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4 縁談



 ベッド上に置かれた折りたたみ式の簡易ミニテーブルの上には、一枚の書状が広げられていた。


 何度も書状を読み、読み終えると顔を上げて両親を見つめて、しかしもう一度読み直す事を繰り返す。そんな繰り返しが三度を終えて四度目に入ろうとした時、今まで黙ってベッドそばの椅子に座ってゾーイの様子を見守っていた父が「ゾーイ」と声をかけた。

 父の隣に座る母は涙ぐんで、ハンカチで目元を押さえている。感極まっている母の表情は明るかった。


「驚くのも無理はない。私も母様も驚いた。何度も確認したんだが、これは間違いなくゾーイへの正式な結婚の申し込みだ」

「ほ、本当に? 私の病気の事実をお伝えした上での申し込み?」

「もちろんだ。病気については包み隠すこと無くお伝えしている。ゾーイの身体の事も、この城での暮らしの苦労も、全て承知の上でクシュケット子爵家に婿入りという形でゾーイと結婚し、このコーイック城を管理し護りたいと――」

「ゾーイっ!」


 父の言葉を遮って、母はゾーイに飛びつくように、しかし寸前で病で弱っている娘の身体の事を思い出したのか、そっと包むように抱きしめた。はらはらと歓喜に震えて涙を流す母を、ゾーイは困惑しながらも抱きしめ返す事しか出来ない。

 ゾーイは分かっていた。父も困惑しているものの、間違いなくこの縁談を喜んでいる。母と同様に。


「やっぱりクシュケット子爵家には神様のご加護があるのだわ。ゾーイの体調はお医者様も奇跡という程日に日に良くなっていて、その事実だけで幸せだったのに。まさかこの御方から正式な縁談が申し込まれるなんて!」

「お母様、少し落ち着きましょう? お父様。まだこの申し込みのお返事はしていませんよね?」

「もちろん。ゾーイの意思も確認した上で、もう一度私も考えて返事を出すつもりだよ」


 問いかけると、父は微笑を浮かべてしっかりと頷いた。






 喜びに満ちている両親が退室してすぐ、ゾーイは背中にある大きな枕やクッションに、ぽすんと上半身を倒して沈めてしまった。自分では滅多に出す事のないため息があまりにも大きく、自分自身で驚いて思わず右手で口を覆ってしまう。

 寝室をきょろきょろと見渡して、この大きなため息が誰にも聞かれていなかった事に安堵した。


 社交界に一度も出た事がなく、病に冒されている事実も周知されている筈なのにも関わらず、正式な縁談が申し込まれた。ゾーイは大いに仰天してしまっている。



 スミナリア国では当主の直系男子に爵位が優先継承される。女子には継承権が無い。もしも直系となる子が女子しか生まれなかった場合、当主は爵位の継承について二つの選択肢が与えられていた。


 当主自身の兄弟、あるいはその兄弟の子息に継承させるか。

 当主の娘の夫となる男性に継承させるか。

 この二択からの選択が許されていた。


 当主夫妻にこどもが恵まれなかった場合はそもそも選択肢がなく、当主の兄弟か兄弟の子息に爵位が継承される事になる。兄弟もいなかった場合、当主の死亡後、爵位は王家に返還とする事が決まりだ。


 クシュケット子爵家の当主であるゾーイの父には姉が一人いるが子息はいない。他に兄弟もおらず、こどもも娘であるゾーイ一人のみ。

 父は昔から変わらず、ゾーイの夫となる男性に爵位を継承させる事を望んでいた。クシュケット子爵家は過去にも数回、こどもは女子しか生まれず、婿入りした男性に爵位を継がせたという前例の記録が残っているというのも理由としては大きい。

 コーイック城を護るクシュケット子爵という立場に父は誇りを持っている。爵位の返還は避けたい、という父の願いはゾーイも理解していた。もちろんゾーイも、クシュケット子爵家に生まれた者として、役目を果たしたいという思いは今も強くある。


 しかし、治療法もなく回復の見込みもない病に冒されている現実。

 言葉には出す事が出来なかっただけで、成人したと同時にゾーイはとっくに結婚というものを諦めていた。縁談に苦戦どうこうの話ではなく、そもそも自身の命が風前の灯火である事実を、死神に出会うよりも前から分かっていたのだ。


 けれど、諦めずに回復を願い信じている父に対して、「私の結婚は諦めて」と伝える事も出来ずにいた。父を悲しみの底に突き落とす事が、どうしてもゾーイは出来なかった。


 過去に戻りたい。

 言いづらくても言うべきだった。

 私の結婚はもう諦めて爵位は返還して、別の新しい貴族家の方々にコーイック城を護っていただきましょう、と。


 大きな後悔が押し寄せてくる。

 ゾーイはもう一度ため息をこぼしてしまった。

 

 縁談を申し込んできた男性の名を思い出す。その名を知らされた瞬間が、一番驚愕した。

 まさか()が私に縁談を申し込むなんて――




「大きなため息だ」

「!?」

「今更なぜ驚く」

「い、今は完全に気が抜けていたの!」


 硝子扉の前に音もなく現われた死神に声をかけられたゾーイは、ばくばくと鼓動を大きくさせる胸に右手をあてた。気を抜いていた。というよりも、縁談の事で頭がいっぱいになりすぎている。いつもなら死神が現れたらすぐに気付く事が出来るのに、今日は出来なかった。


「何があったんだ」


 不思議そうに尋ねてくる死神に、ゾーイは小さく首を傾けた。


「姿を隠してこの部屋にいて一部始終を見ていたんじゃ無かったの? いつも大体そうして私の一日を見ていると思っていたわ」

「四六時中この部屋にいる訳がないだろう。何があった」

「……結婚を申し込まれたの」


 死神も驚いたらしい。


 いつもなら即座に何らかの返事をしてくる死神の唇が閉ざされたままだ。ゾーイは意外に思った。結婚を申し込まれた、と伝えたとしても「三ヶ月後には終わる命だぞ」と釘を刺すように即答されるものだと思っていたのだが。

 死神の返事を待ってみる。しばし沈黙が流れた後、やっと死神は小さく唇を動かした。


「相手は誰だ?」


 思いがけない質問に、ゾーイはぱちぱちと瞬きを繰り返してしまう。


「意外だわ。死神さん、興味があるの? 私だけじゃなくて、スミナリア国の貴族の事も知っているの? 色々物知りだなぁと思ってはいたけど、どうやってそんなに情報を」

「質問に答えてくれ。相手は誰だ」

「アルフレッド・ヘデンさん。ヘデン伯爵家は知っている? ヘデン卿の二番目のご子息よ。今は確か、お変わりがなければ、領地でヘデン卿の補佐として働いていらっしゃる筈。私より三つ年上で、数少ない交流のある方のお一人で……と言っても、最後にお会いしたのは病気になる前だから私が十三歳の時ね。手紙ももう二年前を最後に途絶えていたの。まさか結婚を申し込まれるなんて思わなかったから、驚いちゃって」


 ほんのわずかにだが、死神の口端が明らかに下がっていく様子を目の当たりにして、ゾーイはますます驚いてしまう。

 緊張したように見えるような、見えないような。

 なんとも判断しがたい反応だった。


「返事はしたのか?」

「いいえ、まだよ」

「いつ、返事をするつもりなんだ」

「両親が少し落ち着いてから。私がこのまま奇跡の快方に向かうものだと信じてしまっているから、大喜びしてしまっていたの。もちろん、ちゃんと断るつもりよ」

「断るのか?」


 死神の言う返事というものは、断る、という意味の一択だけだとゾーイは思っていた。


 あまりにも縁談に喜びを露わにしていて冷静さを失っている様子の両親が気にかかり、しばし時間をおいて一度落ち着いてもらってから、今回の縁談を断るつもりでいた。ゾーイの奇跡の回復を信じている両親は縁談を断る事に反対するのは目に見えている。しかし、どんなに今は回復しているように見えても三ヶ月後には死んでしまう運命だという現実がある。ゾーイは、なんとか両親にこの縁談を断る事に納得して貰えるような理由を考える時間も必要としていた。


「今回の縁談を受けなさいと言うの? 断れ、じゃなくて?」

「三ヶ月後に死ぬ定めだからという理由()()で断るのならば、浅慮な判断だ」

「せ、浅慮、って」

「相手はアルフレッド・ヘデンと言ったな。彼は姫の病の事も、クシュケット子爵家の事情も全て理解し、受け入れ、覚悟の上なのだろう。姫がよく熟考した上で断るというのならば、彼も受け入れなければならないのは当然ではあるが」

「断る選択は間違っていないわ」


 浅慮、と。

 強調して言われて、ゾーイの胸中はぎゅっと握り潰されたように苦しくなる。


 ゾーイの決断を唯一分かってくれて後押ししてくれるであろう存在であり、しかし刻々と近づく死と魂を導く瞬間を待ち続ける、絶望の象徴のような存在。けれど毎日顔をあわせては、くだらない話題の言い合いに付き合ってくれて、隠しきれていない優しさを垣間見せる不思議な死神の彼。


 そんな彼が、まさか縁談を断る選択を浅慮と言うなんて。


「仮にこの縁談を受けるとして、大急ぎで結婚準備をしたとしても間に合わないわ。婚約期間に私は死んでしまう。快方に向かっていたはずの婚約者を亡くしたアルフレッドさんはショックを受けてしまうし、別の人と再婚をする時に影響が出てしまうかもしれない。父も母も……皆をとても悲しませてしまうわ。まさか三ヶ月後に私が死んでしまうなんて、誰も思ってもいないの。申し込みを承諾するなんて、そんなこと絶対に出来ない」

「アルフレッドは、分かっている」

「……死神さんは、アルフレッドさんの事を何か知っているの? 私と彼の関係性や、過去の事も?」


 死神はゾーイの問いに何も返事をしなかった。

 静かに、歩みを進めてベッドへと少しだけ近づいてくる。


「人間ではない私は、人の心、気持ち、というものは恐らく正確に理解は出来ていないのだろう。だが、言葉そのものは理解出来る」

「どういう意味? まさかアルフレッドさんと話した事があるの?」

「私が()()()()()と会話が出来るのは、過去を振り返っても今も、姫ただ一人だけだ」


 アルフレッドと会話はした事がなくても、過去に対象者と言われる人間の死を見届けて魂を死後世界へと導く使命を果たしていく中で、人間同士の会話を聞いて何らかの事情や情報を得ている、という事なのだろうか。

 だから彼はスミナリア国や、ゾーイの周辺の人々についても何か知っているのだろうか?



「なぜ……」


 死神が呟く。ゾーイではなく己に問いかけるように。


 彼は今もたまに会話の流れを断ち切って、なぜ、と呟く。いつも考え事をしている様子が忙しそうだな、とゾーイは思っていた。しかし、なぜ? と今声を大きくして聞きたいのはゾーイの方だった。


「生きている間に対象者がどんな選択をしたとしても、死期は変わらない。私の使命は対象者の魂を死後世界に導く事。それだけだ」

「あ、待って!」


 死神は己を自制するかのように言い聞かせると、やはりゾーイの言葉を無視して姿を消してしまった。


「もう……!」


 聞きたい事は山ほどあったのに。また、置いてけぼりだ。いつもの事ではあるのだが、今日は一段と心のもやもやが消えてくれない。


 死神である彼は、人の心が理解出来ない、と言うのにも関わらず、死ぬ定めだからという理由だけで結婚の申し込みを断るのは浅慮だと切り捨てた。アルフレッドは全てを覚悟の上で結婚を申し込んでいるのだから、ゾーイもよく考えて答えを出して返事をすべき――そのように諭されたようにしか思えない。死神の言動がちぐはぐに感じてしまう。


 そして死神自身が、己の言動に困惑しているようにも見える。



「承諾なんて出来ない。出来るわけないじゃない……!」


 ゾーイは両手で顔を覆って、もう一度上半身を倒して枕とクッションへと沈ませた。少しだけ開かれた窓から心地良い風が優しく部屋へと入り込む。


 夏の盛りが近づいている。濃い草木と土の香りが、風にのってゾーイを包むように静かに部屋を満たしていた。



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