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6 本当の気持ち



 縁談の話を告げられた翌日の朝、着替えと朝食を持って部屋にやって来たキーナに、両親を呼んで欲しいと頼むつもりだった。しかし、白手袋をはめたキーナはワゴンの引き出しから一枚の手紙を取り出して銀盆に乗せ直すと、丁寧にゾーイに渡した。


「ベスティリ侯爵からお嬢様宛にお手紙が届いております」

「ハルクさまから? 早朝に届いたのは初めてね」

「早馬が来たのです。早急にお読みいただき可能ならば今日中に返事を預かりたいと配達員から言付けもございました」

「何があったのかしら」


 一体どのような用件なのか。

 すぐに封を開けようとした手が止まる。部屋にはキーナがいる。人目に触れない方が良い用件なのかもしれない。ゾーイはひとまず手紙をベッドサイドテーブルに置くことにした。

 しかし、言わなくともキーナは事情を理解してくれていた。

 手際良くゾーイの着替えを手伝ってくれた後、いつも以上に言葉少なく、てきぱきと折りたたみ式のミニテーブルをベッド上に広げて朝食を用意してくれる。サイドテーブルにペーパーナイフも置くと、いつでもお呼びくださいね、という言葉とともに素早く退室していく。


 ゾーイは静かに閉じられた扉をしみじみと眺めてまった。


 毎日、毎朝。ゾーイの体調確認に余念がないキーナ。本当は今日だって自身が納得するまで体調確認をしたかった筈だ。

 今日のゾーイもやはり体調が良い。

 悪化した感覚もまったくない。

 本当に自分は後三ヶ月程の命なのだろうかと、最近毎日のように思う事を今朝も同じように思ってしまう。


 手紙とペーパーナイフを手に取って封を開けたゾーイは早速、文字に視線を走らせた。

 アルフレッドとは違い、ハルクとの手紙のやり取りは途切れずに続いている。三ヶ月に一度、一往復させて近況報告をする程度だが、ゾーイはいつもハルクからの手紙を楽しみにしていた。血縁関係ではないといえ、二大名城の古城管理貴族という唯一の共通点のある二人の手紙のやり取りに関して、貴族社会でおかしな邪推をされる事もなく関係性を誤解される事も無かったのは有難かった。


「え……?」


 手紙を読んで、ゾーイは思わず声が出た。いつもなら終始にやけながら読んでいるという自覚があるハルクからの手紙なのに、今回に限ってはまったく笑う事が出来ない。

 便箋を持ち上げていた両腕の力が抜けて掛布の上に落としてしまう。それでもゾーイは自身の手で掴んだままの便箋をジッと見つめた。


 内容は長くはない。むしろいつもよりもとても短い。

 簡単な挨拶と、アルフレッドとの縁談の件だけが記されていた。



 ――アルフレッドから結婚の申し込みがあったと思う。ゾーイは唐突すぎる申し出に困惑しているだろう? だが、どうか前向きに受け入れて欲しい。



「ハルク様も、私にアルフさんとの結婚を望んで……」


 もしも自分が病に冒されていなかったら?


 恐らくアルフレッドとは、成人後も社交場で親しい友人として親交があったと思う。親交があった当時は心身が幼すぎて考えたことすら無かった話ではあるが、もしも健康なままに成人して結婚を申し込まれたとしたら、恋愛感情は無くても、彼とならば夫婦として良い関係を築いていけるときっと考えたのかもしれない。コーイック城にも、とても興味を示してくれて、いつも話を熱心に聞いてくれていた。

 貴族同士の結婚に恋愛感情がある方が珍しい。

 恋愛結婚したい、とは最初からゾーイも思っていなかった。不便な暮らしを強いてしまう自分と結婚したいと言ってくれる人が現れたとして、そんな人がもしも古くからの友人のアルフレッドだったならば、多分とても喜んでいた。彼に感謝し、彼のために自分も懸命に頑張れた。


 そう、健康であれば……



 手早くハルクからの手紙を折り畳む。

 少しだけ揺らぎかけた決意に、焦りが生まれていた。



 ハルクからの便箋をサイドテーブルに置いて、キーナを呼ぶために紐を握ろうと手を伸ばした時、手首を誰かの手が掴んでくる。

 その手のあまりの冷たさに「ひゃっ」とおかしな声が出た。

 けれどすぐに分かった。こんなにも冷たい手の持ち主は一人しか知らない。


 音も無く現れた死神は、いつもの黒ずくめ姿でベッドサイドに立っていた。真っ黒の仮面にぽつぽつと点のように開いている二つの穴が、ゾーイを見下ろしている。


「死神さん!?」

「話がある」

「は、話?」


 ゾーイが言った途端、死神の手は素早く離れていく。


 手が離された事に少しだけ寂しさも覚えた気がして、ゾーイはそんな風に思った自分自身に内心戸惑った。



「昨日の縁談の話だが」


 なぜか、忙しなく動く胸の鼓動と死神に掴まれた手首が気になり、胸に当てるように左手で右手首を掴んでいたゾーイは、唐突に言葉を切り出した死神を見上げた。


「昨日は、どうかしていた。姫は自分の意思で自分の未来を決めれば良い。昨日の私の発言は忘れて欲しい」

「最初からそのつもりよ」

「ああ。そうだな」


 言うと、死神の視線の位置が、ベッド上で上半身を起こしているゾーイの視線の位置よりも低くなる。真っ黒のマントに包まれた死神の足は、どうやら片膝を床について(ひざまず)く形になったらしい。

 死神の顔を見下ろす事になったのは初めてだった。

 黒いフードと、顔半分を隠してしまっている黒の仮面。こちらを見つめる死神はどんな目の形、瞳の色をしているのだろう。冷静に閉じられた血色の無い唇と、ゾーイに負けず劣らずな白い肌を持つ死神の彼は、本当は今どんな気持ちでこの場に姿を見せてくれたのか。


「調子が良さそうだな」

「ええ。でも、回復の見込みはないのでしょう?」

「死期は変わらない」

「そうよね。体調の事で喜んだり、がっかりしたり。縁談もよ? 死神さんと両親だけじゃなくて、ハルク様まで縁談を承諾しなさいと言うの。皆、私とアルフさんの結婚を望んでいるのよ」

「姫は、望んでいない。断れば良いだけだ」


 顔を浅くうつむかせて死神が言う。ゾーイの視界には仮面ではなくフードだけが映り込んだ。


 ……ああ。やっぱり。


 眉を下げて、くすっとゾーイが苦笑すると、気付いた死神はすぐに顔を上げた。口端が下がっている。仮面の下にあるであろう瞳と眉の動きは分からないが、恐らく「なぜ笑った?」と顔に書いてあるのだろう。


「死神さんはとても正直ね。言葉では断れば良いと言うのに、心の本音は私とアルフさんが結婚して欲しいって、今の態度は言っているわ」


 返事をしない死神の反応が肯定を物語っている。

 視線を下げたゾーイは掛布の上で自身の両手を絡ませあいながらもう少しだけ考えた。


 どうしてか。

 死神に会えて、こうして落ち着いて会話出来ている事に、ゾーイは今とても安心している。小さく縮こまっていた心がふわっと何かから解放されたみたいに大きくなっている。


 死が近づいているから、彼が傍にいると安心するのかな?

 本能が死を求めてしまっているから?

 分からないけれど、でもひとつだけはっきりと分かる。


 家族やキーナ達、ハルク、アルフレッドだけではない。ゾーイは死神()()辛い思いをさせたくないのだ。

 強く願っている。


 死神にとっての生きていた時の自分が、心穏やかで、笑顔で楽しそうに前向きに生をまっとうした自分であってほしい。



「……決めたわ。私、アルフさんと結婚する」



 ニコッと笑って、きっぱりと宣言する。

 宣言した途端、苦悩していて苦しかった心の内側が軽くなり、ゾーイは少しだけ泣きたくなった。


 この選択が一番、誰もが喜ぶ。悲しませるばかりだった自分が、喜ばせる事が出来るのだ。真実の余命を知る自分以外の人が皆、幸せを感じてくれる。


 固く閉じられていた筈の死神の唇が少しずつ開かれていく。驚愕している様子なのは明らかだった。


「嫌なのだろう? なぜ結婚するなどと」

「この結婚は、もちろんアルフさんも含めて、皆が望んでいて喜んでくれるものだからよ」

「周囲の人間はそうだが、姫は違う」

「死神さんは? 喜んでくれるでしょう?」

「……」

「どうして無言になるの?」

「姫にとっては望まない、辛いだけの結婚だ」

「今、考えが変わったわ。大切な人達が喜んでくれて、何よりも私に望んでいる事よ。望みを叶える事が出来て良かったと、思い直したの。何も辛くないわ」

「……姫」

「お願い。祝福して。ね?」


 死神の返事は無かった。


 仮面に二つだけ開いた小さな穴が、じっとゾーイを見つめている。ゾーイはどうしても返事が欲しかった。

 祝福する、おめでとう、と。

 死神に言って欲しかった。


 死神が口を開くまでゾーイは何も話すつもりは無かった。辛抱強く返事を待ち続けようと思ったのに、その意思はあっという間に消えてしまう。

 漆黒の仮面の下。死神の閉じられた口端を辿る、さらに顎を伝ってぽたりと落ちたのは涙。


 死神は泣いていた。


「どうして泣いているの?」


 何か、ハンカチか何か、拭くものを。


 ゾーイはおろおろと自分の身の回り、ベッドサイドテーブルを見たが、今この瞬間に限って涙を拭くのに適したものが何も無かった。たまらず手を伸ばしてしまいかけ、寸前で思いとどまった。行き場をなくした手はそのままシーツの上におろしてしまう。


 触れる事は出来ない。

 死神にとってのゾーイは苦しい程に熱い存在なのだ。涙を拭いたい、という理由だけで触れて苦痛を与えてしまうことは、とても出来なかった。

 

「死神さん? 大丈夫?」


 返事はないまま死神が静かに立ち上がる。

 涙に濡れた顎を、マントの中で手を持ち上げてそのまま拭いている。死神は一粒だけ涙を零したが冷静な様子に見える。ゾーイはますます困惑した。


 顔を上げた死神はゾーイを見ずに、ゆっくりと天井を見上げてポツリと呟く。


「運命……」


 困惑したまま、ゾーイがもう一度口を開こうとした瞬間には、死神は姿を消していた。



 ひとり部屋に残されたゾーイはしばし動く事が出来なかったが、やがて少しずつ、自分がいつもと違う状態になっている事に気がついた。胸が酷く苦しく感じる。けれど、この苦しみは病に無関係だとゾーイ自身がよく分かっていた。

 右手の手のひらを胸にあてて、どくどくと荒く打つ鼓動を確かめる。思い出すのは死神の流した涙。


 考えてしまうのは死神の事ばかり。


「私……」


 痛くて苦しいのは身体ではない。心。

 感情が膨らんで、膨らみすぎて、上手く呼吸が出来なくなってしまった心は、そのままばらばらに弾けて壊れてしまいそうだった。アルフレッドと結婚すると伝えれば、死神は言葉だけでも祝福してくれる、納得してくれると思っていた。まさか泣かれてしまうとは思わなかった。


 言葉を無くして涙を流す程に、喜ばれてしまうなんて。


「……そんな……」


 自分の本当の気持ちに気付き、愕然とした。

 全身から力が抜けて、のろのろと窓の外に視線を向ける。柔らかな朝陽が明るく包み込む青々とした外の世界を、絶望しながら見つめた。


 瞳に熱が集まってくる。

 色付いていた視界は大きく揺らぎかけたが、ゾーイは強く目を閉じて呼吸を整えた。


「目を覚まして。彼は死神よ」


 アルフレッドと結婚すると決断したばかりなのに。

 抗いたいのに抗う事が出来ない。


 出来ない、じゃない。

 抗い続けてこの感情を抑えなければいけない。ずっと気付かなければ良かったのに、どうして気づいてしまったのだろう。



 自分を死後世界に導くためにやって来た、いつも優しく寄り添ってくれる死神の彼に、強く心惹かれてしまっている。




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