表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/27

5 幼いころ



 結婚を申し込んできたアルフレッドと初めて出会ったのは、ゾーイが九歳の時だった。



 二大名城の管理をそれぞれに任命されている貴族二家は一週間以上の離城を禁じられており、一週間以内に帰城する予定での離城ですらも国への事前報告が義務とされていた。

 しかし例外がある。

 毎年、秋の始まりから冬の終わりまで四ヶ月も続く社交シーズンだ。社交シーズンはスミナリア王城に限らず、毎夜どこかの貴族邸宅で舞踏会や晩餐会が開かれている。社交シーズンの始まりの一週間、スミナリア王城では毎日のように舞踏会が開催される。この舞踏会への参加のために、往復の移動期間や支度期間も含めて一ヶ月間の離城が許されているのだ。


 男女共に、社交場に参加が許されるのは成人となる十六歳から。

 成人前のこども達は屋敷で過ごして親の帰宅を待つ事が大半だが、城にある『控えの広間』で過ごす事も許されていた。親達は、お留守番部屋、と呼ぶ広間だ。


 家の事情で容易には古城から出る事が叶わないゾーイとハルクの二人は、毎年のように王城で開かれる舞踏会の日々を控えの広間で過ごす事が定番だった。両親は社交に忙しそうだが、ゾーイは一年ぶりに会えるハルクと遊ぶ事をいつも楽しみにしていた。



 食事も全て完璧に揃えられている控えの広間に入ると、既に十人程のこども達が賑やかに過ごしていた。

 こども達の年齢の幅は広く、自然と年長者が小さな子をお世話するような雰囲気は昔からあった。広間の脇には王城使用人達が常に控えていたが、賑やかなこども達とは対象的に静かであるのもいつもの事だ。


「ゾーイ、こっちだよ」

「ハルクさま!」


 控えの広間の最奥。

 窓辺に立っていた当時十四歳のハルクはゾーイの到着にすぐに気がつき、右手を高く振り上げて笑顔で呼んでくる。ゾーイもパッと笑顔を浮かべて走りかけたが、「王城では走らない!」と口酸っぱく母から言い含められている事をすぐさま思いだし、ドレスの裾を持ち上げて急ぎ足でハルクの元へと歩みを進めた。


 あれ? と、驚いた。

 ハルクの隣に見慣れない男の子が立っている。


 ちょうどゾーイとハルクの中間ほどの背丈。短い黒髪の男の子は、ハルクの視線につられるような形でゾーイを見た。優しい柔和な顔立ちのハルクとは真反対で、男の子の目鼻立ちがはっきりと整っているせいか幼いながらに凜とした雰囲気がある。


 目が合うと、黒々とした瞳が驚いた様子で見開かれた。


 歩み寄るゾーイには聞こえない声で、男の子は素早く何かをハルクに耳打ちする。ハルクの「えっ?」という戸惑った声だけがかすかに聞こえた。ハルクは困惑した様子で男の子とゾーイを何度か交互に見た後に「分かった」と言って苦笑しているが、ゾーイは二人が一体何の会話をしていたのかは分からなかった。


「一年ぶり。元気だった?」


 再会を喜んでいるのはゾーイだけではない。

 嬉しそうに頬を緩めて身体を屈ませ、ゾーイの右手を軽く持ち上げて手の甲に口づけてくるハルクに、ゾーイも弾けんばかりの笑顔で頷いた。


「もちろんです! ハルクさま、お会いしたかったです」

「僕もだ。会えて嬉しいよ。今年も二人きりで過ごす事になると思っていたけど、友人もここで過ごすことになったんだ。紹介させてくれるかい?」


 はい、とゾーイが頷くと、ハルクは男の子へと視線を向けた。男の子は「こんばんは」と少々堅い表情でゾーイに声をかけてくる。


「彼はアルフレッド・ヘデン。ヘデン伯爵の二番目のご子息だ。ゾーイよりも三つ年上のお兄さんだよ」

「アルフレッド・ヘデンです」

「アルフレッドさま? はじめまして、ゾーイ・クシュケットです!」


 ゾーイが貴族のご令嬢としては少々元気すぎる自己紹介を満面の笑顔で行うと、男の子は困ったように表情を厳しくさせて小さく顔を横に振った。


「アルフと呼んでください」

「はい、アルフさま!」

「アルフ、と」

「……?」


「えっと……ゾーイ」


 助け船を出してくれたのはハルクだ。

 アルフは確かに伯爵家の子息だが二番目の子で継ぐ爵位はなく、そもそも爵位を賜って七十年の新しい家だ。クシュケットは子爵家だが、国が認める二大名城のひとつであるコーイック城を管理居住している由緒正しい家柄として、王家や貴族達からも一目は置かれて認められてもいる。爵位だけで考えれば確かにゾーイが下だが、貴族社会には爵位だけでは無い身分の差もあるんだよ、と説明されてしまった。

 まぁ色々事情はあるんだけど、アルフレッドの言うとおりにしてあげて、とハルクが頼むように言ってくるため、ゾーイは「わかりました」と頷いた。



 この出会いをきっかけに、ゾーイとハルクが二人きりで過ごしていた年に一回の五日間に、アルフレッドが加わった。


 アルフレッドは、しっかりしているという印象が強い子だった。

 人付き合いが不得手というわけでも緊張している様子もない。十二歳にしてはこどもっぽさがあまりない。無口ではないのだが、自分からはあまり口を開かず、表情も生真面目そうな真顔の時間が長かった。

 いつも賑やかに喋るゾーイとハルクの話を聞いて返事をしたり相槌を打つが、ふとした瞬間、アルフレッドが楽しそうに笑う無邪気な表情がゾーイはとても好きだった。


 アルフレッドはゾーイとハルクの暮らすそれぞれの古城の歴史や暮らしについて深く興味を持ってくれてもいた。ゾーイとハルクにとって、自分達と同年代のこどもが古城に興味を持ってくれる事はとても嬉しい事実であり、アルフレッドに尋ねられた質問には細かすぎるほどに細かく返事をした。

 一緒に食事をしたり、カードゲームやボードゲームをしたり。

 今までハルクと二人で過ごす時間はゾーイにとって充分に楽しい時間だったが、アルフレッドが加わり三人で過ごす時間はさらに楽しい時間になっていた。



 最初の変化はゾーイが十一歳、アルフレッドが十四歳の年。


 ハルクが十六歳となり成人し社交界デビューを果たした。

 ハルクは毎日、ほんの短い時間だけでも必ず控えの広間に顔を見せて二人に挨拶をしてくれたが、名残惜しそうにすぐに舞踏会へと戻ってしまう。

 一足先に大人になってしまったハルク。

 喜ばしいことだとゾーイは分かっていた。

 いつも通りに笑顔で挨拶し、ハルクの成人を祝福して舞踏会へと参加する彼を見送るものの、やはり寂しい気持ちは大きい。王城の控えの広間でアルフレッドと二人で過ごす日も既に四日目。ハルクがいないからといって気まずいわけではない。むしろハルクという兄役がいなくなったせいか、ゾーイは一人で元気良くはしゃいでアルフレッドを慌てさせてしまっているような始末だ。


 アルフレッドはハルクほどは感情はハッキリとは見せないが、一緒に過ごす時間は楽しい。


 楽しいのだが、やはり小さな時から必ず一緒に過ごしていた兄のようなハルクがいなくなって、心にぽっかり穴が開いてしまったような状態になっているのは事実だった。



「……ごめん」

「?」


 ゾーイはパッと振り返る。振り返る先には普段と変わらず、凜とした黒い瞳でこちらを見るアルフレッドが立っている。ハルクの時も同じだったが、十四歳になったアルフレッドは一年前よりもさらに背が伸びている。

 ゾーイは首を傾げそうになった。

 今、いつも少しだけ冷めたような口調で、話す時はきっぱりと話すアルフレッドの口から、信じられない程に優しい声音の「ごめん」が聞こえたような。


 思わず、まじまじとアルフレッドを見上げていたら、彼は警戒するように眉間に深く皺を寄せた。


「何か俺の顔についていますか?」

「ううん、ついてないわ。いつもツンツン話すアルフさんが、ハルクさまみたいな口調で『ごめん』って言ったような気がして」

「……ツンツン」


 どこにも笑える要素はない筈なのだが、よくよく見るとアルフレッドの表情は笑いを噛み殺す事に必死という様子がしっくりくる。たまにある事だが、ゾーイにはいまいち、アルフレッドの笑いどころが掴めずにいる。怪訝にアルフレッドを見上げると、彼は「先に食事にしましょう」と言って左手を差し出した。まるで紳士が淑女をエスコートするみたいに。

 淑女扱いされた事に気を良くして、ゾーイはすぐに機嫌を元通りにして「はい!」と返事をして、アルフレッドの手に自分の右手を重ねていた。



 夕食を終えた二人は何かゲームをしようとしたが、どのゲームにも先客のこども達がいた。


 ゾーイもアルフレッドも、この控えの広間にいるこども達の中では年長者にあたる。小さなこども達の面倒をみつつ、しかし大きな問題事もなく和やかな雰囲気だ。

 給仕係からそれぞれ果実水を受け取ったゾーイとアルフレッドは、空いていた大人用の三人掛けのソファに腰掛けた。大人達の舞踏会はまだまだ終わらない。


「アルフさんのお兄様には今年もお会い出来ないのでしょうか?」

「多分、ゾーイ嬢が成人するまで会う事はないと思います」


 きっぱりはっきりと断言されて、ゾーイは「えぇー」と不満の声をこぼしてしまう。クシュケット卿のご息女としてそのお返事はいかがなものでしょうか、と素早くアルフレッドに注意されて、ゾーイは慌てて取り繕って「失礼しました」と微笑んだ。

 優しいがマナーにはきちんと厳しかったハルクがいない事で気が抜けがちだったが、意外とアルフレッドにも注視されているらしい。


 アルフレッドと一歳しか年齢が違わないという、兄ジークレッド・ヘデン。


 ハルクの情報によると、ジークレッドの性格はアルフレッドとまったく違い、お調子者だと聞いている。楽しくて愉快な人らしい。ゾーイはジークレッドにも会ってみたいとずっと思っていて、アルフレッドにも会わせて欲しいと常々お願いしていた。


 しかし、ジークレッドは絶対に控えの広間には現れない。

 今年もどうやらアルフレッドの言うとおり、ゾーイに会う気は全く無いのだろう。


「兄さんは好奇心旺盛の自由人。自己中です。使用人を引き連れて誰にも見つからないように王城を探検するのを楽しむ事が毎年の恒例なので、兄さんとゾーイ嬢のお二人が未成年のうちに顔を合わせる事は不可能です。さすがに成人したら社交からは逃げられませんので、その時には会えますよ」

「私はまだ成人するまで後五年もありますよ? ご挨拶だけでも! 私がとても会いたがっていると、アルフさんはちゃんと伝えてくれていますか?」

「伝えていますよ。大人になってからお会いする時を楽しみにしていますと、ふざけた笑顔で返事をされて終わりです」

「そんなぁ……。それにしてもアルフさん、いつもお兄様にはすごく厳しいですね?」

「ゾーイ嬢も兄さんに会えば僕がこうなるのも納得します。あの人は色々突拍子もなくて、勝手な人ですから」

「つまり、楽しい方なのですね!」


 楽しい……なぜそうなるのでしょうか? と、嫌そうな様子でアルフレッドに反論されたが、そんなアルフレッドの反応がおかしくてゾーイは笑っていた。成人したら会える日を楽しみにしていたが、結局、一度もジークレッドと会う事は叶わなかった。



 最後にアルフレッドに会ったのはゾーイが十三歳、彼が十六歳の時だ。


 アルフレッドも成人して社交界の仲間入りを果たし、ついにゾーイは控えの広間で一人きりになった。

 もちろん、年長者として小さなこども達の面倒を見ていたが、誰かと一緒になって笑って話すような相手はもういない。そもそも年齢が近い子がハルクとアルフレッド以外にいなかったというのも理由にある。

 ゾーイの事を気にかけてか、ハルクとアルフレッドはそれぞれのタイミングで会場を抜け出して控えの広間に現れては、ほんのわずかな時間だけ話し相手をしてくれた事が、寂しさを抱えていたゾーイには間違いなく嬉しかった。


 しかし、もう大人になった二人にいつまでも甘えてはいけない。

 こどもながらにゾーイが罪悪感を抱いてしまうのに、時間はかからなかった。


 自分もクシュケット子爵の唯一の一人娘として、貴族に生まれた女性としての役目がある。次期ベスティリ侯爵となるハルクと、爵位は継がないとはいえアルフレッドも将来のために社交を疎かにしてはいけない。

 ゾーイは精一杯に強がって、いつも以上の笑顔で二人に伝えた。


「最初に一度挨拶してくれただけで充分嬉しいです。他の子ともちゃんと仲良く出来ていますから、社交に専念してください。私もすぐ大人になりますから!」


 ハルクもアルフレッドも驚いていたが、結局はゾーイの意思を受け入れてくれた。


 その日の開催宣言の前に一度挨拶に来て、その後は一度も控えの広間に来る事は無くなった。言い出したゾーイ自身が強がった事を何度も後悔しそうになり、これで良かったのよ、と言い聞かせた。毎日一度でもわざわざ挨拶に二人が来てくれただけで、ゾーイはとても力がもらえて、控えの広間での留守番も頑張れた。自分が成人を迎える日を楽しみにしていた。


 早く大人になって二人と同じ場所に立ちたい。

 沢山の人々と交流して世界を広げていきたい。


 結局、願いは叶わなかった。




 *


「……ねぇ。死神さん? いないの?」


 蝋燭の灯りも全て消して、真っ暗闇の寝室でゾーイは声をかけてみたが返事はない。姿も現さない。姿を隠したままこの部屋にいるという訳でも無さそうな気がして、ゾーイはほんの小さくため息をついた。言い争いをした訳では無いのだが、なんとなく後味悪く会話が終わってしまったまま一日が終わろうとしている事が少しばかり悲しい。


「死神さんには申し訳ないけれど、明日必ず両親に伝えるわ。アルフさんの縁談は断るからね」


 やはり返事はない。姿も現さなかった。


 死神が姿を消した後、ゾーイなりに真剣に考えた。考えれば考える程にやはり縁談を承諾する返事なんて出来る訳がないという意思だけが固まった。


 正直なところ混乱もしていた。

 縁談を申し込んできたアルフレッドの心情が全く想像出来ない。


 クシュケット子爵家とヘデン伯爵家はもともと家同士の交流が無い。

 アルフレッドと親しくしている事実は両親も知っていて友人関係を反対される事もなかったが、だからといって家同士の積極的交流のきっかけには至らなかったのは間違いない。ヘデン伯爵家が治める領地はコーイック城のある領地からは王都以上に遠い場所にある。交流を持つ利点は少ない、と両家が判断していてもおかしくはなかった。



 病に侵されてから一度もコーイック城から出る事が出来ていないゾーイは、アルフレッドとは一度も会う事は出来ていない。しかし、会うことが出来ていない事実に関して気に病んではいなかった。アルフレッドに限らず、ハルクとも会えてはいないのだ。


 ハルクはゾーイ同様に古城の管理居住の決まり事に縛られている不自由な身だ。


 アルフレッドはヘデン伯爵の次男で爵位を継がず自由がきく身とはいえ、いずれ爵位を継ぐ長男であるジークレッドを支える大切な役目がある事は変わりない。あるいは、どこかの貴族家に婿入りする可能性も高い。

 アルフレッドの両親がどのような人物なのか、ゾーイには分からない。

 しかし厳しい家柄であれば、領地から遠い場所にある古城の管理貴族の娘と、社交界以外で交流を持つ事に強く反対されていたとしてもなんらおかしくはない、と、もう二年も前に納得していた。


 二年前に納得したきっかけは、アルフレッドからの手紙が二年前を境に途切れてしまった事が原因だ。ゾーイの体調を常に気にかけて再会を願う言葉を必ず手紙に添えてくれたアルフレッド。

 まさか手紙が途切れるとは思わなかった。


 最後の手紙も不自然なところは何も無く、ゾーイも返事の手紙におかしな事を書いたつもりは無く戸惑った。不安になったゾーイは、手紙でハルクに相談した。ハルクの住まうオースホート城のある領地がヘデン伯爵家の領地の隣という事もあり、アルフレッドとハルクの二人はゾーイ以上に親交が深く続いている事も知っていたからだ。


 ハルクからの返事でゾーイは納得した。

 手紙が途切れたのは当然だわ、と。

 アルフレッドには、彼を婿に欲しい、と既に数多の貴族子女の家から縁談が舞い込んでいたのだ。自身の結婚の話を本格的に固めるために、相手の女性に誤解を生じさせないために手紙を出すのは控えているようだ、と書かれていた。


 ゾーイはアルフレッドの友人として、彼の良縁を心の中で静かに願うことにした。

 ハルクにアルフレッドの近況を聞く事はせず、ハルクもアルフレッドの近況をわざわざゾーイに説明することも一切無い。間違いなく友人関係だが、もう成人した男女だ。軽々しく話題には出す事が出来ない事を互いに理解していた。


 でも、もしも縁談がまとまったら、どうか教えて欲しい。

 祝福したい。


 ゾーイがアルフレッドに対して抱いていた想いはただそれだけだ。昔は昔。楽しかった時を共に過ごした記憶は、良い思い出として大切に胸の中にしまいこんでいた。



 まさか、二年の沈黙を破ってアルフレッドから結婚を申し込まれることになろうとは思ってもいなかった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ