9:何故かお茶会を行うそうです。・2
「その日にされたのですか。という事は、殿下は未だ処理しきれていない執務を放棄する、と仰るわけですか」
サミュエルが、声を低くして怒りを抑え込んだ目で私を見る。……相談せずに日を決めた事は謝るが。そんな目で見ないでくれ。私は王太子だぞ! とは言えず、サミュエルから目を逸らして
「行くギリギリまで執務をして、帰っても執務を行うから!」
と許しを乞う。
セレスが茶会を了承してくれたのだ。嬉しいのは仕方ないではないか。何しろ、最初の手紙で茶会に誘ったら断られたのだぞ? それに落ち込んだ私に、サミュエルが考えた文面で2回目に茶会に誘ったら、今度は了承してくれたものだから、つい……。
相談せずに日を決めた事は謝る。3日後には離宮に使者が到着してしまうから日の変更は出来ない。私も3日後には離宮へ出立するが、それまでは執務を頑張るから許せ。
「そうですか。では、ギリギリまで頑張って頂きますね、心置きなく仕事をして頂きましょう」
目。目が笑ってないぞ、サミュエル! だが、余計なことは言うまい。心配をかけた事は解っている。私が戻って来た時には直ぐに仕事が出来るよう取り計らっていたのも知っている。政務官達から私が休養している、と抑えてくれていたのも知っているからな。……さすがに政務官達もマイラの産んだ子が私の子では無かったという噂は耳にしているようで、引き下がっていてくれたようだが。
王城内でマイラの産んだ子が私の子では無いこと。マイラの実家であるジテルデ侯爵家の犯した罪は皆が知っている。侍女達やメイド達或いは政務官や大臣達。誰もがマイラをあれほど讃えていたというのに、掌を返すのは早いものだ。だが、一方であまり口性無く噂をしていて王族に目を付けられたくない、と思っているのか。徐々に噂が落ち着いて来ている事も知っていた。
父上や宰相が抑えつけたのだろう。
「時に殿下」
「なんだ」
執務を熟しながらサミュエルの声に声だけ返す。
「妃殿下に、どのような話をするつもりで?」
「どのような、も何も。王城へ帰って来い、と」
次の瞬間、サミュエルが深々と溜め息を吐いた。なんだと言うのだ。
「妃殿下は、この結婚が政略結婚だと理解していらっしゃるお方ですからね。命じられれば帰ってはいらっしゃるでしょうが、それだけだと思いますが」
「それだけ?」
「妃殿下の立場に立って物事を考えて下さい」
サミュエルは呆れたようにピシャリとそう言って、私は口を噤むしか無かった。セレスの立場……。無理やりな結婚。私に離宮へ行け、と言われて離宮行き。これはまぁ父上も認めていた事だが……。それから。それから?
「なんの、交流も無かったな……」
「そうですね」
「手紙一つ出した事がない」
「覚えていらっしゃって良かったですよ」
サミュエルの相槌が正論で辛い。
「……帰って来い、と言っても帰って来ないだろうか」
「政略結婚ですからね。命じられれば帰って来て下さるのでは?」
「それだと意味がない気がする」
いや、意味が無い。私は私を支えてくれたセレスに報いたい。それはただ礼を述べるだけでは私の気持ちの収まりがつかないからで。必然、セレスに離宮に居られるのは報いる事が出来ない、と思う。
「殿下が妃殿下に、何をお望みか、ご自身で解らないと行動も取れないと思いますよ」
サミュエルの言葉が胸に落ちる。ーー確かに。私がセレスに望んでいる事が何なのか、私自身が解らないのではセレスには何も伝わらない。セレスが離宮から王城に帰って来るとして。では、セレスに何を望むのだろう。
“王太子妃”としての役割か? しかし、セレスは婚姻しているが未だ未成人。セレスが出来る事とはなんだろう。公務……は、元々一国の公女だから幼い頃から公務を果たしていた、と考えれば出来るだろう。執務? 王太子妃教育も受けてないセレスに?
「王太子妃教育、か」
それを受ければ、セレスの立場は揺るぎないものとなる。私の妻、として。王族に名を連ねる事が出来る。
「王太子妃教育を?」
「受けてもらうつもり、だ。立場も揺るぎないものになる。公務……公の場に出る機会は元々あっただろうし、執務の方を優先して勉強してもらい、後は外交……」
外交。私の隣で。周辺国から命を狙われているようなセレスに外交を? 大丈夫なのか?
「外交は少し考えるとして。執務優先で教育を受けてもらおう」
「それ、本当に妃殿下のためになりますか?」
サミュエルの問いに私は頷く。それはそうだろう。私の妻という立場を揺るぎないものにするのだから。セレスのためになるだろう。
「殿下がそのように思われるのなら、何も言う事は有りません。……仕事を進めて下さい」
サミュエルがこう言う時は、私に考えさせたい時だ。私のこの考えに対してサミュエルは承服し兼ねている。だが私が自分で気付かねばならない事だから考えを話さない、ということ。長い付き合いだからそれくらいは解るが……。
セレスに我が国の王太子妃教育を受けてもらう事の何が悪いのだろうか。
私はこの事を深く考えるべきだった、と後に悔やむことになるが……。それもその時が来て初めて、あの時もっと深く考えていれば、と思うので有り、この時の私はまるっきり解っていなかった。
3日目の朝、ギリギリまで執務をこなしていた私は、サミュエルに済まない、と一言だけ声をかけて取り敢えず茶会への土産として私が好む茶を準備させたが。セレスは喜んでくれるだろうか。王城を出て直ぐの所で使者と会い、手紙を渡した事を確認して戻って来た事を知る。間違いなく1の日だと解ってくれただろう。つまり3日後だ。3日後には会える。セレスとは何を話そう。あまりゆっくりもしていられないから、茶会後に離宮へ1泊したら、翌朝には王城に帰らねばならぬ、な。
そんな事を考えつつ、私がのんびりと離宮へ向かっていた頃、離宮ではセレスが目まぐるしく動いていたとは、露程も知らなかった。
***
執事長と侍女長に手紙に書かれていた日付を話したわたくしは、次に専属護衛のラッスルを呼びました。
「妃殿下? お呼びと伺いまして」
律儀に片膝をついて頭を下げて口上を述べるラッスルを遮り、その無礼を詫びてから本題に入る。
「ありがとう、ラッスル。1の日に王太子殿下が参られる事は聞き及んでおりますか」
「はっ」
「急遽決まった日程です。王城はかなり慌しい状況でしょう。普通、このような王族の外出には、時と場合にも寄りますがかなりの日数をかけて予定が組まれるもの。それを殿下の気分一つで予定が変更になったのです。王族、特に国王陛下と王妃殿下並びに王太子殿下と王太子妃殿下は基本的に他の者達のように5日働いて1日休む事は出来ません。それにも関わらず、このような急な外出が組まれた事で、護衛の手配や道中の手配に、王城から離宮までの行程で王族の皆さまが泊まれる王族御用達の宿との連携など、側近のサミュエル殿を含めた皆さまは大変な状況でございましょう」
「それは、はい」
ラッスルもセレス付きになる前は王城で働き、専属の前から王族の警護の経験値を積んでいる。セレスの言っている事は至極マトモな事。
「ですが、次期国王陛下という高みに即かれる尊きお方が命じた事を無しにするのは、王太子殿下を軽んじても良いことになりかねません。解りますわね?」
理不尽だろうが、無茶だろうが、サミュエルが諫められずに命が出た時点で下の者は逆らえない。そんなわけで、王城内……特にサミュエルが大変な事は想像に難くない。
「それ故に、護衛の数が足りないやもしれません。ラッスルは離宮の護衛を手配し、殿下達一行と落ち合って無事に離宮へお連れするよう、あなたがわたくしの命を受けて采配しなさい」
「はっ」
ラッスルは意外だった。自分に王太子殿下をお迎えせよ、と命じられるかと思っていたからだ。
「では頼みます」
「あの、妃殿下」
「何か?」
「自分に行け、とは言わないのですか」
ラッスルの疑問にわたくしは困ったように笑う。
「これは、セレスとしての考えだと思って聞いてくれるかしら。ラッスルは、わたくし付きの護衛ですわね」
「はい」
「専属護衛とは、本来、何が何でも護衛対象とは離れないもの。わたくしが庭で散歩しようが食堂で食事を取ろうが。そうでしょう?」
「そうです」
「つまり、わたくしを守る事があなたの役目。そのあなたをわたくしの命でわたくしから離すというのは、あなたの護衛に不満が有る、と伝えているのと同義でしょう?」
ラッスルは目を見開く。そういうことだ。命じられれば王太子殿下の護衛として駆け付けるだろう。だがそれは、自分が居なくてもセレスの身を守れる、と言われているのと同じこと。
「ラッスルの腕を信頼しているわ。だからこそ、あなたに迎えに行って欲しいと思う。でも、それではあなたがわたくしに忠誠を誓った心を、わたくしが無視している事になる。だからわたくしはあなたに頼まない」
「ありがとうございます、妃殿下! 命を遂行して参ります!」
ラッスルは頬を紅潮させて自分の代わりにセレスを守るよう、妹のケイに視線を向けてからセレスの命を実行すべく瞬く間にセレスの客間から退室した。
「妃殿下は、兄上の扱いを良くご存知で」
「扱いと言うのかどうか。ただ、わたくしに忠誠を誓ってもらったからには、そういう事でしょう?」
「もちろんでございます。妃殿下は上に立つ者の心得を良く理解されておられて嬉しい限りです」
ケイが嬉しそうに顔を綻ばせるが、わたくしはそっと首を振った。
「そうでもないわ。わたくしがまだ5歳くらいの頃よ。わたくしに付いていた護衛や侍女が暗殺者に狙われたわたくしを守ろうとした事が有るの。その際、わたくしを庇って怪我をした侍女が囮となって時間稼ぎに暗殺者を引き受けた。わたくしはその間に護衛に守られて逃げたわけだけど、わたくしは、わたくしの事より侍女を助けなさい! と護衛に命じたの」
ケイがハッと息を呑む。
「でも、わたくしの命には誰も従わない。わたくしが無事に逃げてからようやく護衛達は侍女を助けに戻った。その時にわたくしの側に残った護衛に叱られたわ。我等はあなた様の護衛です! と。何を置いてもあなた様から離れるわけにはいきません、とね。5歳のわたくしには難しかったわ。やがて侍女は助けられたけれど。生死を彷徨った。一命を取り止めて背中に大きな傷が残ったというのに、先ずはわたくしの心配をしたのよ。その時、わたくしは護衛や侍女達の命よりもわたくしの命が大切なのだと知った。わたくし付きになる、というか、護衛対象の専属になるという事は、忠誠を誓われるという事は、重たいものだとわたくしは知ったの」
「だから、妃殿下は外出もされず、離宮内も決まった場所以外は行かないのでございますね……」
たった14歳の少女が他人の命をかけられて守られる事の重さを5歳で知ったという。およそ10年。小さな主人は、他人の命を預かる重さに耐えてきた、と知れば。ケイはセレスの行動がいつも守られる事を前提にした動きだ、と気付いた。
余計な行動はしないセレスを、なんと護衛し易い尊いお方だ、と思っていたが。それはセレスの過去を聞いてしまえば、自分達が彼女を守っていた、と思っていたが、自分達こそが、彼女に守られていた事を知った。同じ行動しか取らないから、彼女を狙う者達は先を読み易いから狙い易い。けれど。逆を言えば彼女を狙う者達がいつ、どこで、どのように彼女を狙ってくるのか、守り易いとも言える。
だからこそ、セレスは暗殺者に狙われようとも、行動範囲も行動予定も変えないのだ、と。
ケイやラッスルが何度か行動範囲を変えるなり、行動予定を変えるなり、と進言した事が有る。セレスが首を縦に振らないので仕方なくそのままだったが……それがこのような意図を含んでいる、と解れば、ケイやラッスルの進言が的外れのものだと理解する。
「ケイ。わたくしは我儘な主人です。許して下さいね」
「いいえ。畏れ多い。妃殿下の深慮に気付かなかった私こそ浅はかでございます。お許し下さいませ」
「深慮、という程のものでは無いわ。もう、わたくしの目の前で傷つく人を見たくない。それがわたくしの行動一つで可能性が減るというのなら、いくらでもわたくしは、変わらない行動を取りますわ」
ケイは自然と頭を下げて、自分が忠誠を誓った相手は、間違いなく人を思い遣る事の出来る尊いお方だ、と胸を張れる事が嬉しくなった。
同時に、王太子殿下の今回の件は、軽率にも思えて。もう少し妃殿下を見習って欲しい、などと口に出したら不敬にもなるような事を内心で考えていた。
お読み頂きまして、ありがとうございました。




