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ジークレッド・ヘデン



 今まで過ごしていた生活の全てが一変したのは、ジークレッドが十一歳の時だった。



 ※



「アルフレッド・ヘデン、十歳。死亡」



 若い女性の高い声から発せられた言葉が頭の中で響いた瞬間、ジークレッドはハッと目覚めた。


 眠りから目覚めた感覚だったが、実際は違った。

 全てが闇に覆われた中でジークレッドは立っている。


 ここはどこだ? 今の声は――


 視界の先に見えたのは、仰向けに横たわっているアルフレッド。アルフレッドのそばには、闇に同化してしまうような漆黒のマントとフードで身体を覆い、目元と鼻を隠すように黒い仮面をつけた人間がいた。アルフレッドの胸元の真上の辺りに右手をかざしている。

 ジークレッドの呼吸が一瞬、止まった。

 漆黒の人間がかざしている右手は淡く白っぽく輝いている。アルフレッドの胸元から浮かび上がる淡い輝きが、漆黒の人間の右手に吸い込まれていた。


「やめろ!」


 ジークレッドは咄嗟に叫んでいた。


 闇色の空間に突如響いた叫び声に、アルフレッドを見下ろしていた漆黒の人間が顔を上げる。かざしていた右手も素早くマントにしまい込むと、行き場を失った淡い輝きはふわふわと空中を漂っていた。


「アルフ!?」


 仰向けに横たわったまま目覚めないアルフレッドに駆け寄って抱き起こし、ジークレッドは絶句した。

 アルフレッドは後頭部から大量の血を流し、意識を失っている。


「アルフ! アルフ!? おい!?」

「君は……どうやってここに……」


 漆黒の人間が驚いた様子でしゃがみこみ、仮面に開いた二つの穴からジークレッドを覗き込みながら尋ねてくる。漆黒の人間が発した声は、先程の若い女性の声とよく似ていた。

 ジークレッドは血に濡れたアルフレッドを抱き寄せて、漆黒の人間を睨み上げた。死にそうになっている弟を抱えて冷静でなどいられるわけがない。気は動転していた。


「アルフに何をした!?」

「私が見えるのですか?」

「答えろ! アルフに、何をした!?」


 これはちょっと、とても珍しい事が起こっていますね、と、ジークレッドには意味が分からない言葉を漆黒の人間は苦笑交じりに呟いている。

 いいや、この女は人間じゃない。ジークレッドの頭の中を()ぎったのは『死神』という言葉だった。この死神は、アルフレッドを呪って殺そうとしているに違いない。


「お前、死神だな。なんでアルフを……!」

「違いますよ。君、落ち着いて。わたしの話を聞いて」

「ここはどこなんだ!? 俺達を帰せ!」

境界(ここ)にいる限りアルフレッドは()()生きています。むしろ今この状態で帰してしまったらアルフレッドの死亡は確実、魂は死後世界へ行くことが出来ずに迷ってしまいますが」

「適当なことを言うな!」


 漆黒の女人はジークレッドではなく、アルフレッドへと視線を移すように少しだけ顔をうつむかせた。


「アルフレッドがどうして大怪我をしているのか、君も分かるはずですよ。現場には君もいたのですから。君と御者、使用人の命は助かりますが、アルフレッドは助からなかったのです」


 現場には俺も。アルフレッドと、御者と使用人?


 アルフレッドを抱える両腕が震えそうになる。

 血まみれの弟が死神に呪われそうになっているという光景の、あまりの衝撃の大きさに、自分たちの身に何が起こったかをすっかり忘れていた。




 今日。

 ジークレッド・ヘデンは両親と弟、三人の使用人と共に、隣の領地にあるオースホート城へ向かっていた。


 スミナリア国の二大名城の一つ、オースホート城。

 オースホート城の居住管理貴族ベスティリ侯爵家とヘデン伯爵家は古くから親交がある。季節は夏の盛り。秋から冬にかけて行われる社交シーズン以外にも、シーズンオフの季節に両家で休暇を過ごすのは毎年恒例の事だった。社交界シーズン以外に離城が許されないベスティリ侯爵家には行動の自由がほとんどない。ヘデン伯爵家がオースホート城へ向かい、会いに行くという形が常だった。


 移動は馬車三台。

 先頭の馬車には両親、後方の馬車にはジークレッドとアルフレッドと使用人、最後尾の馬車には使用人二人と荷物を積んていた。


「……天気が突然、悪くなって……雨が……風が強かった。俺と、アルフと、使用人(ルイ)が乗っていた馬車は……」

「君達が乗った馬車が崖から転落して、外に投げ出されたアルフレッドは岩に強く頭を打ちつけてしまった。アルフレッドは十歳で死ぬと、死期は定められていました」

「……嘘だ……」

「私は死神ではありません。人間を呪うことも殺すことも出来ません。死期が迫った人間を静観し、死期を迎えた人間の魂を死後世界に導く者です」

「嘘だ!」


 叫び声は悲鳴に近かった。


 転落した瞬間の事を思い出す。

 ジークレッドとアルフレッドを向かい合わせに座り、アルフレッドの隣に使用人のルイが座っていた。馬車が落ちた瞬間、使用人のルイは、隣に座っていたアルフレッドではなくジークレッドを庇うように引っ張り寄せた。ジークレッドの身体も命も、ルイによって守られていた。

 しかしアルフレッドは。


 どんなに強く抱きしめても声をかけてもアルフレッドは反応しない。

 しかし、アルフレッドの身体はずっとぼんやりと淡い輝きに包まれている。ジークレッドの視界の端々には、アルフレッドの身体から発せられたきらきらと光る輝きがずっと漂ったままだ。

 魂を導く者、と名乗った漆黒の女人が、マントから右手を出して掬うような形で手のひらを上向ける。宙を漂っていた輝きは吸い寄せられるように彼女の手のひらに集まっていた。


「この光はアルフレッドの魂です。まだ全てが身体から離れた訳では無く、半分は私が、半分はアルフレッドの身体に残ったままです」

「魂……?」

「安心してください。彼の魂は私が必ず、迷わないように死後世界へと導きますから」

「やめてくれ!」


 年齢は一歳違い。

 顔も背丈もあまりにもそっくり過ぎて、よく双子に間違われる。しかし似ているのは外見だけ。好奇心旺盛で自由奔放、言葉よりもまずは即行動のジークレッド。突拍子もない言動を繰り返す兄を注意するものの、結局巻き込まれて被害を被る事が多かったしっかり者のアルフレッド。

 性格はまったく似ておらず喧嘩もそれなりに多かったが、二人は仲の良い兄弟だった。


 唯一の弟。愛する家族。

 アルフレッドが死ぬという現実を目の前に、ジークレッドは何も出来ないまま、ただ悲痛に沈んで魂を見送る事など出来る訳がなかった。


「アルフが死なないのなら、助かるなら、俺は何でもする。お前の……あなたに何でも従う! 頼む、アルフの魂を返してくれ!」



 何でもする。アルフの命が助かるのならば。


 漆黒の女人が今、どんな表情はしているのかはジークレッドからは全く分からない。うすく口を開けたまま黙っていた漆黒の女人はしばらく沈黙していたが、やがてうっすらと、ほんの少しだけ唇の両端を持ち上げて微笑んだ。


「アルフレッドは君にとっての『運命』なのですね。類を見ないとても強い運命の力が、アルフレッドを救おうとしている。だからこそ、生き身のままで境界(ここ)に来られたのかもしれません」


 漆黒の女人は左手を自身の胸に当てた。

 瞬間、ふわりと薄青色の輝きが左手を包む。それぞれの輝きに包まれた両手を、ジークレッドが抱き寄せているアルフレッドの胸元にかざすと、二色の輝きはアルフレッドの身体に吸い込まれていった。


「先程も説明した通り、私は死期が迫った人間を静観し、死期を迎えた人間の魂を死後世界に導く者です。それが、私が天から……人間がよく言う『神』という存在を想像してください。天から命じられた使命です」


 漆黒の女人は顔を上げて、口元に笑みを浮かべたままジークレッドを見た。



「人間は皆、それぞれに数多の運命を抱えていますが、()に関わる運命は二つあると天はお考えです。一つは、自身が必要としている運命の魂。もう一つは、自身を必要としている運命の魂です」



 漆黒の女人の言葉の意味が分からなかった。


 ジークレッドの両腕は、アルフレッドの身体から先程までは感じられなかった温かみを感じ始めていた。わずかに上下するアルフレッドの腹部の動きに気付き、ジークレッドはグッと唇を強く噛んで、もう一度強く抱きしめる。


 死んでいない。

 アルフレッドは生きている。



「魂を導く者は私以外にも多く存在します。話には聞いたことがありました。ごく稀に、生き身が境界にやってきて、運命の魂の死期を変えてしまう……生き身に出会った我々が、魂を導く使命を果たす事が出来なくなってしまう時がある、と言うのです。私は体験したことが無かったので、本当にそんな事があるのかと理解も出来ませんでしたが、今日初めて分かりました。定められていた運命の死を全力で食い止めようとする君と、君の運命であるアルフレッドの二人が辿る未来を、この目で見てみたくなりました」

「…………」

「私にはアルフレッドを完璧に助ける力はありません。弱りきった魂を身体に留めさせるために、私の魂を半分、彼に注ぎました」

「あなたの魂を?」

「アルフレッドは死なない代わりに、完全な人間でも無くなります。私の力が彼を生かしますが、人間ではなくなった彼にも導く者の使命が生まれます」



 アルフレッドは死なない。

 しかし目覚めた時には半分人間、半分は導く者としての身体と魂になっている。


 今のアルフレッド自身の魂は、いつどんな拍子に身体から離れてしまってもまったく不思議では無い程に衰弱している。目覚めたとしても、突然死んでしまう可能性が高い危険な状態だ、と。今のアルフレッドが生き続けるには、自身の魂を強く身体に縛り付ける、導く者の魂の存在が絶対に必要なのだ。


「導く者には使命があります。今のアルフレッドは使命を果たし続けることで、弱った命を繋ぎ止め、回復に努めることが出来ます」


 しかし、完全な人間でも、完全な導く者でもないアルフレッドは、今までのような日常生活を過ごす事は非常に困難になる。


 対象者を静観している時や魂を導く時は、人間の時のアルフレッドはほとんど眠ってしまっている状態になってしまう。起きたとしても、疲労のせいで満足に日常生活を行う事も困難になる。導く者として使命を果たしている時の記憶も、明確には残らない。万が一、記憶として残ったとしても、それは人間が眠った時に見た夢のような感覚に等しく曖昧なもので、すぐに忘れてしまうだろう。

 命と身体は助かっても、アルフレッドは計り知れない程の苦労を背負う事になる。


 だが、時間の経過と、導く者としての使命を果たしていく事により、身体も魂もゆるやか確実に回復していく。


 時間はかかるが、人間として普通に生活しながら、突然眠って倒れたりする事もなくなり、起きていながらに無意識に導く者としての使命を果たす事も可能になる日は必ず訪れる。



 漆黒の女人の説明を聞いて、ジークレッドは希望を持った。自然に胸をなで下ろしかけたが、漆黒の女人はその希望を壊すように声音を低くして、さらに言葉を続けた。


「アルフレッドの死期が変わり助かったことにより、多大な影響を受ける人間がいます。それは、アルフレッド自身()必要としている運命の魂の死期です」


 アルフレッド()必要としている運命の存在、ジークレッド。

 ジークレッドはアルフレッドの死期を変えて命を救った。

 だが、その影響で、アルフレッド()必要としている運命の死期が変わったと、漆黒の女人は言う。

 

 ジークレッドの背筋に悪寒が走った。


 アルフレッドが必要としている運命の人ならば、それはジークレッドにとっても必要な人になる。最優先は間違い無くアルフレッドの命だが、命が助かったとして、アルフレッドにとっての大事な運命の人を犠牲にしたい訳では無い。


「その人は、俺も知ってる人なのか? 家族?」

「私には分かりません。もちろんアルフレッド自身も。誰にも分かりません。本来、はっきりと分かることはないのですよ。君が境界にやって来たことで、私も初めて、アルフレッドを必要としている運命が君なのだと分かったのですから」

「アルフが必要としている運命の人の死期が変わったっていうのは、同じように死期が長くなるって事なんだろう?」


 そうであってくれと願いながらジークレッドは尋ねたが、漆黒の女人はゆるやかに首を横に振った。


「いいえ。死期が延びたのか、短くなったのか。どのように影響が与えられる事になるのかも私には分かりません。ただ、一つだけ分かっていた事は、本来のアルフレッドは自身を必要としている運命との強大な力の繋がりがあっても、自身が必要としている運命との繋がりはとても小さかったということ。魂は惹かれても、重なり合う運命では無かったということです。本来ならばこのまま死期を迎えていたのですから」

「……アルフがこのまま助かって、でも、アルフが必要としている運命の人を失った時……アルフに影響は?」

「当然、あります」

「な、何が起こるんだ?」

「その時になってみなければ誰にも分かりません」


 ジークレッド抱いていた希望が粉々に砕かれていく。


 アルフレッドの命が今、助かったとしても、これではただほんの少しだけ時間稼ぎをしただけにすぎないのかもしれない。真実にアルフレッドを助けたとは言えない。


 顔色を真っ青にさせるジークレッドに、漆黒の女人は微笑んだ。仮面のせいで目元が見えず表情は分からなくても、その微笑みは苦笑のようだとすぐに分かった。


「……どうしますか? やはりこのまま、死期通りにアルフレッドの魂を死後世界に――」

「教えてくれ!」


 漆黒の女人の言葉を遮って、ジークレッドは温もりを取り戻したアルフレッドを腕に強く抱きしめながら尋ねた。


「どうすれば! アルフと、アルフが必要としている運命の人を無事に助ける事が出来るんだ? 悪い影響が出ないように、二人が辛い想いをせずに済む? 俺が出来る事って、何なんだ? ……お、お願いだ、教えてくれ……!」


 まだ十一歳の少年の、愛する弟と弟の大切な人の命を想うあまりに込み上げた激しい熱は、言葉と涙となって溢れていた。


 真っ暗な境界にジークレッドの泣きじゃくる声がどこまでも響き渡る。漆黒の女人は黙ってジークレッドとアルフレッドを交互に見つめ続けていたが、やがてジークレッドの頭に右手を置いた。


 漆黒の女人の手からは温かさも冷たさも何も感じない。

 唇は優しく弧を描いていた。


「アルフレッドの死期を変えて命を繋ぎ止める程に強大な力を持つ君ならば、見つけられるかもしれません。アルフレッド自身が必要としている運命の存在も」

「俺が? どうやって……」

「さぁ、それは私にも分かりません。でも、アルフレッドを必要として魂を救い出してしまう奇跡を起こしてしまう君なら、きっと」


 漆黒の女人の手はジークレッドの頭を撫でたあと、ふわりとそのまま手を下ろして頬を包んだ。



「アルフレッドと、彼が必要としている運命を救い出す方法は一つです。アルフレッド自身が()()()()()ことです。己が必要としている運命の存在に。気付かなければ、運命は重なったとしてもまた離れてしまう。気付き、繋ぎ止めるのです。……アルフレッドも力を秘めています。真に気付いた時に、己の力で運命を繋ぎ止める力は十分にあります」



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