8:そんなわけで離宮に帰りますわ!
殿下がわたくしと視線をきちんと合わせられるようになった日の翌日。もう、歩くのも支えなくても1人で歩ける事を確認。今までの事を軽く説明。本当に軽くですよ。わたくしがした事は大したこと無いですから事務的に。あ、ずっとわたくしの側でわたくしを見守って下さったミヤビ様のことは、ミヤビ様が話さずとも良い、との事なので、話しませんでした。
事情を聞いた殿下は、その後、ご自分の執務室に向かい、サミュエル殿にこれまでの……主にマイラの件について聞かれたご様子。マイラとその家族である侯爵一家とマイラの不貞相手は、ギロチン刑が確定し、既に行われました。公開処刑です。侯爵一家は、要するに国の簒奪を目論んだわけですから。公開処刑で無くては、国の威信に関わります。
行われたのは、王妃殿下と王太子殿下が会われてから数日後。国王陛下は全てを終えてから王妃殿下にお知らせしたそうです。王妃殿下もお身体が弱いながらも、体調が良い時は王太子妃になるマイラと交流されていた、と聞きましたので、ショックだったと思われます。また体調を崩さないと宜しいのですが。
そして、王太子殿下は、マイラの処刑を聞いても大丈夫そうでした。……いえ、内心は複雑でしょうけれど、また精神的に衝撃を受けて……というのは無さそうで一安心です。
「セレス」
「はい」
その翌日、わたくしは王太子殿下から会いたい、と伝言を頂きましたので、お受け致しました。この1ヶ月の間にすっかり打ち解けた殿下付きの侍従や護衛にサミュエル殿までいらっしゃいます。わたくしには他の皆さまには見えないようですが、今日も今日とて可愛いミヤビ様とケイと一緒に、殿下の執務室でお茶会です。何を言われるのかしら。
「私のために、側に居てくれた事、感謝する。何か感謝の気持ちに贈りたいのだが」
「不要ですわ。わたくしは、わたくしの信念で殿下の側に参りました。お返しに何かを貰うためでは有りません」
前世で同じ目に遭ったわたくしを、前世の親友が助けてくれた。その恩返しを親友に出来なかったから、その代わりとして同じ目に遭った殿下の回復を手助けしただけ。殿下が割り切っていて平気だったのなら、王城へ来なかったかもしれないし、来ても殿下を見て大丈夫そう、と判断して離宮へ帰っていました。
ただ、それだけのことですわ。
「だが……セレスは、私のために献身的に支えてくれた、と侍従から聞いている。その感謝の気持ちを表したい」
めんどくさいですわぁ。何か欲しくてやったわけでは有りませんし。でも、何か要望を出さないと、引き下がりそうもないですわね。ちょっと思い込みが強いタイプなのかしら。困りました。別に献身的と言われる程のものでも無いのですが……。どうしましょう。
「申し訳ないのですが、特に思い付きません」
アズリー公国から普段使っていたものとか、毎年育てていた花の種とか、愛読書とか、持って来ましたからね。ドレスとか装飾品も必要最低限は有りますし。離宮の使用人達への王都土産は既に買って有りますから、後は本当に帰るだけですし。
「急だったから思いつかぬか。では、また後ほど聞くとしよう」
また後ほどって明日ですか? わたくし、明日は離宮に帰りますが。まぁ無いって言っておりますから、気にしないで頂きましょう。
昨日のうちに陛下に謁見願いを通して、今日、殿下とお会いする少し前に謁見して頂き、離宮に帰る報告もさせて頂きましたし。王妃殿下にご挨拶は体調を考慮して遠慮致しましたが。特に憂う事も無さそうなのて、明日は無事に帰れそうです。
「殿下、お気遣いは無用に願いますわ。そのお心だけで充分です」
「そう、か?」
「はい」
「欲が無いのだな」
欲が無いというよりは、今持っている物で充分だから、です。万が一足りないとか買い替えとかになったら、その時に考えます。取り敢えず曖昧に笑ってお茶会を終了致しました。
「では、殿下。ごきげんよう。お心もお身体もどうかお健やかにお過ごし下さいませ」
「うん。……本当に感謝する」
「いいえ。お役に立てたのなら良かったですわ。それでは、これにて」
殿下に挨拶をして客間に戻ってから、ケイに言われました。
「妃殿下」
「なぁに?」
「王太子殿下に離宮へ帰る旨をお伝えしなくて宜しかったので?」
「………………。わたくし、お伝え忘れましたわ。そうね、先程お伝えするべきでしたわね」
「あ、お忘れでしたか。とうにお伝えしているのか、と思いましたのですが、念のための確認でしたが……お忘れでしたか」
「大変……。お伝えしたつもりでしたわ。明日、出立前に離宮へ帰ると伝えれば良いかしら」
「手紙でも宜しいのでは?」
「そうね。そうします。でも、今すぐでなくて良いですわよね? ね?」
だって、お茶会の時からずっとわたくしの側に居て下さるミヤビ様が可愛いのですもの。ケイに確認すれば、明日の出立前に手紙を書く事をお約束させられました。そうして、わたくしはミヤビ様を沢山撫でましたわ!
翌朝、わたくしは手紙を書いてケイに殿下の執務室にいらっしゃるで有ろうサミュエル殿か、居なければ侍従に手紙を渡すようにお願いして、ケイの戻りを待って離宮へ帰る馬車に乗り込みました。馬車の中でケイに聞きましたところ。
「側近のサミュエル様が居りましたから、殿下の執務休憩にでもお渡し下さい、とお話しておきました」
と言うことでした。そうね。1ヶ月以上もお休みしていたわけですから、執務が大変でしょう。わたくしの事は後回しで充分ですわね。王都土産の馬車と共に出立なので、少しのんびりと帰る事に致しましょう。まぁ1日くらい帰りが延びても問題無いでしょう。ケイもミヤビ様も反対意見が無かったので、その行程で帰ります。先触れを出してあるから離宮の皆もわたくしが帰る事は知っているわけですし。殿下が立ち直られたので、何の憂いも無く帰れますものね。
***
久しぶりの執務は、丁寧にこなしていく。陛下が私の分まで行って下さっていた事は知っているから、早く自分の執務の分を巻き返そう。そうでないと陛下がお倒れになる。
だが、サミュエルから無理はさせられない、と強制的に休憩を言い渡された。お茶を淹れてもらう間にセレスからの手紙を預かっている、と渡される。
セレス。
君は、結婚式当日に私が冷たく接したというのに、私のために離宮から駆けつけてくれて献身的に支えてくれた、と聞く。なんて心の広く優しい女性だろう。
私は、結婚式当日の件を謝らなくては。
そして、優しい君を正妃としてきちんと接したい。
朧気ながら記憶が甦ると、優しく「殿下」 と呼びかけてくれた声や、温かな手の温もりに、常に寄り添ってくれた華奢な身体を思い出す。その全てが私のため、と思えば、胸が熱くなる。
私は君を正妃として、妻として扱いたい。君は許してくれるだろうか。だが、感謝を表したいのに贈り物も要らない、と奥ゆかしい女性だ。謝る時はどうすれば良いだろうか。言葉を尽くせば許してくれるだろうか。……ああ、先ずはディナーに誘ってみよう。その時に時間を設けてもらって改めて謝罪を。
そんな事を考えながら、貰った手紙に何が書いてあるのか、と甘酸っぱい気持ちになりながら目を通す。
「……は?」
「殿下?」
サミュエルの呼びかけにも気づかず何度も読み返してみるが、どうしたって簡潔に
ーー王太子殿下がすっかり回復なされたようですので、わたくしの役割は終わりました。心置きなく離宮に帰ります。
としか、書かれていない。
離宮に帰ります?
いや、そんな。
君はあれほど私を献身的に支えてくれたではないか!
嘘だろう? まさか。
君は、私の過ちを許してくれて、私の正妃になる決意をしてくれたのでは……?
「サミュエル」
「はい」
震える声で側近に呼びかけた私は、手紙を見せる。
一読したサミュエルは「えっ、妃殿下、離宮に帰られたのですか⁉︎」 と慌てている。
「確認を、頼みたい」
「畏まりました」
サミュエルが執務室をさっと出て行く。嘘だろう? 冗談だろう? あんなに側に居てくれたのに、こんなにあっさり居なくなってしまうのか?
私を許してくれたのでは無いのか? 私の正妃になりたいのでは、無いのか……?
しかし、私のその心とは真逆の現実を突き付けられた。戻って来たサミュエルが、セレスが与えられていた客間には誰も居らず、陛下に謁見を願い出るのは時間が無かったために宰相を訪ねたら、宰相自身が見送った、と返事をもらい、確定した……と。
「そんな、セレス……」
私はマイラだけでなくセレスまで喪ったというのか。
「妃殿下は、行動力のあるお方なのですねぇ」
衝撃を受けている私など気にも止めずサミュエルが呑気な事を言ってさすがに睨み付ける。
「……何か?」
サミュエルが首を捻った。
「私がショックを受けているのに、まるで他人事だな」
「それはそうでしょう。寧ろ何故ショックを受けているのか疑問です。だって殿下は正妃殿下の事をちょっと見下していたし、疎ましく思っていたでしょう」
正論だ。
うっ……と言葉を呑み込む。その通りだ。何も言えない。私はセレスの事を疎ましく思っていた。見下して……いるつもりは、無かったが、サミュエルがそう言うのなら、そんな態度をしていたという事。
「妃殿下に謝ってもいないのに、何故ショックなど一人前に。全てにおいて謝罪と態度を改めてから、やり直すものでは? 何もしていないのに妃殿下が帰ったからって文句など言えませんけど」
全く以ってその通りで、ぐうの音も出ないとはこの事を言うのだろう。私は項垂れて反省する。
「セレスを、追う」
「やめて下さい。仕事も放り出して妃殿下を追いかけて行くなんて妃殿下が嫌がりそうです」
「……そうなのか?」
「解りませんけど。妃殿下は言葉の端々に、シェイド様を立ち直らせるのがわたくしの役割。わたくしの王城に来た理由。と仰っておいででした。その役割が与えられた仕事のように思っているのか、とても誇りに思っていらっしゃるような姿勢を貫いていました」
「それは、私を妻として支えたい、とかでは」
「無いでしょう。結婚式以来手紙も無いし会ってもないのに、何故妃殿下がシェイド様を夫に思うのですか。しかもそれまでも互いの顔も年齢も知らなかったんですよ?」
私の発言に、サミュエルが呆れたように正論をぶつけてくる。確かに。つまり?
「単に妃殿下は、ご自分の役割というか仕事というか、そういうものに誇りを持つ人のようですね。まぁ生まれが公国の公女ですから、他者のために何かをする、とか、国や民のために何かをする、とか。そういった上に立つ者の意識は元々有るのでしょう。だから結婚だって、国のためにしたのだろうし。
妃殿下付きの侍女に確認したら、妃殿下はご自分がどういう立ち位置かきちんと弁えているし、だから民の血税だから妃殿下が使用していいわけではない、と散財もしないし、使用人をきちんと思い遣るし、抑結婚そのものも、シェイド様と元側妃が相思相愛なのに間に入った悪女ではないか、とご自分のことを思っていたようですよ」
14歳でそんな事を考えているなんて、さすが一国の公女は違いますね。……などと言うサミュエル。その言葉には同意するが、裏を返せば、それに引き換え、私は自分の行いを謝る事すら出来ない、と言われているような気がした。
その通りなのだが。
つまり、サミュエルの話を総合するに、おそらく、国と民のために私を立ち直らせるのが、自分の役割だ、と判断したわけで。これはまぁ、私の正妃である、という自負から来る責任感なわけで。その責務を果たしたから、心置きなくセレスは離宮に帰った。
そういうことになる。
「やっぱりセレスを追いかけて……」
「で・す・か・ら、妃殿下は仕事をきっちり終わらせて帰られたわけです! そこから見るに仕事を放り出して妃殿下を追いかけても妃殿下は見向きもしませんよっ」
全く、妃殿下の方が年下だというのに、よっぽども王族の自覚が有るではないですか。
と、ブツブツ苦言を呈しながらサミュエルが私を睨む。大人しく執務を終わらせてからセレスの件を考える事にした。父上に負担を掛けるのも良くないし、な。
それにしてもセレスは心の広い女性だ、と改めて思う。
正妃の責務だけで私を支えてくれたのだから。
私があんな態度を取ったというのに。
……私付きの侍従からは、私の弱った姿をメイド達に見せたくないため、部屋の掃除や寝具の洗濯等は控えてもらっていたが、それでは殿下が立ち直られた時にショックでしょう、と叱られた、と。私が寝たきりにならないように身体を動かすよう率先して動いてくれた、とも聞いている。侍従はセレスを疎ましく思っていたはずなのに、私が立ち直ってから心酔しているような態度だ。サミュエルだって元々好意的に見ていたのが、セレスの人柄を知って益々好意的のようで。
なんだか面白くない。
セレスは、私の妻だぞ。
……と大声で言えるだけの権利も何も無いので、先ずはやるべきことを終えてしまう事に。
そう思っているのに、ふとした拍子にセレスのことを考えてしまう。手が止まっているのに気付いて仕事に集中、と意識を切り替えた。
お読み頂きまして、ありがとうございました。




