2:離宮到着
レーゼル王国に離宮は3つ存在する。
1つはアズリー公国との国境に近い離宮。
とはいえ、公都とはかなり距離が有るため、3つの離宮の中では公国に近い、というだけのこと。
セレスが公国に帰りたい、と言っても簡単には行くまいが、逃亡の可能性を考えると、レーゼル国王はこの離宮にセレスを押し込む気は無かった。
しかも、この離宮は王都からも遠いため、国王・王妃を退いた前国王夫妻が選ぶ事はそうそう無く。
この100年程は放置されている。
一応、離宮を整える予算は毎年計上されているので最低限は整えられているが、階段の老朽化や部屋の扉の老朽化の修繕費程度のもの。
庭は荒れ放題だし、使用する者が居ないからテーブル・椅子・ベッド・本棚などの家具も老朽化すれば捨てられていて、ただ離宮が在る、というだけ。
里心が付くのも問題だが、一国の言わばレーゼル王国で言えば、王女をこんな離宮に押し込めるわけにはいくまい。という事で残り2つの離宮だが。
2つのうち、1つはアズリー公国を狙っている他国に近い離宮。
此方はアズリー公国よりの離宮よりも王都に近いため、比較的整えられているが、何しろアズリー公国を狙う国が周囲に有るというのに、その公女を他国に近い離宮に押し込むのは、どう考えても生贄にしか見えない。
セレス公女の存在を気取られれば、の話だが。
いつその存在が知られるか解らない、と不安を抱えながらこの離宮で暮らす、ではレーゼル国王としても落ち着かない。結局、王都から1番近い離宮に押し込めるのが良いだろう、と決断した。
王都から1番近い離宮は、それでも王都……もっと言えば王城から馬車で3日の道のり。警護等を考えれば頻繁に王都と行き来をしようとは思わない程度の距離。
しかも歴代の国王夫妻が引退すると大抵がこの離宮に住まう事から、常に主人が存在するかのように、管理も使用人の教育も行き届いている。
更に言えば、万が一、他国にセレス公女の存在が判明しても、1番守り易い。
王都から近いのもそうだが、歴代の国王夫妻の多くが暮らして来た離宮。当然王城程では無くても、それに近い警護が出来る。
他国の暗殺者が送り込まれても退けられるだろう。
そんなわけで、結婚式翌日、太陽が出るのと同じくらい早くにヒッソリとセレス公女は離宮へ出立した。
***
シェイドは愛しいマイラを囲い込むようにして迎えた朝に至福を覚えていた。太陽の光が薄いカーテンの向こうから射し込んで来るのを見るに、清々しい気持ちになる。気怠そうな表情のマイラに、その白く輝く肌が扇状的で朝からマイラをベッドに沈めたのは悪くない、と思っている。
当然、お飾りの正妃の存在などすっかり頭の中から綺麗さっぱり忘れていた。
マイラには良く休むように言い置き、3日間貰った休みだが、シェイド自身は一応執務くらいは片付けるか、と執務室へ向かう。
書類仕事だけで公に出るものは暫く休みにするよう調整をして有るが、それもこの3日間は書類仕事も無し、という完全な休みなのだが、王太子としては気になる事が多いから、という理由も有った。
「サミュエル」
「これは、殿下。本日から3日間休みでは?」
「そうなのだが、つい執務が気になってな」
側近のサミュエルに声を掛ければ、サミュエルが「休みをきちんと休むのも殿下の務めですよ」 と苦笑する。
「妃殿下は?」
「マイラには良く休むように伝えた」
その瞬間、サミュエルが何とも言えない微妙な表情を浮かべて、シェイドは首を捻った。
「どうした?」
「ああ、いえ、側妃様のことではなく、正妃様のことを伺ったつもりだったものですから、妃殿下という呼びかけでは、確かにどちらか解らないな、と」
サミュエルに言われて、ようやくセレス公女の存在をシェイドは思い出した。
「ああ、そういえば、居たな」
「殿下……」
その発言で忘れ去っていたのをサミュエルは理解したようで、咎めるような視線を向ける。
父で有る国王の許可を得て、サミュエルだけにはセレス公女を正妃に迎える真の理由を話した。
いくら機密と言えど、サミュエルはシェイドの側近中の側近。シェイドのスケジュールを調整したり、時にはシェイドの目線一つで意思を汲んで動いたりする男だ。
それ故に黙っておくわけにはいかなかった。
「何故そのような目で見られる。私とマイラの仲を引き裂いたのだぞ?」
「お言葉ですが、引き裂かれてはおりませんでしょう。そして、事情が事情です。元々、アズリー公国は小さな国で有るのに、その富は大陸一と言っても差し支えないほど。更に金が出てしまえば、我が国が戦地になっても他国は侵略しましょう」
「だから仕方なく受け入れてやった」
「それは殿下のお心です。ですが、アズリー大公の失策とはいえ、我が国の使者が国王陛下にアズリー公国の異変を報告し、国王陛下が密かに調べなければ、金の存在は知れる事は無かった。分かりますか?」
「お前、それは不敬だぞ」
「百も承知です。ですが、言うなれば国王陛下がアズリー公国の認可を得ずに調査した結果、アズリー大公が我が国の国王陛下に公女を寄越す事を示した。つまり?」
「受け入れてやった、という私の考えは傲慢だ、と言いたいのだな」
こんな会話をしながら、父王の優しい気遣いを思い出した。3ヶ月前、いきなり公女を正妃として迎えよ、という話が出た時の事で有る。
「ええ。その通りです。そもそも、殿下は公女と交流などした事も無かったでしょう」
「ああ。顔も知らないし年齢も知らなかった」
「それは公女も同じこと。公女の年齢から考えれば、結婚に夢を見ていてもおかしくない年頃です。そして、殿下とマイラ妃の仲の良さはアズリー公国も知っていたはず。で有るならば、公女はもしかしたら、愛し合う恋人の仲に入り込む自分の事が嫌な存在、と思うかもしれません。
自分ですら嫌なのに、形だけとは言え、夫となった殿下がそんな態度では、公女は心が休まらないのでは? この婚姻が嫌なのは殿下だけでは無く、マイラ妃もでしょう。そして、それは無理やり正妃にさせられた公女も、だと私めは愚考します。殿下も急な話ということは、公女自身だって急な事だと、殿下は考えるべきです」
シェイドはサミュエルの諫言にグッと黙った。
現レーゼル国王夫妻にはシェイドしか子が無い所為か、王族として相応しい教育はきちんとされているが、やや甘やかされてきた部分があり、同時にやや偏った思考を持つのがシェイドだ。
視野が狭いのは、甘やかされた部分が有る所為なのか、他に兄弟姉妹が居ない事で競争意識が無いから見える範囲でしか見て来なかったからなのか、見たくないモノは見ぬフリをして来た弊害なのか、その全てなのか。
だが、側近中の側近であるサミュエルの意見を筆頭に、なるべく他者の意見は聞き入れるだけの心の広さは有るし、サミュエルは阿るだけの佞臣とは違い、諫言も辞さない忠臣。
国王陛下もサミュエルは大切にしろ、とシェイドに言い聞かせているし、シェイドもその言葉の意味を良く理解している。
サミュエルは自分に無くてはならない存在で、その意見を咀嚼し吟味して判断をする癖を身につけていた。
そんなわけで、忠臣のサミュエルの意見で有る以上、セレス公女と向き合う必要が有るのかもしれない、と心の片隅に留めた。
離宮への出立くらい見送って、何か言葉を掛けてやるべきかもしれない、ともシェイドは思った。
だが、シェイドは忘れている。
どの離宮へ送られるか知らされないのだから、いつ、出立するかも知らされない事を。
***
「シェイド様」
昼より少し前に執務室に居たシェイドをマイラが訪ねて来た。
「マイラ? どうした。今日は休んでいてもいいぞ?」
「そのつもりでしたが……その、誰かがわたくしの私室に入って来たようなんですの」
「なに⁉︎」
マイラの私室とは、即ち王太子妃の部屋だ。シェイドが王太子でマイラは王太子妃の部屋。
2つの部屋の間に寝室が有り、今朝はこの寝室で目が覚めた。そしてマイラは王太子妃の部屋で侍女を呼んで着替えようとした所で、誰か人の気配がした、という。
「顔は見たか?」
「いいえ、怖くて」
「侍女は直ぐ来たのか?」
「はい。侍女に見てもらったら誰も居なかった、と。わたくしの気のせいかもしれませんが、その、もしかしたら、あの……」
「どうした?」
「公女……いえ、正妃様、が、わたくしと殿下の仲を妬んで、とか……」
「何っ⁉︎ 我が愛するマイラを怖がらせた、だと⁉︎ ええい、大人しくしていれば良いものを! たとえ13歳という年齢でも女で有る以上、マイラに嫉妬したのやもしれぬ! 全く、なんて愚かな女だ!」
マイラの話を聞いてシェイドは、カッとなる。
「殿下!」
そのシェイドを止めたのは、当然サミュエルだった。
叱るような呼び掛けに一瞬口を噤むシェイドは、ジロリとサミュエルを睨むが、サミュエルも真顔でその目をシェイドに据えていた。
撫で付けてあった茶色の前髪がほつれ、その髪に目が隠れたように見えるが、薄いラベンダー色の目が真っ直ぐ射抜くようにシェイドを見ている。
サミュエルがこうなる時は、シェイドの思い込みを止める為、という事が多い。
シェイドは唇を噛んでから深呼吸をして、とにかくマイラを落ち着かせてからマイラが信頼しているマイラの家から連れて来た護衛と共に王太子妃の部屋まで連れて行く。
そしてマイラを頼むと、シェイドは父である国王の元へ足を向けた。
国王の執務室の前に居る護衛に話を通し、時間が取れるか確認してもらう。
仮令、親子だろうと先触れも無い上に問答無用で乱入するのは、乱心を疑われるか謀反を疑われるか。
だから護衛が確認をしている間にシェイドは苛つきながらも落ち着け、落ち着け、と自身に言い聞かせていた。
程なく護衛が許可を得た事を告げ、シェイドは国王の執務室へ名を名乗って入室する。
「シェイドか。どうした」
「陛下にお話がございます」
申せ、と視線で促されてシェイドはマイラから聞いた話を、そのまま話す。感情的になりがちなのを無理やり抑え込んで。
「それで?」
マイラがそんな怖い目に遭ったというのに、父の素っ気なさにシェイドはカッとなる。
が、相手は父で有り国王で有る。激昂して物を言って良い相手ではない。
「正妃に迎えてやった公女に、お飾りで有る事をいま一度言い聞かせたいと思います。同時に陛下からも、良く良く言い聞かせて下さい」
「それは無理だ」
「何故です⁉︎」
いくら他国の公女……王女と同じ地位の存在とはいえ、既にこのレーゼル王国の人間になった以上、父で有り国王で有る目の前の人物の方が立場も身分も上で、シェイドだって名ばかりとはいえ、公女の夫で有る以上、立場も身分も上だ。言い聞かせるくらい、簡単な事だ。
そう思うシェイドは、同じ色合いの父王が大きく溜め息を吐いた事の意味を捉えあぐねた。
「陛下?」
「セレス公女の事をお飾りの正妃にして良い、と言った。余もそのつもりだ。というより、彼女の身の安全の為の婚姻くらいにしか考えておらぬ。故に、お前に公女を気遣う気持ちが無くとも咎め立てする気など無い。公女の事に興味が無くても構わない。だがな。今回の件については、そもそもの前提が違っておる」
「前提が違う?」
「そうだ。何故、マイラがそのような勘違いをしたのか知らぬが、マイラがそのような怖い目に遭ったのは、昼少し前。これに相違ないな?」
「はい、マイラがそのように」
「で、有るならば、やはり抑の前提が違う。公女に、セレス公女には、マイラの私室……つまり王太子妃の部屋に入る事など出来はしない」
「何故です? 公女は昨夜、この王城に泊まっています。不可能では無いでしょう」
「無理だな。公女は夜明け……太陽が出て来た時には馬車に乗り込み、離宮へと出立した。余が自ら出立を見送った。戻って来る可能性は否定しないが、それならば公女の身柄を託した護衛騎士達や離宮までの旅路に不都合無いよう手配した侍女も共に戻って来ていなくてはならない。だが、そのような報告は入っていない。調べさせれば判るが出立時の馬車すら戻って来ていないだろう」
それだけ早く出立した事をシェイドは知らされていなかった。
シェイドとセレスの仲を取り持つ気もない、という国王の意向の表れだ。
「公女は、そんなに朝早くに出立した、と?」
本当なのか? とシェイドは穿った見方をするが、父王が調べれば判る嘘を付くとも思えない。
「そうだ。故に、離宮への旅路のはずの公女が、昼前に王太子妃の部屋になど居るはずが無い」
シェイドは父王の滔々とした説明に、何もケチを付ける事など出来ず、この件はマイラの見間違い・勘違いという事に落ち着いた。
マイラにもシェイド自身が説明すれば、「見間違いだったかもしれません」 と非を詫びた。
そして、シェイド自身も執務室に戻りサミュエルに礼を述べる。自分の先走った考えを叱ってくれて感謝する、と。
それにサミュエルからの諫言で一度は公女と向き合うべきか、と判断したのに、感情的になった事も反省する。
どうにも相思相愛の婚約者で有るマイラとの仲を裂かれた、という思いが強い所為か公女がマイラに関わったかもしれない、と思うだけでシェイドは感情的になりやすい。
それも反省すべき点だろう。シェイドの反省と共に、これでこの件は終わった。
……ように見えたが、この一件でサミュエルと国王、そして国王から話を聞いた宰相の胸にはとある疑惑が染みの様に落とされた。
お読み頂きまして、ありがとうございました。