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10:王太子妃としての新たな暮らしが始まりました・2

 あの後は引き続きシェイド様自ら王太子妃の部屋へ案内をしてくれましたが、シェイド様に付いていた護衛達のわたくしを見る目がガラリと変わった事に気づいておりました。わたくしを侮っていたのに、怒らせると怖いと思った程度でしょうが。


「セレスは……」


「はい」


 シェイド様が何やら話したいようなので呼びかけに応じます。


「使用人達を随分と怒っていた、な?」


 おそらく何を言えばわたくしを傷付けないか、言葉を選んで下さったのでしょうが。結果、わたくしを子ども扱いしているような言い方だとお気付きでしょうか。内心苦笑しながらも、わたくしは問いの意図に気付いて応えます。


「左様でございますね。わたくし自身は別に構いません。ですが、あの者達はシェイド様に対する侮辱と取れる発言をしておりました。わたくしを侮辱するつもりで大罪人の事を持ち出すなど、王族……いえ、王家に対しての侮辱。王家に忠誠を誓う立場の者のはずなのに。聞き流すのは簡単ですが、あれは聞き流して良い類の発言ではありません。王家が大罪人を罰した事に不満が有る、と言っているのと同義ですから。わたくし自身への不満ならば聞き流す度量を持ち合わせるのもまた、上に立つ者として必要な寛容さでしょうが、あの者達の発言は許されない範囲でしたので」


 わたくしが率直に答えれば、シェイド様がハッとしたように僅かに息を呑まれます。


「そうだな。その通りだ。大罪を犯した者の事を軽々しく口にするなど、王家に二心有り、と言っているようなものだな。……そうか。其方は王族の誇りを持っているのだな」


「わたくしは、公国の公女。王国ならば王女。帝国ならば皇女と称される身分に生まれつきましたから。わたくし自身への批評は良くも悪くもある程度は仕方ないもの。ですが、セレスという一人の人間ではなく、公女として、或いはレーゼル王国の王太子妃としての批判は、国そのものへの批判として捉えられるもの。聞き流すものでは有りません」


 前世、日本では一般の人でした。此方の世界の平民です。その記憶が有るからといって、生まれてから今まで“公女”で有る事の重みを味わいながら生きて来たのです。その重圧を背負う事が公族、レーゼル王国で言う所の王族として立つ者の運命。国の代表として周囲から見られている事を常に意識して考えて行動する、或いは発言する必要が有るのです。


 あまり……口に出すのはシェイド様の顔を潰すようだから言いたくないのですが。本来ならば、あのような発言をした者は、シェイド様が命じなくても、側近が護衛に命じるか、これだけの人数の護衛ならば、護衛が自分で判断して捕らえるくらいの能力は必要では無いでしょうか。

 護衛はともかく。

 サミュエル殿が護衛に命じなかった理由は何だったのでしょう。ちょっと真意が知りたいですね。探ってみましょうか。あ、でも、今は尋ねても躱されそうな気がします。取り敢えず黙ってシェイド様の後を着いて行き。


 王族の住まいの区域に入ってからまた暫くして、シェイド様が足を止められました。


「此処が、王太子妃の部屋だ。無論隣は私の部屋。……其方達は私の部屋とセレスの部屋の警護を頼むぞ。セレスに部屋内を案内するから外で待機せよ」


 わたくしに説明をした後で、護衛達に指示を出すシェイド様。……ですが、シェイド様。出来れば王太子妃の部屋の中はわたくしが勝手に見て回りたいです。

 だって。

 誰かが居る前では……


「鍵はこれだ。ケイに預けておく。さぁ中に入って確認して欲しい」


 シェイド様自らが部屋の鍵を開けてわたくしを中に入れて下さいます。サミュエル殿と護衛が一人。わたくしとケイとジョナスとラッスルが中に足を踏み入れました。

 以前、隣のシェイド様の部屋は何度も訪ねていましたから、造りは覚えております。王太子妃の部屋はシェイド様の部屋の造りと逆位置で全く同じ。まぁそうですよね。内装は正直なところ、わたくしの趣味とは合っていないですが、我慢します。


「セレス」


「はい」


「先程は、良く、頑張った」


 真摯な声音に振り返るとシェイド様が真剣に此方を見て下さっていました。


「サミュエルと、この、レオは、私が信じている者だ。だからセレスも安心して良い」


 レオ殿は、わたくしがシェイド様のために暫く王城に滞在していた時にもシェイド様の私室の前で護衛をしていたから見知った顔です。先程のメイド達の時もこのレオ様だけがシェイド様の様子を見ていましたね。安心して、良い、とは……


「失礼ながらシェイド様、どのような意味で……」


 わたくしが意図を掴めずに首を捻れば、シェイド様がソッとわたくしの頭を撫でて来ました。


「君は、公女として生まれ育ち、国民のために生きるという役割を理解している。私と結婚したからには、レーゼル王国の王族としてどんな立ち居振る舞いが望まれているのかを考えている。だからこそ、先程の下級使用人達に、あのような態度を取った。それは上に立つ者が下位の者に対するケジメとして当然だろう。でも、本当はああいう役割は苦手なのだろう? 私は現国王夫妻の一人だけの子だった事も有り、視野が狭い所も有るのだと思う。元側妃の事も見たい部分しか見ていなかったのかも、しれない。だから今度は良く観察することにした。相手の気持ちや立場を慮る事にした。そして先程のセレスは」


 そこで一度言葉を切ったシェイド様は、わたくしの肩に手を置いてわたくしと目を合わせます。


「君は、あの者達を切ろうとしていた。それは上に立つ者として、あの者達に立場を知らしめるには効果的だった。だが、本当の君はそんな事をしたくなかったのだろう? 手が震えていた。覚悟は決めていたのだろう。それでも本当に人の命を背負う重さが手を震わせた。違うか?」


 ……この方は、気付いて下さった、のね。

 唇が戦慄く。言葉を紡ごうと思っても言葉にならない。


「本当ならば私が処断するべきだった。私のために、ありがとう」


 視界はボヤけてしまって、もう、ダメだった。

 人の命を奪ったことが有る。

 暗殺者を送り込まれて、捕らえる力量が無くて殺してしまった。あの時初めて、生捕りというのが力量が無くては出来ないのだ、と知った。

 人の命を、どんな理由であれ奪って良いわけじゃない。

 だから、わたくしはその人達を覚えておく事にする。彼等の人生を、命を奪ったわたくしが出来る唯一の事。

 立場として、人の命を奪う事も有る。罪人をそのままにしておくわけにいかないから。直接手を汚さずとも、命じるのは大公夫妻で有る両親。わたくしやお兄様達は、公族として処刑を見ることも有った。

 罪人で有っても人の命を奪う事だから、その重みを忘れないために。


 だけど。

 暗殺者を殺さなければ殺されていたからといって。

 罪人を処刑せねば誰かの命が奪われていたからといって。


 ーー人の命を奪う事に慣れた訳じゃなくて。


 アズリー公国では、家族が居た。家族のようにわたくしや家族を見守って心を寄せてくれた使用人達が居た。

 だからこそ、わたくしは皆の前で泣けた。

 でも、レーゼル王国には家族も家族のような使用人達も居ない。

 夫であるシェイド様にもケイやジョナスやラッスルにも、わたくしは家族のようには思えなかった。アズリー公国から誰かを連れて来る事はしなかった。だって、わたくしはきっと彼等ばかりを頼って信じて、レーゼル王国の人達と、国王夫妻や夫を頼らなくなってしまう、と思ったから。


 でも、だから人前で泣くなんてみっともない事は出来ないと思っていたし、したくなかった、のに。


 シェイド様は何故、わたくしの気持ちに寄り添ってくれたのでしょうか。泣きたい、と。人の命を奪う事を決めた事が怖かった、と。なんで解ってくれたのでしょう。


「シェイド、様……」


「うん。未だ成人もしていない君に、仮令公女として生まれ育ったとしても、悪意や陰謀等から守られて宝物のように大切にされていてもおかしくない君に、私の代わりにあの者達を処断させてしまった。私の行うべき事だったのに」


「い、いいえ! だい、じょぶです! わたくしは、シェイド様の、妃、なのですから」


 悲しそうに苦しそうに、わたくしに謝るシェイド様。わたくしは首を左右に振って、同時に頬を伝う雫がハラハラと零れ落ちるのを感じながら、大丈夫だと伝えます。


「だとしたら、私はセレスの夫だ。王太子としても不甲斐ないが、妻を守る夫としても不甲斐なかった」


 あまりにも率直な言葉に涙が止まりました。こんな、人前で王族が謝りの言葉を口にするなんて、有り得ないのです。


「シェイド、様」


「セレスは妻として私を守ってくれた。だから私も夫として妻であるセレスを守ることに努める」


「は、い」


「うん。末永く共に居るのだから、互いに守り合おう」


「……はい」


 この日、わたくしはシェイド様を“王太子”ではなく、一人の人間で有るということに改めて気付きました。

 多分、この日が、わたくしのシェイド様に対する見方や気持ちを変えた日なのだ、と後々思い返してみて、そう感じました。




***




 あの日、改めて王太子妃としての責務を果たす為に離宮より王城へ戻ったわたくしは、案の定、わたくしを怒らせたら怖いと使用人達から思われ、またどうやら使用人同士の噂を耳にした下級の文官達にも噂が流れ、更に彼等の噂話から上級の……所謂大臣と呼ばれるような文官達にまで耳に届いたようで。

 後日、陛下と宰相のお二方から真相を尋ねられて肯定致しました。お二方のわたくしを見る目も変わったような気がしますが、逆にシェイド様は全く変わらなくて。


 ちなみに、あの日の夜から、シェイド様が

「絶対に、手を出さないから、寝室は共にしたい!」

 と、仰るので一緒に寝ています。でも、女心としては、かの方と使用していたベッドは嫌なので、シェイド様の私室に有るベッドです。早急に王太子夫妻の寝室のベッドだけは替えることにしました。ベッドさえ替えてくれれば王太子夫妻の寝室で構いません。


 王太子妃教育は元々、公女として勉強していた下地が有ったからか進みが早いらしく、教育を受けながら実践とばかりに王太子妃としての執務や公務もこなす日々。尚、教師と二人きりはシェイド様が嫌がるので、ケイとジョナスが同じ部屋に居ます。また、王太子の執務室に、わたくしの執務机も準備されていました。

 えっ。アズリー公国では大公の執務室と大公妃の執務室は別でしたけど、レーゼル王国では執務室が一緒なのですか? と戸惑っていたわたくしに、シェイド様が淡々と説明されました。但し、わたくしが見られないのか視線は外れて落とされています。


「セレスを信じたいとは思う。だが、もしかしたら私の目を掻い潜ってラッスルやジョナスと過ちが無いとも限らない」


 ……ああ、かの方のやらかしが、こんなにも未だシェイド様のお心に影を落としているのだ、とわたくしは納得しました。まぁ確かにかの方とずっと一緒に居た護衛がお相手でしたものね。疑ってしまう気持ちは解ります。


「畏まりました、シェイド様」


 わたくしがニコリと了承すれば、シェイド様が弾かれたようにわたくしを見ました。


「い、嫌じゃないのか⁉︎ 私は其方を束縛している」


 あ、束縛している自覚は有るんですね。

 まぁそうですよね。

 王太子妃教育の際は、教師と二人きりにならないように、ケイとジョナスを入れていますし、確かにアレコレは何一つ無いですが、寝室も一緒ですものね。

 その上で執務室まで一緒で、当然食事も休憩時も一緒ですから束縛状態ですね。


「構いません。王太子妃の執務室が無駄にはなるでしょうが、効率を考えれば同じ部屋の方が良いと思いますわ」


「い、嫌じゃないのか」


「いえ、別に。わたくしが決済する書類は、最初のうちはシェイド様もご確認するでしょう? 書類が行ったり来たりするのに、書類だけという事は無いですから、当然、その書類を運ぶ人が介入しますわ。その方のそういった時間が削れれば、別の仕事が捗りますもの」


 わたくしが申し上げれば、シェイド様はポカンとした顔。さすがに王太子がそのような顔を側近やわたくしの前とはいえ、あまり良くないですから、咳払いを致します。シェイド様が気付かれて口を閉じましたが、また開いて……また閉じました。


「何か?」


 言いたいことがお有りなのだろう、と促せば。


「束縛している、と解っているのに、セレスは文句も言わぬ」


 ポツリと溢した言葉は、迷子になって途方に暮れているようで。

 わたくしは少し考えてから、サミュエル殿やレオ殿、ケイとジョナスとラッスルに下がるように合図をして、シェイド様と二人きりにしてもらいました。尤も声の聞こえない範囲で全員執務室内には居ますけどね。














お読み頂きまして、ありがとうございました。

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