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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

隠れ鬼

作者: 甲野香介

「ねぇねぇ、怖い場所でさぁ、かくれんぼしようよー」


 そう言い始めたのはマリカだった。

 僕ら以外に人のいないバスを何台も乗り継ぎ、鬱蒼と茂る森の中を懐中電灯で照らしながら進み、手足を酷使しながら険しい斜面を登り――そうして進んで行った先に、さながらホラー映画に出てくる心霊スポットのような洋館が現れた。

 タケシ、マリカ、コウジ、ユミ――そして僕を含めた五人は陰鬱な館を見上げる。


「ははっ、やべぇやべぇ。ちょーこえーじゃん」


 僕らのリーダーであるタケシは全く恐れていないように笑っていた。


「あっははー。そんなこと言ってぇ。タケシも実はビビってんでしょ?」


 煌びやかに服を着飾っているマリカは、こちらも全く怖がっていないようにタケシを弄ろうとしていた。


「いやめっちゃビビってるって。ただなぁ……俺らの数倍ビビってる奴いると逆に落ち着いてくんだよなー」

「…………えっ?」


 四人の目が僕を向いた。


「おまえだよジロウ。きょどりすぎだって」


 目鼻立ちの端正なコウジが甘い声で僕の肩に手を置いた。


「な、なんでみんなそんなに普通なのさ。怖すぎるよこんなところ」

「ふふ、でもこれぐらい怖がってる人がいないとさ、苦労してこんなところに来た意味がないんじゃない?」

「確かに」


 コウジの彼女であるユミまでもが僕を笑い者にした。

 怖がりの僕はマリカの気まぐれな提案に反対していた。けれど、ノリのいいタケシと女の子に寛容なコウジは面白そうに賛成し、最近彼女となったユミをコウジが連れてきた。

 肝試しなんて面白くないどころか、ただ背筋が冷えるだけで後には後悔しか残らないだろうに。

 そう思ってはいても、発言力のない僕は渋々みんなに連れてこられる形となった。


「まあ今からこの館でかくれんぼするんだけど、その前に一つ言っといたげるね」


 ケラケラと笑っていたマリカが急に真剣な表情になった。


「この館にはね、昔、山一帯の集落を取り仕切る地主が住んでたんだって。その一族は集落の農民に土地を貸してお金を集めてたんだけど、高い納金額に農民たちの暮らしは貧しくなる一方で、裕福な生活をする一族に不満が溜まっていたんだ」


 よくある昔の話だ。建物が西洋風の造りになっているのは裕福であるが故に、外国の生活様式を取り入れたからであろう。そのせいで今こんなにも不気味な雰囲気を漂わせているのだと思うと、この館を建てた主を憎みたくなってくる。


「農民たちの怒りが最高潮に達した頃、一人の男が立ち上がった。その男は『俺が犠牲になろう』って言ってこの館に討ち入りしたの。男はこの館の住人を鉈で惨殺して、そして最後に自分で自分の首を刈り取って死んじゃったんだって。……この館では今でも首のない男が鉈を引き摺りながら生きている人間を探している――っていうのがこの館にある噂なんだとさ」

「うぅ」


 そんな噂、わざわざ言わなくてもいいだろうに。

館の中を見知らぬ男が鉈を引き摺り歩いている姿を想像すると、帰りたい衝動を今にも爆発させたくなってくる。


「おー、こえーこえー。そんじゃ、肝もいい感じに冷えたとこで中に入りますかー」

 タケシを先頭に僕らは洋館の入口へと進んで行く。最後尾はもちろん僕だった。



 洋館の中は真っ暗で何も見えない。真夏なのにやたらひんやりした空気が肌を撫ぜる。土と木が腐れ、入り混じったような匂いが鼻に吸い込まれていく。

 中を懐中電灯で照らすと、雑然とした中を見渡せた。入り口の正面には大きな扉があり、その両側に二階へと続く階段があった。吹き抜けとなっている二階を見上げてみると、年季が入っていて描かれている人物が判然としない肖像画が僕らを見下ろしていた。


「すごい埃っぽい場所だね。でも間違いなく何か出そうだ」

「でしょでしょ? 山道歩いてる時はホントにあるのか心配だったけどー、肝試しのロケーションとしてはマジ最高じゃない?」

「さっすが俺の彼女。目の付け所も最高だぜ!」

「なんだか私も怖くなってきちゃった。ねぇコウジ。もうちょっと近くに来てよ」


 四者四様――とでも言えばいいのか、僕以外の四人はそれぞれ感想を口にする。しかし僕は心臓の鼓動がうるさくて言葉を口にする余裕もなかった。


「んで、かくれんぼするんだったか?」

「そそ。誰かが鬼になって、後の四人はどっかに隠れましょーってだけ。そんで、後で隠れてた場所にみんなを案内しようよ」


 なんでそんなことすんのさ! 用事も終わったらすぐに帰ればいいじゃないか!

 心の中で叫んでも誰にも聞こえない。僕はみんなの言いなりになるしかなかった。


「そんじゃ、じゃんけんしようぜー」


 懐中電灯で照らしながら「最初はグー」の掛け声でじゃんけんをした。タケシはグー。そして僕を含めた他の四人はパーだった。


「おいおい。俺が鬼かよー。どうせなら俺一人だけ一生隠れときたかったぜ」

「じゃあタケシは入り口の扉に伏せて、三百秒数えて」

「多くね? 百秒とかでいいだろ」

「知らない場所なんだからそれくらいがちょうどいいんじゃない? それとも一人じゃ寂しいのー?」

「んなことねーよ。ジロウじゃねぇんだから、なっ」


 そう言ってタケシは僕に対して肩を組んできた。


 それがわかってるのに、どうして僕の心の声を誰も察してくれないんだよぉ。


「た、タケシ……お願いだから早く見つけてよ」

「じゃあ見つかりやすい場所にでも隠れとくこったな。そんじゃ散れ散れ。もう数え始めるからなー」


 手で振り払うようにしてタケシは扉に伏せて秒数を数え始めた。このままここでタケシの後ろにずっといようかと思ったけれど、コウジに手を引かれて僕はその場を離れた。


「ねぇコウジ。僕も一緒に隠れてていい?」


 女子二人は二階へと上がり、僕とコウジは一階の長い廊下を歩いていた。


「大丈夫だ。俺とおまえとタケシは何があっても一蓮托生だ。昔から三人一緒にやってきたし、何があっても三人で乗り越えてきたじゃないか。そうだろ?」


 芝居っぽくコウジはそう言ってのける。僕の心からの本心をコウジは軽い冗談だと受け取ったらしい。


「かくれんぼ……懐かしいじゃんか」

「そ、そうだね……」

「そんじゃ俺も行くな。ビビって逆にタケシ探すなよ?」


 あくまでも爽やかにそう言ってコウジも僕から離れて行ってしまった。コウジの足音が消え、僕はとうとう一人きりとなってしまった。

 ど、どうしよう。そろそろ二百秒経ったかな? それならそれで早く見つけてほしいんだけど……。

 僕はとりあえず一番近い部屋の扉に近寄り、寂れたドアノブを開いてみた。


 ――ギィ、イ。


 古い扉の開く気味の悪い音がして、耳を塞ぎたくなった。扉を最小限に開いて顔を入れ、懐中電灯で中を照らしてみる。

 そこは個室のようだった。タンスや棚、机や椅子が散らばっていて、かろうじてかつての生活風景を想起させるだけの名残はあった。しかしそのどれもが腐敗しているのか黒ずんでいて、パッと見ではどれが何なのか判別できなかった。


 とりあえずこの部屋で隠れる場所を探してみよう。

 徒に音を出す扉をゆっくりと閉め、僕は部屋の中を見渡してみた。


 窓は板張りで塞がれており外は見えない。息の詰まるような空間だ。黒ずんだ家具を近くで見てみると何かで切り刻まれたような傷跡が散見できた。


 なんだこれ……まるで何者かに荒らされたかのような……。


 マリカの言っていた怪談話を思い出す。鉈を持った首のない男が館内を徘徊していると言っていた。まさかその噂は本当だったとでもいうのか?


「はぁ、はぁ、はぁ」


 倒れている椅子の足は半ばで折れている。棚の引き出しは全て出されていて棚としての機能をはたしていない。よくよく壁を見てみると、荒れ果てた家具よりも生々しい刃物の傷が刻まれていた。

 部屋の奥、窓の近くにベッドらしき物があった。部屋の中で白い布のようなものを見つけ、わずかにだが安心感が生まれた。白という色そのものに引き寄せられるかのように僕はベッドに近づき、ライトで照らした。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁああああっ!」


 白いシーツに途中から黒い液体をぶちまけられたかのようなシミができていた。それが僕には時間が経過して黒ずんだ血飛沫にしか見えなかった。


「な、なんだこれ……血……血なのか、血なんでしょ、ねぇっ!」


 僕は誰かがいることを願い声を荒げてみた。しかし僕の声に誰も反応してくれない。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ」


 落ち着くんだ僕。このシミはつい最近できたようなものじゃない。マリカの言っていた噂が本当のことだったとしても、それは昔の話だ。

 幽霊なんて、鉈を持った男なんているわけがない。


「――っ!」


 僕が入ってきた入り口の向こう側からやたらと響く足音が聞こえた。焦った僕は片側が半開きになっていた棚を咄嗟に開いた。そこには身体を押し込めれば人ひとりが入れそうなスペースがあった。

 足音が部屋の前で止まった。僕は水中に潜るように息を大きく吸い込んで棚の中に入り、棚を閉めた。両手で口を塞ぎ目をギュッと閉じる。僕の存在感を少しでも薄くできればと、物音を立てないよう身を潜めた。

 聞き覚えのある扉の開く音。それから誰かが部屋に入ってくる気配。


 もしかすればタケシかもしれない。僕らが隠れ始めて何秒経ったか数えていなかったけれど、ただ普通にタケシが僕らのことを探しに来たのだとすれば、僕はすぐさま棚から飛び出してタケシに見つけてもらいたかった。


 ゴリゴリ、ゴリゴリ、ゴリゴリゴリ――。


 ゆったりとした足音と共に聞こえる、聞きなれない何かを引き摺る音。

 何か重そうなものを持っている? タケシは何も持っていないはずだ。

 棚の外にいる誰かがもしタケシでなかったら? ――そんな恐ろしい妄想が生まれ、僕は息を潜めることを続けた。


 ゴリゴリ、ゴリゴリ――。


 足音と何かを引き摺る音は遠ざかっていき、扉の閉まる音がした。口を覆っていた両手からたまらず息が漏れ出た。あまり自分の呼吸が響かないよう静かに息を吸い込む。

 僕は怖くてそれからも棚から出ることができなかった。

 そんなわけがないのに。タケシ以外の誰かが僕を探すはずがないのに。棚の向こう側に感じた気配が、僕が長らく一緒にいるタケシのものではないような気がしてしまっていた。


 じゃあコウジ? マリカ? ユミ?


 あの重たいものを引き摺っているような音が只者ではない予感を増幅させる。コウジは懐中電灯など必要な物の入ったバッグを背負っていたけれど、それを引き摺るとは考えられない。

僕らの他に、誰かがこの館内にいる……?

 頭の中の恐ろしい妄想がみるみる肥大化するにつれ、尚更この棚の中から出ようと考える気がしなくなっていった。息を殺し、存在感を潜めたまま、僕は無音の狭い空間で自分の膝を抱え込んでいた。



 どれくらいの時間が経っただろう。恐怖心でスマホの存在すら忘れ去っていた僕は暗闇と静寂の中、一人でずっと膝を抱えていた。

 あのゴリゴリという音が聞こえてきてから、誰もこの部屋には入って来ていないようだった。この部屋にいるのは震えている僕一人。


 ここはヤバい。とりあえずタケシを探そう。もしかしたら僕を残してもうみんな入り口の方に集まってたりするのかも。


 意を決し僕は両開きの戸を蹴破って棚から出た。棚の中は埃臭くて部屋の中のどんよりとした空気を思いきり吸い込んだ。


 一度入り口に戻ってみよう。タケシに見つかった誰かがいるかもしれない。


 部屋を出てライトで廊下を照らすが誰もいない。僕が隠れていたのは一階の部屋だ。館の入り口もそんなに離れてはいない。

 ライトで照らしながら、足音を殺しながら進む。

 僕を見つけてほしい。でも、それが僕の知っている人でいてほしい。

 広間にはすぐ戻ってこれた。心なしか広い空間に安堵感を覚える。

 何か自分の心を落ち着かせるものはないかと、僕はひたすらライトで辺りを照らした。


「………………はははは」


 僕の心を止めてしまいそうな光景があった。

 大きな館の入り口に赤い血飛沫が扇状に広がっていた。


「ははははははっ、タケシ……何してんのさ」


 扉の赤い血飛沫の下。タケシの身体が倒れていた。

 シャツにパンツに靴。今日のタケシの格好を思い出し、それがタケシなのだと判別できた。けれど、もしもこの身体が何も身にまとっていなかったら、僕はそれが誰の身体かわからなかったかもしれない。


 その身体――死体には首から上がなかった。


「うわぁぁぁぁぁぁぁああああああっ!」


 頭を抱え出せる限りの声を吐き出した。さっきまで一緒に会話していた友達がこと切れた存在と化している。その事実が僕の精神を破壊した。


「タケシっ、タケシがぁ!」


 生臭い血の匂い。色褪せない赤。首のない死体――まるで現実実のない光景に夢ならいい、夢であれと願うしかない。

 これは夢だ。夢だ夢だ夢だ。現実じゃないんだ。

 頭を抱え膝を突き、真っ暗な一点だけを僕は見つめ続けていた。


「どうしたの、今の声」


 一階の廊下側から聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「ど、どうしたの、ジロウくん」


 近づいてきたのはユミだった。ただ事ではない僕の絶叫を聞いてきたのだろうか?


「た、タケシが……」

「タケシくん? タケシくんがどうかした――っ」


 ユミの照らしていたライトの光が僕からタケシへと移動した。首のないタケシを見たユミは息を詰まらせ、僕のように悲鳴をあげることはなかったけれど、吐き気を抑えるように口を手で覆った。


「う……なんで、どうしてタケシくんが」

「わかんないよ。どれだけ待っても誰も来なくてここに戻って来てみたら……」

「そんな」


 僕と同じくユミも絶望に暮れた表情で項垂れた。


「ほか、他のみんなは?」


 この状況をどうにかしようと声を絞り出した。


「わからない。私もマリカと一緒に二階に行って隠れてたんだけど、誰も探しに来ないからなんか変だと思ってここに戻ってきたの」

「そっか……ぼ、僕さ、隠れてる時に変な音を聞いたんだ」


 隠れ場所の棚の中で聞いた、重いものを引き摺っている何者かの存在を思い出し、ユミに話してみた。


「なんかゴリゴリ言ってて、重そうなものを引き摺ってた。タケシが探しに来たんじゃないかって思ったんだけど、タケシじゃない誰かが入ってきたのかも」

「私じゃない。じゃあ誰? マリカ? コウジ?」

「も、もしかしたら……僕らの他に、誰かいる?」

「まさか、幽霊でもいるっていうの? 幽霊がこの館を徘徊しているとでも?」


 幽霊が徘徊している。それだけならばまだよかった。

 でも目の前ではっきりと、どうしようもないほどにリアルな死体が転がっている。

 誰かがタケシを殺した事実を否定することはもうできなかった。


「あっ、そういえば出口は――」


 出口の存在を思い出し、僕は反射的に大きな扉のドアノブを握った。

 タケシの血で塗れた丸いドアノブはヌルヌルと滑り、それを抜きにしても回らなかった。押しても引いてもビクともしない。


「な、なんでだよ! くそっ!」

「落ち着いて」


 恐慌状態の僕を宥めるように、ユミは僕に平坦な声音で喋りかけた。


「私はマリカの隠れている場所を知ってる。まずはマリカと合流しましょう。一人でも多く人数がいた方がいいでしょ?」


 僕はコウジの隠れている場所を知らない。だとすればユミの言う通り場所がわかっている人の所へ先に行くのがいいのかも。


「わ、わかったよ」


 女の子であるユミに先導され、僕らはマリカの下へ向かうことにした。もう既に僕は臆面もなくユミの後ろをひっそりと歩くことしかできないでいた。



==



 私は一人の男を見下ろしていた。


「な、なんでおまえがその名前を知ってるんだ!」


 目の前でコウジが小便を漏らしながら泣きわめいていた。私がとある人物の名を聞くと、彼は絶望を見たように大きく目を見開いた。


「ひっ」


 私は鮮血に染まる大鉈をコウジの首筋にあてがった。続けざまに、おまえらがあの人を殺したのだと言葉の槍を突きつけた。


「ち、違うっ、あれは事故だったんだ」


 つい笑えてしまった。この期に及んで言い逃れようとするコウジが、酷く醜い存在に思えて仕方なかった。

 なんでこんな害悪が世界に蔓延っているのか、どうしてみんな放置しているのか――。

 早くこの世から消えてなくなればいいのに。

 早く消してしまえばいいのに。

 私の最愛の人を殺した罪は、誰よりも重いのだから。


「違うってっ! あいつが勝手に閉じこもっただけだ! それからっ……それからっ」


 まだ何もしていないのにコウジは尻を床につけながら、涙も涎も冷汗も垂れ流し、あたしを見上げている。

 闇の中で、あなたの目に私はどう映っているのだろう?

 どうして彼を助けてあげなかったのか? ――せめてもの贖罪をさせてから殺してやろうと私はそう質問した。

 彼は私の問いに答えられるだろう。なのに口を開こうとしない。

 こいつらは私の最愛の人をいじめていた。

 とても優しくて、誠実で、かっこよくて、愛すべき人の命を弄んでいた。

 事実を突きつけてやると、コウジは連続でしゃっくりをあげているかのように最早人間ではない動物的な反応を見せる。


「――っ」


 何も言い返せないのが何よりの証拠。

 私は全てを知っている。おまえたちの罪を。


「ごめんなさい……ごめんなさい。つい出来心だったんだ……ごめんなさい」


 わかっているではないか。おまえらの日常的に出来た浅ましい心が彼を殺したんだ。

 未だに言い逃れようとしていたコウジに腹が立つ。

 私は彼の死に様をゆっくりと語ってやった。狭い場所に閉じ込められ、誰も見つけに来てくれなくて、死が確実に迫りくる恐怖と戦っていた姿を。

 この男たちに閉じ込められていた彼の悲惨な姿も、私は全て知っている。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 だから、彼が浮かばれるように、私はこいつを殺すのだ。

 コウジを地面に押し倒し、鉈の刃を首に沈めていく。


「あっ、がっ、ががが」


 固いものが行く手を阻んだ。もっとズブズブ飲み込んでくれるものだと思っていたのに。その辺に転がっていたものだから刃が零れているのだろうか?


「ががっ、ががががっ、――」


 力を込めて地面に押しつけても上手く首を切り落とせなかった。非力な私ではコウジをこのまま痛みに晒すだけになってしまう。

 痛くしてごめん――申し訳ない気持ちなどこれっぽっちもなかったが、冥土へのお土産に聞き届けてもらえればと思った。

 もう返事はなかった。白目をむき、顎をガクガクと震わせ苦しむコウジ。


「――」


 目の前の存在が生きている限り、私の苛立ちは募り続ける。

 苦しんでいる姿すら不快にしか思えず、私は一気に鉈を振り下ろした。


「がっ――」


 コウジだった首と身体が切り離され、命を断った事実だけが目の前に転がっていた。


「さて……」


 果たすべき復讐は、まだ終わっていない。



==



 僕はユミの後ろをついて歩き、ライトの明かりでそこかしこを照らしていた。ユミは早い足取りでどんどん先へと進んでいく。女の子なのにこんな場所で平静を保っていられる度胸が今の僕には羨ましく感じられた。


「この部屋」


 ユミはとある部屋の扉を開き、その中へと入った。それに続いて僕も入ると、さっきまで僕が隠れていた部屋と同じような造りで、家具等の荒れ具合も同じように悲惨なものだった。


「マリカがいない……おかしいわね」

「ここにマリカは隠れていたの?」

「ええ。そのはずなんだけれど……」


 隠れていたはずのマリカがどうやらいなかったらしい。どこかへ移動してしまったのか。それともコウジと合流しているのか。

 さっき見た首のないタケシの死体が頭をよぎった。

 そんなまさか、マリカも殺されているなんてことが……。でも実際にタケシが死んでいたんだ。僕だけじゃない。みんなも殺される可能性があるんだ。

 誰がタケシを殺したか。僕にはもう鉈を持って徘徊しているという男の幽霊しか思い浮かばなかった。


「マリカ! マリカ!」


 ユミは狭い部屋でマリカの名前を呼ぶ。しかし静寂はビクとせず、マリカの気配はしない。


「ど、どうしよう、ユミ」

「……そうね。もし、タケシを殺した殺人鬼が私たちの命を脅かすのだとしたら……」


 至って冷静に考え始めるユミ。ライトを握りしめる掌を手汗で濡らしながら、僕はユミの次の言葉を待ち続けた。


「……隠れましょう」

「え?」

「助けを呼んで隠れ続けるしかないじゃない。無暗に出口を探すより動かないでいる方が安全よ」


 僕はもう何がなんだかわからなくなっていて、何が正しくて何が間違っているのか正常な判断ができなくなっていた。だからユミが口にした案を否定しようと全く考えられなくなっていた。

 そうだ。館内に殺人鬼がうろついているなら、あるかもわからない出口を探している間に見つけられて殺されてしまうかもしれない。僕らが入ってきた扉もビクともしなかったし、あまり動かずスマホで助けを求めた方がいいのかも。


「わ、わかった。じゃあ助けを――」

「まず隠れ場所を……あのタンスの中はどうかしら?」


 スマホを取り出した僕を制止させ、ユミは部屋の角にあるタンスをライトで照らした。両開きのタンスはさっきまで僕が隠れていたものと同じように見える。タンスの中は空っぽで、やはり人ひとりが入れるだけのスペースがあった。


「とりあえずジロウくんはここに隠れていて」


 そう言われ、僕はユミから押し込まれるようにしてタンスの中へと入る。


「ゆ、ユミはどこへ隠れるのさ」


 膝を抱える態勢のままユミへと問いかけた。


「私は別の部屋で隠れ場所を探すわ。少しスマホを貸してもらえる?」

「え、なんで?」

「私のスマホ、充電が切れて使えなくなっているの。あなたは冷静にこの状況を伝えられないでしょう? 私が助けを呼ぶわ」

「わ、わかった」


 僕は既に全幅の信頼をユミに寄せており、躊躇なく自分のスマホをユミに渡した。

何もせず、ただ助けが来るのを待ちたい。この暗くて狭いタンスの中で縮こまっていたい――目を閉じて膝に顔を埋め、家の中で平凡に生活するいつもの自分を想像する。

 マリカがあんなこと言ったから……こんな場所に来なきゃよかったんだ。


 ――バタン。


「あ、え? ゆ、ユミ?」


 急に扉の閉められる音がして顔を上げた。目を開けているはずなのに目の前は暗闇しかない。咄嗟に外にいるはずのユミに声をかけた。

 ……返事がない、と思った頃、聞き覚えのあるはずの声が暗闇の向こう側から聞こえてきた。


「あなた、リョウスケを憶えてる?」



==



「あなた、リョウスケを憶えてる?」

「リョウスケ……え、リョウスケって、え?」


 何の疑いもなくタンスの中に隠れた愚か者に私は一人の名前を告げた。

 その人はもうこの世にいない。

 それが何故か、私よりもこの男の方が知っているだろう。


「憶えているでしょう? だって、あなたたち三人がリョウスケを殺したんだから」

「殺した……リョウスケ――っ、う、うわぁああっ!」


 薄暗い部屋の中で黒として映るタンスの中、ジロウの悲鳴が爆発した。


「ち、違うんだ! 僕はやってない。あの二人がリョウスケをあの場所に閉じ込めたんだ! 僕は見てただけで、何もしてないよ! タケシとコウジが悪いんだ!」


 悲痛な叫びがまるで濁流のようにジロウの口から溢れ出る。痛々しいまでのそれに私の感情は何ひとつ揺れ動くことはなかった。

 もうこいつは死んでいる。リョウスケと同じ運命を辿るのだ。


「そうね。リョウスケを虐めていた主犯格はタケシとコウジ、そしてあなたはあの二人の一歩後ろからその様子を眺めていた臆病な人間」


 ジロウはもう死人だ。けれど、せめて自分の罪を認めさせてから殺したい。


「例え虐められていたとしても、三人の中であなただけは自分の気持ちがわかってくれる――そう思ってリョウスケはあなたに助けを求めた。でも、あなたは助けを求めるリョウスケの手を、自分の保身のために振り払ったのよね?」

「やめて……やめてよ……」


「いじめの快感が昂っていたタケシとコウジは、あなたとリョウスケの四人でかくれんぼをしようと言い始めた。もちろんリョウスケは自分を虐める奴らなんかとそんなことしたくはなかった。でも強制的にかくれんぼを強いられ、それは人気のない森の中で始まった」

「僕は知らない。知らないよっ!」


「森の中に不法投棄されているゴミの山があった。そこに人ひとりが隠れられるロッカーの山が捨ててあって、その一つにリョウスケは隠れた。あなたたちは隠れるリョウスケに黙って三人で集まったのよね? そしてリョウスケが隠れているであろうロッカーを見つけ、そこに閉じ込めた」

「僕は言ったんだ! 出してあげようって、でも二人が絶対に出すなって」


「スマホは事前に取り上げておいたからリョウスケに連絡手段はなかった――今のあなたならわかるわよね? 死が確実に迫りくる絶望感が」

「――っ――くっ、どうしてっ、どうして開かないんだよぉおっ!」


 どんっどんっどんっ、タンスの中から扉を蹴破ろうとする音が聞こえる。しかし既に扉は細工して開かないようにしてある。ジロウが自分の力で外に出られる手段は何もない。


「開けて! 開けてよユミ! このままじゃ、このままじゃ僕は」

「警察と一緒に私たちも行方不明になったリョウスケの居場所を探したわ。あなたたちは見てないでしょうね。変わり果てたリョウスケの姿を」


 あの時の光景を私は忘れられない。忘れられるはずがない。


「全ての爪が剥がれ落ちるほど扉をひっかき続けた血の痕。垂れ流すことしかできない老廃物。喉の渇きも胃の空腹も潤せない閉鎖空間で、リョウスケは自分の舌を噛み切ることで死を選んだ。……助けも呼べない孤独に耐えられなかったのでしょうね」


 どれだけ寂しかっただろう。どれだけ苦しかっただろう。変わり果てたリョウスケの姿を見て、私はリョウスケをこんな目に合わせた大罪人たちに殺意が湧いた。

 ようやく、ようやく私たちはこの殺意を解消できたのだ。


「どうしてユミがそんなこと知ってるんだ! だって、だって君はコウジの彼女になったばかりじゃないか! なんでそんなことを」

「あなたたちに近づくためにコウジの彼女になった振りをしたのよ。あなたたちとなるべく関わり合いを持ちたくはなかったから、復讐は早めに終わらせる必要があった。後であなたたちの死体が見つかったとしても、私たちは関係ないって言い切れるからね」

「そ、そんな…………」


 さて、そろそろ話しているのも鬱陶しい。こいつは間近で人が苦しんでいると言うのに、目の前で起きている惨事を見て見ぬ振りをしていた罪人だ。

 リョウスケに手を加えなかったと言い張るのなら、私たちだって直接手は加えない。


「感謝してね? あなただけは痛みを与えず、ゆっくりと死なせてあげるから」

「嫌だ。いやだいやだいやだ! 出してっ! ここから出してよっ!」

「楽になりたいのなら――することは一つよね」

「いやだぁああああっ!」


 喉が破裂しそうなほどの叫びから背を向け、私はその部屋を後にする。

 ああ――リョウスケ。こんなことであなたの命が報われるとは思っていない。でももうあなたのいない世界で生き続けるには、この三人の存在を消さなければいけなかった。

 罪を犯した私たちを、あなたは笑って許してくれますか?

 頬に涙が伝っていた。これは壊れていたはずだった私の感情が動いた証だろうか? そう思い溢れ続ける涙を拭うことなく、私は罪を分かつもう一人の場所へと向かった。



==



 ユミが裏口から館を出ると、鬱蒼と茂る森が月明かりで淡く照らされていた。真夏であるのに冷たい夜風がゆるりと吹いている。裏口から一番近い木の後ろから人影が現れ、月明かりの下へゆっくり顔を覗かせた。


「終わった?」

「ええ。まだ生きているのでしょうけど、いずれ自死を選ぶでしょうね」

「ああ、やっぱりユミはその殺し方を選ぶんだと思った。あいつらがリョウスケを殺したのと同じ方法を」


 木の後ろから出てきた少女――マリカの服は全て真っ赤に染まっていた。

 マリカの瞳孔が開いていた。まだ人を殺した興奮が冷めやらぬようであった。


「マリカは……マリカらしい殺し方をしたようね。タケシの首と身体が離れているのを見て、つい笑っちゃいそうだったわよ」

「あははっ。ほら、このとーり」


 ゴロン、ゴロン。

 二つの丸型の塊をマリカは木の裏から蹴り出した。見知った頭が転がって来て、ユミは思わずため息を吐いた。


「持ってきちゃったの?」

「だって、ちゃんとユミにこいつらを殺した証拠を見せたかったんだもん。ホントはジロウの分も用意したかったんだけど、あいつ見当たらなかったんだよねー」

「はぁ、別にこんな奴らの顔なんて見たくもなかったけどね。まあ、その辺にでも埋めておきましょ」

「はぁい」


 ユミとマリカは二つの頭と凶器を土深くに埋め、事の済んだ館を後にした。マリカの興奮は既に冷め切っており、二人は軽い用事を終わらせた面持ちで来た道を戻っていく。

 歩きながら、ユミは自分が涙を流したことについてマリカに話した。


「ユミはリョウスケと一緒にいた時間が長かったから、私なんかよりももっといろんな想いがあったんだよね」

「ええ。でも、リョウスケへの想いは彼女だったあなたの方がよっぽど強かったでしょう?」

「うん。だからこの館に入った時にね、一秒でも早くあいつらを殺したかった。だからまず位置がわかってるタケシの所に行って、呑気に数えてる頭を刈り飛ばしたの」


 ジロウの隠れている場所を探しに行こうと一階に下りた時、タケシが既に死んでいたことについてユミは納得した。


「涙は出なかったなぁ。ただ、当たり前のことをしただけって感じ?」

「そうね。あなたの言う通り、私たちは当然の報いをあいつらに与えただけよ。私たちの大切な人の命を奪った三人なのだから」


 ユミとマリカはお互いに手を繋いでいた。その手はこの先何があったとしても絶対に離さないと誓い合うように、力強く握られている。


「それにしてもよく思いついたわね。心霊スポットで『かくれんぼ』をするだなんて」

「でしょ? 終わってみてもこんなに上手くいくって思ってなかった」

「山奥の閉鎖空間だから余計な人もいないし、その中で三人を上手く分断させることができて、一人を殺しても他の二人に感知されにくい」

「かくれんぼってさ、人を殺すのにピッタリだよねー」

「ふふ、本物の鬼はこうでなくっちゃね」


 これからは二人で生きていく。

 平和な世の中に隠れる、鬼として。


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