背番号
『ピィー!』
審判の笛がなる。
試合終了の合図だ。
『あーぁ。終わったな。』
『俺』は最後に本塁に送球しようとしたボールを握りしめたまま、力なく腕を下げた。
ボールは俺の手から離れて、コロコロ転がる。
音もなく、静かに1メートルもしない内に止まった。
試合終了と一緒にグラウンドに歓声が響き渡る。
『俺たち』はグラウンドにただ立ち尽くす。
メインスタジアムのスコアボードをみつめ、観客席に背を向ける。
みんなの、ユニフォームの『背番号』が微かに揺れていた。
『俺』は静かに歓声を聞いていた。
嬉しいような。ちょっとさみしいような。
ベンチで監督やコーチが何にも言わずに、『俺たち』を見てる。
優しい目で。
嬉しいような、さみしいような、ちょっと遠くて眩しいものを見るみたいに。
俺は本塁側の観客席を見る。
そこには、応援に来てくれた『俺たち』の父さんや母さん。じいちゃん、ばあちゃん。姉ちゃんに兄ちゃん。妹、弟…
みんな
家族総出じゃないか。
試合に夢中で気づかなかった。
応援してくれてたんだ。
観客席側にかけられた
野球部の青い横断幕が、すこし強めの風に揺れる。
その周りには、野球部の後輩達が手を振る。
1年から3年のJrチームに4年、5年チームだ。
あいつらも来てくれてたんだ。
『俺たち』最後だもんな。
そうだった。
『俺』も去年はあそこに居たんだ。
去年卒部した先輩達が最後の試合に優勝した姿。
かっこよかった。
ひたすらに笑顔!
たった1歳しか違わないのに、なんであんなに凄いんだ?
なんであんなに楽しそうなんだ?
緊張しないのかよ!
1年前、5年生チームだった俺たちは試合もなかなか勝てなくて、正直『俺』は野球が少しつまらなくなってた。
本当は、あんな風に楽しく野球がしたいのに。
グラウンドからベンチに帰る時、最後にお互いの肩を組み合って、円陣を組んだ1年上の先輩達。
並ぶ背番号が、凄く眩しかった。
…ひたすらに広かった。
高い高い暮れゆく秋の空に、一筋の飛行機雲。
『俺たち』の小学生時代の野球が…
終わろうとしていた。
***********
『俺』はいわゆる野球少年ってやつだ。
小学校低学年から、友だちに誘われたのがきっかけで入部。
それから野球の毎日。
土日祝は野球の練習。試合。
放課後はまったりゲームとおもいきや…
野球部の友だちがキャッチボールやバッティングの練習に誘ってくるから、ひたすらに公園で毎日野球。
遊びに行く時はだいたいバットとグローブつき。
まぁ。別に野球はついでで。
ほとんど鬼ごしたり、時にはサッカーしたり、テニスしたり
ただ公園で遊んでただけ。
…だけど。
小学6年生。
小学校も卒業が近いけど、少年団野球部の卒部も間近だった。
最近は毎週毎週試合をこなす日々。
けど、確実に終わりは近づいてる。
『俺』がこいつらと一緒に野球をする日々は終わりに近づいてる。
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「あの5年生チームの時は暗黒時代だった」って、誰かコーチか親がボヤいてた。
聞こえてないと思ってるのか?
ちゃんと聞こえてるよ。
そりゃ仕方がないか。
1番身体や頭が成長して、野球がグンッ!って楽しくなるはずの5年生時代。
『俺たち』はあんまり、いやほとんど勝ち星ってもんを上げれなかったから。
でもあの頃の『俺たち』はどんなにコーチや親に怒られたって、監督にため息つかれたって
どんなにコテンパンに負けたって、打ち負かされたって。
楽しい気分でいたかったんだ。
負けたこともすぐ忘れて、悔しかったことも吹き飛ばして。
試合のあとすぐ同じ野球部のみんなで公園に遊びに行って。
全然違う遊びをすればいいのに。
いつもの様にグローブやバットを持って集まってた。
キャッチボールをして遊ぶ事で、試合に負けた悔しかったこと、悲しかった自分の気持ちにちょっと見て見ぬふりをして。蓋をして。
楽しい気分にしたかった。
それがまだ心が狭かった俺達の選択だった。
できる精一杯のことだった。
だってどんなに練習したって頑張ったって一生懸命になったって。
声は出ないし打率は上がらないし。
上手くなれなかったから、這い上がる方法が見つからなかったんだ。
…でも 時間は過ぎていく。
気持ちは立ち止まったまま。
勝ち星は挙げられないまま。
『俺たち』の身体は成長期が重なって、急に身長は伸び、体重が増え筋力が上がる。声変わりし始める。
見た目は子供っぽさが消え始める。
心は何にも変わってないのに。
5年生チーム最後の試合が終わったある日。
バッター三振。
ヒットを一本も打てなくて、悔し涙を流した野球部の『そいつ』はいつものドヨンとした監督のミーティングの後、家にこもっていた。
どうやら1時間くらい野球について考えて、自分のノートになんか色々書いた後、近くの公園に行って1人で練習して、その後バッティングセンターに行ってひたすらバットを振ったらしい。
みんなミーティングの後、いつものようにすぐ遊びに行ったけど、『そいつ』だけは1人練習していた。
悔し涙を流しながら。
それから
誰かがバッティングセンターで練習してる。
朝早く夜遅くに公園でキャッチボールや 素振りをする。
そんな奴らが増えた。
そんなのを見たり聞いたりしてしまったら。
今まで、立ち止まっていた『他のやつら』も、いてもたってもいられなくなってきて。
気持ちが…進み出す。
一歩ずつ少しずつ、前に進む。
いつもの様にバットを持ってグローブを持って、家の玄関の扉を開ける。
でも扉を開けた『俺たち』の瞳に、前のような逃げるような弱々しい影は無く、
『やってやる!』
…そんな強い思いを光らせて
思いっきり地面を蹴ってバットを背負って『みんな』が集まる公園に『俺』は向かった。
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6年生、最上級生チームになった俺たちの背番号は、5年生チームの時と同じだった。
メンバーも変わらない。
『俺たち』の背番号も同じだ。
6年生チームになってから、『俺たち』は変わった。
卒部式に先輩達から少年団を引き継ぎ、春の大会に向けて練習をする。
寒い冬。
身体を少しずつ作り上げていった。
俺たちの監督が作る練習メニューはスパルタだけど…
5年生チーム時代『俺たち』を見捨てず根気強く指導し続けてくれた監督の愛に溢れていた。
まあ。ぶっちゃけ。
『試合に勝てる』様になった。
5年生チーム時代からは考えられない。
6年になって公式試合の回数もさる事ながら、毎週試合で目まぐるしく毎日も進む。
試合→練習は当たり前。まる1日だ。
『俺たち』は毎日公園で『遊び野球』。
楽しく、野球の練習って最高じゃないか?
他の野球チームは勝つ事に力を入れていて、メンバーも多いからスタメンになれない奴もいるらしい。
練習もレギュラー争いもシビアってやつ。
そんなのと違って、『俺たち』は11人。
だいたいがレギュラーになれるし、監督は全員が試合が出れるように組んでくれるから、みんなレギュラー争いで蹴落とすとか羨ましくて嫉妬するとか…
そんなことが、ほとんどない。
楽しく、野球ができる友だちが部活メンバーって。
『俺たち』は居心地いい環境で野球ができているんだって実感する。
欲を言えばもう少し広い練習グラウンドは欲しかった。
他のチームなんて、専用の野球グラウンド持ってるんだぜ。
『俺たち』が何で勝てるようになったのか、よくわからない。
ただ、1回試合に勝ってから、面白いって思うようになってからかな。
いかに失点を少なくして勝つか、ゼロ点に抑えるにはどうしたらいいのか。考えるようになったからかな。
勝つのは楽しいんだって。わかった。
勝てば次の試合に繋がる。
次も野球の試合ができるってわかったからだ。
『みんな』で野球が続くって、楽しいってわかったからなんだ。
一つ、また一つ優勝旗や盾、カップが増えていく。
低学年チームの時から数えると、少なくて先輩達の表彰状の数には足りないけど。
6年チームになってから、『俺たち』にとって、そのひとつひとつがかけがえのない勝利の証であり、楽しい思い出や強さの結果だった。
試合で入賞したり、時には負けたり。
一喜一憂を繰り返す。
監督やコーチ、親や仲間と繰り返す。
低学年チーム時代から親やコーチが撮ってくれる、野球部の試合の写真にはいつも、背番号が写っている。
写真を見る度に、小さかった背中が段々大きく広くなってきているのが自分でも、分かった。
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野球少年にとって、背番号はちょっと特別だ。
とりわけ
“1”はエースナンバー、
“10”はキャプテンナンバー
特別だ。
この番号を背負うやつにとっては“一生の思い出”となるかもな。
30番が監督
29、28がコーチ
俺たちの親が結構コーチをしてくれてる。
野球経験がないのに、平日は仕事が忙しいのに。
土日に子供と一緒に野球してくれる。
一緒にボールを追いかける。
キャッチボールをする。
ノックをする。
審判をしてくれる。
車で試合会場まで送ってくれる。
ベンチから声が枯れるまで応援してくれる。
ダメな所は真剣に怒ってくれる。
………。
なんて実は凄い幸せな親子の時間だったんじゃないかって。
今なら、すこし思えるんだ。
投手: 番
捕手: 番
一塁手: 番
二塁手: 番
三塁手: 番
遊撃手: 番
左翼手: 番
中堅手: 番
右翼手: 番
親からしてみれば遠くから応援していると同じユニフォームの俺たちは、成長期で急に体格がみんな良くなってくるからか、試合のビデオを見返す時も自分の息子が時々分からないみたいだ。
背番号で確認してるらしい。
自分の息子くらい見分けろよ。(笑)
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『俺』はその日夢を、見た。
朝、友達が来ていつもように学校に登校する直前。
友達は間髪入れずに何回もチャイムを押してくる。
『あいつら!こっちは必死で準備してるっつーのに、うるさいな!』
いつもの事だった。
もたもたしてたら、結局置いてかれておひとり様登校。
それもなんか嫌だった。
バタバタ用意をしながら、チラッと庭を見る。
親が干した洗濯物
その中に野球のユニフォーム
風にユラユラ揺れている。
俺の背番号も揺れている。
昨日は試合だった。
今日はユニフォームの定休日
次の休日、まだ試合は残ってる。
出番が来るまで英気を養う。
俺は学校。
正直面倒臭い。
黒板や教科書を眺めるより、バットを振りたい。
ボールを投げたいのに。
もうすぐ卒部だから、中学に行ったら野球部に入るとか硬式の外部の野球チームに入るとか…
チラチラ野球部内でも話は出てきてた。
卒業後どうしたいか。
『俺』はまだ、よくわからない。
『今』が、楽しいから。
『俺たち』で野球をするのが楽しいから。
学校についてからも、上の空の『俺』は残り少ない小学校の授業より、来週の試合の事で頭がいっぱいだ。
みんなもそうに違いなかった。
同じクラスのバッティングバカのアイツは、野球のボールばっかり書いてる。
いつも冷静なチームの頭脳的なアイツはノートに沢山塁を書いて、線を引きまくる。戦略でも立ててるのか。
野球バカばっかりだ。
なんかニヤニヤしてきた俺は、先生に気づかれないように笑う。
マスクで助かったぜ。
俺は俺で、いつも休日に野球の練習で使う外の運動場でサッカーをしている低学年を眺めてぼんやり思い出していた。
…昨日見た夢はなんだったかな。
どこかの野球場のマウンド。
そこに立つ…『俺』?
いや、友達の誰かかな。
どこかで見た顔だったけど、逆光でよく分からない。
随分、体格がどっしりして背丈が高いそいつは、何処のチームとも分からないユニフォームを着ている。
ただズボンは白。
上は濃紺だ。
ボールを持って右腕を高く挙げる。
本塁側に背を向ける。
観客席を見渡す。
背中には
きらめく太陽の光に照らされて、よく知っている背番号が見えた。
夢の中で。
✿Fin✿