11:普遍の生活とは
ミヤビ様にシェイド様からのお願いを伝えると、快く受けて下さり。誕生日当日の夕食時を国王陛下夫妻とシェイド様とわたくしの4人での細やかな晩餐会と致しました。和やかに会話が進む中で、少しずつ王妃殿下の体調が回復している事を聞き、シェイド様と国王陛下が二人揃って涙ぐむ所に、親子の情を感じつつ。やがてミヤビ様がフラリとわたくしの前に現れました。
「まぁ! ミヤビ様! いらして下さいましたのね! 今日も毛並みがお綺麗でフワフワな感じですわ! ああお髭がピンと張っていてなんて凛々しいのでしょうか……」
あああああ! 触りたい! モフりたい! フワフワな毛並みに顔を埋めたいですわぁ! と、うっとりしていたわたくし。
『セレスよ。ワタシは今日、王太子の誕生日祝いに来ているのだよ?』
ミヤビ様のお言葉に我に返ります。あら、嫌だ。わたくしったらはしたない姿を晒してしまいましたわね。国王陛下・王妃殿下・シェイド様が苦笑されております。わたくしは穴が有ったら入りたいってこういう事を言うのね、と前世の諺というか慣用句というか、を思い出しながらおそらく真っ赤になっているはずの顔を伏せました。
そんなわたくしの視界の端でミヤビ様が光ります。
「此方が聖獣様か……」
シェイド様の呆然としたような声で、皆さまにもミヤビ様のお姿が見えた事を知ります。
『ふむ。今はセレスが名付けたミヤビという名が有る。その名で呼ぶが良い』
ミヤビ様に許可を貰ったシェイド様がミヤビ様の名を呼んでみて感慨深そうな顔つきになっているのが印象的です。
『さて。折角だ。シェイド、だったな』
シェイド様が堪能した事に気付いたのか、ミヤビ様が厳かな口調になりました。シェイド様も居住いを正してミヤビ様を見ます。
『そなた、このセレスを妃に迎えるに辺り、かなり蔑ろにしおった。それは自覚が有るな?』
「……はい」
『そなたの立場は理解出来るし、相思相愛と思っていた婚約者がいきなり側妃という扱いに憤る気持ちも理解出来る。だがな。セレスにもどうにも出来なかったのは理解出来たはずだ。というより、国王よ。その方の罪だな』
ミヤビ様が鋭く国王陛下に視線を向けます。わたくしは取り成そうと声を上げようとして、全く声が出ない事に気付きました。
『セレス。これはワタシがこの者達と話すこと。そなたは口出しならぬ』
外見がどれだけ愛らしいニャンで有っても、やはり聖なる獣。聖獣様なのです。人間に軽く威圧を掛けて声を封じる事も簡単なのだ、とわたくしは身をもって知ります。
「余の罪、と申されますか」
『そうだ。そなたが余計なことをせねば、セレスはまだ子どもで居られた。大公一家の元で成人を迎えられた。それを台無しにしたのは、そなただ。そして。そなたが愚行を犯さなければ、シェイドはあの元側妃を正妃として迎えられた。当初のあの者達の予定通りに。アレらは、側妃だろうと正妃だろうと計画を変える事は無かったが。それに気付かず正妃として迎えていれば、レーゼル王国は乗っ取られていただろうな。元側妃が正妃になれなかった鬱憤を晴らす為に、元々恋人だった護衛と閨を共にしたから発覚しただけのこと。予定通りに正妃として迎えられたならば、元側妃は間違いなくシェイドの子を産み、頃合いを見て、そなた達は病死していただろうよ』
ミヤビ様から語られる真実は、王家及び王国の乗っ取り。それもシェイド様の子で有るならば、正統な血筋故に誰も口を挟めない……。
国王陛下も王妃殿下もシェイド様も顔色を真っ青に変えました。
「では、我等はセレスを正妃に迎えなければ今頃は生きていなかった、と」
国王陛下の問いにミヤビ様は無言で応えます。無言だからこそ、それが正解なのです。
『それにも関わらず、セレスの人生を国王の勝手で捻じ曲げたというに、その代償も払わず。セレスを離宮に追いやって冷遇し、元側妃の件で王太子妃不在という事態を避けるためにセレスを再びそなた達の勝手で王城に連れて来た。これもまた、その代償が何も無いな。その上で訊ねよう。シェイドよ、セレスをどうするつもりだ』
ミヤビ様。どうするも何も、わたくしはレーゼル王国の王太子妃なのですが……。
「セレスは、様々な事情が絡み合い、私の妃となりました。これは動かしようの無い事実。なればこそ、これから先、変わらぬ生活を約束します」
『変わらぬ生活、とな?』
「過ぎ行く毎日は、波風は立つ事も有るとは思いますが、私の隣にセレスが。セレスの隣に私が居るという当たり前の暮らしを死ぬまで続けること、です」
『ふむ?』
「私は、長きに渡り一人の女性と婚約し日々を過ごして来ました。結婚して国王の座についた時も隣に居て、死ぬまで側に居る女性だと思っていました。……ですが、必ずしもそうとは限らない事を知りました。だからこそ、セレスと共に普遍の生活を送りたいと思います」
『ほう。国王の座にいずれ着く者が、普遍の生活、とな。これは面白い。だが、そうよな。食事を摂る。仕事をする。休みを取る。睡眠を取る。どれも、国王だろうと貴族だろうと平民だろうと悪人だろうと善人だろうと、何ら変わらぬ事だな。気に入った。シェイドは、その覚悟が有るので有れば、そなたが王位に着いている間は、ワタシはレーゼル王国を見守り続けるとしよう。この国を侵略させぬ』
そこまで仰ったミヤビ様は、そのまま不意に消えてしまいました。わたくしにも見えません。同時に威圧感も消えましたからおそらくわたくしは声が出せるはず。
「セレス」
「はい」
少し掠れましたが、やはりわたくしの声は出ます。シェイド様の呼びかけに応えてシェイド様を見ました。
「セレスと結婚した時は、私と元側妃の仲を裂く嫌な女だ、と思った。離宮に追いやってすっかり忘れていた。それなのに元側妃の一件で精神的に不安定だった私を支えてくれた。そして元側妃が居なくなり、正妃としての責務を押し付けた。全て、此方の勝手で君の人生は捻じ曲げられた。ミヤビ様の言う通りだ。セレスの人生が捻じ曲げられた、と言われて漸くその事に気付いた。セレスは成人まで大公一家と暮らせる日々が有った、のに」
「確かに、成人まで両親と兄達と暮らせなかったのは残念ですが。捻じ曲げられた、とは思っていません。だって可能性の話ですから。必ず成人まで家族と一緒に居られたとは限らないでしょう。離宮に行っていた期間も、今更で変えられませんが。わたくしにとっては必要な日々だったと思います。過去は変えられない。未来は決まっていないのですから未来を考えましょう。それに。シェイド様はミヤビ様に仰って下さいました。普遍の生活を共に送る、と」
「うん。意見が食い違うことが有ると思う。王族は其々が忙しいから、こんな風にずうっと一緒に居られるのは、中々無いからすれ違いの日々も有るだろう。それでも、セレスと変わらない日々を送りたい」
強く言い切ったシェイド様は、今までは年上なのに何処か甘さが抜け切らない“王子様”のように思えていました。でも。今のシェイド様は大人の、と言うのでしょうか。いえ、人の上に立つ重さを知った“為政者”のように見えました。
まるでお父様を見るような気持ち。
アズリー大公のお父様は、力強く包容力が有って、大雑把な方。大公妃のお母様は、アズリー大公家の血を繋いで来たことの誇りを抱く気高き人。そして嫋やかで泰然としながら毅然とした態度も取れるけれど優しい人。
先程のシェイド様は、力強さがお父様に似ている、と思いました。あの姿が見られるのでしたら、わたくしは初めて、シェイド様と結婚出来て良かったと思いました。
アズリー大公としてお父様が立っているのは、お母様よりお父様の方が“為政者”として向いている。ただ、それだけですが。その後ろ姿を見て育ったわたくしは、結婚するならこの後ろ姿に似た方が良い、と思っておりました。シェイド様の後ろ姿ではなく、横で、わたくしはその姿を見続ける。
それが、わたくしの普遍の生活、になるのでしょう。
「セレスよ」
「はい」
わたくしがシェイド様の姿に為政者としての姿を感じて噛み締めていた時でした。国王陛下が重々しくわたくしを呼びかけていらっしゃいました。
「聖獣様に余の罪と言われ、そなたが子どもで居られる時間を奪った事に気付いた。だが、それでも余は間違ったとは思っておらぬ。故に謝る事はせぬ」
「それは陛下にとって、国のためになる判断だったから、という事でございましょう。わたくしもその判断が間違いだとは思いません。陛下には陛下の国と民を思う心が有る。それは時に誰を犠牲にしても必要ならば仕方ない事か、と」
「そう、思うか」
「お父様……アズリー大公も苦渋の判断を行います。仮令罪人で在ろうとも人の命を奪う事は重き事。お父様はその苦悩の姿を妻と子に見せて下さいました。だからこそ、わたくしも兄達も為政者とは、ただ国を見守れば良いだけでは無いのだ、と理解しております。無論、為政者の方針が全て正しいとは思いません。為政者といえども只の人。間違う事も有る。その時は正せる者になる事が必要。わたくし達、アズリー大公家はそのように教育されて来ております」
「成る程。間違った時にこそ、諫言を受け入れ正せる者になる、か」
わたくしは繰り返す国王陛下に頭を下げます。国を治めるという事は、その者の決断一つで、戦火に塗れる事も有れば、命を奪われる事も有る。或いは富む事も有れば、力を発揮する事も有る。
その決断が間違ったならば、その過ちを認めて正す。
正せる者こそが、愚王か賢王かの境目なのだと、わたくしは思います。
無論、間違いに気付いて過ちを正す方向へ舵を取っても、直ぐに正せるものでもないし、結果的に愚王として世に残る可能性も有るでしょう。でも何もせずに愚王として存在を残すか、自身は愚王でも次代は賢王として讃えられるべく、正しい方向へ道筋を付けておけるか、で、また評価は変わる事でしょう。
国を治める国王とは、常にその決断による重みに耐えていく存在。王妃にも王太子にも解らない重圧。孤独な存在とも言えます。
だから。
シェイド様は何よりも“普遍の生活”を大切にするのだ、とミヤビ様に仰ったのかもしれません。
多分、元側妃の件が有ったから、変わらない日々など無いのだ、と解ったのでしょう。自分が信じていたものが崩れる事の恐さは、わたくしも知っています。再び信じる事の怖さも、また。
でも、人は一人では生きていけない。
自分は一人だ、と思う者も居る事は知っています。
それでも、何処かしらで誰かの支えが有る。或いは誰かを支える。そうやって生きていくのが、人。
シェイド様やわたくしのように常に誰かが側に居て、その相手が信じられる相手かどうか疑わなくてはならない生活も中々に大変なものが有ります。それを相手に気取られないようにするのだから、尚更。
わたくしに普遍の生活を共に送る事を約束して下さるので有れば、わたくしはシェイド様が疑わずに済む生活を約束しましょうか。
尤も、今のシェイド様にそう伝えても、まだまだ心の傷が癒えているとは思えないので、信じてもらえないでしょうけれど。
いつか、信じてもらえそうな時には、シェイド様がわたくしを疑わなくて済むような生活を送れる事を約束します、とお伝えしましょう。
まだまだ先は長いですからね。
わたくし達の関係は始まったばかりなのですから。
***
「セレス」
「はい」
「成人、おめでとう」
「ありがとうございます、シェイド様」
シェイド様がミヤビ様に、わたくしに普遍の生活を送る事を宣言してから一年と少し。わたくしは本日、16歳を迎えました。アズリー公国でもレーゼル王国でも成人年齢は16歳。つまり、わたくしは本日成人を迎えたわけです。
「そなたには、この年齢まで大公の庇護の元で暮らす未来を奪ってしまって申し訳ないと思っている。だが、それでも私は嬉しいのだ」
「嬉しい、ですか?」
「君が成人する時を一緒に迎えられたからな。私はセレスより5歳年上なのだが、それでもまだまだ未熟者。セレスも私の未熟さに不安が有るとも思う。だから、君を信じると共に、君と成長をしていきたい、と願う」
3年と少し前に結婚してから、色々有りました。1年以上は放置されていましたし。でもおよそ2年。この方の隣に立ち続けて来て、シェイド様の偏った物の見方が無くなって来ているのも知っています。自分の考えに固執しがちだった所も無くなりつつ有ります。それは、成長だと思うのですが。でも、そうですね。わたくしだって未熟者。
「はい。シェイド様と一緒に成長していきたいです」
これが、わたくしの素直な気持ちです。シェイド様に恋をしているのか、正直なところは分かりません。でも、穏やかに情を育てて参りました。この情は、この方の妻として、大切なものだと思うのです。
これを愛と呼ぶなら、わたくしはシェイド様を愛しています。
「ありがとう。君に恋をしているか、と尋ねられたら答えは不明だ。でも、君を愛しく思う気持ちが有る」
「わたくしも同じですわ。シェイド様への情は、貴方の妻として大切なものだと思っています。これを愛と呼ぶなら、わたくしはシェイド様を愛しています」
「良かった……。お互いにそう思っているので有れば。セレス、君は言っていたな? 君が成人していない事を理由に世継ぎを産めない、と。だから側妃を召すように進言した。だが、私は断った。側妃を召し上げても信じられないかもしれない、と。今の私は、セレスを信じている。そして君は成人した。ならば、君に私の子を、世継ぎを産んでもらいたい。私はそう思う」
………………。
わ、忘れてましたー! そ、そういえば、わたくし、成人していないから世継ぎを産む身体に成長もしていないですし、無理です。とか言ってましたっけ……!
此方の世界でも身体に第二次性徴は出ますけど、男女の閨事の所謂行為って、成人するまでは出来ないって法律で決まってますからね!
だから、2年近くシェイド様と同じベッドで寝ていても、今まではアレコレをしなくて良かったんですよ!
でも、わたくしは、成人してしまいました!
妻の務めとして、早急にお世継ぎは必須じゃないですか!
ううう……。
わたくし、焦りながらシェイド様を見ましたら、やけに爽やかな満面の笑みを朝から浮かべているのに、目はギラギラと肉食動物のような感じで。
や、ヤバイです。危機感一杯です。
「今夜は楽しみだな」
ニッコリと笑ったシェイド様……。
し、仕方ない。これも妻の務め。
それに。
愛しく思う方なので、決してわたくしも嫌では無いのですから。
きっと、シェイド様の髪色と目の色の子が来年には産まれて来るはずです。な、何人産めるかは、また別ですけどね。
(了)
お読み頂きまして、ありがとうございました。
無事に完結を迎えました。
また、新作を発表した時にはよろしくお願い致します。




