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1 余命


 ――間違いない! 彼女が、おまえが必要としている運命の人なんだ!



 兄の言葉に、弟の少年は愕然とした。

 『運命の人』などという、まるでおとぎ話のような現実味のない言葉と存在を信じる事など出来るわけがない。


 ()()()以来、兄がおかしい。


 兄の言動がおかしくなってしまったそもそもの原因は自分にある。自分が、こんな状態になってしまったから……




 ――*◇*――



 珍しく訪れた眠れない夜は特に考えてしまう。

 あとどの位生きていられるのだろう? と。



 夜も深い時刻。

 なかなか寝付くことが出来ずにいたゾーイは、ぼんやりと天井を眺めていた。寝なきゃ、早く寝ないと、と何度も思って無理矢理目を閉じていたが睡魔はやってこなかった。それどころかどんどん頭も目も冴えてしまって、結局目を閉じ続ける事も諦めてしまっている。


 季節は春の終わり。

 温暖な気候であるスミナリア国では夜でも充分に過ごしやすい気候だ。もうすぐ夏がやってくる。


「雨?」


 いつの間にかシトシトと雨音が外から聞こえてくる。

 ゾーイは頭だけを動かしてバルコニーへと続く硝子(がらす)扉を見た。

 ベッドから硝子扉まではゾーイの狭い歩幅で十歩程も距離があった。扉の向こうの外を見ると、やはり雨が降っていた。つい先程までは星と月の灯りが差していたのに。今は雲で覆われてしまったらしく、闇が濃くなっている。


 もう一度ゆっくりと目を閉じてみた。

 嵐のような雨や強風は怖い。しかし今のような、風のない状態でシトシトとリズム良く降る雨音は好きだった。目を閉じて視界を暗闇にして、耳から入り込む雨音だけに意識を集中する。

 やっぱり、心地良い。


 このまま眠れるかもしれない――そう思った時。



「ゾーイ・クシュケット」



 突然名を呼ばれ、ゾーイはぱちりと目を開けた。

 しばし閉じっぱなしだった視界はぐにゃぐにゃとぼやけている。バルコニーへと続く硝子扉の前に、何やら縦長の漆黒の物体が見えるような気がするのだが、どうもハッキリしない。

 ここは自分の寝室。人が入ってくるような物音は何も聞こえなかった。

 しかし今、明らかに男性の声が聞こえてきたような気がする。


 縦長の漆黒の物体が、ゆっくりとゾーイが横たわっているベッドへと近づいてくる。


「十九歳。金の長髪、薄青色の瞳を持つ痩身の女性。先祖代々、スミナリア国内にあるコーイック城の居住管理を任されているクシュケット子爵家の一人娘。十四歳の時に病名不明の病を発症、月日の経過と共に身体機能の衰弱。回復の見込み無し。余命は半年」

「半年?」


 驚いてしまい、掠れながらも小声で思わず問い返すと、ゾーイへと近寄ってきていた縦長の漆黒の物体がピタリと動きを止めた。


 漆黒の物体はどうやって忍び込んだのか。

 やはり人間、声を聞く限り恐らく男性だ。

 柄も何もない、漆黒一色のマントで全身を覆い、フードを深く被っている。ゾーイから見えているのは薄い唇を持つ口元だけ。口は小さく開いていて、ひゅっと息を呑んでいる様子だった。


 しばし無言になってしまう二人きりの寝室に、シトシトと雨音だけが響いている。先に言葉を発したのは漆黒の人間だった。


「見えているのか?」

「ええ、見えるわ」

「声も」

「聞こえてる」

「なぜ、驚かない?」

「えぇ? 驚いているわ。とっても」


 本当か? と、疑うように早口に呟く彼は、どこからどう見ても怪しい格好をした侵入者だ。しかし不思議と怖いとは思わなかった。あのフードの男性から、自分を害そうとするような物騒な雰囲気を全く感じない、というのも大きな理由の一つである事は間違いない。抑揚のない平坦な声で紡がれる言葉も淡々としていて、はっきりとした感情が感じ取る事も出来なかった。


 ここはコーイック城の三階建ての東棟。二階、東側の端にあるゾーイの寝室だ。

 物音一つさせず、硝子扉すら開けず。一体どうやって侵入してきたのか。ただただ不思議でびっくりはしたものの、やはり怖いとは思えない。


「私が見える人間がいるだと? なぜ……」


 フードを被った男性は、不可解そうに呟きながら腕を組むような動作を見せた。全身を漆黒のマントに覆って隠しているため、実際に腕を組んだのかはゾーイには分からない。


「ねぇ。さっき、余命半年って言っていたけれど。本当?」


 本当は起き上がってマントの男性の元へと詰め寄って問いただしたい。

 しかし今のゾーイには、どれだけ気力は元気でも、自力でベッドから起き上がる事がやっとで、補助もなく降りて歩くという事が困難だった。頭を枕に置いて横になったまま、ただジッと、フードで隠されている目元を見つめながら問いかけてみる。

 下を向いていたフードの頭がゆっくりと持ち上がった。


「……やはり聞いていたのか」

「ええ。本当なのね。半年かぁ……」


 そろそろ本当に駄目かも、と思ってしまっていた。

 けど、あと半年も生きていられる。


 ゾーイは嬉しくてホッとして、安堵して微笑んだのだが、フードの男はなぜか苛立ったように、ゾーイが横になっているベッドへとさらに近づいてくる。ゆっくりとした、警戒したような歩みで。


「私の言葉をそのまま信じるのか?」

「ただの直感なんだけど、あなたが嘘をついているとは思えないの。意外と長く生きられるんだな、って思って」

「……」

「そういえば、あなたのお名前は?」


 問いかけると、フードの男の足がぴたりと止まった。


 男性の歩幅であと二歩でベッドへはたどり着くであろう距離感で、ゾーイはさらに目線を動かして男性の顔を見上げた。しかしやはり口元しか見えない。室内に灯りがなくフードを被っているから、という理由だけではない。先程よりも間近に、高い位置にある彼の目元には、真っ黒な仮面がくっついていた。目元から鼻先まで全てを覆い隠す仮面には二カ所に小さな穴が開いている。おそらくその穴が彼の瞳の位置なのだろう。


 男性は何かを諦めた様子でため息をつき、小さく両肩を下げた。


「名は無い」

「無い?」

「死期の近い人間の対象者を、死期通りに命が尽きるまで静観する。死んだ人間の魂を迷わぬように死後世界へと導く者だ」

「死後世界。つまり、あなたは死神?」

「人間は皆、そう呼ぶ」

「じゃあ、あなたが半年後に私を殺して、死後世界に導くという事?」

「殺さない。死期は生まれながらに定められている。定められた時に確実に命が尽きる時を待ち、ただ静観する」


 静観する?

 ゾーイの知っている死神の行いと違う返答だった。


「人間は『死神の呪い』によって死ぬのではないの?」

「人間を呪う事など出来ない。人間による創造の話だ。先程も言っただろう、人間の死期は定められている。私の使命は死んだ人間の魂を死後世界へ導く、ただそれだけだ」

「……そうだったのね。不思議……」

「……」

「おかしいわ、今になって、眠気が……」


 どうして、眠りたくない時に限って眠くなってしまうのだろう。今はもっと彼の話を聞いてみたいのに。まだ沢山話を聞きたいのに。

 ゾーイの瞼は、願いとは反対にしっかりと閉じられてしまう。


「あの……また会いたいわ。お話を……」


 なんとか発する事が出来た言葉はたったそれだけだった。




 *


 ゾーイ・クシュケットは、クシュケット子爵家の娘として生まれた。


 兄弟姉妹はおらず一人娘として生まれたゾーイは、両親と使用人達に囲まれて健やかにのびのびと育ち、人々の暮らす街から遠く離れた大自然に囲まれたコーイック城で慎ましやかな生活をおくっていた。

 生まれた時から古城に住み、大自然の厳しさと美しさを知るゾーイにとって、古城の暮らしはまったく苦ではなかった。本来の貴族の暮らしというものは知識として一応は備えているものの、あまりにも現実離れしすぎている事ばかりのように思ってしまっている。



 クシュケット子爵家は古くからある由緒正しい貴族家の一つである事は間違い無い。


 しかし、与えられている役割は、悪く言ってしまえば人が暮らすには難ばかりの田舎にある時代遅れの古びた城に住み込んで管理する、この一点のみなのだ。一応、スミナリア国が定める二つの名城の一つとして、美しい外観を誇るコーイック城には築三百年の歴史がある。冬以外の季節は、国内外の人々にとっては憧れの観光地の一つにもなっている。


 観光する()()ならば、とても素敵な城なのだ。

 しかし、暮らすとなるとあまりにも過酷だった。


 深い山の中にポツンとある大きな古城。

 時代遅れの設備、近くの街へ出るのにも数日がかりで娯楽もまったく無く、ただただ鬱蒼と広がる大自然に囲まれているコーイック城は、現代を生きる人々――特に、貴族達にとっては「最悪」と言うのが正しい程に、生活に負担と手間を強いられる土地と場所だった。


 だからか、クシュケット子爵家は代々縁組みに苦労を強いられている。


 子爵家の暮らす城と役割は、スミナリア国の貴族達にとっては、結婚相手としてはあまりにも悪条件ばかりが揃っていたのだ。結婚相手として、真っ先に嫌厭される貴族家の代表とも言えるのがクシュケット子爵家でもある。



「私、結婚出来る気が全然しないの」


 ゾーイがまだ健康そのものだった十二歳の時。

 両親と共に夕食をとっていた時だ。


 明るくて元気はあるがどこか楽観的な性格のゾーイは、貴族としての必要教育をうけ、クシュケット子爵家の役目について学びながら、幼いながらに結婚については大真面目に考えてはいた。様々な現実を知れば知る程に、悪条件ばかりが綺麗に揃ったクシュケット子爵家にお婿さんに来てくれる奇特な貴族男性は本当にいるの? と首を捻ってしまうのだ。


 娘の、とても珍しい弱気な発言に、母は「まぁっ」と目を丸くしてナイフを動かしていた手を止めて、父はゲホッと口に含ませていたワインをこぼしそうな程の大きな咳をした。


「大丈夫よ! ゾーイはとーっても可愛くて、優しい子だもの。あなたを心から愛して、このお城と自然も大切にしてくれる人は必ず存在しますから!」

「お母様の言う通りだ。事実、クシュケット子爵家もコーイック城の管理を任されて二百年が経つが、一度も血筋を絶やさずに今までこうして役目を果たす事が出来ている。神様のご加護がきっとこのクシュケット家にあるのだろう。弱気になってはいけない。良いかい?」

「神様のご加護……そうよね。十六歳になって成人したら、素敵な結婚が出来るように頑張る!」


 親子三人。

 未来の次期クシュケット子爵を、ゾーイにとっての良き夫となる男性を探すべく力を尽くそう! と、この時は賑やかに誓い合った。


 十二歳のゾーイは信じていた。

 きっとクシュケット子爵家には本当に神様のご加護があったからこそ、二百年という長い年月の間コーイック城の管理者としての役目を果たすことが出来ていたのだろう。きっと私も、この城と大自然を、そしてゾーイ(自分)を愛してくれて、自分も夫となる男性を愛するような素晴らしい関係の男性と巡り会えるのだろう、と。

 本気で信じていた。



 しかし、十四歳になった時。


 ゾーイは、神様のご加護は両親との縁組みをきっかけに無くなってしまっていたんだなぁ、と受け止めた。受け止めるしかなかった。

 自分にあったのは神様のご加護ではない。

 幼い頃に絵本で読んだ事がある。人の魂を奪う『死神の呪い』が、他の人よりもだいぶ大きい規模でかかっていたんだわ、と考えた。人はいつか必ず死んでしまう。けど、ゾーイは自分が死ぬというのはまだまだ先の事だと思っていた。


 病に冒されるまで、自分の死について深く考えた事は一度も無かった。


 そんな風に、存在するわけもないのに、死神の呪いのせいかなぁなどと脳天気に考えるように至ってしまったのは、自分が冒されている病は病名も治療法も何も分かってはおらず、回復の見込みは無い――言い渡された後の事だった。




 *


「昨日の夜ね、死神に会ったの」

「……はい?」

「私が死んだ後、魂が迷子にならないように死後世界に導いてくれるって言っていたわ。知ってた? 死神は人を呪うのではなく、魂の道案内をしてくれる存在だったのよ」

「お嬢様? 一体何のお話をされておられるのですか」


 ベッド上には折りたたみ式の簡易のミニテーブルが置かれている。

 テーブルの上にはコップに注がれた水と、刻まれた新鮮な果物、小さく切られたパンをミルクでくたくたに煮込んだミルク粥がそれぞれ少量ずつ置かれている。ベッド上で上半身を起こしているゾーイの片手には小さな木の匙が握られていて、ミルク粥をゆっくりと混ぜていた。


 久々にぐっすりと眠る事が出来た今日の目覚めは最高で、気分もいつも以上に良かった。珍しく食欲もある。普段だったら、ずっしりとした(おも)りを(まと)っているかのごとく怠く感じる寝起きの身体が、嘘みたいに軽く感じている。


 ゾーイがにこにこと機嫌良く微笑みながら、長年に渡ってお世話係を務めてくれている三つ年上のメイドのキーナに昨夜の事を話すと、キーナはさっと顔色を悪くした。

 厳しい表情で、両手を腹の前で握り合わせてしまっている。


「死神だなんて、嫌なご冗談をおっしゃらないでください」

「冗談ではないんだけど」

「夢を見たのですね。死神は架空のもの。存在しないものです」

「それがね、夢とは思えなくて。確かにちゃんと会話したのよ? 男の人だった。真っ黒なマントとフードを被ってて、仮面みたいなものをつけていたの。鎌は持っていなかったわ」

「お嬢様。もう一度お願いしますが、嫌なご冗談はお止めください」


 きっぱりと言い切ったキーナは、少々興奮したように頬を赤くさせて、ポットや食器を乗せているワゴンの片付けを始めている。キーナの横顔が辛そうに歪んでいて、わずかに潤んでいるように見える瞳を目の当たりにして、ゾーイは思わず笑顔を解いてうつむいてしまう。

 小さな木の匙に少々のミルク粥を掬って口に含ませる。

 ゾーイとしては、とても不思議で興味深い出来事の話をしたつもりだった。しかし死神、死後世界、という言葉を聞いてキーナがどのように感じて受け止めるか思慮が足りなかった自分自身に深く反省していた。

 


 キーナ・メルシエナは二十二歳の女性で、住み込みでクシュケット子爵家に仕えてくれている使用人の一人だ。

 もともとキーナの父親が、キーナが生まれるよりも昔から、そして今も現役でずっとクシュケット子爵家に住み込みで仕えてくれている。年齢の近いゾーイとキーナだが、貴族の娘、使用人の娘として明確な身分差がある。しかし、物心つく前から同じ場所で生活を共にしていた関係もあり、二人は主従関係という体裁を保ちつつも、親友のように想い合っているのかもしれないとゾーイは思っている。ゾーイが病に冒されている現実を知らされた時、使用人達は皆嘆き悲しんだが、特に酷く泣き崩れたのはキーナだった。


 キーナには何でも話す事が出来る。

 けれど、だからといって本当に何でも話して良いわけがない。


 自分は一年も経たずに確実に死んでしまう。

 昨夜死神も言っていたではないか。余命半年、と。

 ここ最近の、起きている時間が辛く力の入らない身体に、もう自分の命は一ヶ月ももたないのでは、となんとなく思っていた。だからこそ余命半年と言われて驚いたのが本音だが、キーナにとっては一ヶ月後だろうと半年後だろうと時期は関係無いのだ。

 確実に近づくゾーイの死を受け止めてはいないキーナにとって、ゾーイの死に纏わる話は苦痛で酷でしかない。



 両親やキーナ、使用人達は諦めていない。ゾーイは知っていた。

 弱っていく自分の姿に、彼等はいつも辛そうに悲しそうに、しかしそれを全て隠して明るく普段通りに笑って接してくれている。きっと奇跡が起きて回復する。皆が願っている事を知っている。

 無理して笑わないで、と、ゾーイは言うことが出来なかった。

 彼等が自分に注いでくれる愛情と深い悲しみ、優しさと笑顔を、そのまま受け入れる事を選んでいた。彼等がしたいように、望むように自分に向き合って欲しいとも思ったからだ。



 まだ死にたくない。死ぬのが怖い。



 絶望し怯え、日々泣いていたのはもうずっと前の話だ。今こうして、ゾーイ・クシュケットとして生きている大切な時間を、塞ぎ込んで泣いて暮らす事にばかり時間と日々を費やすのは嫌だと考えが少しずつ変化していった。

 両親やキーナ、使用人達が最後に思い浮かべる自分の姿が、絶望に染まって泣き崩れて弱々しい姿になってしまうことが、何よりも耐えられなかった。


 十六歳の成人を迎える誕生日をきっかけにゾーイは笑顔が増えた。心がけるようにした。


 人生は一度きり。

 絶望と悲しみで泣く時間ではなく、大切な人達との笑顔の時間が沢山欲しかった。


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