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月の蜜菓子

作者: 音梨眞

2月なんて嫌いだ。

みんな変にそわそわしてどきどきして、一体何を期待しているのだろう…


ーーーー月の蜜菓子


「いらっしゃいませ〜こんにちは〜。」


また女子高校生。

顔を少しだけ赤らめて、長い長いマフラーを巻いて小走りにお菓子コーナーへと向かって行く。

片手には小さなお財布を持っていた。

きっとすぐにお目当ての商品を買うためだろう。


普段はめったに込まないこのコンビニが、今日は満員電車のように、ぎゅうぎゅう詰めになっているから。


「ねぇ、これはどうかな?」


「あ。いいんじゃない?人気商品って書いてあるし。今買わないと売り切れちゃうんじゃない?」


「そうだよね、買ってくる!」


そんなに急いで買いに行かなくたって、在庫を呆れるほどに入荷したチョコレートが売り切れるはずはないのだけれど。


私は彼女たちの話を聞きながら、ごしごしと乱暴にモップを動かした。

いつもは鏡のように光沢を放つ床が、今日はたくさんの人に踏み潰されて、鈍くくすんだように見えたからだ。


「おい、月知(つきじ)!レジに入ってくれ」


ふいに、低く唸るような声が私を呼んだ。

慌てて後ろを振り向くと、乱雑に置かれた雑誌コーナーの端に、オーナーの大海(おおみ)が苛立ちながら立っていた。


「ぼけっとしているな。レジ打ちがいないじゃないか!早く入れ」


不機嫌そうに眉をしかめてレジを指差した。

彼は『大海』という名前とは裏腹に、小柄で軟弱な男だ。

それなのに、口だけは達者でネチネチネチと嫌みばかりを口にする。


「はい!すみませんでした」


言われるがままにモップを片付けて、急いで込み合ったレジへと向かった。

こんな日に嫌みまで言われたら私はきっと、爆発してしまう。


「大変お待たせ致しました。商品をお預かり致します。」


「店員不在」のプレートを下ろし、目の前の客をさっと横目で数えると、憎らしいほどに大勢の客が並んでいた。

普段は中高年ばかりのその列は、今日はチョコレートを抱えた少女たちで埋め尽くされている。


それがまた癪に触る。


「5点で900円になります。ありがとうございます。」


機械的にチョコレートを袋に入れて、客に手渡し、営業スマイルをにこりと返す。

チョコレートを受け取った少女たちは、決まって弾んだ足取りで店を後にしていった。


「2点で400円になります。ありがとうございます。」


「3点で850円になります。ありがとうございます。」


「1点で572円になります。ありがとうございます…」


何十個というチョコレートに触れたのに、その中に私のものは一つもない。

それは全て他人への捧げ物たちだ。

私のために用意されたチョコレートなんて、どこを探しても見当たらない。

当たり前のように微笑みながらチョコレートを受け取る彼女たちが憎らしくて、変に涙が零れそうだった。


どうしようもないもどかしさで、胸が潰れそうだ。

体がやけに火照って暑くて、暑くて、溶けてしまいそうだ。


去年もそうだった。

一昨年もそうだった。


いつだってバレンタインデーに良い思い出なんてない。


ひねくれた私の性格は、チョコレートを買うことすら躊躇って、気持ちとは真逆の行動をとってしまう。

本当は誰よりもバレンタインデーを必要としているのに…。


「あのっ…」


「は、はい」


慌てて目の前を見ると、なぜか懐疑的に私を見つめる少年がいた。


レジが遅いから怒っているのだろうか…?

それとも込んでいる店でぼうっとしていたから…?


微かに眉がつり上がっている。


「あの、し、失礼しました!商品をお預かり致します。」


理由はわからなかったが、念のため軽く謝っておいた。

込み合った店内で、トラブルを起こしたら大変なことになる。

それこそ大海のいい餌だ。


私は急いでバーコードを遠し、袋に商品を詰め込んだ。

彼はたくさんの商品を持ってきたから、時間がかかりそうだった。


「……。」


商品を袋に詰める私を、尚も彼はじっと見つめてくる。

その視線が真剣で、鋭いものだから、少々恐ろしくなった。


一体私は何をしたのだろう…。

早くレジを済ませた方が、身のためかもしれない…。


「あの、」


5個目の牛乳プリンを袋に詰めたときだった。


「あの、もしかして月知…ですか…?」


少しだけ恥ずかしそうな顔をして、躊躇いながら彼は言った。


「え…?」


「あ、やっぱり違いますか?中学の同級生に似てたから声をかけたんですけど…」


彼は照れ笑いを浮かべて、

「違いますよね、すいません」と謝った。


「や、えっとそうじゃなくて…えっと…月知ですけど、あの、どなたですか…?」


私はプリンを持ったまましどろもどろに答えた。

今目の前にいる背の高い少年が、同級生だったなんて信じられない。


一体だれ…?


「え、ほんと?うわぁーやっぱそうだったのか。

髪伸びてるし、学生服じゃなかったから、迷ったんだ。

上川(かみかわ)だよ、久しぶりだな。」


「えっ…上川って…」


上川瑛(あきら)だよ。忘れたか?」


うそ…

上川って…


そんな、信じられない…。


驚きながらも、小さな声で

「久しぶり…」と言い返した。


どくんどくんと心拍数が上がっていくのがわかる。

プリンを持つ手は微かに汗ばんでいた。


「へぇ。バイトしてたんだ。俺よくここ来るのに、ぜんぜん会わなかったな。」


「…15点で1436円になります。」


私は商品をしまい終えた袋を持ち、合計金額を彼に告げた。

至って機械的に、ボロがでないように。


「あー…ごめん、ちょっと待って。5円出すから」


先に1431円を出すと、ごそごそと財布を探った。

私は5円玉を待ちながら、そっと彼を盗み見た。


手は中学時代と変わらず、ごつごつしていて、なぜか沢山の赤インクがついていた。

160cmもなかった身長は一気に伸びて、今は170cm以上ありそうだ。

よく見れば顔はほとんど変わっていない。あの頃のままの穏やかな顔。


人って2年経ってもそうは変わらないんだな。


なんだかほんわかとした、暖かい気持ちになった。


「いつからバイトしてたの?」


ふいに視線に気づいたのか、5円玉を探しながらぽつりと彼が呟いた。


「前から。」


私はあっさりと答えて、飛び出したプリンと紅茶とパンを丁寧に袋に入れ直す。

ついでに"ホワイトデーキャンペーン"のチラシも入れた。

無駄のない、機敏な動き。

込み合ったコンビニでもたもたしている時間は少しもないから、当たり前のことだ。

だけどすごく冷たい行動のような気がして、無性に悲しくなった。


もっと話したい・・・でもこれ以上は話せない。

話したらだめだ。


「そう。あ、はい、5円」


やっと5円玉を見つけたらしくチャリンと、レジに落とした。


「1436円ちょうどお預かり致します。」


小銭を受け取りレジに打ち込んだ。


それから出てきたレシートを渡す。


「レシートのお返しになります。」


「あぁ」


レシートを渡したときに彼の手が軽く触れた。

ほのかに暖かい大きな手だった。


「ありがとうございます。またお越しくださいませ。」


形式的な挨拶を小さな声で呟くと、小銭とお札をレジにしまった。

次の客の商品を預かる。


顔が真っ赤だ。


誰にも気づかれないといいけれど…。


「なぁ、また来るよ。お前のこずかい稼ぎに協力してやる。」


牛乳のバーコードを読み始めたとき、買い物袋を提げた上川が笑いながらそう言った。


「今度はもっと空いてる時にさ。俺、塾でバイトしてるから。」


そして軽く右手をひらひらさせると、静かに自動ドアへと歩いて行った。


「えっ…」


瞬きもせず、彼の後ろ姿を見つめる私に客は容赦なくレジを促す。


「早くしてくれない…!どれだけ待たせるつもりなの!?」


「…し、失礼しました!」


私はすぐにレジ打ちを再開し、カゴの一番底に隠れるように入っていた、真っ赤なチョコレートをバーコードに通そうとした。


「………あ」


なぜだかわからない。

チョコレートの赤が私に火を点けたのかもしれない。

いつの間にか、私は突き動かされるようにレジを飛び出していた。


「ちょっ…ちょっとっ!」


大きな声で客の罵声が聞こえる。

客が地団駄を踏む様子が一瞬にして、目に浮かんだ。

店内がやけにざわざわし始めた。


そうか…。

この時間のバイトって私しかいないんだっけ。


無意識にそんなことを考えながら、それでもただ真っ直ぐに走り続ける。


外に出ると、2月の冷たい空気に包みこまれた。

しっとりと寒さが肌に伝わる。

木枯らしがひゅるりと吹いていった。

私を導くようにひゅるり、ひゅるりと。


「…ぁ…はぁ…上川っ!」


もういないかもしれない。

彼はたぶん塾の先生だ。

以前、風の噂でそんな話を聞いた。

高校生を雇ってくれる塾に、上川という評判の良い先生がいると。


それなら急いでコンビニに来たはずだ。

塾は規則通りに時間が進む。

コンビニのように、時間に余裕がないだろう。

それなら、尚更もう…


「ん…?」


目の前の交差点に赤いマフラーを巻いた川上が立っていた。

片手でパンを食べながら、ぼんやりとこちらを見ている。

信号が変わるのを待っていたようで、今にも歩き出しそうだ。


「あっ!待って!」


今まで一度も出したことのない大きな声で叫ぶと、恥ずかしげもなく手を振った。


「川上っ!待って!」


行き交う通行人が不思議そうに私を見たが、私の瞳は彼の姿しか捕らえていなかった。


「…あ、月知…!」


川上は驚きながら、こちらに近づいてくる。


「上川っー!ちょっと待ってー!」


信号はまだ青にならない。

沢山の自動車が交互に行き交う。


青…黒…白…


その奥に見える上川はコンビニで見せた笑顔より、もっと優しい微笑みを浮かべていた。


『信号が青になります』


やっと信号が変わると、私は全速力で駆け出した。


一秒でも速く、あなたに近づきたい。

ずっと、ずっとあなたを見ていたから。


「そんなに急がなくても逃げねぇよ」


上川は笑いながら待っていてくれた。


「制服で出てきて良かったのか?また来る、って言ったのに。首になっても知らねぇぞ」


「いや…えっと…うん、首になるかも…」


息をゼェゼェ吐きながら、蚊の鳴くような声で答えた。


「ダメじゃねぇかぁ」


上川は面白そうに大笑いして、通行の邪魔にならないように端に寄った。

私も大きく息を吸い込んで、呼吸を整えながら同じく端に寄る。


「で?わざわざどうしたの?」


「えっと…だから、その…」


もごもごと呂律が回らない口で一生懸命、素直に話す。


「今日はバレンタインだから……その…チョコ、渡そうと思って…」


「好き。」なんて、そんな大胆なことは言えない。

「愛してる。」なんて、もっと無理。


だけどせっかくバレンタインデーに、中学時代からずっと好きだった人に会えたんだから…。


告白なんてしなくていい。

気持ちはそう簡単には打ち明けられない。


それならせめて、甘い甘いチョコレートを渡そう。

苦くて切ない、私の思いを彼に届けよう。


「バイト中だったから、こんなのしか渡せないんだけど、せっかく店に来てくれたから…」


「うん」


「ハッピーバレンタインデー」


寒さでほんのり赤くなった大きな手に、小さな小さなチロルチョコレートをそっとのせた。


ふざけてると思われるかもしれない。

もしかしたら嫌われるかも…。


でもそれでも渡したかったから。

毎年、彼がチョコレートを貰う姿を苦しく思いながら見てきたから。


「本当はもっとちゃんとした大きいチョコレートをあげたかったんだけど、これしか持ってなくて…」


「うん」


「私って要領悪いから…」


「うん」


「ごめんね」


渡したチロルチョコレートを見て、絶対に怒らせたと思った。

わざわざ呼び止めておいて、こんな小さなチョコレートしか渡さないなんて酷すぎる。

それを考えると自然に視線が下に下がる。


「あの…」


「ん?」


「本当にごめんね」


「ううん…いいから。これで十分。ありがとな。」


恐る恐る顔をあげると、嬉しそうにチョコレートを見ている姿が映った。

私の大好きな穏やかな笑みを浮かべて。


「じゃあそろそろ行くわ。また買いに行くからさ、首になるなよ。チョコありがとな」


「うん。待ってるよ。貰ってくれてありがと」


信号が青に変わる。

川上は先ほどと同じように手をひらひらさせると、静かに歩いて行った。

私はその姿が見えなくなるまで、ただずっと彼を見ていた。


暖かいふわふわとした気持ちを抱えて…。




17歳のバレンタインデーは甘くとろける幸せな時を、私に届けてくれた。





短編と言いながら、とても長くなってしまいました(^^;)それなのに、読んで頂けて本当に嬉しいです。感想、お待ちしています。

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