よくある「未体験の物語」について
―あれ、よくある展開じゃん。
最近流行っているお話を見ていると、全く新しいけれどよくある設定のものばかりだ。
全く新しいというのは、つまり作者が違うから書き方、物語の内容は違うというだけで、内容自体はよくあるテンプレ展開。割とそんなものが増えているような気がする。
私自身、テンプレートにはまった物語を読んで、「ああ、面白い。この展開でこう持っていくのか」と思うほうなので問題ない。ただ、「流行は繰り返す」ということを身に染みて感じ、本当に新しいものはほとんどないという現実に、嫌気がさすこともある。
今映画の興行収入が300億円を突破した「鬼滅の刃」も、ストーリー自体はよくある勧善懲悪もので、努力に次ぐ努力、死線においてもひたすらに「考えろ、生き延びるすべを」と、常に頑張り、疲れ果てた体に鞭打って戦う。すごく面白い話だし、泣ける話だ。ただ、斜に構えたとたんに一気につまらなくなるのも事実だ。
半沢直樹、人気シリーズでこちらも勧善懲悪、逆転に次ぐ逆転で最後は主人公が悪の権化を追い詰める。シンプルかつインパクトの強いストーリー設定がうけ、視聴率は低迷を知らない、そんな気さえする。こちらも斜に構えたとたんに見る気がなくなってしまう。
最近のものは、よくある展開、テンプレートにのっとり、そこから自身の工夫が光る物がバズる。そういって差し支えないのではないだろうか。
一昔前に流行りだした”なろう系”というのも、転生無双モノというテンプレートをもとに、様々な作家がアイディアを凝らし、その中でも発想の光っていたものが小説家、アニメ化している。
これはつまり、“まるっきり新しいわからないものに対する恐怖”と、“これまで見てきたものに対する飽き”の二つが両立して心にあるといえるのではないか。
いかにもベタベタで使い古された設定でありながら、それでもその作品にしかない良さを作り出し、その範囲の中で新しさを作る。これが現在求められている“娯楽像”だと思う。
今書いていることも、かなり多くの人が感じていることではないだろうか。自分の意見(ひろゆき氏に言えば個人の感想と片づけられるようなこと)を書いているだけだし、全員が全員そう思っていないかもしれない。ただ、実際今流行しているものは割と既視感があるものばかりだ。
“未体験”だが“見たことがある”形式の物語、歌、ドラマ。使い古された枠組みをいかに工夫して、人と違う使い方をするか、これがいま求められている力だと思う。
蛇足かもしれないが補足しておく。私は鬼滅の刃を全巻読んで、めちゃくちゃに泣きまくった。否定的な部分も書いたが、私自身も単純な話を求めているのかもしれない。