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12 愛したい



 アルフレッドにもう一度ソファに座るようにと促されて、ゾーイは無言のまま小さく頷いて座った。


 同じようにアルフレッドもゾーイの隣に座ると、テーブルに置いてある水差しを手に取って、空になりかけていたゾーイのグラスに水を注ぎ足し始めている。


「他に確かめたい事は?」


 水の入ったグラスを差し出される。

 グラスを受け取って少しだけ口に含んで飲み、両手で握りしめたまま水面を見つめた。


 嘘を突き通されても構わないと思っていたのに、実際そうされてしまうと、こんなにもショックを受けている。人払いをして二人きりになり、婚約は破棄しないと明言すれば、事情を打ち明けてくれるかもしれないと、勝手に期待してしまっていたらしい。


「他にと言われましても。今聞いた事が一番聞きたかった事です。もう、何もありません」


 動揺のせいか、今自分が発した声はあまりにも力無く、弱々しくなってしまっていた。




 文通をしていた年月、文通が途切れていた二年以上もの期間、どのように過ごしていたか。

 なぜゾーイとの結婚を望んだのか。


 それらの理由は、アルフレッドがコーイック城に来てからすぐに始まった家族の時間に、両親と共に全ての理由を直接聞いている。ゾーイは納得しながら話を聞いていた素振りを見せたが、全部を信じる事は出来なかった。

 アルフレッドが語った事は、幼かった頃に本当にゾーイと友人関係があった事が前提の理由だったからだ。


 アルフレッドはヘデン伯爵の補佐をしていたが、文通が途切れていた期間はオースホート城に身を置いて働いていた。古城の管理貴族の暮らしと仕事を学ぶために。だからこんなにも生活と仕事の理解が早かったのかと、両親だけではなくゾーイも納得した。オースホート城で働いている事実がまったく噂にならなかったのは、ハルクとヘデン伯爵が(おおやけ)にしていなかった事と、国内貴族の観光客の案内役は一切しなかった事がその理由だ。


 なぜオースホート城に住んで仕事をしていたのかと、驚いた父が尋ねた時に、アルフレッドは答えた。


『ゾーイ嬢への結婚の申し込みを父に認めて貰うためです』

『それは! 違うはずです』


 ゾーイは思わず口を挟んでしまっていた。


『ハルク様からの手紙には、アルフさんは複数の方々から縁談を申し込まれていて、お話を進めるために私との文通を控えるようにお父様から止められていたと書かれていました』

『手紙を禁じられた理由はその通りです。父との話合いは難航しましたが、縁談の申込みは全て断っていました。私個人と家の事情もあって、すぐに結婚を申し込む事は出来ませんでしたが、幸いにも兄とベスティリ卿が私の意思を応援してくれていました。今こうして私が婚約者でいられるのは、二人の支えがあったからこそです』


 ジークレッドとハルクが、アルフレッドの味方に。


『……もしも私の病が回復していなかったとしても、アルフさんご自身は、私との結婚を昔からずっと望んでくださっていたのですか?』

『はい』

 

 アルフレッドの言葉をそのまま信じ、手放しに喜ぶ事が出来ればどれ程良かったか。


 父と母は終始感動と喜びに浸っていた。ゾーイのどこが好きになったのか、コーイック城には昔から興味があったのかなど、興味深く聞いていた。

 アルフレッドは言葉に躓くことなく、すらすらと質問に答えている。平然と答えるアルフレッドの姿を、ゾーイは信じられない思いで、しかし決して顔には出さないように努め続ける事しか出来なかった。


 初めて出会った瞬間に心を奪われていた、毎年社交界シーズンの五日間を心待ちにしていた、会うことが叶わなくなってからはいつもゾーイの回復を願い信じながら、どうしたら結婚の申し込みまでたどり着けるか、申し込めたとしても承諾して貰えるかを常に考えながら生活していた――


 一体、ジークレッドとハルクは、アルフレッドに対してゾーイの事をどのように話していたのか。なぜアルフレッドは、こんなにもゾーイとの結婚にこだわるのか。


 笑顔を浮かべて会話をしながら、アルフレッドの様子をずっと観察する日々が続いていた。


 試しに昔の思い出話をしてみて反応を伺ってみようかと考えた時もあったものの、アルフレッドに先手を打たれてしまった。彼は全てを知っていた。ジークレッドはアルフレッドに、過去にどのような状況、場所で何を話したか、ゾーイがどのようなドレスを着ていたか、ハルクの着ていた服装や様子まで、事細かく情報を流して覚えさせていたのは明白だった。




「私自身は、嘘をつくのは不得手な方だと思っています。昔から兄やベスティリ卿にも正直すぎると注意される程ですから」


 ゾーイは驚いて顔を上げて隣に座るアルフレッドを見た。笑顔のないアルフレッドと眼差しがぶつかりあう。


 不得手? 平然と、堂々と嘘をついているのに?


 ゾーイは喉元まで出かかった言葉を必死に押し込めた。


「ただ、必要とあらば嘘を言い、つき通す時はあります。ついた嘘を嘘と認めないでいる間だけは、嘘が真実になります」


 返す言葉が見つけられず、ゾーイは瞳を揺らした。


 嘘が真実に。


 アルフレッドは、ゾーイとの関係性の始まりを、会えなくなってしまってから始まった直筆の手紙のやり取りからではなく、王城での出会いを――アルフレッドと自身を偽ったジークレッドとの出会いを、アルフレッド自身とゾーイの出会いの始まりの真実にしたいと考えている事になる。


 アルフレッドはテーブルに置かれていた水の入ったグラスを持つと、一気にそれを飲み干した。テーブルにグラスを置き、視線をグラスから離さないまま口を開いた。


「ゾーイ嬢は先程、婚約を破棄するつもりがないと伝えて下さった。その言葉を聞けただけで私はもう充分幸せです」


 アルフレッドは正面に向けていた顔をゾーイへと向け直す。

 二人きりになった途端に一度も浮かばない笑顔。堅い表情。漆黒の瞳からまっすぐな眼差しを向けられてしまうと、ゾーイはいつも一瞬だけ呼吸を止めてしまう。


「ゾーイ嬢には、笑顔で今と未来を生きて欲しい」


 今までアルフレッドからかけられたどんな言葉よりも、強い感情がこもっているように聞こえてくる。


 アルフレッドの右手が持ち上がる。

 そのままゾーイの頬に指が触れそうになった瞬間、ぴたりと手の動きは止まってしまった。わずかな間だけそのまま静止して、やがてゾーイの肌に触れる事無く静かに下ろされていく。人目が一切ない二人きりの場では、エスコート以外の理由で直接素肌に触れてはいけないと自制するように。


「信頼を得られるように尽力し、必ず幸せにすると誓います」


 この三カ月でよく知った生真面目なアルフレッドらしい動作。躊躇いなく伝えてくれる愛情の言葉。

 ゾーイはいよいよ泣きたくなった。


「幸せって……本当にそうですか? 私には今のアルフさんが本当の意味で幸せそうにはとても見えません。無理をしているでしょう?」


 大きく開かれるアルフレッドの瞳を、ゾーイは挑むように見つめ続けた。冷静になってと言い聞かせていた自分は、もはやいなくなってしまっている。


「私は今もアルフさんが大きな嘘をついていると疑っています。でも、ずっと気にかかっている噓は、出会いのきっかけの過去についてだけなんです! 真面目なお人柄で……思いやり深いアルフさんの事を、たった一つの過去のひっかかりだけを理由に拒絶したりなんてしません。私には絶対に出来ないです」



 ――ゾーイ


 ――ありがとう。出逢えて良かった



 頭の中に突然響いたのは死神の声。

 初恋の存在(ひと)の別れの言葉。


「私はアルフさんを――」



 愛したいんです。



 今のゾーイがアルフレッドに一番伝えたい気持ち。

 喉元まで出かかった言葉は、奥でもつれて絡まってしまう。


 嫌いではないが、深く愛するには、まだどうしても踏み込めそうにはないのも事実だった。アルフレッドは、信頼を得られるように尽力すると誓ってくれた。真実は教えてくれなかったものの、彼が嘘をつく事に関して、どのような考えの上で嘘をつくかまでは教えてくれた。アルフレッドはアルフレッドで、恐らく今伝えられる最大限の心内を明かしてくれたのだと思う。


 死神の事が好きだった。恋をしていた。

 けれどそれはもう過去の出来事。不思議な出会い、交流、初めて知った愛おしい感情。かけがえのない思い出だ。


 皆の願いが通じたからこそ説明のつかない奇跡が起きて、少しずつ快方に向かって救われた命。婚約者になったアルフレッドとは仲の良い夫婦になりたい。信頼関係を築いて、愛したい。


 意思は変わっていない。

 でも、素直に言葉を伝えようとすると、なぜか躊躇いがちになってしまう。アルフレッドと真剣に向き合おうとする度に、必ず死神の姿や声が思い出されてしまう。思い出された死神の姿と声がゾーイの言動を容易に封じてしまう。あり得ないと分かっているのに感じてしまうのだ。


 まるで今もまだ、本当は、自分のすぐそばに死神()が存在しているのではないかと。 


「も……もっと! 好きになりたいんです!」


 なんとか絞り出して言った途端、ゾーイは顔だけではなく耳と首まで真っ赤に染めて、ぐるりと顔を正面へと動かしてアルフレッドの視線から逃げてしまった。正直な気持ちを言葉にしたはずが、何かを間違ったような直感を覚えてしまう。


 シン、と訪れた沈黙がまるで針のように肌をちくちくと刺してくるように感じて少しだけ痛い。


「もっと、好きに?」


 呆気にとられた様子でアルフレッドに聞き返されて、ゾーイの恥ずかしさもいよいよ限界を迎えた。


「繰り返さないでください」

「……好きなのですか?」

「アルフさん!?」


 それ以上はもう言わないでください、と言おうとしてもう一度アルフレッドを見て、ゾーイは言葉を飲み込んだ。


 唖然とした様子のアルフレッドと、真っ赤な顔のゾーイの二人がしばし見つめ合う。

 先に表情が崩れたのはアルフレッドだった。


「驚いたな。一方的に手紙を断ってしまった事もあって、すっかり嫌われているかと」


 戸惑いながらも浮かべている表情は、普段、両親やゾーイに見せている余裕のあるような笑顔とは明らかに違う笑顔だ。


 心臓を強く握り込まれてしまったみたいに苦しい。


 ゾーイははくはくと小さく唇を離したりくっつけたりしながら、やがて意を決してもう一度口を開く。アルフレッドに誤解して欲しくない事があった


「病で伏せていた時、アルフさんとの手紙のやり取りに、私は救われていました。いつも楽しみで、何度も読み返しました。アルフさんが私に寄せてくれていた想いと同じではありませんが、私は以前からアルフさんを好きでした」


 ありがとうございます。

 礼を述べるアルフレッドの言葉はどこか、うわごとのようにも聞こえてくる。今のゾーイの言葉もアルフレッドにとっては想定外だったらしく、しばらく沈黙の時間が続いた。



「早いですが、二人の時間は終わりにしましょうか」


 アルフレッドの奥に見える置き時計を確認してみるが、二人きりになってまだ十分も経っていない。

 もう少し一緒に過ごしても良いのでは、とゾーイは考えたものの、アルフレッドはソファの端にかけていた上着に袖を通し始めてしまっている。他に聞きたい事はないかとアルフレッドに聞かれて、もう何もないと答えてしまった。話しはもう何もないのに、まだ婚約者同士の二人が長々と二人きりでいるのは、確かに避けた方が良い。

 アルフレッドの判断はおかしくはないのだが、ゾーイは引き留めた。


「あの、アルフさんは? せっかく二人きりです。両親も使用人もいません。結婚前に今、何か私に確認したい事や言いたい事はありませんか?」


 自分の言いたい事や聞きたい事は声に出す事が出来たが、このまま解散してしまっては、アルフレッドが自分に対して何を思っているかがほとんど分からないままになってしまう。

 アルフレッドは腕を組んで少しだけ考えた様子を見せたが、すぐにゾーイへと向き直った


「では、話す時の言葉遣いをもっと楽にしてください。名を呼ぶ時も。私に対するゾーイ嬢の言葉遣いがどうにも気になっていたので」

「名を……言葉遣い! アルフさん……アルフも! 私と同じようにして欲しいわ」

「私はまだ無理です。結婚式を挙げて誓約を済ませ――」

「大丈夫よ! つい最近、父に聞かれていたの。『こどもの頃から二人はそんなによそよそしく話していたのか?』って。両親から見ても違和感があったみたい。だから、アルフも私と同じように話して。誰も咎めないわ」

「しかし」

「良いの。ゾーイと呼んで? お願い」


 頼み込むと、アルフレッドはしばし考えるように沈黙したが、やがて微笑んだ。

 嬉しそうな様子をまったく隠していない様子が、驚く程に艶っぽくて美しい。


「分かった。そうするよ、ゾーイ」


 部屋に行こう、と言いながら、アルフレッドは手を差し出してくる。差し出された手のひらの上に、ゾーイもゆっくりと手を重ねながら願った。



 迷いも躊躇いもなく、この人を愛したい。

 強く願ってしまっていた。



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