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アロイスの予想通り、ヘロインはすぐに広まった。
「期待通りだな」
司令官が上機嫌に言った。
ヘロインを求める列がアロイスの家に出来るようになった頃、アジがやってきてアロイスを司令官の部屋に連れて行った。いつものように、司令官は椅子に座って頬杖をついていた。
「やってくれると思っていた」
「あのとき、殺さなくて良かったな」
アロイスが言うが、司令官は答えなかった。
「早速だが、作り方を教えろ」
にやけた顔で見下ろす顔が、憎たらしい。
「教えなければ、今度こそ殺すか?」
司令官がゆっくり頷く。
「答えるまでもないだろう?」
「良いだろう」
「素直だな。もっと抵抗するものかと思ったが」
「そんなことをしたところで、意味はないだろう。貴様にとって、私はもう用済みだ。私が死んだところで、私の家へ行って研究者を捕らえればそれで事足りる」
「賢明だ」
司令官は手に持っていた葉巻を口にくわえると、アロイスに拍手を送った。
実際、この部屋には殺気が充満していた。その殺気の出所は、司令官の後ろに鎮座している幼い女王からだった。やはり、何らかの力があるからこそ女王として祀られているのだろう。あの災害とマヌの子供だ。もしかしたら、災害級の魔法が使えるのかもしれない。
部屋を出ると、どこに隠れていたのかアジがついてきた。
「そんなに目を光らせなくても、私は逃げはせん。逃げるところなど、どこにもないのだからな」
アジは何も答えずニコニコしていた。
家に戻り、シャフトラに説明をすると、すぐに作り方のメモを作成した。そのメモを見ても、魔法のことばかり書いてあってよくわからなかったが、アジはそれを見て納得したようだった。
「それを手に入れたところで、貴様らの国では魔法使いがいないのではないのか」
「ご心配には及びません」
いつもながら、何を考えているのかわからない男である。ただ、これで司令官の興味はアロイスからなくなった。この先、アロイスがここで足止めを食らうことはないだろう。それ故に、殺される危険性も増したということだが。
「失礼、ご主人ですか」
アジが帰ると、列に並んでいた男から声をかけられた。
「なんだ」
ほかの汚らしい身なりの男たちと違って、その男は異質だった。フランクライヒにいた道化を思い起こさせるような出で立ちで、洒落た服装をしていた。手にはヘロインの注射器を持っている。
アロイスの背後にグレーザが立った。男を警戒しているのだろうか。男からは害意を感じないが。
「これは毒ですか?」
ずいぶん、ストレートにものを尋ねる男だと思った。面白いやつだ。
「毒ではない。ヘロインという。鎮痛剤のようなものだ」
「初めて聞きました」
男は注射器を日の光にすかしてみている。どの化学合成品も同じだろうが、こういった不安定な薬品は特に紫外線に当ててしまうのはよくないだろう。
「失礼、私は世界中の毒を集めいているギフトという者です」
かぶっている帽子についていた、鳥の羽のような者を外してアロイスに手渡す。名刺代わりだろうか。
「これも毒か?」
皮肉交じりに尋ねると、ギフトはにこりと笑った。
「その通り」
鴆毒という鳥の羽を使った毒がある。これは神話のようなものだ。アロイスももちろん見たことがなかったが、異世界ならばあってもおかしくないだろう。
「ヒ素か」
つぶやく。実際には亜ヒ酸であって、ヒ素とは違う。
「これは致死量はどの程度ですか」
男はすでにメモ帳を構えている。
「神経毒だ。これ一つで死ぬ者もいれば、何本も打っても死なない者もいる。経口なら何十本も必要だろう」
「なるほど」
つい、毒という言葉を使ってしまった。男は力強い筆圧でメモすると、パタンとメモ帳を閉じて頭を下げた。
「勉強になりました。それでは、またどこかで」
またどこか、という彼の言葉に、アロイスも彼とどこかで再会するだろうという運命じみたものを感じた。
「そうだ」
男は振り返った。
「毒が必要なときは、呼んでください。きっと、あなたの近くにいます」




