2話 天使
目が、覚める。
見慣れない天井、聞きなれない声、嗅ぎ慣れない匂い。
何が何だか分からない場所に青年…リッカ・アオイはいた。
「はあ?どこだ、ここ?」
起き上がり、キョロキョロと周りを見渡す。トラックにぶつかった時あった痛みは、いつの間にか消えていた。
「って、はあ!?」
アオイがそこで見たもの、それは、異様としか言いようがないものだった。
頭上には淡く光る輪、背中には翼、様々なワンピースのような服をまとった美男美女。老若男女。つまり、パッと見でわかる、『天使』だ。その現実感のなさは凄まじく、トラックとの衝突がなければアオイもなんのコスプレ大会なんだと笑えたのだが…。
「天使…?つまりここはRPGで例えると天界的な場所…?」
自分の辿り着いた結論が恐ろしくなり、アオイは思い切り頬をつねる。
「痛てぇ……」
夢じゃあない。それを告げる痛みに頭が、真っ青になる。
葵の頭に記憶が蘇る。全身に鋭く重い衝撃、聞こえる悲鳴、救急車の音、フラッシュ音、赤に染まる視界。数時間前?それとも数分前?トラックとの衝突、できればもう思い出したくないそれを思い出す。
「俺は…死んだのか…?」
導き出された最悪の結論がよぎり、一瞬で脳が、頭が、身体中が絶望に染まる。
「なんで…俺が…?」
アオイはなんの特徴もない量産型高校生だった。今日もみんなが好きという某日本を代表するアーティストのビリビリな新曲を噛み締めながら、唯一普通ではない街で人気の花屋に帰るはずだったのだ。
「それだのに、なんで…?」
涙も出ない、全てが空白となる絶望。生まれてからたった17回しか歳を重ねていない青年が自身の死に対し、絶望や恐怖、つまりマイナス感情以外を感じるものはない。そして、アオイを襲うその場から動くことすら許さない絶望に、自ら近寄る者がいた。
「あなたが、リッカ・アオイですか?」
そう問うたのは、透き通った声。バッチリフルネームを呼ばれ、それが自身に向けられた言葉と理解し、その方向に顔だけをゆっくり向ける。
「は…?」
問うてきたのは、紫色と、インカラーに水色の髪を持ち、髪と同じ色の花のようなワンピースに身を包んだ無表情な美少女。見た目的には10歳前後っぽいのだが、完璧に10歳と言いきれぬのはその少女の背中辺りの2枚の翼と、淡く光る水色の輪を頭から浮かせていたからであった。
天使…という言葉が似合う美少女。その問に、アオイは何この美少女と思いながらも答える。
「そ、そうだが…?」
声が裏返った。
「そうですか。ふむ、突然ですが、貴方に頼み事があるのです。」
顎に手を当て、少女はじっと葵を見つめる。
「頼み事?」
リアル美少女耐性のないアオイは、思わず目を逸らしてしまう。だが、相手はそれを気にせず、アオイに一歩、近ずいて。
「貴方には、フル・ブルームを救って欲しいのです。」
と、まさに異世界チート無双の序盤のようなことを言ったのだ。その一言で、アオイはさっきの絶望を忘れ、逆に胸を高ぶらせる。みんなが好きと言ったから見始めた某異世界召喚もののアニメ。それにどハマりし、自分も異世界に行ってみない…!などと思うのはきっと当然のことなんだろう。
たが、焦っては行けない。そもそもフル・ブルームが異世界かどうかなんてわからないじゃあないか。
「フル…ブルーム、?」
期待に踊らされた胸の高鳴りが聞こえぬよう、アオイは意識し、フル・ブルームとやらのことを聞く。すると美少女は、ふーむ、と、顎に手を当て考え事を始めた。そして、よし!と小さく呟き、アオイの方を見た。
「フル・ブルームは貴女方地球人の仰る異世界のこと。その世界が今、枯れ果ててしまうかもしれぬのです。」
なんとなく、理解する。アオイは異世界系が好きだから。枯れ果てるという表し方はあまり聞かないが、おそらく世界が壊れてしまうということだろう。それはつまり…、
「世界から、生命力が奪われてしまっているのです。」
と、美少女が補足する。生命力…つまり生きる力。それが奪われているなら、たたしかしかに枯れてしまうということなのだろうか?そこまで考え、アオイはふと違和感を感じた。
――うん?奪われる?
「奪われている?失われているではなく?」
思った疑問を投げかける。すると美少女は、来ることを予測していたかのごとく速さで答える。
「ええ。奪われているのです。おそらく、あの、化け物に…。人々にきずかれぬほどゆっくり、しかし確実に。」
少女は目を伏せ、その水色の目を憂いに満たす。だが直後グッと奥歯を噛み締めた。自身の無力さを攻めるように。が、それもすぐにやめ、先程のように無表情の仮面をつけアオイを見た。そして。
「異世界からの転移者には、我らが力をさずけることができます。ですので、どうかフル・ブルームを救って下さい」
深深とお辞儀をした。ぶっちゃけ、異世界転移とか、ワクワクしてた。だが、その異世界が枯れ果てていくだとか、美少女の表情やら、真剣さやらで、それは吹き飛んだ。そしてそれが消えれば、残っていたのはさっきの絶望で。
「俺は…死んでいるのか?」
自身の死が、事実かどうか、聞いてしまった。聞けば、戻れないのに。だが、美少女は案外躊躇いなく静かに答えを言った。
「はい。亡くなっています。」
その一言で、アオイの背筋が凍り、辺りが嫌な静かさに包まれる。気づいたら、周りはアオイと美少女しかいなかった。そしてアオイは美少女の死を告げることへの躊躇いの無さに、まさかと思う。一番、最悪なまさか。
「トラックはお前が?」
異世界転生でよくある、主人公がわざと殺されるパターン。漫画小説アニメならまだ良いが、自分がされたらたまったもんじゃない。だが次は、さっきよりさらに静かに、そして躊躇なく答えが帰ってくる。
「違います。どれだけこちらが大変でも、そんなこと許されない。」
真剣そのもののこの美少女は、嘘をついていない。アオイの直感がそう告げた。
「もひとつ、俺がここで断るとどうなるんだ?」
もしかしたら、生き返れるかもしれないというアオイの希望は、一瞬で塗り替えられる。
「天国、あるいは地獄に行くことになりますね。普段の行いなので、自身の胸に手を当てよく考えてください。」
生き返れない。当然だ。アオイの死があちらのせいではないなら、生き返られるわけが無い。ただただ裁判の日が遅くなっただけ。だが、アオイは、まだ生きたいと我儘に思っていた。だからふと思ったのだ。異世界だとしても、また、自身の、他人の、植物の、生きているものだけが持つ温かみを感じれるのではないかと。もう感じれない温かみ、それが、アオイの胸を酷く焦がす。
こんな時、生にしがみつかず、なんともなく、さらっと世界のためと引き受けるのが、主人公なのだろうか?だけど、アオイはそんな風に考えれなかった。ただただ、もう一回、チャンスがあるなら、生きたい。まだまだ、生きたい。めいいっぱい、生きたい。アオイには、それだけだった。
ーーこんなの、主人公ぽくないな…。てか、俺が主人公だったときなんてなかったわ。俺はモブその一だったわ。
なんて思って、だけど無茶苦茶にカッコつけて、
「…わかった。救ってやるよ。そのフル・ブルームとやらを!俺はまだ、生きていたい。」
アオイは、胸をどんと叩き、宣言した。
すると少女は一瞬目を見開いた後、ふっと微笑んだ。きっと、ダメ元で頼んだことだったのだろう。まあ、その笑顔もすぐに仮面にしまわれたが。
「ありがとうございます。では、先程言った通り、我らが力をさずけます。この力は、フル・ブルームで言うところのアビリティです」
ゲームでよく出る単語その一、アビリティ。アオイの脳内辞書がその意味を導き出す。あのゲームやそのアニメ、確か、お気に入りの小説にもあった単語。一般的な意味は確か。
「アビリティ…能力ってことか。」
「ですね。一部の人々は生まれながらにアビリティを持っていたりします。」
と、少女は頷く。
「それで、お前…そうだ、名前なんなんだ?」
そういえば聞いていなかったとアオイは思い、名前を聞く。とうの美少女も、忘れてたという表情を一瞬したが、すぐに表情を戻し。
「申し遅れました。私、フル・ブルームのエボルブルス、番人代表マキです。リッカ・アオイ、貴方には世界を救う勇者になって頂きます。」
と、自らのスカートの裾をつまみ、完璧なお辞儀をした。