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18 ◆諦めない



「……――さま、ルーフ様? いかがなさいましたか?」


 オースホート城の回廊。

 ベスティリ侯爵家に仕える老執事ウォッチャーに声をかけられ、ルーフと呼ばれたアルフレッドはハッとした。

 遠のきかけていた意識が現実へと連れ戻される。手に持っていた筈の本や書類が足下に散らばり、しゃがみ込んでそれ等を拾いながらこちらを見上げているウォッチャーの姿が視界に広がった。


「すまない、ウォッチャー。……軽い頭痛だ」

「軽いようには見えません」

「もう平気だ。午後からの観光案内と本城巡回も予定通りに、ベスティリ卿と私が行う」


 アルフレッドもしゃがみ、散らばった物を拾いながら笑顔を見せて頷くと、ウォッチャーは不安そうに眉を下げたままではあるものの「さようでございますか」と静かな口調で返事をした。




 ゾーイとの手紙を断ち、オースホート城に住み込みで働き出してから二年以上が経過している。

 季節は初夏。

 春から少しずつ観光客も増加し、日に日に忙しさは増していた。


 ベスティリ侯爵家の協力を得て、住み込んで働いている事実が公にならないように、国内貴族には顔を見せないようにするだけではなくルーフという偽名も用いている。ハルクと二人きりの時以外は常に『ベスティリ侯爵側近のルーフ』として過ごしていた。家同士が古くからの付き合いがあった事もあり、老執事ウォッチャーを筆頭に侯爵家に仕える使用人達は皆、ルーフの正体がアルフレッドだと把握している。

 アルフレッドが働きながら学びにきた目的も。



 ウォッチャーと別れ、これから始まる午後の業務に備えて私室へと戻るアルフレッドの足取りは重かった。

 軽い頭痛は今も継続してあるが、先程のように、意識が遠のきかけて冷や汗が出る程の激しい頭痛は久しぶりの事だ。

 頭痛の原因は既に分かっている。

 まったく現実的ではない原因を理解し、受け入れ、認めるには時間がかかった。しかし、幼い頃に兄が自分に語っていた事を認めざるを得なくなっている。



 今もどこかで『使命』を果たし続ける()()()()()()()が、大量の死者の魂を死後世界に導いたからだ。



 ウォッチャーと会話している最中、大量の人間の名と年齢、命の終わりを告げる自分の声が頭の中ではっきりと聞こえた。

 その人数が、いつもよりもあまりにも多すぎた。受け止めきれずに激しい痛みを伴った――のだと思う。もう一人の自分が感じる筈の疲労、あるいは心労のようなものが、アルフレッド・ヘデンとして生活している自分に全て降りかかっているかのように。

 数年前までは気絶、頭痛、目眩、嘔吐など様々な形で。

 健康になった今は頭痛という形で。


 ゾーイに手紙の返事を書いている時に初めて頭の中で自分の声が響いた時は、まだ信じていなかった。

 しかし、その日からが本当の始まりだった。

 毎日ではないが頻繁に、自分の意思で発しているのではない自分の声が頭の中に響くようになった。言葉はいつも決まっている。

 知らない誰かの名前、年齢、命の終わりを告げる言葉だ。


 厄介な事に、最近は声だけではなくなっている。


 一時的な短い時間、又はほんの一瞬。

 本来の自分がいる場所から見えるべき光景や人ではないモノが見える時がある。見知らぬ誰かが誰かと笑っていたり、談笑、口論をしている光景。あるいは一人きりでただ眠っていたり、働いていたり、ただゆっくりと散歩している様子。

 思い出す事も拒絶したくなる程の凄惨な光景も。


 場所も状況も様々だが、必ず視線の先には人がいた。


 視線の主は、恐らく『使命』を果たすもう一人の自分。

 もう一人の自分は常に静かに、誰の視界にも入らず存在を認知される事なく、いつも誰かを見つめていた。



 視線の先の人の()()を――命の終わりを待つように。




「聞こえていないのか?」

「――ベスティリ卿?」

「何度も呼んだよ。やはりまだ頭痛を引きずっているんじゃないかい?」


 今まさに私室のドアノブを回そうとした瞬間。

 強く肩を掴まれ、振り返った視線の先には険しい表情を浮かべたハルクが立っていた。午前中、国内貴族を相手に城内案内を担っていた彼は、終了して早々にウォッチャーからの報告をうけ、駆けつけてきたらしい。

 アルフレッドは思わず苦い顔をしてしまう。


「痛みはまったくありません。……今は少し、考え事を。失礼しました」


 ハルクは困ったように肩を少しだけ落とす仕草を見せた。アルフレッドが掴みかけたまま動かせずにいる右手を無視し、ハルクがドアノブを回して扉を開けると、そのままもう片方の手で背中を無理矢理押されてしまう。二人はアルフレッドの私室に入室した。


 扉を閉めて鍵をかけて二人きりになった途端、ハルクは切り出した。


「今朝、クシュケット卿とゾーイから手紙が届いたよ。ゾーイの手紙は、無理をして書いている様子がすぐに分かるようなものだった。クシュケット卿からの手紙には、危険な状態が続いているとだけ」


 内容の全てを言うわけでは無いが、ハルクはゾーイとクシュケット子爵からの手紙が届くと必ず知らせてくれる。


 いつも以上に暗い面持ちで話すハルクの様子だけで、ゾーイの命が風前の灯火である事実が克明に伝わってくる。自分の身体の状態については何も書かないゾーイに代わり、ゾーイの手紙と共にほぼ毎回必ず届くクシュケット子爵からの手紙には、短いながらも彼女の容態について綴られていた。


 病に冒されてから既に五年が経過するが、一度も回復の兆しについて触れられた事がない。


「アルフ、今のままだと必ず後悔する。ジークは結婚を申し込む時期は『今じゃない』と頑として譲らないんだ。親しい友人時代を思い出して、手紙を書いたらどうだい?」

「私がもう一度ゾーイ嬢に手紙を書く時は、結婚を申し込み、断られた時です」

「……もうこの際、強引ではあるけど、ジークを無視してアルフが直接結婚を申し込む方法もある」

「結婚を本気で望んでいると理解を得るには、ヘデン伯爵当主の兄がクシュケット子爵に申し込む以外に方法がありません。兄と同じく、私も今はその時期ではないと思っています」

「その時期は、一体いつなんだい?」


 悲嘆にくれながら焦る心情がありありと伝わってくる表情を浮かべてハルクが尋ねてくる。冷静に努めながら返事をしようと口を開きかけた時だった。


 突然、視界が暗闇に切り替わる。

 真っ暗で灯り一つない何もない空間がアルフレッドの視界に広がった。



 ――ゾーイ・クシュケット



「ゾーイ……?」


 初めて聞く声だった。

 いつも聞こえてくる筈のもう一人の声ではない。使命を果たし続けるもう一人の自分に、現実の自分がそのまま憑依して、誰かに告げられた言葉を聞き、そのまま自分に聞こえたような感覚だった。


 ゾーイ・クシュケット。

 今、声の主は確かにそう言った。


 把握した途端に全身が粟立つ感覚が容赦なく襲い来る。


 使命を果たすもう一人の自分が発する人の名は、常に、生の終わりの時を迎えた者に限られる。

 もう一人の自分がゾーイ・クシュケットの名を言った訳ではない。しかし、名を言わなくても聞いていたという事は、もう一人の自分がこれから関わっていく事になるという事なのか。



 もう一人の自分がゾーイに関わっていく――つまりそれが意味する事は――



「アルフ?」


 ハルクに名を呼ばれて、暗闇だった視界はすぐに現実へと切り替わった。

 怪訝そうに自分を見つめていたハルクが、緊張感を漂わせて詰め寄ってくる。


「どうしたんだ、急に。顔が真っ青だよ」


 ハルクに力強く両腕を握られて軽く体を揺すられ、呼吸を止めてしまっていたアルフレッドは急いで取繕い、落ち着き払って見えるように微笑を浮かべた。


「ゾーイ嬢に結婚を申し込むのは回復の兆しが訪れた時です。その時期は必ず近いうちに訪れると信じています」


 言いながらも、アルフレッドは身体の芯から冷たいものが込み上げてくる感覚を、確かに感じ取っていた。絶対に受け入れられない未来が訪れようとしている可能性が脳裏を掠めそうになったが、すぐさまその可能性を否定した。




 その日の業務を全て終えたアルフレッドは、真夜中に一人きりで、燭台を片手に静まりかえったオースホート城内を歩いていた。


 昼間の出来事を思い出しては頭が冴えてしまい、眠る事を諦めたアルフレッドは起き上がり、最初はそのまま机に向かった。しかし、一人で行うべき机仕事はとっくに終わらせてしまっている。このまま椅子に座って書物を読もうかとも考えたが、本棚を眺めてみても何も手を取る気が起こらなかった。

 結局、アルフレッドは髪を結ばないまま手早く着替えだけを済ませ、燭台を手に私室を出る事にした。今日は城内ばかりを歩き回っていた日で、外には一度も出ていない。そのせいか、足は自然と外へ向かっていた。

 城門を抜けて、そのまま城壁に沿って裏手にまわるように歩く。途中、夜間の警備兵数人と言葉を交わしながら、最低限の灯台と手に持つ燭台によって照らされた暗く細い石畳を慎重に歩き続けた。


 広大な海を見下ろす岬の上に佇む、オースホート城。


 太陽が出ている晴れの時ならば、石造りの歴史ある城内を見学しながら海を眺めたり、オースホート城へと向かう道中で遠目から眺めるだけでも充分にその景観を楽しむ事が出来る。人々を歓迎するような温かみを感じられると喜ぶ旅人も、大勢いる。しかし、夜闇に包まれたオースホート城と海はまったく別の顔を覗かせる。人間を寄せ付けないような、底が見えない冷たさと暗さを容赦なく解き放っている。


 歩き続けたアルフレッドは岬の先端に辿り着くと、足を止めた。


 今宵の海は凪いでいる。

 風も微弱だ。

 少しの間だけ星空を眺めた後、眼下に広がる真っ黒な海を見つめた。耳に大きく響くのは波の音。アルフレッドは波音に耳をすませ、海を見つめ続けていた。

 そうしていると、ますます意識は覚醒されてしまった。いつまででもこうして暗い海を眺めていられそうだったが、翌日も早朝から仕事はある。変わらず眠れそうにはないが、気分転換には成功したような気がする。


 アルフレッドは軽く息を吐き、城内に戻る為に暗い海に背中を向けた。



 ――半年?



 昼間と同じだった。もう一人の自分の声では無い、聞いたことのない声が頭の中に聞こえてくる。アルフレッドは咄嗟に足を止めた。

 今の声は、女性の声だ。



 ――見えているのか

 ――ええ、見えるわ

 ――声も

 ――聞こえてる

 ――なぜ、驚かない?

 ――えぇ? 驚いているわ。とっても



「会話……?」


 もう一人の自分が、女性と会話をしている。


 記憶が正しければ、もう一人の自分は誰かと会話したりする事は一切無かった。しかし今回は状況が違った。女性と会話し、会話が成立している事実にもう一人の自分が驚いているのが伝わってくる。



 ――あの……また会いたいわ。お話を…………



 消え入りそうな、わずかに震えたか細い声は、そこで途切れてしまう。


 じくりと頭痛を感じ、アルフレッドがわずかにうつむきながら左手で額を押さえる。ゆっくりと一度まばたきをした瞬間、視界にあった筈の自分の足下がぷつりと消えた。


 代わりに映し出されたのは、見知らぬ誰かの広い寝室。


 視界の正面にある大きなベッドに誰かが横たわっている。灯りは全て消されている筈なのに、ベッドに横たわる人の顔と線がくっきりと見える。

 先程聞こえてきた声の主と思われる女性の横向いた寝顔を視界に捉えて、アルフレッドは息を呑んだ。


 とても小さな顔。色を失った薄い唇。

 閉じられた瞼と、繊細な長い睫毛。

 艶を失った金色の髪と、掛布の上から腹を押さえるように重ね置かれた骨張った細い腕と手指。



 ――……ゾーイ・クシュケット……なぜ……



 最後に聞こえたのは、小さく呟くもう一人の自分の声。


 まさか。思った途端に容赦なく視界は切り替わってしまう。

 岬に立つ現実の自分の暗い足下が映し出されて、アルフレッドはしばらく呆然とした。もう一人の自分は今、使命を果たす為に、命の終わりを迎える者の傍にいた。ベッドに横たわっていた、あの女性の元へ。

 もう一人の自分の動揺と、現実の自分が感じた驚愕に、苦痛を覚える程に全身が緊張していた。


 女性の名はゾーイ・クシュケット。余命は半年。


 ずっと会いたいと切望していた人に、もう一人の自分越しに、強制的に望みが叶えられてしまった。だが、会えた事に対する喜びはない。言葉にし難い激しい感情の毒牙が、アルフレッドの心臓に深く鋭く食らい付く。下を向いたまま、額を押さえていた左手はゆっくりと胸元へとおろしていき、そのままぐしゃりとシャツを強く掴んだ。こめかみの辺りから顎へと伝って、嫌な汗が流れ落ちていく。

 奥歯を強く噛み締めた。


 ゾーイの回復を願い信じる現実の自分。

 ゾーイの魂を死後世界に導く使命を果たそうとしている、もう一人の自分。


 使命を果たすもう一人の自分に、本当に自分の魂があるのだとしたら、ゾーイの魂を死後世界に導く事に対して拒否感を強くさせていく可能性が高い。何かきっと方法がある。ゾーイの命を救う方法が。

 必死に考えていた時に思い出したのは、兄の言葉の数々だった。


 運命の人。

 もしも自分が必要としている運命の人が、兄の言葉通りに本当にゾーイなのだとしたら。



『漆黒の女人は言っていた。お前は俺にも劣らない程の力を持っているらしい。俺はお前を救う事が出来た。お前も必ずゾーイ嬢を救う事が出来る』



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