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23 特別なダンス


 一曲目のダンスを終えて、アルフレッドにエスコートされ、こちらを向いたまま微動だにしないハルクの元へと足早に移動した。


「ハルク様!」


 声が聞こえる距離まで近付いて名前を呼ぶと、瞬きすらしなかったハルクの口元が大きく歪んだ。

 仮面をしていてもはっきりと分かる程に特徴的なハルクの優しげな瞳は、ゾーイと同様に赤くなっている。


 互いに両手を伸ばしあう。

 ハルクの両手が、アルフレッドの腕から離れて駆け足気味にやって来たゾーイの両手をしっかりと掴むと、そのまま掲げるように軽く持ち上げながら床に片膝をついて頭を垂れた。


「この日を、どれ程待ち望んでいたか」


 声を震わせながら言った後、ハルクはゾーイの右手の甲に口づけた。

 お互いに成人した上で顔を合わせた今、初めて、ハルクから淑女に対する正式な挨拶を受け取り、くすぐったい気持ちになりつつも、念願が叶い再会出来た喜びにゾーイは満面の笑顔が零れていた。ハルク・ベスティリ侯爵、と名を呼んだ後に、ゾーイも丁寧な所作で片膝を軽く折って顔を下げた。


「……私は夢を見ているのかな」

「いいえ、ハルク様。夢ではありません。ゾーイです」


 顔を上げたハルクが立ち上がると、ゾーイに片腕を差し出して嬉しそうに微笑んだ。


「次のダンスは私と踊りませんか、レディ?」

「ええ! 喜んで」


 ハルクの腕に手を添える。

 ハルクとアルフレッドは、互いに言葉を交わさないものの同時に目配せしあい、一度軽く頷きあっている。次にアルフレッドはゾーイに視線を送ると「また後で」と耳元に囁いた。ゾーイが感謝を込めて笑顔で頷くと、アルフレッドも軽く頷き、舞踏場の中央に向かう様子を見送ってくれていた。



 ハルクには確かめたい事と、伝えなければいけない事がある。

 しかし今のゾーイの気持ちは、ハルクとの初めてのダンスを素直に楽しむ事が最優先になってしまっている。

 どうやらハルクも同じ気持ちらしい。

 音楽に合わせてステップを踏みながらも、お互いに顔を見合わせて目があうと笑顔が浮かび合う。幼い頃とまったく同じだ。目を合わせると自然と笑顔になってしまう。話題はいつもお互いの愛する古城と家族について、これからの未来の話を、夢いっぱいに語り合っていた。


「二人はお互いにとっての『運命の人』だったんだね」


 先に口を開いたハルクの発した言葉に、ゾーイはハッと目を見開いた。


「ゾーイと踊っていた時のアルフの笑顔は衝撃的だったよ」

「アルフは、笑わない人ではありません。ハルク様も見慣れているでしょう?」

「見慣れているよ。アルフとの付き合いは長いからね。でも全然違うんだ。あんなに楽しそうに笑う表情を見たのは、多分今が初めてだ。彼からそんな表情を引き出してしまう事が出来る人はこの世界でゾーイだけだよ」


 言うと、ハルクは微笑を浮かべたままだが注意深く周囲を伺い見ている。


 多くの紳士淑女達が、この国に二つしか存在しない古城管理貴族同士のダンスを、物珍しそうに、あるいは観察している様子で視線を送ってくる。ゾーイもとっくに気付いてはいたものの、改めて、自分たちに向けられている関心の高さを知り、ハルク同様にしばらく微笑を浮かべたままもう一度口を閉じた。


 多くの人目があり、明らかな聞き耳を立てられてしまっているこの環境下で、しかもダンスを踊りながら全ての真実を問い質す事はあまりにも難しい。


 制約だらけの古城管理貴族であるゾーイもハルクも互いに成人し、しかもゾーイは既に既婚者でもある。手紙以外で、実際に会って言葉を交わす事が可能なのは、一年間のうちの王城舞踏会に参加する五日間だけ。今年に限れば二日間しかない。

 二人きりになる時間を確保するのも不可能に等しい。無理矢理にでもそんな時間を作ろうものならば、あらぬ誤解と憶測を招いてしまう。


 ハルクとの会話は、常に誰かしらの人目のある中で、という事が絶対条件になる。

 現実的な問題の壁はあまりにも堅牢すぎた。


 自分の考えていた計画が楽観的で無謀すぎたわ、とゾーイは痛感してしまう。唯一二人きりになれるダンスの時間に問い質す計画は、想像以上に困難だった。


「二人が結婚して夫婦になって欲しいあまりに、早馬まで出して手紙を送って後押ししておきながらこんな事を言うのは変な話ではあるのは分かってる。正直、本当に驚いたよ」

「私とアルフが結婚した事がですか?」

「うん」


 ハルクは笑顔だが、困ったように眉が下がっている。


「ゾーイは最終的に断る可能性が高いと思っていたから」

「なぜ、そのように思われたのですか?」


 尋ねながら、ゾーイは大きな緊張に襲われていた。


 ハルクは全てを知っている。だからこそ、断る可能性が高い、と思っていたのだ。ヘデン兄弟のどちからとの対面を果たしたその瞬間に、無謀にも兄弟を偽っていた真実にゾーイならば必ず気付くと確信すら抱いていたのかもしれない。


「病に苦しむゾーイにアルフは誰よりも心を痛めていた。けど、彼はゾーイの回復を信じて未来を諦めなかった。結婚したいと切望しながら懸命に過ごしていた姿を私はそばで見ていたんだ。当然、ゾーイはアルフの成長と心の変化の様子を何も知らないし、すべてを知る(すべ)もない。数年ぶりに再会した時、()()()()()()()()()()()()()にゾーイは戸惑い、拒絶してしまうのではないかと不安を抱いてしまったんだ」



 ハルク様も、何も明かすつもりはないんだわ。



 過去の事について真実を問い質したとしても、誤魔化され、嘘を重ね続けられてしまう。ヘデン兄弟と全く同じように。


 真実と嘘が混ざり合った今の答えこそ、これまでの嘘と隠し事についてのハルクの答えの姿勢が如実に表れている。



 ダンスは終盤にさしかかっていた。

 くるりとドレスの裾を舞い広げながらハルクを見上げる。

 諦めがほんの少しと、もういい加減に過去に囚われるのは辞めて、本当の意味で全てを終わりにして前を向こう、と吹っ切る意思を強く込めて微笑んだ。


「ハルク様の不安は的中していました。アルフの愛情があまりにも大きすぎて、私はずっと戸惑いっぱなしだったんです。昔と、あまりにも違いすぎていましたから」

「……うん。そうだと思う」

「でも、その大きすぎる愛情に、私は恐れを成すどころかあっという間に飲み込まれてしまっていたのです。ハルク様から届いた早馬の手紙も、私が結婚を決断する上での後押しになってくれました」


 はっきりと答えつつ、ゾーイは少しだけ声を小さくしてハルクの耳元ぎりぎりまで顔を寄せて囁いた。


「ハルク様にもきっと現れます。本当はもうとっくに、お知り合いどころか親しいご関係の方かもしれませんが」

「うん?」

「『運命の人』です」

「さぁ、どうだろうね。特に変化はない毎日なんだ」

「本当に?」


 伺うようにじっと見上げて尋ねると、「何かあったかな?」と呟くハルクは戸惑ったように軽く天井を仰いで考えている。ゾーイはくすっと微笑んだ後に、ターンをするタイミングに少しだけ視線を上向けた。


 王族のみが着席を許される二階席に立つ一人の女性。

 ハルクとダンスを踊り始めた時からずっと、こちらをきらきらとした真っ直ぐな眼差しで熱心に見つめ続けているのは、無垢な少女っぽさを少しばかり残した可愛らしい人。今年成人し、今日の王城舞踏会がお披露目となったばかりのスミナリア国の第一王女シェイラ姫だ。


 スミナリア国の王女はシェイラ姫ただ一人。

 唯一の姫君は、王城舞踏場にいる沢山の紳士達には目もくれない。分かりやすいほどに一途な視線をハルクに送り続けている。


「私が病に冒されてしまった年から、コーイック城では一度も王家の方々のご来訪はありませんでした。警備の準備や歓待の用意などで家族や使用人達の時間を煩わせ、衰弱している私の身体に負担を強いる事はしたくないと、恐れ多くもご配慮してくださっていたのです。代わりに、遣いの方が年に一度お見えになられました。光栄なことに陛下からの手紙を携えて。シェイラ姫からも毎年、頂戴しておりました」

「姫君からも?」

「はい。最近も結婚式の直前に、病の克服と結婚を祝してくださるお言葉と、ハルク様への伝言もお預かりしておりましたので今お伝えしますね」

「伝言? なぜゾーイに」

「ハルクさまとは家族同然のような関係性がありながらも、決して深い男女仲にはなり得ない女性が私だけだったからではないでしょうか? 王女殿下のお立場では、紳士への個人的な手紙のやり取りは簡単には許されませんから」


 手紙を思い出すとつい頬が緩んでしまう。


 病を患う前までは、年に一度だけコーイック城にやってくるお転婆な可愛らしいお姫様という印象だったシェイラ姫。

 大人になったシェイラ姫が胸に抱く熱い恋心。一国の王女という立場であるが故に、貴族子女以上に厳しく言動の制約に縛られながらも、出来うる限りの方法で想い人への恋情を精一杯に伝えようとしている。


 珍しいほどにはっきりと動揺した表情を浮かべるハルクを見つめながら、ゾーイはもう一度ハルクの耳元に顔を寄せた。



 ――わたくしシェイラはベスティリ侯爵をお慕いしております。成人のお祝いに、ダンスのプレゼントをいただけないかしら?



 短い伝言を言い終えると、ハルクは驚きに目を見張ったまま、放心気味にゆるゆると顔を上げてシェイラ姫が立つ場所を見つめた。目が合った途端に、シェイラ姫はパッと花が綻ぶように笑顔を浮かべて、頬をほんのりとピンク色に染めながら大きな丸い瞳を細めている。

 豊かな茶髪に編み込まれた黄色のリボンも金色に輝いているかのように、全身から喜びを放っている。


 ハルクは信じられない様子でしばらくシェイラ姫を見つめ続けたものの、やがて返事をするようにニコッと笑顔を返している。

 ついに顔を真っ赤に染め上げてしまったシェイラ姫は、恥ずかしそうに両手で顔を隠す仕草を見せていた。全ての動作があまりにも初々しく、可愛らしい。ゾーイの心も自然とときめいて小さく弾み始めていた。


「参ったよ。シェイラ姫が国王陛下夫妻と共にオースホート城に初めてご来訪されたのは、まだ姫君が四歳の時なんだ。それからは毎年一度、春に三日間ご滞在されるようになった。昔からずいぶんとオースホート城を気に入ってくれたみたいで、理由はよく分からないけど、城だけではなくて私の事も……言い方が失礼にあたるが、よく懐いてくれているご様子であるのはさすがに分かっていたんだ。でも、まさか」

「特別な感情で慕われていたとは思いもしなかったのですね?」

「鈍感って言いたそうだね、ゾーイ。否定が出来ない」


 ハルクの表情から微笑みが消える。

 少しだけ暗く、真面目な表情に変わっていた。


「手紙では深く話題にしなかったが、ゾーイも知っているとおり私は三度破談になっている。原因の詳細はほとんど知られていないが、破談を招く大きな原因を作り出したのは私自身にあったんだ」

「婚約は二人の、家同士の問題です。どちらか一方だけが原因という訳では無いはずです」

「確かに、辺鄙な場所にある上、時代遅れな設備しかないオースホート城で暮らす厳しさには耐えられそうにはないのが結婚出来ない理由の一つと伝えられたよ。でも、それだけじゃない。私が……婚約者には、私ではなく、私が一番に愛するオースホート城を同じように愛してほしいと望んでしまっていた。その願望が私の言葉や態度の端々に出てしまい、婚約者の心を孤独に追いやっていた。当時城で一緒に暮らし働いていたアルフに指摘されるまで、私は無自覚に過ごしてしまっていたんだよ」

「アルフが、ハルク様に?」


 ――女性達はオースホート城と結婚するためにここで暮らしているのではありません。ベスティリ卿、あなたのお人柄を知り、共に心を通じ合わせて過ごしたいと願っているのです。


 ハルクが三人目の婚約者と同居していた時、アルフレッドもオースホート城で暮らし働いていた。


 婚約者とアルフレッドの二人が顔を合わせる事が無いように注意して暮らしていたため、アルフレッドには一度も婚約者との会話を聞かれた事はない。目撃されていた事はあっても、遠目で一瞬だけという程度の時間だ。しかし、ハルク本人の日頃の様子で、結婚に対してハルクが無自覚に抱えていた願望や懸念を、アルフレッドには早々と気付かれてしまっていた。


「アルフに指摘されてやっと気が付いた時には既に遅かった。今までの破談は当然の結果だと思ってるんだ」


 かける言葉が見つけられずに口を閉ざしてしまう。

 顔色の優れない表情のゾーイに気付き、ハルクは「楽しくもない懺悔を聞かせてしまったね」と申し訳なさそうに言った後、もう一度微笑んだ


「ゾーイとヘデン兄弟の三人との関係性こそ『運命』だと思っているよ。この場合は『運命の友』と言うべきかな」

「それは……私も! 昔も今も、これからもずっと『運命の友』でいさせてください」

「手紙もだけど、ゾーイは昔からいつも私を喜ばせてくれることばかりを言ってくれるね。親しい友人達が皆、愛する唯一の人と幸せな結婚を果たしてくれて、私もこうしてはいられないと奮起し、何よりも大きな幸せを貰ってしまった。ゾーイ、結婚おめでとう」


 ハルクが言い終わるとほぼ同時に、指揮者が指揮棒を握る手を掲げて拳を握る。

 楽団の演奏はピタリと止んだ。

 舞踏場は一瞬静寂に満たされて、次にはワッと盛大な拍手で包まれていた。


 ゾーイとハルクも互いに向かいあって一礼をした後、会場全体に向けて拍手し、ハルクの腕にもう一度手をのせて立食場と向かって歩みを進める。さっと周囲を見渡してみるが、アルフレッドの姿は見つけられない。


「早速、シェイラ姫にダンスを申し込んでくるよ」


 言いながら、給仕係から水の入ったグラスを受け取ったハルクが、どうぞ、とゾーイに手渡してくる。

 グラスを受け取りながら、ゾーイは表情を明るくさせて瞳を輝かせた。


「間違いなく、とても喜ばれます!」

「私とのダンスが姫君一番のご所望とあれば、お応えしない訳にはいかない。……変だね、アルフが見当たらない」

「きっと人混みに紛れているだけです。両親も近くにいるので私の事はお気になさらないで。善は急ぎましょう、ハルクさま!」

「善? 波乱の間違いじゃないかい?」


 困ったように笑顔を見せるハルクは、過去の縁談での出来事を話していた時とは様子が違う。

 昔の面影を感じさせる、優しげな明るい雰囲気で満ちていた。



 また後でアルフとクシュケット子爵夫妻も交えてゆっくり話そう、と約束して、シェイラ姫の元へと向かうハルクの背中を見送る。


 喧騒の中、一時一人きりになったゾーイはグラスに口をつけて乾いた喉を潤した。

 もう一度じっくりと辺りを見渡してみる。ワイングラスを片手に歓談している両親の姿はすぐに見つける事が出来たが、やはりアルフレッドが見つけられない。上背があるアルフは、老若男女の人混みに紛れてもすぐに見つけられると思っていた。

 誰かに声をかけられてダンスを踊っているのだろうかと、新たな曲にのせて踊り始めた人々を注視してみるものの、姿は無かった。


 これほどよく目を凝らしてみても見つけられないという事は、そもそも会場から離れてしまっているのかもしれない。


「アルフ……?」


 通りがかった給仕係にグラスを返し、ひとまず会場内を歩きながらもう一度探してみようと決めて一歩足を踏み出した瞬間。


 視界は突如暗転し、喧騒が消えた。


「え?」


 自分が発した声が、どこまでも果てしなく広がる暗闇の世界に吸い込まれていく。前後、左右、上下。どこを何度も、どう見てもそこに広がっていたのは黒一色の世界だった。



「ヘデン兄弟だけではなくハルク・ベスティリも、これからも何も語ることはありません。三人の真意と真実は、闇の中に消えています。この現状を諦めと共に受け入れるばかりか、自分が本当に伝えたかった大切な想いまでも闇に葬ってしまうのですか?」



 美しい高音の声にのせて背後からかけられた言葉に、ゾーイは驚いて振り返る。


 小さな灯りすら一つもない暗闇の中にいるのにもかかわらず、ゾーイの目は声をかけてきた人物の全身の姿をくっきりと捉える事が出来ていた。

 ゾーイは思わず目を見張り、そのまま言葉を失った。


 距離をあけて背後に立っていたのは、全身を漆黒のマントで覆い隠し、同色のフードを深く被りながら目と鼻を仮面で覆っている。仮面にはポツポツと、瞳の位置であろう場所には二点の小さな穴が開いていた。


「後悔はしませんか? 古城の姫君」



 静かに問いかけてくるのは魂を導く者。

 死神だった。



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