがとても…
それから、リレイドは毎週のように、週末になると訪ねて来た。
ミレーユとレイラと一緒に食事をし、二人が借りている家に泊まって行き、翌日は三人で買い物をし、楽しく過ごした。
そんな日々が半年程過ぎた頃、店の店主、セリーの兄であるジュードが、ミレーユに向かって、
「優秀な店員を失うのは残念だ。君はとてもよく働いてくれた。そろそろ良いのではないのか?」
「店長?何がです?」
「毎週通って来るのだろう。旦那さんが。王国へ戻って、公爵令息の妻として生きるべきではないのか?」
同僚の店員達も皆、頷いて、
「そうよ。ミレーユ。寂しいけど、あまり待たせては可哀想。」
「今度は王国へ戻って。旦那様の為に生きなさい。」
そう言ってくれた。
ミレーユは皆に向かって頭を下げる。
「有難うございます。皆さんのお陰で私とレイラは生きてこられました。この御恩は一生忘れません。」
3日後、リレイドとレイラと共に改めて店に挨拶に訪れたミレーユ。
皆に祝福されて、王国へ戻る事にしたのだった。
王国へ戻り、花盛りだった屋敷の庭はすっかり落ち葉が落ちて冬になっていたのだけれども。
庭を散歩しながらレイラが二人の手を握り締めて、ニコニコし、
「おとうさまとおかあさまが揃ったわ。私、とても幸せ。」
リレイドが優しい眼差しでレイラを見つめて、
「レイラは正式に我が公爵家の養女にしようと思う。」
ミレーユは頷いて。
「良かったわね。レイラ。これで貴方は正式に私達の子供よ。」
レイラは二人に抱き着いて、
「私を子供にしてくれて有難うっ。おとうさま。おかあさま。」
ミレーユは優しくレイラの髪を撫でてから、リレイドの顔を見つめて、
「私を諦めないでくれて有難うございます。リレイド様。」
リレイドも真っすぐミレーユを見つめ、
「こちらこそ、有難う。ミレーユ。こんな私でも改めて、夫としてよろしく頼むよ。」
全てがすがすがしい冬のそんな日。
公爵家の庭で抜けるような青空の下、
本当の家族になった三人の楽し気な笑い声が響くのであった。